ぼくのためのきみの片恋(1/2)

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     私たちは、出会う計画があったわけじゃない。最高の出来事は、いつだって偶然に起こりうる。
     のっぴきならない恋に落ちる。美しく言えば、��ラブアゲイン�≠セけど、わかりやすく言えば、
    ��焼けぼっくい��——。


    「あ〜やっとこれで今週の仕事が片付けられる、よーしっ!」

     都内のとある高層ビル。その中の九階の一室。一人で使うには広すぎるこのオフィスで私は腕まくりをしながらパソコンと睨めっこをしていた。
     今の私の仕事内容は社長秘書。の、ような物。以前は全く関係のない雑誌の編集者として働いていたが色々と人生の岐路に立ち、と言えば聞こえはいいが要は婚約者が出来て寿退社をして、その婚約者と別れて幼馴染兼、元恋人と復縁し、社会復帰の練習がてらたまたま見つけた求人に勢いで応募をして、今に至る。
     大手企業の子会社だと舐めてかかっていたが、社長である藤真健司はかなりの敏腕でいとも簡単に莫大な資産を築き上げていたのだ。何を隠そうその��社長�≠ニいうのが、私の元婚約者である。

     初めて会社の決算報告書を見た時は文字通り、目が飛び出るかと思うくらいに、驚いたものだ。見せかけは大手企業の子会社だが、本社とも張り合えるのではないだろうかと私はそんなことすら思っていた。今更になって自分なんかが、こんなすごい会社で社長秘書(の、ような物)をやっていて良いのだろうか……そう悩まされた事もあったが我が社の社長は非常に考え方が合理的な上に指示も明確でわかりやすい。大きな金額を扱っているだけあって、それなりに、仕事のやりがいはあるし。今となっては、この仕事を辞めたくないと感じている自分がいた。


     *


     入社してから特にストレスもなくそつなく業務をこなしていた私だったがたった一つ気がかりな事があった。それは、藤真社長の顔色が最近すごぶる悪いということ。相変わらずの敏腕ぶりで、素早い意思決定をしてくれるが溜め息をついたり怖い顔をする日が以前より増えてきたのだ。いつもと明らかに様子が違う。このままだと、倒れてしまうのでは、と私は彼の事が心配でたまらなかった。それは社員としての感情ではない。異性としての特別な感情だった。

     この会社に勤めて早五ヶ月。私はいつの間にか藤真社長の事が好きになっていた。始めは仕事をテキパキとこなす姿にビジネスマンとして憧れているだけだと思っていた。だがこの感情はどうもそうではないらしい。何をしていても、彼の事を思い出してしまうのだ。よりによって、勤め先の社長という一番ハードルの高い人を好きになってしまうなんて……気づいた頃には時すでに遅し。毎日——藤真社長を目で追うようになっていた。
     なんとか気を紛らわそうとするも、この感情が治る気配はない。それどころか、ますます好きになっている気がする。私は揺れ動く感情をコントロールできず悩まされていた。しかし仕事自体は大好きであるため仕事に私情を挟む事は私自身、到底許せることではなかった。


     来月いっぱいで退職しよう——。


     それがこの数日間で悩み抜いた末で出した答えだった。それと同時に、今の彼氏にも別れを告げなければならない。他人に気持ちが向いているのにこのまま一緒にいるわけにはいかないからだ。
     このオフィスで働けるのも、あとわずかになるのか……ちょっと寂しいな。時間をかけて出した結論とはいえ、仕事を辞める事、このオフィスを去る事、何よりも、藤真会長に会えなくなってしまう事に対して寂しい気持ちが止まらなかった。


     ようやく仕事を終えデスクを片付け始めようとしていたそのとき、ピコン♪とメールの通知音が鳴った。

    「あーもう、やっと帰れると思ったのにぃ……」

     そうボヤきながらも新着メールを開封した私は目を見開いた。なぜならそのメールには現在社長が手掛けていた株を時価の10倍で申し込みたいと連絡があったと書かれていたからだ。送り主は社長の本物の秘書、みょうじさんからだ。彼女は確か今日、珍しく有給をとっていたはず。

