『初登場ですか、横浜アルビレックスの三井寿選手でーす』
パチパチと拍手が送られる中、いま目の前の液晶モニターにはメイクさんや衣装さんにしっかりと装ってもらったであろう私の友人の、ぺこりと、律儀にも頭をさげる姿が映し出されている。
いつもは、何かしらのスポーツ中継がBGMになっているはずの店内に、今日は珍しく金曜日の晩にやっているお酒のつまみになりそうな人気バライティー番組が全ての液晶モニターから流れていて、四方八方から寿くんに見つめられている気分になり、なんだか息がつまる思いだ。
カウンター席で、ちびりちびりとお酒を嗜む私の背後からはいつもの野次担当、宮城さんらがその画面に映った知った顔を指差し「ひゅー」だの、「いよっ」だのと歓声をあげる。生放送でもないのにこの場にその話題の中心人物がいないのは偶然ではないだろうと思った。こうしてネタにされることを避け今日ここへはあえて足を運ばなかったんだろうな、と。
『おっ、一発目から三井選手!もってるねえ〜』
『まじすか、えーどうしようかな……あ、じゃあ皆さんに質問なんですけどぉ』
スタートからアルコール度数強めのお酒を頼んでいた私の手に持たれたグラスの中で——パキ、と氷にひびが入る音が響く。
「おっ!!すっげえや、三井サン。すでにSNSのトレンド入りしてんだけど」
「まじで?見せろ見せろ、うおーすげえ!」
「顔だけはいいからなあ、三井」
「これでBリーグも活気づきゃあいいよなー」とさっきまで揶揄う視線でモニターを眺めていた彼の仲間の感心したような声が背後から聞こえる。
『それ、無自覚でやってんの!?悪いわぁー』
『いやいや、全然そーいうつもりはなくて。つか俺、気ィ遣うの苦手なんスよねえ。だからいつもストレートに伝えちまうことが多くて』
『三井選手って、世話焼きさんなんですねっ』
『そー、なんスかね?苦じゃないんですよ、昔っからどうしようもねー奴ら相手にしてきたんで』
からんと球体の氷が音を立てる。楽し気に会話をしている液晶の中の芸能人たちの声を聞き流し見ながらも、たしかに世話焼きなとこあるよなあ…なんて頭の片隅で思ってみたりする。
『陰で泣かされて来た子、多いだろーなあ。参考にしよう、そのイケメン対応のテク。』
『テクとか考えてやってねーんですって!』
『さっそく俺、明日実践してみよ共演者に』
『大丈夫や、おまえには一生出くわすことのないシチュエーションや』
スタジオ内に、どっと笑いが起きる。しっかりと番組の司令塔とも会話を繋げて、他のゲストのモデルさんとかお笑い芸人の人とも上手に絡んで。
ほんと寿くんってバスケ以外にもなんでも出来るんだな。男前でスポーツできて、口が達者って。これ公共の電波に乗っかってしまったら、もっともっと遠くにいってしまう気がする……。
「……マスター、お会計お願いしよっかな」
「ん? もう帰るの?名前ちゃん」
「うん、今日ちょっと忙しかったから……疲れてたのかな、もう酔っちゃった。ごめんね、来たばっかなのに」
「ううん、相変わらず仕事忙しいんだね」
「まあ……ですね」
会計を済ませて、街灯の少ない道を歩いて帰路につく。今日もよく働いた。体にのしかかる疲れを感じて、浅く息を吐き出した。今日の仕事中も先輩の惚気話をたらふく聞いた。周りはどんどん恋人ができて、毎日幸せそう。
金曜日の夜は、何だか道行く人たちも幸せそうなカップルが多い気がする。いろんな幸せが、私の耳と記憶に入って来ては、消えていく。そんな夜だからこそ、頭の中にぽんと浮かぶ顔。
「……起きては、いそうだよね、まだ。」
ぽつりと呟いて携帯の画面を付け電話帳の中のその名前をじっと見つめる。私から連絡をしたことなんてバーで飲んでいて宮城さんたちに囃し立てられた時くらいしかなかったんじゃないかな。まだまだ日付が変わる時間じゃない。なにしてるかな。 忙しいかな。
きゅっと唇を結ぶ。こういうのは勢いが大事だ。幸せになった先輩たちもきっとそう言う。発信ボタンを押し込んで深呼吸をしてから携帯を耳に当てた。
『……、よぉ。』
「も、もしもし。寿くん——、」
『おぅ、大丈夫か?』
「……えっ?」
『なんか、やべえことにでも巻き込まれてるとかかと思ってよ』
「ううん、ないよ大丈夫。急に……ごめんね」
『や、全然。……どーした?』
がたんばたん、と電話の向こうで何か物音がして彼はどうやら移動してるようだった。どーした、って言葉に緊張みたいなものを感じて、ちょっと焦る。ドキドキの緊張じゃなくて危険を察知するために気を張ってる、みたいな。
