失恋した。

『ごめんね、名前ちゃんとは付き合えないな』

ばっさりと言い捨てられた。あの人懐っこくて爽やかな笑顔を思い浮かべる。今日まで生きてきて失恋をしたことくらいあるけれど(てかほぼ失恋だけど)今回は本当に、かなりショックだった。

まだ恋に発展していなかったとは言え、彼に惹かれていたのは事実だし彼とは本当に、何と言うか付き合いたかった。優しい色香があった。爽やかで、色白で。可愛い笑顔があった。たぶん、恋に限りなく近い段階だった。


「うぅ……」
「なんなんだよ、うっとーしぃな」
「だって……あんなにイケメンで飄々としてて、人当たりもよくてバスケット得意で、しかも釣りが趣味で公務員で独身なんて……」
「……(ん?何か聞いたことあるよーな……)」
「女性という女性みんなに優しいんだよ?高身長で男前で。でも、内面は穏やかでいつもニコニコしてるの」
「あーそう……」
「私と同い年だよ?バスケの試合も来てって言われたから行ったのに……」
「ただの女たらしじゃねーのか?そいつ」
「違うよ!全然ちがう!あんな揃いに揃ったひと滅多にいないよ……」

私の勢いに押されて目を見開いたあと、私の隣に腰掛けている彼は、浅く溜め息をついたあと言い放った。

「そんな奴ァいっぱい居るだろ、気にすんな」
「居ないよ!この世にひとりだけだよ! 本当にかっこいいんだから!」
「だけどよ、そいつは名前のこと好きじゃねーんだろ?そいつからしたら名前は“ひとりだけ”じゃねーんだよ」
「ほんっとに酷いこと言うよね三井さんって……鬼なの?悪魔なの?」
「現実は甘くねーんだ、俺は真実を伝えただけだろ」

目の前に置かれているレモンサワーとモヒートのグラス。次の日早くから会議がある夜は決まって早々にビールからレモンサワーに切り替える三井さんが、広々とした高い天井を見上げて「ハァ」と溜め息をついてみたり、酔っぱらって管を巻きながら頬杖を付いて、「あー」なんて唸っている私に、苦笑いをしている。

週末はいつも満席で賑わっている行きつけのお店。時折、店内のBGMから誕生日ソングが流れると花火の刺さったバースデーケーキが運ばれて行き更に店内にいる若者の歓声でどっ、と騒がしくなる。

「私っていつ彼氏できるんだろう……」
「さぁなー」
「このまま一生独身だったらどーしよ」

うな垂れてグラスの溶ける氷を見つめる。三井さんは気怠そうに頬杖をついていた手を解き、杯をぐっと呷った。

「一生独身でもいいじゃねーかよ、なんも不足ねぇだろ」
「何がいいのかさっぱり分かりません、不足だらけだよ。はぁ〜今年のクリスマスもひとりかぁ」
「俺らんとこの忘年会出っか?」
「やだよ、問題児軍団とクリスマスなんて」
「あれも嫌これも嫌、わがままなんだよお前は。だから振られんだよ、万年失恋名前ちゃんよ」
「……ひどすぎる」

優しさのかけらもない!と訴えて大袈裟に傷ついた表情をしてみせると三井さんは「アホ」とうんざりした顔で私を睨む。

三井さんに優しさなんて求めてないし別に傷ついてもいないけれど。今は言葉の遣り取りをしてくれる人がいるだけで癒されるから。たとえそれが大学の先輩であったとしても、私の話を聞いてくれるだけで大変ありがたいものだ。

「はぁ〜、彼氏欲しいよぉ……孤独。」
「はっ、アホくせぇ。俺ァもう帰るぜ」
「えっ?なんで?まだ全然飲んでないのにぃ」
「今の名前と飲むのは時間の無駄遣いだからな」

つまんねー女になりやがって、と吐き捨てるように呟かれて思わず顔が凍てつく。怒ったみたいな顔をしている時は多々あるけれどこんな風に言われるのは初めてだった。

「つまらない女って……そりゃ失恋したらつまらんでしょ、失恋しておもしろかったらプロの芸人だよ」
「……それもそーだな」

低い声。一瞬で酔いも醒めてしまって私はすがるように三井さんを見る。彼は冷静な眼差しで退屈を持て余すように前方のグラスを眺めている。

もちろん今ひとりになるのは嫌だと言う利己的な理由もあるけれど、それ以上に目の前に三井さんがいて私の話を聞いてくれるという状況が楽しくもあった。私は楽しいけど、三井さんは本当につまらなかったのだ。そりゃあ、失恋女の愚痴なんておもしろいわけがないよね……ちょっと反省。

