また元通りになっただけ(3/4)

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     私はその場に立ち尽くしたまま藤真さんを見送るかたちになった。そのあとすぐに、寿に電話を掛けてみたけれど電源を切ってしまっているのかすぐに留守番のアナウンスが流れた。一応『会って話したい』とメッセージも飛ばしたが見てくれたのかは不明。
     迷っているうちに終電を逃しそうだったので、私はその足を寿のアパートへと向けた。着けば、彼の部屋の電気がついている事にとりあえず安堵して「よしっ」と気合を入れ一歩足を踏み出す。

     彼のアパートのドアの前。途端に、もしヤケになって女の子を連れ込んでいたらどうしようとか無視されて出て来なかったら終電を逃しかねないとかいう邪念も生まれてきたが、思い切ってインターホンを鳴らした。一回、二回……。やっぱり出て来る気配はない。モニタ付きのインターホンだったのできっと見ているなら私の存在には気付いているはずだ。
     三回目、ややあって、四回目のインターホンを押した時ガタンと扉の向こうで何かが動いた音が深夜の静まり返った空間で微かに聞こえた。
     ガチャン……という重々しく施錠が解除される音がやけに耳に響く。そのままゆっくりと玄関の重い扉が開いた。チラと見上げれば、Tシャツとスエット姿の彼が、無表情のままでそこにいた。
     私を一度だけ見下ろして、すぐに視線を外した相手が、半分ほどドアを開けて壁に寄り掛かる。彼は身長があるので壁に肩を預けた彼から伸ばされて扉を支えているその腕の真下を潜り抜ければ簡単に部屋の中へと侵入できる。一瞬……入ってしまおうかとも思った。何食わぬ顔で「おじゃましまーす」なんて言って。けれどそれをするなと彼の鋭い眼光が強く訴えていたので、私の作戦は叶いそうにない。

    「何の用だ?」
    「……」
    「なにしに来たんだよ」

     私からの言葉を返す前に、私の心臓がドクッ、ドクッと音を上げる。きっと走って来たからでもあるのだろうけれど。

    「時間くれって……言っただろうが」

     口の中が乾いて、僅かに開いた私の唇が、逡巡するようにまばたきをする。彼はそんな私を見下ろして、やっぱりずっと無表情だった。
     ややあって私が言葉を発せぬまま泣き出しそうな顔で相手を見上げたとき、彼のようやく生きた人間の顔、眉を歪ませて奥歯を噛みしめた表情を拝むことが出来て、場違いにも安心感を覚える。

    「……帰れ」
    「え……、」
    「頼む……っ、帰ってくれ」

     彼は微かに俯いて私から視線を解く。そのままぽつりぽつりと言葉を繋いだ。

    「このまま中に上げたとしても、今の俺だと……お前になにすっか、わかんねーからよ」
    「……」
    「後悔する——絶対に、あとになって」
    「………いいよ。」
    「あ?」

     彼が顔をあげ眉間を寄せて目を細める。私は、そんな彼を負けじと、じっと見据える。

    「いいもん」
    「よくねえ!よくねーって。……ぶっ壊れんぞ、お前の下半身」
    「……下品な言い方」
    「ああン!? じゃあなんて説明すればいーんだよっ!」

     いつもの調子でくわっと彼がこちらを見た事で私はまた少しだけ安心感を得る。もしかして私、ドMなのかな……。

    「ったく……、どんなプレイ望んでんだよ」

    「ヘンタイかよ」と彼は壁から体を離してドアを押さえたまま、余った手で後頭部を掻きむしる。

    「寿には言われたくないけどね」
    「……ハア。今冗談に付き合ってる余裕はねえ」
    「ごめん……」
    「いいから、今日は帰れよ。まだ、終電間に合うから」

     たしかに。今日は、本当に帰ったほうがいいと思った。先ほど下品極まりない感じで言った彼の発言が冗談半分だったとしても相手もゆっくりと頭の中を整理したいのだろうなと、思ったから。

    「わかった。今日は帰るよ」
    「ああ。 わざわざ来てくれたのに、悪ィな」
    「ううん。でも——」

     ゆっくりと相手を見上げたとき、参ったといいたげな彼の瞳と目が合った。逸らさないで聞いてほしい、私は——

    「寿が思ってるようなやましいことはないから」
    「……」
    「それだけは、信じて欲しい。」

     真っ直ぐに私が言えば彼は一瞬固まったあと、やはり目を逸らして、何かを考えるみたいにしてから「ああ」と、小さく呟いた。そうして「連絡する」と最後に言い置いて静かに玄関の扉が閉められたのだった。


