また元通りになっただけ(4/4)
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次にお店の入り口が開いたのはそれから三十分ほど経った頃だったと思う。
反射的に見ればそこには彼ではなくてこのお店では見慣れない感じのご新規のお客様——綺麗な女性の姿があった。なぜかかっちりと目が合ってしまい思わずペコッと頭をさげた私を見て僅かに眉間に皺を寄せた彼女が、迷うことなく私のいる席のほうへと歩いて来る。
動揺している私を置き去りに、彼女が座敷席にあがり私の向かい側へすとんと腰をおろす。水戸くんが運んで来た水の入ったコップをテーブルに置いたとき彼女は、ペコッと水戸くんに対しては会釈をしていた。
「ご注文あったら、声かけてくださいね」
「はい」
水戸くんも不思議そうにしていたけれど、そのままカウンターへと戻って行く。
ややあった沈黙。そのときガラガラーと入口の扉が開いた音と同時に、目の前の彼女から言葉が発せられる。
「彼と、一緒にいるところを見ました」
「か、彼……?」
「彼と、別れてください」
「はいっ?」
またもシーンとなった空間にテレビから流れる『ホームラーン!』という、アナウンサーの声と野球場の歓声がその場にこだまする。そう言えばスポーツ珍プレー好プレーを見ていたんだった。
「お願いです、彼と別れてください」
「え、え……。ちょ、えっ?」
「とぼけないでよ!健司と付き合ってるんでしょ!?」
——はい?待って、待って。いったん、整理しよう。健司……健司……あ、えっと。藤真さん、かな?そうだよねきっと。藤真、健司だもんね?
「ねえ、」
「はい……!」
「私には……彼しかいないの、彼じゃないとだめなの。お願い」
目の前の彼女は、よく見れば綺麗だが憔悴しきった風貌だった。そして涙を流しながら私に懇願するその目は真剣だ。私はとにかく嘘偽りなく、相手に説明することにした。
「正確に言うと……彼とお付き合いしてたのは、もうずいぶんと、前のことですけど」
「……」
「だから私が言うのもなんですけど私と付き合っていなかったとしても彼……あなたのところへは戻らないと思いますよ」
急に店内が、静かになった錯覚に陥る。テレビからはひな壇の笑い声や先ほどと同様にスポーツの映像が流れ続けている。
「気持ちはわかりますけど、一度離れた気持ちはどうしようもない」
「……」
「流れた時間は戻ってこな——、」
——パシャンッ!と、私の言葉を遮るように、彼女が水の入ったコップを手にして、思いっきりそれを私へと浴びせた。
静かに感じていた背後からは「えっ」と驚いて漏れたであろう水戸くんの声が、微かに聞こえた気がした。
「あんたなんかに言われたくないっ!大人ぶってしれっとした顔して……」
「……。」
「どうせアンタは泣きわめいてでも取り戻したい恋なんて、したことないんでしょ!」
「ありますっ! あるから……言ってるんです」
私はそう言って、一度ぐっと唇を噛みしめた。根負けしている場合じゃない。とばっちりを受けて、悔しがってる場合じゃない。
伝えたかった、彼女に——これから先の人生、過去に囚われずに幸せになってほしかったから。
「私も重荷になるのが嫌で引いてみたり、やっと自分の気持ちに素直になれたと思ったら、相手の気持ちが離れてたり……」
「……」
「そんな堂々巡りで苦しい恋を何年も続けてきました。けど、泣いてすがってもどうしようもないものは、どうしようもない」
「……」
「相手の心は、戻ってこない——」
私はテーブルに落とし込んでいた視線をゆっくりと上げて、彼女の瞳を真っ直ぐに見た。
「諦めるしか、ないんです。」
「……ッ、」
「私は人生の運を使い果たして最愛の人とまた、一緒になれましたけど、いつも不安です。昔よりどんどん好きになり過ぎて、空回りばかりで」
「……」
「でも、それでも!彼を幸せにしたいから。幸せになってほしいから……この世の中で誰よりも。だから彼が……」
「……」
「私と別れることで幸せになれるなら今の私なら喜んで、その手を離してあげたいと思います」