縮こまってつまらない女≠ノなった事に思い当たる節が結構あるなぁと考えていたら、三井さんがまたハァ、と溜め息をついた。

「で?」
「え?」
「次はもう目星ついてんのかよ」
「目星って?」
「男だよ!彼氏欲しいんだろ?」
「あぁそのこと。うーん……、合コン行こうって言ってくれてるけど、友達が」
「そーかよ、早く行ってさっさと旦那候補捕まえて来い」
「旦那ねぇー。見つかるかなぁ、本当に一生独身な気がしてきた。なんかもういいや恋は……」
「……」

カランと氷が音を立てる。覗き込むように三井さんを見ながら、お酒と三井さんって何かちょっとかっこいいな…なんて思っていた。黙っていればかっこいいのに口を開けば下劣と言うべきほどに下品だ。

それゆえに時々沈黙によって拭い清められた彼の男前な表情とバスケットマンの時の彼のパフォーマンスには私も照れて困惑してしまうほど。かと言って黙り込んだ時のイケメンモードのこの人が知らない人のようだとは思わなかった。三井さんは三井さんだ。何をしてても。上機嫌でも不機嫌でも。

「お前は誰かに惚れてる時が一番お前らしい」
「……ん?そお?」
「ああ、惚れた男がいねぇ時はつまんねー女になる」
「そうかなー」
「バックに花、背負しょってるからな。浮かれて上機嫌でおめでたいお前が一番いいわ」
「え?私そんなんなるの?うそ痛々しいじゃん」
「なんだよ自覚なかったのか?」

そんなことないと思うんだけど……。不服なまま何も言い返さず、目の前のピーナッツをぱくりと口に入れてモヒートで流し込む。音もなく笑っているような気配がしたので三井さんに目をやると彼は喉の奥でくつくつ笑っていた。

「……なに笑ってんの?」
「ええ?笑わずにいられるかよ、こんなおもしれーことねぇわ」
「はぁ?さっきはつまんない女とか言ってたくせに」

そのとき、通路でガシャンと店員がお盆に乗ったグラスを豪快に落とした。一瞬、ざわついた周囲に店員が「すみませんでしたー」と頭をさげる。そちらに意識を取られていたが視線を目の前に戻した時には、もう三井さんは笑うのをやめてお酒を飲んでいた。

「……ねぇ、三井さんってさ」
「あ?」
「ほんと、親切だよね」
「何だよ、素直じゃねーか。どうした急に?」
「だって誘ったら来てくれるし、愚痴聞いてくれるし、いいひとだなって。」

優しくはないけど。と、含み微笑みかけると三井さんは当たり前だ、と不機嫌そうに言った。

「それに私の恋路を応援してくれるし」
「ああ、応援してるぜ。うまいこといったの見た事ねーけど」
「今まではね?これからは期待に応えて、うまいこといってみせるよ」

「あーっそ」と抑揚のある声で三井さんが言う。

「全部見守っててやるよ」
「見守るってなんか変なの、三井さんに似合わないよ」
「そーか?確かにニュアンスはちょっと違うかも知れねーな」
「ニュアンス?」
「あぁ」


 —— カラリ。グラスを触ってもいないのに、私のグラスの中で氷が溶けて音を立てた。

「名前の恋路がうまいこといって、しばらく経つのを待ってんだよ」
「はー?なんで?意味わかんない」
「おもしれーから」
「つまんない女なんでしょ?」

我ながら根に持っているなぁと思いながらピーナッツを食べる手が止まらない。

「あぁ、だから余計にな。名前の皮が三枚くらいむけるのを首を長くして待ってんだよ、俺は」
「はぁ?どういうこと?」
「……知りてーか?」
「うん。」

ギロリと睨みつけられる視線に内心怯えつつも目を逸らさず見つめ返すことに成功する。

三井さんと一緒に飲むようになってからこの鋭い視線が“殺気”だけではなく雰囲気をも凍り付かせる物だと初めて知った。そして、その殺気とやらが人を殺せるのなら私なんか何回も死んでいることだろう。三井さん、いちいち脅かすんだから。


