——出会ったあの日も、こんな雨模様だった。
私の目には貴方が白馬に乗った王子様に見えた。
貴方に会って私は、貴方の優しさに触れたの。
雨と同じように、まるでじんわりとしみこむように思いは広がっていく。
日常の中、どこを見ても貴方の笑顔を思い出す。
あの笑顔が、忘れられたら……そんなに都合よくないかな。
ねえ。私は、貴方を好きになってもいい?
……なんて言ったら貴方は怒るかな。それとも、しょうがねーなって、笑ってくれる?
——出会ったあの日も、こんな雨模様だった。
出会ったとき、お前には婚約者がいた。
きっとこのまま、その相手と結婚して平凡で幸せな生活を送って行くんだろうなって。
ほどけたこの結び目は、今も探してる面影は遥か遠い空。雨と同じように、まるでじんわりとしみこむように思いは広がっていく。
日常の中、どこを見てもお前の笑顔を思い出す。
あの笑顔が、忘れられたら……そんなに都合よくないよな。
なあ。俺は、お前を好きになってもいいのか?
……なんて言ったら怒るか?それとも、笑ってくれるか?
いつかまたどこかで二人が巡り会う。そんな夢のようなことを想いながら——
いつかまた、お前のような人に巡り会えると願って……。
—
久しぶりに買い物に出た休日。運悪く雨に降られた。傘もないし、荷物はあるし屋根のある場所を探して、とりあえず走る。
ふと目の前にバス停が見えた。……よかった屋根がある。吹き降りはあるけれど、さっきほど濡れはしないだろう。タクシーが通りかかったらそれに乗って帰ろう、そう思ってバス停に入った。
「だーっ!……ひっでぇ、雨」
刹那、男の人がバス停に飛び込んで来る。一瞬、わたしは固まる……。だってあまりに大きかったから。身長もそうだけど身体ががっちりしていたので尚のこと大きく見えたのだと思う。私は思わず目線を反対側へとそらした。
「……」
「……」
——このまま、黙ってやり過ごそう。早くバスかタクシー来ないかな……そう思って、正面に向き直ろうと思った、まさにそのとき。
「すげぇ雨だな」
……やばい。話しかけられちゃったよ。
そう思いながら彼のほうへとゆっくり視線を向けた。短い前髪から落ちる雨の滴を払うようにして彼はこっちを見た——。
案外、男前な顔つきをしている。目つきはいい方とは言えないけどさ。まあ、肌も白いし……どちらかと言えば当たり前にイケメンだ。タイプかタイプじゃないかと問われたら、うんタイプかも。浅はかだな、私も。
「バスに乗んのか?」
そう聞いてくる彼に正直に話そうかどうしようか迷って、でも結局嘘をついてもすぐにバレそうではあったから、素直に「タクシー来たら乗ろうと思って……」と、そう答えた。
「お。じゃ、いっしょか」
彼は、何ともかわいいらしい笑顔で二ッと笑って言った。ずいぶん印象が違うな目つき悪いのに。なんてことを思っていたら、やがて、タクシーのテールランプが見えた。
「あー。ちょい、そこにいてくれ」
彼はそう言って、まだ雨が降りしきる中、すこし道路に出て手を挙げた。タクシーを止めて、それから私に乗るように言う。私が申し訳なくてためらっていると「いーから」ってやさし気に困ったみたいな顔で促す。
「……あの、」
「あ?」
「どちらまで、行かれるんですか?」
とりあえず行き先を聞いてみる。そしたら偶然にも近くで、今度は私からお伺いをたてて、結局は同乗していくことになった。タクシーの中で今更ながら、彼に名前を聞く。
「……あ、の。失礼でなければ、お名前伺ってもよろしいですか?」
「へ? あ、俺の名前か?」
「はい」
「あー......っと、ミツイ、ヒサシ。」
彼はすこしだけ躊躇ってから何だか気まずそうに後頭部に手を当てがって名乗った。
……ミツイ、ヒサシさん……。
私もハッとして、名字名前です、としっかり偽名を使わず本名で名乗った。それから車内で彼としばらく話をした。どうってことない、たわいもない話だったけれど。そして目的地に到着し、先にミツイさんが降りることになった。
「——じゃ、お先。……あー。」