     *


     結局そのあと、彼から連絡が来たのは三日後、藤真さんに言われた日付の前日だった。
     バスケ部の練習後に待ち合わせ場所を水戸くんのお店に指定してきた彼の心境をくみ取れば周りに誰かがいる環境の方が冷静になれると思ったのだろうと私はさとした。
     少し先にお店に着いた私が扉を開けると、水戸くんに入り口で出迎えた瞬間からハハハと笑われ私は何事かと、ぎょっとして固まる。

    「えっ、な……なに?」
    「いや?宮城さんから聞いたぜ」

     そう言って私を今日は座敷席へと誘導した水戸くんから、ことの経緯を伝えられた。どうやら、あの日の翌日、リョータくんがやっぱり気を効かせてくれて寿に連絡をいれて藤真さん達とご飯を食べた事を説明したのだそう。寿を誘わなかった理由も私からの配慮によるものだということと、もしも私と話し合いたいのなら、カーッとなりやすい寿は周りに誰かいる環境下で話をしたほうがいいと助言したらしい。そして二日前、リョータくんから水戸くんに『三井サンとサシで話がしたいから店に行っていいか』と連絡を受け、二人が夜、ご飯を食べに来て、その際に水戸くんが万年筆を私が拾った件と、水戸くん自ら自分で返しに行ったらと言ってしまったという事も寿に伝えたとのこと。それを聞いて何となく納得してくれた寿が、ようやく私に連絡をしてきたのが今日、ということらしい。

    「アンタらは、俺たちがいないと仲直りの一つも出来ねーのかぁ?」

     と、揶揄いながら笑うって言う水戸くんに面を食らって、私は顔を赤くさせるしかなかった。
     しばらくして寿がお店に姿を見せると、さっきまで揶揄っていた水戸くんが素知らぬ顔で、何もなかったように寿を出迎えてくれたことに、また私はお手上げ状態で押し黙る。座敷で先にお酒を嗜んでいる私を一瞥した寿がすぐに座敷席に来ると、私の向かい側にドカンと腰を下ろしてあぐらをかいた。

    「よ。」

     彼はそう短く言い置くと背負っていたバッグを取り払って上着も脱いで乱暴に側に置いた。私も「うん」と小さくうなずいて視線を彼の斜め後ろにあるテレビへと戻す。

    「なにやってんだ?」

     彼も釣られるように視線をテレビに移したので「スポーツ珍プレー好プレー」と言えば「へえ」と興味なさげに私のほうへと体勢を向き直した。水戸くんが寿のぶんのビールを運んできてくれてお通しも彼の目の前へと置いた。

    「乾杯」

     相手が言って軽くジョッキを掲げたことで私は口につけていたグラスを離しそれにカチンと鳴るように当てる。このまましばらく沈黙が流れると思った刹那、淡々と低い声で相手が話し出した。

    「だいたいは宮城から聞いたぜ」
    「うん。それさっき、水戸くんから伝達受けた」
    「ほー。仕事がはえーな」

     チラと水戸くんの方を見やる彼がフッと微かに口角をあげる。

    「黙ってて、ごめんね?」
    「あ? どの話だ」
    「え、っと。万年筆拾った事と、ここでみんなで宴会した、こと?」
    「はいはい、了解」

     そう言って会話を無理やりに終了させた彼は、目の前のお通しを口に運ぶ。なんだか、面倒くさそうなその物言いに若干イラっとした私はグラスをそっとテーブルに置いた。

    「ちょっと……」
    「あ?」

     相手が箸をもったまま少し猫背の姿勢で片眉を吊り上げながら私を見上げる。

    「話す気、あるの?」
    「……」
    「話し合いしに来たんじゃ……ないの」
    「……」

     そのあとに続いたややあった沈黙も水戸くんがお料理を持って来てくれたことですんなりと破られる。水戸くんは困ったように笑って「おふたりさん。仲良く頼むよ?」なんて言い、ウインクを残してカウンターの中へと戻って行く。後頭部に手を当てて面食らった寿が、一つ溜め息をつく。

    「その……万年筆、とやら。結局返せたのか?」

     あ……やっば。そうだ、まだ返してなかった!
     私が素直にも言い淀んで目を泳がせてしまったため、私の仕草を見逃さなかった彼が、とたんに顔を般若の如く歪める。

