焦がれる、誰よりも強く


 泣いて赦されるくらいなら——死んだ方がマシだった。あの人が女の涙に弱いことくらい知っていたから。それなのに、知ってるくせに、わかりきってるくせに、私は泣く事を選んだ。泣いたらきっと終わらないと確信していたから。惰性でも泥沼でもバカバカしいくらい『別れよう』なんて聞かなかったことにできると、信じていたから。
 いまなら、両手を離して自転車も漕げそうだと思った。もう、坂道を思いっきり下ってやりたいって、そう思ったんだ。

「ミッチー」
「チッ。その呼び方……やめろつってんだろ」

 幼馴染の三井寿くんのお宅によく逃げ込んだ。高校時代は特に。爽やかな高校一年生の彼も長髪ヤンキー時代の彼も短髪元ヤンキー時代のバスケットマンの彼も——私は全部知っている。だってそれくらい彼のところに助けを求めに来たから。

 午前で練習を終えた彼の家に、大泣きしながら突然押しかけたあの日。いつもなにかあるごとに彼の家に押しかけていた私……大学に入ってから出来た彼氏がソクバッキーで寿の家に必要以上に来る事がなくなったのはその彼氏に行くなと言われた、あの頃からだったと思う。寿は当たり前に大学でもバスケ部に入部して、大学には実家から通っていたらしい。ハードなスケジュールで生活していた彼だったので、近所ではあったけど特にサークルにも部活にも属さなかった私とは、生活スタイルが違いすぎて、めっきり顔を会わせなくなっていった。最後に彼のところへ来たのは多分高三の夏。寿がインターハイから戻ってきたあたりだ。現在は週明け——月曜日の午前6時半。

「何年ぶり?」
「……さぁな」
「7年ぶり、くらい?」
「そんなになるか?」

 指折り数えれば七本が曲がる。高校も別で大学時代も全然会ってもいないし、あいかわらず寿はバスケ一筋だったし今はプロのバスケットボール選手だ。だからこうやって顔を会わせたのはほんとうに久しぶりだった。
 久しぶりだったのにも関わらず寿の住むマンションのエントランスで大泣きしていた私に気づくなり腕を引っ張って自分の部屋に入れちゃうあたりコイツ、ほんっとうにバカだなあ、天然だなあなんて思ったりした。でもすごく、すっごくうれしいの。

「別れよーっていわれた」
「彼氏にか?」
「うん。なんかほかに好きな子できたんだって」
「つか、何回目だよ」
「数えてない」
「そうか」

 私は寿の家に七年半ぶりに入ったっていうのに実家の彼の部屋とどこも変わらない雰囲気の自室のベッドにいて小学生の時にコイツの誕生日にあげたプーさんの抱き枕を抱えて横になっている。捨てられてなかったこの子、こんな昔のヤツとっくに燃えるゴミに出されたと思っていたのに……

「人の気持ちは変わるもんだからなァ」

 彼はテーブルに頬杖をついてバスケかなにかの日誌を書きながらそう言った。そういうのマメにするタイプだったんだ、知らなかったな。いや、私が寿のことをちゃんと見ていなかっただけかもしれない。

「かっこつけてる、寿。」
「かっこいいだろうが、俺は」
「いんや、有名人になったからってかっこつけてる」
「ほんとのことだろうが」
「何が」
「俺がかっこいいのも人の気持ちが変わるのも」

 私は仰向けになって、プーさんを上に放った。宙を舞ったプーさんは、淡いブルーの絨毯に腰を掛けるミッチーこと寿の頭上に結構な速度で着地する。

「……オイ、」
「あは、ごっめーん」

 私はケラケラ笑いながら彼の布団にもぐりこむ。昔と変わらない寿の匂い。人って変わるの?だって、あんたは何ひとつ変わっちゃいないじゃない。たとえプロのバスケットボール選手になったって。

「わたし、ずるい女だよほんと」
「そうかよ」
「だって、涙使ったもん。引き止めるのに」

 部屋はシンとした。彼は日誌らしき何かを書き終えた模様。私は、毛布とタオルケットを頭まで引っ張る。

「泣くほど悲しかったから泣いたんだろ? 悪いことじゃねーだろ」
「ううん、それは何か違う。悲しかったっていうかただ泣きたかっただけ。泣いたらまだ——続くだろうなって思っただけ」
「……」
「……超だっさいよね、わたしって」

 情けない。フラれたっていうならそこでスパッと切れちゃえばよかったのに。向こうにもう私への気持ちはないんだから。だって、ほかに好きな人がいるっていうんだから。自業自得なんだよ、全部。

「だってまだ好きだもん、わたしは……」

 タオルケットを顔に押し付けた。涙が出そうになったから。くぐもりすぎてもう相手に聞こえているのかわからなかったけど、そんなこと構っていられなかった。
 頭に溢れる、大好きなあの人の顔。笑った顔が好きだった。大きな手で、何度も私の頭を撫でてくれた。つらいときはいつも抱きしめてくれた。いつだって一緒だったはずなのに。もう全部ないんだ……なくなるんだ。

 ——バサッ!