「全然……、なにもないんだけどさ」
『へぇ、本当かよ』
ふはっ、と笑って疑うように彼が繰り返すから、つい少しむっとしてしまう。子供っぽいかもしれないけれど、でもきっと彼なら——。
「……なにもなかったら、かけちゃダメなの?」
『ええ?あ、いや……そーいう訳じゃなくてよ』
すぐに否定して、今度は嬉しそうに「こんなの初めてだったからな」って続ける。ころりと表情が変わったのが頭の中で浮かんで自然と私も口角が上がってしまう。そんな自分に気づいて、ふるりと首を振った。
『……いま、外か?なんか車の音聞こえっけど』
「うん、バーで軽く飲んで帰ってるとこ」
『どのへんだ?場所教えろよ、迎え行くから』
「え?」
ぱちり、目を見開いて立ち止まる。電話の向こうの彼は外出の準備を始めてるのか、鍵のぶつかる金属音や、絹擦れの音がしていた。
「ま、待って、そんなつもりで電話掛けたんじゃなくてね、」
慌てて阻止するけれど、「ハイハイ」なんて聞き流される。こんな夜分にわざわざ来てもらうなんて悪い。とっとと私が先に帰ってしまえばいい、と動かしだした足は結局また止めることになるのだ。だってさ——、
『俺が会いてえだけだ。送らせてくれよ』
そんなことを言いだすんだもん。
俺、気ィ遣うの苦手なんスよねえ。だからいつもストレートに伝えちまうこと多くて
という、ついさっきテレビの中から聞いた彼の声を思い出す。私が甘やされる言葉に弱いの絶対知ってる癖に。気遣うの苦手っていうか、人たらしなだけのくせして……。
ぐっと立ち止った足に力を入れて小さく現在地を伝える。嬉しそうな、満足そうな笑い声と一緒に『よくできました』って……私、あなたと同い年なんですけど、ってね。言わないけど。
—
「ごめんね、散らかってて」
「別に? 俺のほうこそ引越し手伝えなくてよ、悪かったな」
来客早々そんなふうに言われて、なんだこれって目を合わせて笑った。
ダンボールとここに置いていく家具しかない少し 寂しい部屋。床に置かれたなけなしのクッションに並んで腰を下ろした。来月からはもう寿くんのそばにはいられない。そこまで遠方に引っ越す訳ではないけれど職場の近くにアパートを借りたから、いつも気楽に顔を合わせるバーや、寿くんの住むこの街とはさよならだ。
ここ最近は荷造りでバタバタしていたし、彼もシーズンが終わったとはいえ、最近なんだか時間が合わなくて今日は久しぶりに顔を合わせることが出来たのだ。
「もうだいぶ片付いてんじゃねーか」
「うん、すっからかんでしょー頑張ったんだよ」
「なんかしゃべると声響く気がすんな」
あーって彼が声を出すと、確かに閑散とした部屋には、やけに反響して聞こえた。口を開けた顔がなんだか幼く見えて、私はくすりと笑う。それに気づいた目敏い彼は、片方の眉を吊り上げて鼻で笑った。
「つぎ部屋行くとしたら新居か?」
「え?……遊びに来てくれるの?」
「おぅ、あたりめえだろ。」
「……。う、うん……そうかもね。何だか、なかなか予定合わないもんね」
「それも、ごめんな」
なんか忙しくてよ、っていう彼は本当に最近忙しそう。テレビに引っ張りだこだし「大丈夫?」って聞いても「使われるだけいいだろ」とか言っていつも、躱される。
せっかくのシーズンオフ、もっと会いたかったのにな、なんてそんなワガママは、アパートの更新が重なったとはいえ、寿くんへの想いを断ち切るためにも勝手に引っ越すことを決めた私には言えなくて、きゅっと、くちびるを結んだ。
「本当は、きょう会えた方が嬉しかったけどな」
「えっ?」
なにがって聞こうとしたら話し出す前の呆けた顔にちゅっ、とキスをされた。どうしたのって聞きたいのに、それを阻むみたいに離れてはくっついてを繰り返す。背中と後頭部に腕が回る。ああ、これしってる。まずいやつだ——。
どんどんキスを深くして腕を支えにしてゆっくり押し倒されていく。クッションも、カーペットもない床の上に下ろされたけれど彼の手のおかげで少しも痛くなくて文句を言う隙さえないから困るんだ。
もしかして、こういうことをするだけの相手になっちゃうのかな、とか一気にいろいろ考えると、もうどうしようもなくなってなぜか涙がポロポロと溢れてきた。
そんな私に気付いた寿くんが、目を丸くして動きを止める。私がすごく小さな声で「……や、」と言うのが聞こえたらしく「悪ィ!」と大きな声をあげて、慌てて彼は私から体を離した。