    「え!?じゅ、10倍の価格で?ど、どど、どうしよう……!」

     当然こんな大きな案件が来たのは私の記憶でも初めてである。私はパニックになった。ある程度の裁量は与えられているが、今回の金額はあまりにも大きい。自分ではとても判断できるものではなかった。あいにく藤真会長は終日外出しており戻ってくる予定も立っていない。そもそもCc:に入っているみたいだし私が連絡する必要も権利もないような……。

    「社長に電話するの、緊張するな……こんな遅い時間に申し訳ないし……」

     そう声に出しつつも、これは緊急案件だ。ぐちぐち言ってる場合じゃない。きっとみょうじさんも今手が離せなくて私に送ってきたのかもしれないし……それに最近元気がなさそうだった社長の様子も心配だ。というか声が聞きたい——結局私は藤真社長に電話をすることにしたのだった。


     *

    「あ〜、もうっ……!完全にやらかしたっ!!」

     頭を抱えながら携帯を目の前にうずくまる私。高額な株買い付けの重要案件だっていうのに……

    「社長!そんな事より、いい加減ご飯をちゃんと食べてくださいよ!」
    『は……?』
    「だから、ご飯です!最近ご飯を抜いていらっしゃることが多かったでしょ?知ってんですよ!」
    『……』
    「社長ここ最近ずっと顔色悪かったですし心配で心配で……。あっ、一社員として、ですよ!?」
    『……』
    「こ、こっちの業務にも、支障が出るんですよ!話しかけづらいですし……け、健康管理も仕事の一つです!トップがそんなんじゃ部下の私もご飯食べにくくなるじゃないですかぁ」
    『ふっ——そんなことより、ご飯、か……』
    「私、奢るんで。ご飯行きましょう!あの、社長聞いてますかぁ?もしもーし!もしもしー?」

     開口一番、もちろんメールで届いた内容は伝えた。すると社長は「知っている」とだけ言った。そのまま電話が切られそうであったため、社長を思うあまり本音が飛び出てしまった。いや改めて社長と仕事の電話をした事に緊張していたという理由もある。きっと社長はドン引きして、電話をするのをやめてしまったんだろう。最後の方は、応答がないまま切られたし。
     あぁ、もう秘書……の、ようなもの、失格だ。会社の利益よりも自分の感情を優先するなんて。

     もう一度、電話を掛け直す?いや……ここは、ショートメッセージにしておくべき?でも送っても無視されるかも……。私はオフィスをうろうろしながら数分前にやらかした状況を、どうやって挽回するか悩んでいた。しばらく頭を抱え込んだ末に私はある決意をした。それは今すぐに会社を去ること。いわゆる、辞職という形でお詫びをしながら退職届を渡せばいい。そう思ったのだ。
     もとは近々、退職願を提出するつもりだった。少しくらい早まっても何ら支障はない。悪いのは自分だし。私は、さっそく便箋を一枚取り出して退職届を書くことにした。

    「えーっと?一身上の都合により……。うーん、日付は、漢数字の方がいいのかな?」

     あー何か、ちょっと字が汚いな。書き直すか。退職届なんてしょっ中書くものじゃないからネットのテンプレートを参考に何度も書き直す始末。その作業に集中するあまり、ある人物の足音が、オフィスに近づいている事に私は全く気がついていなかった。

     ——ガチャリ、

     突然開くオフィスのドア。そこには藤真社長の姿があった。え……と。数秒間そのまま固まってしまった私に、相変わらず軽蔑的な視線を向ける藤真社長。

    「し、し、社長!?あの、今日は……お戻りに、ならないはずじゃ……」

     慌てて退職届を隠そうと立ち上がる私だったがその拍子に便箋がテーブルから吹き飛び彼の足元に落ちてしまった。素早くそれを拾い上げながら中身を流し見て眉間に皺を作り目を細める社長。