「名前が食べごろになんのを待ってるっつーこと」

椅子の背もたれに肘をかけて、三井さんが言う。私のピーナッツを取る手が、ぴたりと止まった。物凄く、ゾワッとしたから。

「え…?……三井さん私のこと、好きだったの?」
「……」

三井さんは背もたれにだらしなく体重を預けるのをやめて今度はテーブルに頬杖をついて瞳をあらぬほうに向けた。たぶん、考えてるみたいな。 そういう表情で。

「そーいうわけじゃねぇと思うんだけどなー」
「え?……あ、冗談?あーーもぅ!」

アッハッハと大袈裟に笑ってみた私の声がバカバカしく響く。運悪く何の因果かその瞬間、店内の中の雑音も止み静まり返った時だった。

いたたまれず、咳払いをしてふたたびピーナッツを食べる作業に取り掛かる。三井さんの話に真剣に耳を傾けた私が馬鹿だった。

「好きとか惚れたって話じゃねぇ、もっとこう、大らかにだな……」
「ふーん、もういいよ。意味不明だし」
「……とにかく!名前はまだ食べごろじゃねーんだよ」
「恋愛経験積んで女あげて来いってこと?」
「ああ、今だと年末ジャンボ買うのと変わんねーだろ」
「へ?どういう意味?」
「根拠のねぇ賭けみてーなもんだろ今のお前は」
「……」
「生娘臭くて今はダメだ、めんどくせーし、おもしろくねぇ。」
「……よくサイテーって言われない?もういいってば、言葉発しない方がいいよ?」
「お前が知りてぇなんて言うからだろーが!!」
「私が悪かったです、もう知りたくないです。」

へッ、と小さく笑っていたと思いきや次の瞬間にはガハハと声を出して笑っている三井さんにうんざりして私は、氷の溶け切ったモヒートを一気に飲み干した。

「ま、俺は気長に待ってるけどな」
「三井さんが私のこと好きなのかと思って焦った私が馬鹿だった。」
「あ? なんで焦るんだよ?」
「だって好きな人の話とか失恋の話とか、そんなのもう言えなくなるでしょ?」
「アホ、自惚れんな。」
「へっ?」
「お前が恋愛しよーがしまいが気にすることねーよ。どうせ俺のもんになるんだからな」

ぞぉぉぉっとした。なんなら腕じゃなくて背中に鳥肌が立った。冗談なのか本気なのか三井さんの薄ら笑いからは分かりかねる。が、一応襟を正す気持ちでコホン、と咳をひとつ零す。

「自惚れてるのは三井さんでしょ?なに俺のものって。私、三井さんのものになるの?」
「俺の予定ではな。大丈夫だ、無理やり奪うようなことはしねーから安心しろい」
「……あのー、本気ですか?」
「あぁ、大マジだぜ。」
「……」
「だから早く誰かと付き合ってこいっつーの!」

バシンッ!と背中を叩かれたけど、それには動じず至って冷静に小さな皿に手を伸ばすと、ピーナッツはもう無くなってしまっていて爪先がこつんと音を立てた。

三井さんって……ほんとに変なひとだ。私に恋してるわけじゃないのに私のこと待ってるって。全然わからない。意味不明。きっとこれは冗談なのだろう。おもしろがってるだけ。そうですよね?三井さん——。


「あー楽しみだ、次はどんな野郎だろーな」
「……」

この人やばいから、もう会わないほうがいいかもとは思うけど、きっと小まめに会い続けるのだろう。三井さんこそ、あまりよく分かっていないけど。三井さんがいるから次々に失恋してもすぐに吹っ切れてしまってるって。それどころか、素敵な人がいても、ぎりぎりのところで恋に発展しないのは……三井さんのせいだって。

『惚れている』と、一言いってくれれば私だってすぐその気になれるって、気づいてないんだろうなぁ。溜め息をこぼす私に、三井さんがにやりと笑う。

「そんな顔すんなって、本当にお前の恋愛成就は祈ってんだからな!」
「……ハァ。」








「三井さん、ちょっと!いい人いたの!変な奴らに絡まれているところを助けてくれたの」
「あ?」
「今回は本当に恋になるかも……!」
「ほぉー…よかったじゃねーか、どんな奴だよ」
「ええとねー、髪はリーゼントでねえ、目の奥が優しくてねえ、赤い髪の人とバイク屋さんで働いてるねー」
「……て、てめぇーはッ——!」
「へ?」
「何でいっつも手の届かねぇ高嶺狙いなんだ! 一皮剥けんのはいつになるンだよ!」
「え?な、なに?なんで怒ってるの?」
「……まぁいーわ、もういい。会わせてやるよ」
「えっ!?まさか、知り合いなの!?」
「ああ、たぶんな。ほら、ちゃっちゃと告って早く玉砕してこい」
「え?なになに、なんのこと?」
「もう待つのは止めだ、止め」
「は?……ギャー!?ちょっと、な、あ……んーー!!」










 悪夢 よ、どうか醒めないで



(あー!!私の初チューを……!)
(はっ、お前キスもしたことなかったのかよ!?)
(……すみません。)
(じゃあ……もっかいしとくか?)
(結構デス!!汚さないで!これ以上この生娘をっ!)
(ふはっ、自分で言ってりゃ世話ねーな)

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