「じゃ、教室入ろうか。段差気をつけてね」

このクラスの担任らしい女の先生が言った。緊張気味に「はい」と答えた私は、先生に続いて教室に入る。教室の引き戸をくぐると、ザワついていた教室が一気に静まりかえった。

「あら、みんなどうしたの?シーンとしちゃって」

無駄に明るい担任の声が、教室内にこだまする。クラス全員の視線が一斉に私に注がれたことで、すこしだけ身を引いてしまう。

「今日からクラスメイトになる、名字名前さんです。高校二年生はあと数ヶ月しか残ってないけれど、名字さんが「このクラスで良かった!」って思えるように色々と協力してあげてね」

……シーン。え、ノリ悪……。いや高校生なんてこんなもんか。小学生とかならまだしも、だれアンタ?って感じ?

生徒たちから向けられる、どこの馬の骨?的な視線を受けて、背中に変な汗が伝う。

「じゃ、名字さん。早速だけど自己紹介してくれる?」
「は、はい……はじめまして、名字名前です。秋田から越してきました」

秋田≠ニ、地名を言ったとたんに、窓際の一番後ろの席、センター分けで黒髪ロン毛の、たぶんイケメン部類に入りそうな男子生徒と不意に目が合った気がした。それでも彼は私と目が合うと、ぷいっとそっぽを向いて顔を窓の外へと背けてしまう。

「えーと、……前の高校と違って、校舎がとても広くて驚いています。今日から、よろしくお願いします」

担任の先生が拍手をすると生徒もそれにならってバラバラではあるが拍手をしてくれた。

「名字さん、特技とかは何かあるの?」
「特技、ですか?んー......バスケ、ですかね」

先生の問いに戸惑いながらも答えるとなぜか教室からは「お〜」という歓声が上がった。条件反射みたいなものだとは思うけど。

「バスケかぁー。部活動とかやってたの?」
「中学のときはバスケ部だったんですが、怪我をしてからマネージャーをしてました。けど、前の高校では帰宅部です」
「あー、そうなんだ。ウチに女バスはないのよ。でも男子バスケ部に名字さんが入ってマネージャーになったら華やかになるかもね、うんうん」
「……」
「……何か、名字さんに質問のある人いる?」

先生が言うとすぐに手を上げた生徒が一人いた。短髪で少し茶色がかった髪色の、みるからに活発そうな男子生徒だ。

「名字さんは何て呼んだらいい?あだ名とかあった?あ、ちなみに俺はみょうじ!」

元気よく「みょうじ!」と名乗ったその生徒は、よく通る声でそう言った。

「名字よりも名前で呼ばれる事が多かったです、名前って……」
「そうなんだ。じゃ、俺も名前って呼ぶわ。俺の事は下の名前で!」

「いや…みょうじ……かな、」と彼はそう言って、うーんと腕組みをして悩み始めた。先生はそれを流し見て「……じゃ、質問はこれくらいでいいかな?」と締めに入る。

「みょうじくんはああ見えて頼りになる子だから分からない事あったらどんどん聞いちゃってね」
「ああ見えてって何だよ、先生!」

教室内がドッと沸く。なるほど、このクラスでは彼がムードメーカーだな。周りの生徒達の笑っている様子を見ると、彼はクラスの人気者でもあるのだろう。

「じゃあ、挨拶はこのくらいにして、名字さんも席に着こうか。えーと……、あそこの空いている席ね。……三井くん!」

先生が変わらぬ明るい声で手をあげると、今度は一斉に窓際の一番後ろの席にクラス全員の視線が向く。当の本人、三井くんはポケットに手を突っ込んで窓の外を眺めていた顔をゆっくり正面へと向き直す。めちゃくちゃ目つきが悪くて一瞬ぞっとした。

「名字さんが持っていない資料とかあったら見せてあげてね」

三井くん、と呼ばれた男子生徒は、不機嫌そうな低い声で「あぁ」と答えた。そして、私の視線が三井くんとかち合った瞬間——

一瞬だけ目を細められたその仕草に
私は恋に落ちた。






「今のクラスは残り三ヵ月だけど、宜しくな!」

休憩時間に入ると、みょうじくんは私の席まで来て声を掛けてくれた。

「ホント中途半端な時期の転校だよね。みょうじ……くん、でいいんだよね?よろしく」 
「ハハハ、『くん』なんて付けんなよ!呼び捨てでいいよ、俺も名前って呼ぶし。にしても女バスっていいなぁー」
「そう?前にいた学校はさ、男バスに194センチの選手がいたんだよね。同い年で。目線が雲の上って感じだったから新鮮だったよ」

そう言って笑うと彼は「それなら」と思い出したようにつぶやく。

「俺らの学年にも、でっけーのいるよ!赤木ってバスケ部のやつ」
「そーなんだぁ。あとで見に行ってみようかな」
「見かけたら教えるよ!」
「ありがと。ところでさ……髪の毛明るいけど、地毛じゃないよね?」
「ああ、もちろん」