    「どういうことだ、これは」
    「こ、これはその……、あの、このままこちらで働くのは、難しいかな〜とか、思いまして」
    「……」
    「隠れて副業もしてましたし、あの……その、」
    「健康管理も碌にできない上司が嫌になったか」
    「なっ!ち、違うんです!このまま、公私混同をしていては、ご迷惑がかかるかと……っ」
    「どういう意味だ。具体的に言ってくれ」

     相変わらず社長は端的で具体的な表現を好む。うまく言葉を濁そうと思っていたが、社長の鋭い眼差しからは逃げられそうにもない。私は観念し勇気を振り絞って、本音を打ち明ける事にした。

    「社長のことが好き、だと。あんな突拍子もない告白をしてしまって……」
    「……」
    「ずっと、仕事には持ちこまないようにしてたんですけど、やっぱり抑えられなくて、あの時は」
    「……」
    「でもこれ以上、仕事に私情を挟むと、ご迷惑がかかると思ったので、退職を決意しました……」

     社長は無表情にも見えたが、真剣な表情で私の話を聞き続けてくれていた。しかし私が言い終えたと感じ取ったのか目を伏せて小さく息を吐くと「わかった」とだけ言った。
     何に対しての��わかった�≠ネのかを、すぐには飲み込めず、目を泳がせる私を一瞥した社長が、溜め息と共に言葉を紡ぐ。

    「あの日の事(・・・・・)はもういい。この紙も——もう少し俺が預かっておく」

     と言いつつすぐそばにあったシュレッター機にその便箋を突っ込んだ社長に私はギョッとして、目を見開く。やはり字が汚すぎて読めなかったのだろうか。ガガガガと紙が切り刻まれていく様をじっと睨みつけるように見つめる社長に私は取り急ぎ、謝罪をする。

    「あ、はい。あの、さっきはすみませんでした」
    「何がだ?」
    「電話の件です。大きな案件が入ったのにそんなことより、ご飯に行きましょう、だなんて……」
    「ふっ、そんなことか……どうでもいい」
    「え?」
    「くだらない株の案件なんて今はどうでもいい」
    「くだらない!?……いやっ、でも会社の利益に繋がる大きな案件じゃ……」
    「金よりも大切なこともあるのだと教えられた」

     そう言いながら私を数秒見つめたあと社長は、「よし、行くぞ。」と、私の腕を引っ張った。

    「え、行くってどこにですか?」
    「ご飯に行くんだろ?奢ってくれるんだったな」

     その言葉に私は不意に数年前の記憶が蘇った。大胆なようで慎重で安定していて、いつも紳士的で冷静だけど実は不安定で繊細な彼にただ純粋に恋をしていた、あの頃の私。
     貴方を春の日にたとえよう。いや、貴方の方がずっと美しく、おだやかだ——。





     ——三年前。


     藤真さんと付き合い始めて、二ヶ月弱。勢いで始まったような恋だった為、うまく行くものかと心配していたが意外と私は日々充実しているように思う。
     彼と出会う前は巷で流行りのマッチングアプリなんかを会社の同僚から勧められて試しに異性と会ってみたり、大学時代の子から声がかかって、合コンへ参加してみたりもしたが、どれもこれも不発もいいところだった。
     そんなことをしている内に、こちらからあえて疎遠を貫いていた高校時代の親友とバッタリ再会し、その熱に流されて幼馴染とも数年ぶりに顔を合わせる事になり彼の婚約者を紹介される展開に陥ったが今はこれまで通りの毎日を送っていた。

     幸いクールな現在の彼、藤真さんは仕事とプライベートをがっつり分けるタイプらしく仕事中は一切恋愛感情を出さない。なので彼が仕事モードの時は会えない事も多い。名刺の文字通り、あの若さでテキパキと仕事をこなすエリート敏腕課長なのだ。
     最近、唯一変わったことと言えば、毎日『おはよう』と『おやすみなさい』のメッセージを送るようになったこと。そして彼からのお誘いを待ち連絡が入れば必ずご飯へ行き、体を重ねるようになったことだろうか。私も彼から連絡が来たら、恋人モードへ突入というわけだ。それまでは彼に負けないように仕事に没頭している。意外にも、この生活リズムが私は気に入っていた。たった、一つのことを除いては——。