彼女は涙を流しながら俯いた。そしてすくっと立ち上がるとパタパタとお店を出て行った。その音を聞き捨てて数秒後にゆっくりと振り返った先カウンターの中からグッと親指を突き立てて悪そうな顔をしている水戸くんとその目の前の席にはカウンターの椅子に腰を下ろして、こちらに体を向けていた最愛の彼の姿。寿はたいしたもんだなと言いたげに、口角を吊り上げて小さく胸の前でパチパチと拍手を送っている。それを見て一気に脱力した私はテーブルの上へとだらんと体を放り投げた。同時にガタンとカウンター席から誰かが立ちあがったであろう音がして、すぐにドカンと私の横にその相手が座った気配を感じる。
「お疲れさん」
そう労いの言葉を掛けてきた寿が、私の濡れた髪をわしゃわしゃと撫でまわす。今はそれに抵抗する気力はない。
「もーう……なんなのー、あの人」
「名前、いまからでも遅くねーぞ?」
なんとも楽し気な声に体を起こせば、私と向き合うように座っていた彼がニッと笑って言った。
「教師、目指すの」
私は思わず大きく溜め息を吐く。次いで「なりません」と、しっかりと否定する。
水戸くんがきれいなタオルを持って来てくれてさっと差し出してくれたので、とりあえず素直にそれを受け取って濡れた髪を拭いた。
「名前さん、かっこよかったぜ?」
「え?」
「長きに渡る幼馴染への恋文で、相手を蹴散らすなんてなー」
ぎょっとして固まる私の背後からは「お会計、お願いしまーす」と言うお客さんの声がして水戸くんがレジへと向かう。
借りたタオルを肩にかけて、両手でテーブルの上に頬杖をついてみれば寿が私の首にかけられていたタオルで優しく髪を拭いてくれた。
「許してやっか」
「え?」
ふと彼の方を見れば相手は優し気な表情で私を見つめている。それを見てなんだか更に、どっと疲れてしまった。
「返してこいよ、明日。しっかりと」
「寿……」
「待ってるから。あの、海で」
「……」
「ケリ、着けて来い。自分の過去に——」
「……っ。」
私は言葉に詰まって下唇を噛みしめる。タオルから手を離した彼そのままポンポンとまだ濡れている私の頭を撫でてくれた。
「名前」
「ん?」
「信じてるからな。」
「……、うん。」
*
翌日、私は昨晩水を吹っかけられた髪を念入りにブローして、着慣れた服、着慣れた靴を履いて玄関を出た。鞄には軽く個包装した万年筆が入っている。それをもう一度、しっかりと確認して、空港へと足を向けた。
幼馴染の最愛の彼は今日——翔陽高校との練習試合だ。今頃、翔陽高校の体育館で教え子たちに大声で声を掛けていることだろう。現在の、翔陽高校の四番は、一年生の頃からエースと呼ばれていた子で流川くんを少し小さくしたような点取り屋だと昨日の帰り道に彼が話していたことをふと思い出す。
早めに空港に到着した私は藤真さんの乗りそうなフライトを探して、人混みの中を歩いて行く。ここで会えなければそれで藤真さんと私の関係は断ち切られる。会えても会えなくても今日が私と藤真さんの��門出�≠ノなるのだ。
すると、窓の外を眺めてオーラを漂わせている一人の男性を発見した。カツンと鳴った靴の音に反応したその男性がゆっくりとした動作でこちらを振り返る。
「やっぱり来たか。」
そう呟いて彼、凛とした足取りで私の目の前へと立った。なんだろう……私いま、泣きそうだ。
「最初に、言っておきたいことがあります」
「ん?」
「昨晩、私のところへ藤真さんの元カノと思わしき人物が現れました」
私の言葉に藤真さんは表情を変えない。とくになんの反応も示さずに「そうか」とだけ言った。
「そうかって……てか元カノの存在認めるんだ」
「俺をいくつだと思ってるんだ?何かあったか」
「水を、引っかけられました……」
ここで初めて藤真さんが「えっ」と声を零して少しだけ驚いた表情をする。
「あ、びっくりしてる」
「あ、いや。そこまでする奴だったとはな……。そっか、悪かったな、ごめん」
「うわ、素直に謝った」
「あのな、俺だってびっくりもするし悪いと思ったら謝るんだよ」
少し遠い過去に同じような台詞を言われた事が不意に蘇り、私は思わず顔を綻ばせる。
「そうなんだぁ、新しい発見」
「……」
「あの、このあいだの返事、」
「うん」
「うん、って……。なんかすごい自信ですね?」
「ここに来たってことが、答えなんじゃないの」
それは藤真さんとお付き合いをすると決まった瞬間に言われた台詞と一緒だった。私は、視線を自身の鞄へと落とし込んで貧相ながらも私なりに個包装した万年筆を取り出す。
「はい——」
「……」
「これで、私と藤真さんは完璧にご縁がなくなりました」
差し出したその包み紙の中身を見ることなく、藤真さんの視線はずっと私に注がれている。
ややあって藤真さんが視線を包み紙に落としてゆっくりとそれを受け取った。
