秘密の場所でキス
神様はいったい、どんな顔をしてるのだろう。思い出すことはもうないよ。離れていてもそばに君が居るから。目を瞑れば笑っている君が居る。
どこかで待つ君の元に届くまでずっとこの愛を語ろう。
*
——ダムッ、ダムッ……ダダンッ!
体育館にひとつの孤独な音がこだましている。ピカピカに磨きぬかれ摩擦がかかった床には多種多様な紙で作られた花びらが一枚二枚と、無数に散らばっていた。役目を果たし、体育館内の隅に追いやられたブルーシートと長椅子、紅白の幕の軍勢をボール片手に眺めながら——
「……天才。」
と、声にもならない様な微弱な囁きで花道は、ポツリと漏らしていた。
三月一日、神奈川県立湘北高校卒業式。三年間通いつめた学生事業、最後の日。校長の話を初めてまともに聞き自身の名が書かれた証書をもらい下級生からの祝辞に涙誘う卒業ソングを唄った。館外に出来た後輩たちのアーチを全て通り抜けたところで、本日すべての催しを終えた卒業生。鞄からあふれる色紙に小さな花束の数々。俺は桜の木の下でエトセトラもとい、3馬鹿トリオたちに別れを告げてから体育館に向かった。
体育館に入るとひとりバスケットボールを片手にリングを眺めている赤い頭を発見。手に持ったバスケットボールは後輩たちからのメッセージで埋め尽くされていた。学ランに挿したままのコサージュは、すっかりしなびれてしまっている。
「おまえってヤツは……」
俺の存在に気づいたのか気づかないのかはわからないが、静かな体育館にまたボールをコートに打ち付ける音が響いた。
「高校生活最後の日までバスケットかー?花道」
一瞬ボールで遊ぶ手を止めて響き渡るボールの音と同じく聞こえてきたであろう、俺の声がするほうへと顔を向けてきた花道。
「なんだ、よーへーか」
「なんだ……って、なんだよ」
相手を確認し一言。珍しく冷え切った溜め息を大袈裟に吐き出した花道。そして再びボールが、孤独な音を奏ではじめた。
最後の最後まであいも変わらずな親友の態度にその姿をあらためて確認しながら言った。
「花道、おめでと。」
宝地図のように丸め折った卒業証書を片手に、俺はそんな渇いたエールを送った。
花道を名前で呼ぶのは俺を含めて、五人いる。そう、花道と俺は花道を名前で呼ぶあの彼女と、同い年だった。中学時代から三人ずっとクラスも一緒で、そして俺と彼女と花道は仲良くなった。それはこの湘北高校へ入学したあともおなじで。かれこれ計、六年間一緒に過ごして喧嘩をしては笑い合った仲。
��腐れ縁だよ�#゙女はいつもそう言っていた。変なレッテルを貼られたお陰で、周りに気を使う日々。けれどこの二人だけは違った。あっ、あとあのエトセトラも。だから花道も彼女の存在が、素直に嬉しかったのだと思う。
この六年間は、三人いつも一緒だった。そんな花道を横目に俺はひょいとボールを奪い上げる。
「スリーポイントシュート……!」
——ガンッ……!
「……あら。ハハ、難しいなーやっぱ」
スリーポイントの位置、遠く離れたところから俺の頬り投げたなんでもないシュートが外れた。虚しくコートへ落ちたボール。俺は無言でそれを取りに行きリング地点から花道の位置までボールをパスした。ボールは見事、親友の手のなかへと吸い込まれた。
「よーへー」
「はいよ?」
俺の名を呼んだ親友は、そのまま無言ですこし俯いた。その姿にはまったく気づいていないふりをして俺が先に言う。
「——てか、いまさらだけどさ?」
「……あ?」
「俺の下の名前を呼ぶのって、お前ら以外いないよな」
眉毛を下げて、思わず自分の発した言葉にクスクス笑う俺を見やった花道は、小さくつぶやく。
「卒業したってオメーは、よーへーだ」
「なんそれ?……まあ、いーんだけど」
本当は知っている、花道も俺も。ほかにも四人ほどこうして下の名前で呼ぶことを。
同い年の連中で『洋平』と俺の名を呼ぶのは、ヤツら和光中三人組と、晴子ちゃん。あとは——ある一人の女性だけだということを。
「なぁ、よーへー.....」
「んー? どーした?」
花道は片手にボールを持ち直してしなびたコサージュを身につけたままで俺の隣まで歩み寄ってくるように足を進めた。そうして無言のままそのボールを俺の手の中へと戻す。
「よーへーに……謝らなきゃなんねーことある」
「だから、なんだよ?」
煮え切らない花道に対して、返されたボールで遊びはじめる俺。珍しくでかい体が縮こまる姿がおかしくて「早く言えって」と口元を緩ませた。
「いや、俺よ……」
「うん?」
「ア、アイツと……キス、したんだ。」
やっとのことで紡がれた親友からの言葉。思いがけないその告白に驚いたというよりもさきに、不可解な疑問符を浮かべた俺の図。俺はポカンと口を開ける。
「は?……花道、夢でも見たのか?」