     彼は優しいし仕事と同様に手際もいい。デートときのレストランはいつも知らぬ間に予約をしておいてくれる。どこからどう見ても、完璧すぎるくらいの彼氏なのだが困った事にデートが毎回、高級レストランなのだ。回らないお寿司に、懐石料理、フレンチのフルコース、そしてステーキに私でも飲めそうな舌触りの良いワイン。
     高級ワインは飲み慣れていないことに気づいた彼は、私の口に合いそうなワインやシャンパンでいつもおもてなしをしてくれる。だが——あれもきっと高いのだろうと思う。金銭感覚が違いすぎる……数回目のデートで私はようやく確信した。
     はじめの頃こそ「さすが藤真さん!」と喜んでいたものだが徐々に困り始めていた。毎回こんな高級レストランじゃ、落ち着かないというか……洋服や靴もプレゼントされるがこんなブランド物を沢山もらっても使いこなせそうにないし。あ〜もう!居酒屋で餃子と一緒にビールが飲みたい!

     だんだんと私の心は、モヤモヤし始めていた。そしてある日、事件は起きた。その日は少し足を伸ばそうと二人で新宿へデートに来ていた。仲良く腕を組み寄り添いながら、いつもと違う場所で新鮮さはあるものの彼は相変わらずだった。高層階の高級レストランに、お決まりのブランド店。さすがにたまりかねた私は、思い切って切り出す決心をした。

    「——藤真さん……あの」
    「ん?足が疲れたのか?」
    「あ、全然、大丈夫です。あの、こういった高級ディナーとかプレゼントは、本当に嬉しいです」
    「うん」
    「でも、プレゼントは……今回限りにしてもらえませんか?」
    「ん、どうして?」

     やや目を細めた彼がゆっくりと足を止めたのでそれに倣って、私も足を止める。通行人の妨げになるといけないので自然と二人で端へと寄って、私は視線を少しだけ斜め下に下げつつ言葉を続けた。彼は、じっと私を凝視している。

    「なんというか、こんなに貰っても困っちゃうと言いますか……」
    「プレゼントが気に入らなかったならすまない」
    「いえ、気に入らないとかそういう意味では、」
    「じゃあ欲しいものがあるなら、別の物を——」
    「だからっ!!違うんですってば!」

     バッ、と彼の腕を振り払って私は声を荒げる。藤真さんは少々驚いた様子で目を見開いていた。まるでこれでは初めて彼と食事をして大声で怒鳴りつけたときのシチュエーションと全く同じではないか。通り過ぎる周囲の人たちもこちらに注目しているが、もうここまで来てしまえば、そんな事はどうでもいい。今更この性格を変えることも出来ないので、早々に諦める。

    「私は、私は……物やお金が欲しくて藤真さんと付き合ったんじゃありませんっ!」
    「……」

     ああ、最悪だ……。絶対に嫌われた。彼の顔が見れない。私は何に対して悲しいのか途端に涙が溢れ出てきた。ただのメンヘラだ……こんなの。恋って楽しいものだと思っていたけど実際は辛いものなんだな。わかっていたはずなのに……。
     恋の女神はいつだって目隠しをされていて目が見えない。それなのに、なぜいつも思い通り矢を射ているのか。所詮これも、叶わぬ恋なのかな。

    「藤真さん……ごめんなさい。私……ひどいこと言いましたよね。いつも私のために……良くしてくださっていたのに」
    「——いや、良いんだ。本当にすまなかった。」

     彼は私の涙を、そっと長い指で拭う。チラっと見上げたその表情は——初めて見るものだった。困ったような、傷ついたような、なんとも形容しがたいその顔を一心に見つめていれば、彼の唇が言葉を発する。とても、優しい声音で。

    「……ずっと、不安だったんだ」
    「え、不安……?」
    「俺は長い間、金だけを信じて生きてきた——。だから、何かを与えることでしか気持ちを伝えることができない」
    「……」
    「怖かったんだ。名前を失いたくなくて……」
    「もう私は……何ももらえなくても、ずっと藤真さんのそばにいますよ?」