 ものすごい力で今までつかんでいた布団たちが吹っ飛んだ。あたりが明るくなる。目を開ける前にベッドがギシギシッと音をたてた。目を開けて体を起こそうとすると、ベッドに乗り上げたこのベッドの主が私に馬乗りになる。
 乙女じゃない——こんな展開。漫画で読み尽くして知っている。でもおかしい、おかしすぎる。寿が私の上に馬乗りになってる事がすでにおかしすぎる。やばい、焦る。

「べっ、べつに、誘ってベッドに寝てたわけじゃないよミッチー?」
「……」

 見詰め続ける彼の視線を外して横に目を逸らす。横には彼の腕——というか手首。ぶっとくて細い手首がそこにはあった。その手首は高校時代に見た時よりも、ちょっと太くなった気がした。

「ミッチーはやめろって」
「じゃあひさちん」
「ふざけんな」
「ひさくんっ!」
「おちょくってんのか」
「ひい、すいません!」

 彼が顔を近づけてきたから私は必死に目をつぶった。な、なんなんだよ、この状況は!勘弁してよ!

「いくら幼馴染ってもな、もうオトナなんだよ」
「はい」
「しかも、7年半もまともに顔会わしてねぇんだよ」
「はい」
「それなのに、なんで来るんだよテメーは」
「……」
「——俺ん家に」
「……え?」

 彼の口から思ってもいなかった言葉が、出た。

「……え、えと」
「しかも彼氏にフラれただ?だからなんだって?あ? 慰めてもらおうとでも思ったのかよ」
「……」
「もう、コーコーセーじゃねーんだよ」
「……っ」

 その通りだ……。正解。ピンポーン。正しいよ寿は、なにも間違って無いよ。悲しいよ、悔しいよ、寂しいんだよ、私。

「……きいてほしかったんだよ、寿に」
「そりゃずいぶんお手軽だな」
「何その言い方。私は本気で悲しかったんだよ」
「……」
「誰かに聞いてほしかったんだから仕方ないじゃん!」
「それがなんで俺なんだよ?」
「そ、それは……」
「7年半だぞ?なのに……のこのこ来やがって。もし女がいたらどーしたんだよ、おまえは」

 おかしい、おかしい。寿がおかしい。あぁ私も全然おかしい。そうだよ、なんで今更、こいつの家なんかに来たんだろう?
 変えていなかった携帯の番号。時代は変わってガラケーからスマホになったって絶対に番号だけは変えなかった。元旦の『あけおめ』ってメッセージと私の誕生日にだけ届く『おめでとう』と。一年に二度だけそうやって送られてくる寿からのメッセージに返事も返さず早、七年半。それでも彼は、一度だってそのルーティンを怠ったことはなかった。

「脈ありそうな展開作るの、もうよせよ」
「……」
「期待すんだよ……」

 響いた。彼の声が。
 今は広すぎる、この、彼の部屋に——。

「……え、」
「マジで……襲うぞ?」

 幼馴染の顔が近づく。そらせない。そらせない泣きたい。目をつぶる。わたし、最低だ——。

 こんな事をしたって気持ちが紛れない事くらい私はわかっていた。
 だって所詮寿はあの人の変わりだから。きっと寿もそれをわかっていた。そんな了承上の行為、何にも残らない。罪悪感に苛まれるだけ。
 それでも……好きだと言ってしまえれば何かが変わるかな。想いを伝えたら消えてしまうかな。

「寿は大好きだもんね」
「あ?何を」
「わたしを」
「……」
「……ごめんね」

 だから来た。だから来たんだよ、わたし。
 人は変わるよ、寿。あんたが、どんなに変わらなくても——。










 教えて、この 話 の続きを。



(……わかってんのか、おまえ)
(ん?何を)
(この線越えちまったら、もう戻れねぇぞ)
(……寿とだから、どこへでも)
(……)
(寿だって、もう、わかってるでしょ?)


※ image song『 us/milet 』
 


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