彼はカラッと答えてみせる。思いがけず一瞬こちらがぐっと押し黙ってしまった。

「え……校則とか大丈夫なの?湘北って。」
「どーだろ?他のクラスにもチラホラいるしな、先生に怒られたこともないなぁ」
「ふーん。前の学校の校則は厳しかったからさ、なんか自由で良いなって思って」
「そうなんだ、前の学校の校則ってどんなだったの?」

そんな感じで彼、みょうじくん、もといみょうじはどんどんと話題を広げてくれた。

休憩時間をどう過ごすか悩んでいたこともあり、本当に助かった。そのあとも女子、男子問わず気軽に声をかけてもらって、転校初日から私は良い学校に転校できたなーなんて安堵した。






二時間目は地理の授業だった。地理の先生と軽く挨拶を終えると、すぐに授業が始まった。

「先週配った資料、忘れてないなー?5ページ目開いてー」

先生が言うと周りの席からパラパラと資料をめくる音が聞こえた。直後ガタン!と机を動かす音が隣から聞こえくる。

「持ってねーだろ」
「え?」
「——これ。」

三井くんは、私の方にぶっきらぼうに「ん。」と言って資料を差し出してくる。それを呆然と見ていると、小さく舌を打ち鳴らした彼は机を僅かに寄せてこようとする。

だからそのとき気付いた、さっきのガタン!という音は、彼が机を寄せてきた音だったんだって。

「あ!!ごっ、ごめん!私が動かさないといけないのにね!」

そう言うと三井くんは一瞬、目を見開かせてからクスッと鼻で笑った。そして隙間無く私から机をくっ付けると、資料を二人の間で広げた。

「み、三井くん、もうちょっとそっちでいいよ、資料。私、視力は良いから」

三井くんは開いてと言われた5ページ目の殆どを私の机側に乗せてくれていたのだ。

「……いや、俺寝るし。気にすんな」

三井くんはそう言うと椅子に背をだらしなく預けて両手をポケットにズボン仕舞いこみ、軽く頭をうな垂れさせると目を瞑った。






転校してきてから早くも二週間が経った。みょうじ含む男女五人グループと昼ご飯を一緒に食べるようになり、三井くんとも会話が増えることを期待していた中、隣の席の彼、三井くんは学校にぱったりと来なくなった。

不安でいっぱいだった転校先の生活は順調すぎるスタートを切ったと言えたが三井くんのことだけが唯一、気がかりだった。

そうそう三井くんの名前は三井寿というらしい。コトブキと書いてひさし。変わった名前だけど、縁起が良さそうだし、お陰様ですぐ覚えることができたのだけど。本人にそのことを伝えられないことが、なんだかさみしかった。

転校前は彼氏が欲しいとか、そういうのはあまり意識した事が無かった。前の学校で気になる程度の子はいたし、告白された事もある。でも、それ以上進展することは今まで無かった。だから私は恋愛に対して淡泊なのだろうとまで思っていた。

だがしかし、それは……本当に好きな人が現れていなかっただけなのかもしれないなとも思う。

だって現に、いまは三井くんに会いたくて会いたくて、堪らないもの……。








「名前さ、三井のこと好きだろ?」

駅までの帰宅途中、みょうじが唐突に聞いてきた。何て答えればいいのか迷っただけでなく、自分でも驚くほど赤面してしまった。それは「そうだよ」と答えているようなものだった。

「やっぱりなぁ、そっかー。かっこいいと思うよ三井。俺も。」
「……それってさ、みょうじ以外にもバレてんのかな?私が三井くんの事を……、その……、好きっていうの」
「さあ、どうだろ? 三井も気付いてるかもな」

みょうじはクスクスと笑いながら、そう言った。まさかの爆弾発言に私は「えっ!!」と大声を発する。

「え、なんで?!」
「えー、だって。たまーには三井も学校来たりすんじゃん?来てもすぐ帰るけど」
「う、うん……たまーに見るよね」
「そのとき、みんな腫れ物みたいに扱って声なんてかけないのに、お前だけ絶対、同じ声掛けすんじゃん」
「え?おなじ……声掛け、って?」
「うん。ちゃんと学校に来て偉いね≠チて」


……意識して
言ったつもりはなかったんだけどな。

ただ、みんなが彼を避けていることはなんとなく察知してた。教科の先生たちも授業の途中で教室に入ってくる三井くんを毎度毎度怒鳴るか、シカトして彼の存在なんて無いみたいな扱いするんだもん。

だからなんか……そんな中でも、ちゃんと学校に来て偉いねって。そう思ったまんまの台詞を投げ掛けていた、ただそれだけのことなのに。


「三井なあ……入学当初は明るくて、性格も良さげで、良い奴だったんだよ……」
「……え? そーなの?」
「うん。有名だったよバスケで。中学MVPだか何だかとったとかで」
「へぇー。じゃあ彼、バスケ部なんだ?」
「いや——怪我して。それから部活辞めたみたいで……ずっと、あんな感じ」
「……ふーん。」

みょうじは苦笑いしていた。

……ずっと、あんな感じ、か……。中学MVPだった人が怪我で挫折したなら、気持ちはわからなくもない。

——だからか。
私が自己紹介したとき、バスケの話をしたからあんな鋭い視線を向けてきたのは。気に、触ったんだろうな。なんか……申し訳ないことしちゃったな。

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