     こんな公共の場で彼は、私の顔を両手で包み、微笑んだ。ああ、都会の街はこんな事も許されるのですね。最高——東京!地元でこんな事をしていたら今の時代なら写真を撮られてSNSにアップされてしまうところだ。なんて暢気な事を考えている私をよそに彼は軽く私の瞼に口づけをした。

    「名前、今日のデートなんだが。お前の行きたいところへ行こう。どこへでも着いていくよ」
    「……えっ、良いんですかぁ!?」
     
     まるであの昭和の格闘ゲームのお団子頭のキャラクターのように、飛び上がりそうな勢いで声を発した私を彼がやや鬱陶しそうに眺めて、呆れたように溜め息を吐いてから、小さく頷く。

    「あの、でも本当に、庶民的なところですよ?」
    「かまわないよ」
    「すっごくうるさいですし、狭いお店ですよ?」
    「いいよ」
    「500円くらいの、丼物とかの定食ですよ?」
    「そ、そんなに安いのか?か、かまわない。」
    「あーっ!今、そんなに安いのかって言った〜」
    「わ、悪かったよ。大事なのは、金額じゃない。お前の笑顔が見れたら俺は、それでいいんだ。」

     演技で頬を膨らませ少し拗ねたふうな私をなだめる彼だが、なんだかそうやって歯の浮くような台詞を言えばなんとかなると思っていないだろうかと疑念を抱く。それでも、目を細めながら私が再度、彼に確認の意も込めて、お伺いを立てる。

    「本当ですね?」
    「あぁ、本当だ」
    「じゃ決まりですね!藤真さんこっちこっち!」

     ともあれ私の機嫌は、すっかり元通りになり、それに対して彼は、ほっと胸を撫で下ろしていたようにも見えたが気にする事なく彼の手を引き、私はずんずんと来た道を戻って行ったのだった。


     *


    「おい名前、そんなに引っ張るなよ」

     私と藤真さんはとある場所に来ていた。今日は急遽、高級志向すぎる彼と庶民デートをする日に切り替わったので私は、超絶ご機嫌だった。彼の腕を引っ張って、待望のチープな場所——ゲームセンターの奥へと私たちは入っていく。

    「あっ、UFOキャッチャーしたいです!」
    「ん、あぁ……わかった」

     スッと、当然のように財布から一万円札を出す彼に慌てる私。やはり彼は、庶民の感覚がだいぶ欠如しているらしいと、改めて悟す。

    「ちょ、ちょっと藤真さん!一万円札なんか入らないですって!」
    「……」
    「私、百円玉持ってますから!」

     そう言って財布を開き小銭を見せた私は、彼には絶対に支払わせまいと、素早く機械に百円玉を投入した。チラと彼を盗み見れば呆気に取られているのか呆然と私の手元を見ていた。すぐに電気がついて愉快な音が鳴り始める。それに反応した彼は、やや軽蔑的な視線で目の前のUFOキャッチャーを、正面から見据える。

    「藤真さん!ほら、手前のターコイズブルーのを狙いましょ!とりやすそうですし!」
    「……なんだ、これは」
    「ハンギョドンですね。私好きですよ、この子」
    「あぁ、確かにお前に少し、似ている気がする」
    「はっ倒しますよ。ほら!さぁ、やってみてくださいっ!」

     ウィーン、ウィーンとアームが動いて一度ぬいぐるみを掴んだものの、ポトっとあっけなく下に落ちてしまった。私は「あ〜!!」と、ガラスにへばりついて、抑揚をつけて声をあげる。