それとなく予測は出来ていた。けれど、あえて尋ねてみることにした。
「——つか、花道。晴子ちゃんはどーした?」
悪戯心で尋ねた俺に噛み付く勢いで「晴子サンはいーんだよ!」とあいかわらず赤面する花道。そして今度はくちびるを尖らせてまたもや小さな声でボソボソとつぶやく。
「……名前と。」
体とは裏腹な、小さな小さな親友の声だった。俺はやはり口元を緩ませた。一方の花道はまるでとんでもないことをしでかしてしまった子供の様に伏目がちのまま俺に体全体を向けた。
トレードマークの赤髪の坊主頭。すこし伸びた毛先も今日はバッチリとワックスで決めており、そのイメージからは、少々アンバランスちっくなコサージュが一層に俺のツボを押さえていた。
「な、なに笑ってんだ!……こ、こっちは、真剣なんだぞっ!」
「ごめんごめん、だからってコサージュはさぁ」
ククク、と片手で軽く口元を抑えながら中腰になって笑った。しかも今日に限ってちゃんとカラー染めして来たんだなその頭、と。こんな場面で目敏くも気づいてしまう俺。よくそれで三年間も通ったよなーとか思ったりもして。
俺の笑い声は収まることは無く徐々にケタケタと奇声を高らかに上げはじめ最後には豪快に笑い飛ばす俺の姿に花道はますます顔をその頭の色のごとく赤くする。そんなあきらかなる侮辱を受けつつもふと卒業式当日に置き勉の品を詰め込んだ破裂寸前状態である俺の鞄に目をやった花道。
……二枚、か。声にこそ出さなかったがきっとそう思ったのだろうと察した。しっかりと二枚分の卒業証書が丸め込まれた俺の鞄を見つめたあと花道はつづけた。
「アイツ、来たんだ……」
「へ?」
「……俺のとこに、来たんだよっ!」
今度は大きな声だった。俺の笑い声がかき消されるほどの勢いでその声は体育館に響き渡った。
「アイツが、事故に合って、んで、一ヶ月くらいしてから……」
「……」
「来たんだ、」
「……」
「見えなかったけど……来た。」
「……。」
ああ……忘れてた。そうだった、花道も——。
屈折した表情を覗かせる花道を見付けて俺は、あらためて再確認した。俺と一緒だったわ、と。ポタッと花道の目尻から汗か、それとも。大きな透明の粒が落下して細やかな音を立てて体育館のコートの上に弾かれた。
「ア、アイツ最後に『言うこと聞いてあげるから笑って花道?』って、言っ……てよ」
ポタッ、ポタッ……。一粒だった雫はいつの間にか大量になり乾いたコートの上を厚く染めていく。
「だっ、だから俺……っ、俺……っ」
「……」
「キスしろ名前ッ……してくれたら、笑ってやる!——って、」
「……へぇ。」
「そしたら、よーへー」
「……ん?」
「アイツ、なんて言ったと思う?」
蜂に刺されたような真っ赤なトマト顔を自身の袖で一拭きすると目のまえの赤頭は真っ白い歯を見せて、笑った。
「バカ王は勘弁!だからオデコにしてあげるね」
「……」
「——とか、言いやがって、よぉ〜、」
そう言って乱暴に鼻をすするとやはり白い歯を向けて親友は、太陽みたいに笑った。
「腹立って……笑っちまった、俺。」
「……アイツ、正直者だからねぇ。」
親友の涙を見ていないフリをして尚もボールと遊びつづける俺。そして、浅く笑って言った。
「そんなん謝るなよ、花道」
「……あ?」
「俺なんて、ちゃーんと唇でしたぜ?」
「よーへ……」
「ハハ、羨ましーだろ」
そう言って、ニカッと笑って見せたあと、またボールをリング目掛けて投げ込んだ。
——シュパッ……!
「うぉ! よーへー!!」
「うわ、初めて入った!」
今度はしっかりとリングに吸い込まれたバスケットボールが、コートを跳ね返って戻ってきた。そのボールを取りに行こうとした俺の腕を花道がつかむ。俺も思わず足を止めた。
「よーへー......、な、なんだコレ?」
俺の腕をつかんだ手を離した花道が、掌を翳しながらふと上を見上げた。それに釣られるようにして俺も真上を見上げる。
「さ……くら、だねぇ?」
桜の木は校門にあるはずなのに体育館内に桃色の贈り物が空から俺たち二人に降ってきたのだ。まるでそれは、無数の桜の花びらに風が『ねえ、笑って?』と、そう囁いている様な情景。
俺は頭上を見上げたままフッと小さく笑った。
「バカ、笑ってるよ名前。卒業……おめでと。」
二枚分の証書を風に舞わせ俺は今日いちばんの笑顔を、桜の花びらが降る青空に見せてやった。
かすかなそよ風が通り過ぎる。なに気なく立ち止まり、振り返る。君は笑顔で僕らに向かって、大きく手を振って『さよなら』と言っている。
離れ離れになった僕らが起こした、奇跡の話がある。離れ離れになった愛が星となり光り瞬いて語り合う——。
まだ見ぬ 春 を、君と共に。
( 名前、ありがとう。)
※ image song『 雲の上の君え/九州男 』
※ Lyric by『 雲の上の君と/九州男 』