「まじで……、悪かった」
すこし乱れてしまった私の服を戻しながら、弱々しく彼が呟く。
「わ、私……こ、こんな関係、なりたくない、」
俯いて涙が止まらない私の言葉に「え、」という声が聞こえて、それが部屋の中に響き渡った。
「ちょ、待て。わ、別れるってことか——?」
途端に焦ったような声色で寿くんから問い詰められる。私は、ん?と思って逆にきょとんとしてしまった。そっと顔をあげると、自分のうなじあたりに手を添えながら、私から目を逸らす寿くんとご対面する。
「その……いきなりだったけど、よ……嫌なら、もうしねえから……」
私の手を握って「だから、別れたくねえ」なんて言うから声も出ず思考回路が一気にショート寸前になった。
「……!? まって!」
「あ?」
「わたしたち、付き合ってないじゃん!」
思わず大声を出したら「は、はあ!?いや!付き合ってんだろ!」って、寿くんも大声を出すもんだから、私も負けじと同じ声量で返す。
「え、だ、だって!なんにも言われてない!!」
「はあ?!」
顎が外れそうなくらいのリアクションの後、急に考えるみたいな顔をした寿くんが、しばらくしてから、ぽつりと低い声を洩らした。
「……あン? おれ言ってなかったか?」
「へっ?」
「初めて手、繋いだ日。あのほら、バーから出て一緒に帰った日だよ」
「あー、うん。あの日がどうしたの?」
「これからは二人でも会おうぜつったけどな…」
「……、はい?」
「なんだよ」
「正気なの!?そんなんじゃ分かんないって!」
ノリツッコミみたく返してしまったけれど、致し方がない。驚きと謎の恥ずかしさで、わけがわからなくなって、泣きながら寿くんをバシバシ叩く私を「お、落ち着けって!」とやんわり叩く手を取って、それを握ってくれた寿くんがつぶやく。
「言った気になってたわ……悪かったよ」
言ったあとぎゅっと私を抱きしめる彼の胸の中がお酒も飲んでいないはずなのに、ほのかに熱い。
「……ずっと待ってたのに。早く、寿くんの彼女になりたかったのに……」
「……」
「そっちだけその気で……ずるい」
「……いや、まじで悪かったとしか言えねえわ」
それを聞いてほっとした私は、彼の背中に手を回した。そして彼の胸の中でズズと鼻を啜りながら小さな声で問う。
「なんか、変だなとか思わなかったの?」
「まあ……、付き合ってんのに距離っつーか……遠慮がちだなとは思ってた、名前が」
「そのとき気付いてよね、告白したっけ?されたっけ?自分たち、恋人だっけ……?ってさ」
「慣れてねえのかなと思ってよ……ゆっくり進みてえタイプなんだろうなって解釈してたわ」
そう言われてちょっと体を離して、まだ少しだけ赤い顔のまま「…さっきしようとしてたじゃん」とつぶやく私を寿くんは見下ろす。
「あー……触るのとか我慢しすぎてよ、もう限界だったんだって。つか、俺の身にもなってみろ」
「そんなこと言われてもねえ……」
「いや……でも、ほんと」
「悪かった、」って、もう一回謝った寿くんが、私の頬に、その大きな手を添えた。
「——なあ。好きだ、名前。」
「……」
「俺と、付き合ってほしい。」
泣きながら笑って頷いた私も、今までずっと胸に秘めていた彼への熱い想いを伝える。
「私もすき。ずっと前からだいすき。」
私の返事を聞いて目を少しだけ細めた彼の表情はやっぱり世界で一番、優しかった。
彼が私に顔を近付けてきてそっとキスを落とす。そのあと嬉しくなってぎゅっと寿くんに抱きつく私を自然と受け止めてくれた寿くんが、そっと、耳元で囁く。
「……あのよ、俺マジで、限界かも」
少しだけ、ぞくっとしたのを誤魔化すように私は笑いながら言う。
「うん、私も」
体を離して彼を見上げれば、ぎゅっと眉間に皺を作った寿くんにガブリとキスをお見舞いされた、そんな満月の夜の出来事。
神様、叶えて ハッピー・エンド
(モデルさんに……言い寄られなかった?)
(ああ、番号交換してくださいって、収録後)
(えっ!!……教えたの?)
(はあ? 彼女いるんでって即刻拒否したわ)
(……か、彼女って?)
(おいおい、名前……それ、わざとか?)
(……わざとだよ、教えてよ。誰なの?)
(ふはっ。ったく、名前しかいねーだろうがよ)
(はい、よくできましたっ。)
※『想うた〜愛する人を想う/キヨサク』を題材に
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