    「惜しかったですね!思ったよりもアームが弱いなぁ〜。惜しい惜しい!」
    「あ、あぁ……」

     しかしその微妙な反応とは裏腹にすぐに再チャレンジを試みる藤真さん。だがまたも、失敗してしまう。結局三回プレイは全て失敗に終わった。

    「ゆ、UFOキャッチャーなんてこんなもんですよ!ゲームセンターはうまい事儲けてますよね」
    「……」

     慌ててフォローするが、彼は無言で険しい顔をしていた。やばい……全然盛り上がらない。いきなりゲーセンなんて、さすがに庶民すぎたかな。
     いつも通りというか、いつも以上というか……淡々とした反応しかしない彼に、焦り始める私。超高級志向の彼に、ゲームセンターはハードルが高過ぎただろうか。そう思っていたとき……

    「名前、小銭はまだあるのか」
    「え?」
    「小銭。まだある?」
    「あ、ありますよ。もう一回プレイしますか?」
    「まだ取れていないだろ」
    「そ、そう……ですね。」

     慌てて財布から百円玉を取り出して藤真さんが私に向けていた手のひらに乗せる。すると彼は、こちらを一瞥もせずして、狙う、ハンギョドンをじっと見つめながらノールックでその受け取った百円玉を再投入した。品があって綺麗なその指先がまさかこんなチープな庶民の娯楽、UFOキャッチャーのコイン投入口に触れる日が来るとは、誰も思うまい。写真撮っておけばよかった……。

    「頭の方に、重心を寄せるか……持ち上げずに、左アームで寄せるか……」

     何やらぶつぶつ言いながらしゃがんだりディスプレイの横に回り位置関係や角度を念入りに確認している彼を見て、これはもしや、と。私は真剣そうなその様子にピンときた。こ、このひと……ハマってる……!険しい表情を見せていたのは、次のプレイをどうするか、頭の中で戦略を立てていたからだったようだ。さすが未来のCEO……戦略を立ててから、実行する派なのね。

     軽快なBGMと共にウィーンウィーンとアームが動き回る。……その後、何度失敗しても、彼は諦めることなく、ひたすらUFOキャッチャーに挑み続けた。
     私から一度だけ小銭を受け取った彼は三回目の挑戦にあたり両替機を探している様子だったので案内して彼が一万円札を両替している姿を、ただただそばで見つめていた。すぐに私が先に出した二回分の小銭を返して寄越した彼に呆気に取られ「いらないです」と、言いそびれてしまう始末。すぐに先と同じ位置に戻った彼の後を私も急いで追った。もうかれこれ3000円ほどつぎ込んだのではないだろうかと、頭の中で計算をしているとガシャン、と。ようやくお目当てのぬいぐるみをゲットすることができたらしい。その瞬間——。

    「……よし。」

     クールながらも右手で小さくガッツポーズをした彼の姿を私は見逃さなかった。ふふ、藤真さんなんだか子供みたいで可愛いなぁ、と私は思わず自然と頬を綻ばせるのであった。 

    「取れたぞ、ハンギョドン。」
    「ふふふ……ありがとうございます」
    「ん、何を笑っているんだ」
    「い、いえ!嬉しくてつい」

     ゲームに熱中する可愛い彼の姿を見れたことは自分の中だけの宝物にしておこう。私はこのときそう心に決めた。
     その後も私たちはゲームセンターを満喫した。意外だったのは藤真さんがシューティングゲームが得意だったということだ。

    「あ〜もう!ぜんっぜん当たらない!てか、藤真さんすごい高得点!」
    「そうか?ただ相手に当てるだけだろう」
    「いや、それが難しいんですけどね……」
    「回数をこなしていればそのうち当たる」
    「え、もしかしてこのゲーム、今回が初めてじゃないんですか?」
    「いや、初めて。狙いを定める物は得意なんだ」
    「狙いを……おお!バスケットボールとか!?」
    「そうそう、正解」

     少しだけまだ緊張感はあるが静けさに包まれているわけではない。確実に私達には笑みがある。ゲームに勝てば小さくガッツポーズも出たりと、初めて出会った頃のかつての二人とは違う風景がそこにはある。
     真剣にやるとなんでもおもしろい。そんな事はわかっている。でも大人になるとやらなくなる。この空間を一緒に共有できることが嬉しかった。

     やっぱりあの瞬間——藤真さんと出会ったあの日から私の人生の歯車が回り始めたのだろうなと改めて実感した。


     *


    「どうすればいいんだ?」
    「あそこのカメラを見てください。そして、もうちょっとこっちに寄って欲しいです」

     ——パシャ!