    「返して……ねえな、その反応は」
    「いや……実は……、……ハイ。」

     またも訪れる沈黙。視線を、水戸くんが持って来てくれた美味しそうな料理に落とすも目の前の相手がじーっと私を射抜くように睨んでいるわけで……。

    「なんで」

     ぼそりと問われ顔を上げた私の目には早く言わないと本気で怒るぞ(もう充分怒ってる)とでも言いたげな不機嫌に突入する序章のような表情をした幼馴染が映る。

    「返そうと、したんだよ? そしたら藤真さんがさ……」

     水戸くんの、心配そうに私を見ているであろう視線を背中に熱く感じながら、私はぐっと姿勢を正した。

    「——明日。日本発つから持って来てくれないかって」
    「は?……なんだ、それ」
    「そう!ね?それ。それさ?私も思ったんだよ!なんでかなーって……」
    「……」
    「……っ」

     言い訳を——考えろ。うまいこと繋げてみろ。誰も不幸にならないで済む、最上級の言い訳を。いや、無理。私なんかにこの状況で、そんな良い案が浮かぶはずがない。困った、どうしよう。

    「名前」
    「……ハイ」
    「で? お前の見解は?」

     彼の不機嫌と怒りのパロメーターが振り切ろうとしている。急いで、なにか……言わなければ。でも嘘はつけない。今ここで嘘をついたらきっともっともっとダメな方に拗れてしまう気がする。

    「俺に——」
    「……あ?」
    「俺に、着いてくる気があるなら……持って来て欲しい……って」

     一瞬にしてシンとなる二人の空間。でも素直に本当のことを言うしかなった。だってタイムリミットが短すぎた。彼の、不機嫌と怒りのパロメーターが振り切れる。
     そのときガシャーン!と、皿か何かを落とした音が店内に鳴り響いた。すぐに「すんませんでしたー」と叫ぶ、従業員の声が聞こえてくる。

    「……バッカじゃねーの、」
    「……」

     恐る恐る見れば私から視線をそらして顔を存分に歪ませた彼が一度、舌を大きく打ち鳴らした。私は返す言葉を見つけられなかった。仕方ない、これは全部、私が悪いのだから。

    「名前、お前それ。 真に受けて返さなかったのかよ」
    「違う! 返そうとした!でも、受け取って……くれなかったから……」
    「無理やり返せんだろーが!困るって、受け取ってくれってよ」
    「……」
    「なんだ、てめえ。親友にでもなるつもりかよ」
    「え……?」
    「元カレと!俺の元ライバルと! お友達にでもなりてーのかって聞いてんだよっ!」

     ダメだ……もう収集がつきそうにない。彼の、不機嫌と怒りのパロメーターは振り切るどころか木っ端みじんに壊れてしまった。もう、引き返せない。

    「ほら出せよ、」
    「……?」
    「俺が捨ててやるからよ」
    「……いま、持ってない」
    「あ!? じゃあ取りに行け」
    「……」
    「お前との思い出がいーっぱい詰まった、そこの海に、俺がぶん投げてやるっ!」

     彼に責め立てられると泣きそうになってしまうのは大人になってからも変わっていない。ただ、昔とひとつ大きく違うのは私が完全に悪いと認識している時のみだ。こうして、泣き出してしまいそうになるのは。


    「——みっちー!」

     刹那、カウンターのほうから水戸くんが珍しく声を張った。寿につられて、私もゆっくりと振り返って水戸くんを見やる。

    「他の、お客さんもいるから……」

    「シーッ」と水戸くんが、人差し指を口に当てた仕種に、寿もようやく静かになった。
     ややあって、すくっと立ち上がった彼が座敷をおりたので、思わず「どこに、行くの?」と声を掛ける。彼は振り返る事なく「便所だよ」と言ってそのままトイレほうへと歩いて行った。けれど入口横のトイレには向かわずにガラガラ!と入口の扉を開けて、外へ出て行ってしまったのだ。
     すぐに水戸くんが私のいる座敷に来てくれて、「大丈夫か?」と、心底心配そうに私の顔を覗き込んでくる。

    「うん。平気。 私が100パー悪いからね」
    「でも……さ?」
    「いいの。そのうち戻ってくると思うから」

     水戸くんは「そうか?」と言って、元気付けるためかポンポンと私の肩を軽く叩いてからカウンターの中へと戻って行った。こんなときにでも、多少図太くなった私はしっかりとお酒をお代わりして、とりあえず相手を待つことにした。

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