「藤真さん」
「ん、」
「あ——」
「ありがとう。」
私が言おうとした言葉を先行して言ったのは、藤真さんのほうだった。そして、言葉に詰まって固まっている私を見て彼はフッと綺麗に笑った。
「今日、練習試合なんだって?」
「え?」
藤真さんは受け取った包み紙をポケットに仕舞い込むと、また窓の外に体ごと向ける。
「翔陽と、湘北の——」
「あ……はい。え?てか、知ってたんですか?」
「まあな」
「……」
「勝てると、いいな。」
ぽつりと呟いた藤真さんの横顔は、なぜかこのとき、高校生くらいの幼さが滲み出ていて、変な意味じゃなく、ちょっとだけドキッとした。
「どっちがですか?湘北?」
「まさか。母校に決まってるだろ」
迷う事なくそう言い切った藤真さんは、そばにあったキャリケースの取っ手部分を持つと、また私と正面から向き合う体勢になりやや口角を上げつつも言った。
「じゃあ——もう二度と、会うことはないと思いますけど」
その言葉に、今度は私がフッと笑う番だった。彼は、そんな私の仕草に微かに目を見開いた。
「いーえ、きっとまた会う日が来ますよ」
「……」
「世界は狭いですからねえ。でもっ!そのとき、私の隣にいるには——」
「——三井寿。」
意気揚々と得意げに話していた私の言葉を遮った藤真さんの声がやけに低く、そして、とっても綺麗に真っ直ぐ私の耳を通った。
「……、」
「だろ?」
藤真さんを凝視していた私は、顔をくしゃっと歪めて「はい!」と大きく一度縦に首を振った。そのまま藤真さんは綺麗に微笑んだあと、私から視線を解いて、その場を去って行った。
藤真さんの背中を見送る事なく私も藤真さんの歩いて行った方向とは逆のほうへと、しっかりと歩みを進める。
——あなたは悪くないって本当は知ってたの。つまらないプライドで、未熟な私で……あなたの優しさを、はねのけてごめんね。
私ちゃんと、おとなになるから。ありがとう、優しい人。幸せになって。どうか、かならず——
*
空港から地元に戻ったのは、結局夕日が沈んだ午後七時過ぎの事だった。途中コンビニで買った肉まんを頬張りながら思い出の地——あの海へと足を運べば、やっぱり定位置に、見慣れた人影が座っていた。その後ろに立った時、私を見上げた彼はすぐに片眉を吊り上げて舌を打ち鳴らす。
「肉まん食ってんじゃねーよ」
「え? 食べたかった?」
「いらねーよ」と、正面に向き直って「ったく」なんて、やっぱりいつものように小言をつく彼。すとんと石段に腰をおろしたとき、ちょっとだけ私のお尻がはみ出してしまったのでぐいっと隣の彼を押しやれば「でけえ尻だな」と鼻で笑う声が横から聞こえてくる。それでも少し、横にずれてくれたその行為に思わず吹き出してしまう。彼はなに笑ってんだと言いたげに、首を傾げていた。
「今日は星、でてないんだね」
「あ? ああ、真っ暗だな」
「うん、真っ暗だね」
そのあとすこしの沈黙が流れて、私が肉まんをしっかりと食べ終えたころ幼馴染の彼の低い声が波の音と共にその場に響いた。
「返せたか、ちゃんと」
「うん。それにちゃんとしたよ、さよならも」
「そうか」
相手の手が私を抱きしめたいって、言っている気がする。けれどそうしないのは彼なりの��プライド�≠ネんだろうなって思った。
ぐちゃぐちゃになった精神状態を一心に正そうとしている。昔のように思ったことをすぐに行動できなくなるのは、きっとあなただけじゃない。��オトナ�≠ノなるという事は、きっとそんなしがらみなんかも背負っていくという事なのだろう。
「あー、寒いっ」
「あ?」
「ねえねえ、」
「ん」
ゆっくりと、海から視線を私に向けた彼を私は見上げて、ニッと笑って言った。
「ギューって、してくれてもいーよ?」
きょとんと私を見下ろした彼がすぐにくしゃりと顔を歪めて「バーカ」と零した。
そのまま触れるだけのキスが降って来て、唇が離れるとき温かくて長い腕が私の背中に回った。
これが僕の
愛し方
だよ。
(練習試合、どっちが勝ったの?)
(76−74)
(ふーん。負けたんだ?)
(バーカ、勝ったに決まってんだろ)
(うっそ、すごいじゃん)
(ああ。最後に赤坊主がなァ……)
(んっ?)
(スラムダンク、決めたからな。)
※『 あなたがいることで/Uru 』を題材に
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