    「……眩しいな」
    「美白効果大事ですから!次は手で、ハート作りましょ!」
    「無理だ。それはできない」
    「いーからーから。はい、手をこうしてこの辺で
    ……あっ、藤真さん、カメラの方向かないと!」

     ——パシャ!

    「……プリクラって、なかなか大変なんだな」
    「え〜そんな大変じゃないですよ?適当にポーズ取ればいいだけですから」

     藤真さんは��人生初のプリクラ�≠轤オく、全然王道ポーズなんかを知らなかったので大変だったけれど。まあ、かくいう私も高校生ぶりに撮ったんだけどさ。本来はプリクラって、もっと若い子向けなはずだし。ここから出たときに女子高生が待ちで並んでいませんように……。

    「藤真さんと一緒に撮ってみたかったんですよねさっ、次はこっちで落書きしますよ」
    「なんだこれは……目が大きすぎて気持ち悪い」
    「最近のプリクラはこういうもんなんです、げっ藤真さん無表情ばっかり!もっと笑ってくださいよ!まぁ……もれなく全部、イケメンですけど」
    「悪い。失敗だったか?」
    「いえいえ、イケメンなんで無問題(モーマンタイ)です。これもいい思い出ですし!猫耳書いちゃおうっと♪藤真さんも、何か書いてくださいね!」
    「…………」
    「やっぱり大丈夫です!!私が書きますから!」

     徐にペンを持った彼をチラ見したとき、こともあろうに『ハンギョドン』と書きそうになったのを見て、ペンを無理やりに、もぎ取ってやった。
     そうこうしているうちに、すでに二時間以上が経過していた。ふと携帯電話の時計を見てハッとした私は、藤真さんに問いかける。

    「藤真さん、そろそろお腹すきません?」
    「あぁ、そうだな。どこか、レストラ——」
    「待ってください!!」」

     またいつもの癖で懐から携帯電話を取り出し、どこかのレストランを手配しそうになる彼のその手を私は慌てて制した。ん?と言いたげに彼から見下ろされる。

    「今日は全部、私が行き先決めますからっ!」
    「ああ、そうだったな。すまない」

     私は藤真さんにニコッと笑顔を向けてまたその手を取り今度はそのまま二人で、全国でも有名なファストフード店、マクドナルドへと向かった。

    「お待たせしました〜。てりやきマックバーガーセットと、えびフィレオセットで〜す!」

     注文した品を店員から受け取り、席に着く私と藤真さん。店内には、大はしゃぎする子供たちやわいわいと会話をしている学生グループが、たくさん座っていた。平素、静かな高級レストランで食事をすることの多い彼にとっては、新鮮な光景なのだろう。宇宙人でも見るような視線で辺りを見回していた。

    「ずいぶん賑やかだな」
    「はい。え、てか……ゲーセンとかマックとか、高校生、大学生の頃にも来たことないんですか」
    「ない。バスケをしていた頃は遊ぶ時間はなかったし、栄養管理もしっかりしていたからな」
    「そっかー。昔からストイックだったんですね。安くて美味しいし色んな客層がいますね確かに」
    「……」
    「ほら、藤真さん。こうやって、ガブって食べるんです。ん〜、美味しい〜!し・あ・わ・せ♡」

     一応ハンバーガーの食べ方をレクチャーする。それを見て一瞬だけ目を細めた彼も、バーガーにかぶりついた。その姿が意外とめちゃくちゃ様になっていたので驚いたが、それと同時にリョータくんみたいにチャラチャラしていてもこの人なら似合うんだろうな、なんて思った。例えば、プリクラをはっちゃけて撮ったりとかハンバーガーをバクバクがっついて食べたりとか……うん、絵になる。絶対かっこいいに一票。

    「……お、悪くない」
    「ほんと?」
    「うん、美味いよ。」

     どうやら口に合ったらしい。良かった。食べてみてジャンクフードが全くダメだったら、どうしようかと少し不安に思っていたので、私はほっと胸を撫で下ろした。

    「お前はよく食べるのか?」
    「うーん、学生の頃は結構食べましたね。ほら、桜木くんの友達と、帰り道なんかに立ち寄って」
    「桜木の?……ああ、あのヤンキーを生業としている連中」
    「ははっ!確かに本業でしたねぇ〜、あの頃は」
     
     ゲーセンに引き続き彼に受け入れてもらえるか心配だった私は、彼の楽しそうに話しながら食べ進める姿を見て心の中でガッツポーズを決める。私は嬉しさのあまり品なく昔のようにバーガーとポテトをパクパクと口に運んでしまう始末。本当に我ながら単純だ。

    「名前。」

     食べるのに夢中になっていた私は、その声で、彼がじっとこちらを見つめていることに気づく。これまた行儀悪くも、もぐもぐしながらだったので間抜けな返事をしてしまった。

    「ふぁい……なんでふか?」
    「ついてる」

     藤真さんは私の口についたソースを右手の親指で、スッと拭った。慌てて飲み込みながらお礼を言おうとした次の瞬間、一気に顔に熱が集まる。なんと、ソースを拭い取った指を、彼がぺろっと舐めたのだ。ホテルの一室、二人きりの席でやられると、きっと、どうってことないその行動も、こんな一般庶民が戯れる環境下でやられてしまうと照れ臭いというか、セクシーというか……なんとも言えないが彼のその仕草に見惚れてしまう。しかし、照れる私とは対照的に彼はいつも通りのクールなまま。

    「どうした、食べないのか」
    「あ……いえ、ちょ、ちょっと!お手洗い行ってきますねっ!」

     私はその動揺を彼に気づかれないように急いでトイレへと逃げ込んだ。そうして、鏡の前に手をつき、大きく深呼吸をする。ふぅ、あんなの反則だ。よし、もう赤くないだろう。鏡で再度顔色を確認し、少しだけ化粧直しをしてから席に戻ろうとした私がトイレから出て、彼の座る席をチラと覗き見てみる。
     ああ、だめ。キラキラして見える。くっそぅ、カッケぇーなぁ、もう!普段通りに振る舞えないじゃないか!と、私がその場で悶えていると——

    「ねぇねぇ、あの人、超カッコ良くない?」
    「ねっ!私もそれ思ってたぁ〜!」

     何やら私のそばでキャッキャとはしゃいでいる女子高生たち。そんなに?と。一体どんなイケメンが?なんて、彼女達の視線の方へと目をやる。するとまさか、その先には藤真さんの姿が——。え、藤真さんのこと話してたんだ。確かに顔立ちも良く一般的には身長も高い。おまけに清潔感もある。よくよく考えれば、彼がモテない方がおかしい。彼女達からすれば少し年上だとしても女子高生にキャーキャー言われることが彼のルックス良さ、すなわちレベルの高さを物語っている。

    「ねぇ、あのイケメン、一人で来てるのかな?」
    「どうだろ?彼女と一緒とか!?あんなイケメンなんだからめちゃくちゃ美人と付き合ってそ〜」

     女子高生たちの会話が、ダイレクトにグサッと胸に突き刺さる。ごめんなさいね、めちゃくちゃ美人な彼女じゃなくて。どうせハンギョドンなので、私なんか。思わず心の中で謝って憎まれ口を叩いてしまう。気まずい思いをしながらも、とりあえず席に戻ったものの先ほどの出来事が引っかかり周囲の視線を気にせずにはいられなかった。
     
    「おかえり」
    「……ただいま……戻りました」
    「……?」
     
     なんで、あんな女が相手なの?もっと美人な人だと思ったのにね。全然釣り合ってないじゃん。
     そんな、ただの妄想でしかない陰口が、勝手に脳内をこだまする。残りのハンバーガーを無理やり口に入れたが、味はほとんどわからなかった。

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