颯爽とタクシーから降りた彼は、そう言ってまたすこし屈んで、タクシーに首だけ入れてくる。
「運転手さん。あとはこれで」
彼は慣れた手つきで運転手にお金を渡す。私は思わず彼の手を掴んで、すこし大きな声をあげた。
「こっ、困ります……!」
そんな私に、やっぱり「いーから」って浅く笑ってドアを自ら閉めてしまった。
タクシーって、自動でドア閉まるのに……なんて考えているうちに、タクシーは発車してしまう。咄嗟に振り返ると手を上げている彼、ミツイさんが見えた。私は何度もタクシーの中から頭を下げて挨拶をした。
—
出先からの帰り道。運悪く雨が降ってきた。今日に限って車使わなかったもんよ。あーあ悲惨だ。
屋根のあるとこ探すか……そう思った矢先、バス停を見つけた。ラッキーだ今日の俺はツイてる。あそこなら屋根もあるし、通りすがりのタクシーでもつかまえっか。
俺は一気に走った。そしたらバス停には先客が居た。一瞬、俺を見た気がしたけど、彼女はすぐ、端っこへ行ってしまう。
……俺、やべー奴にでも見えたか?とりあえず、意味はないけど肩や髪に付いた雨の滴を軽く手で払ってみる。
「……」
「……」
……なんか、会話したほうがいいよな。こういう空気がどうも苦手で、そう思って気付いたらこっちから話しかけちまってた。彼女と目が合った瞬間——その黒い瞳に、うおっ、と釘付けになる。
それからほんの少しだけど彼女と話をした。すげー雨だなとか、バス乗るのかとかそんな一言、二言だけだったけど。間もなくしてタクシーのテールランプが見えて、彼女がぬれないよう制止して俺がタクシー止める。
申し訳なさそうな彼女に乗るように促すと、彼女は俺の行き先を聞いてきた。一応答えて、そしたら乗ってけって言うもんだから、いーって、っていうやり取りを数回繰り返して、結局、向こうが下りるとこの近くだってこともあって、同乗することにした。
道中、名前を聞かれてちょっと焦った。実はこんな感じでよく利用するスーパーで待ち伏せしてたブースターとつい先月、もめ事があったからだ。
チームから安易に名前を名乗るなだの、同じ店を利用するなだの言われて、めんどくさくなって「Xジャパンのヨシキか、もしくはガクトかスマップか俺は」と言い返したら、あっけなくスルーされて、挙句の果てには「お前のファンは過激で手に余る」なんて言われて押し黙るしかなかった。つか、俺のせいなのかよ、それ……。
でも、まあ……彼女なら、いいかなって思って。なんとなくだけど。勘で。
タイプだからとか、一目惚れしたからとか関係なく。なんか、言っても大丈夫だろうなって思えたんだ。雰囲気が、柔らかくて優しい感じだったし。こういうとこ一つ取っても、俺ってやっぱりバグってるとは思う。
そして帰り際、俺が先に降りることになり、タクシー代を先に払うと「困ります」って語気を強めに言われて、しまいには腕を掴まれた。そう言う彼女にいいからと言って半ば強引にドアを閉めた。タクシーって自動ドアなのにな。我ながら笑える。
車の中から何回も頭を下げる彼女が見えた。俺は手を翳してそのタクシーを見送った。
—
雨の日の一目惚れタクシー事件から数日後——。
家にいた俺は小腹が減ったので近くのコンビニにでも行こうと、マンションを出る。レジで会計を済ませて外へ出ると「あ」と、思わず声が出た。
「こんばんは」
「あ、おぅ……どーも。」
そこにいたのは、まさかの雨の日に会った彼女だった。どうやら会社帰りらしくスーツを着ている。この前とはずいぶん印象が違うなぁ。なんてそんなことを思っていると彼女がこの辺に住んでるとか話し出して、あー俺も実はこの辺なんだと言葉を返す。
どうやら帰り道が一緒の方向だったみたいで夜道ってこともあり異様な光景だが二人で肩を並べて歩いた。
思いのほか、本当に互いの住んでる部屋が近くだってことも、このとき解った。その日から、ちょくちょくコンビニで会うことも増え、今ではたわいのない会話や、笑い話なんかもするような仲になっていた。
まだ、この時点では、自分の気持ちには全く気がついていない俺。あー、可愛いなとか、タイプだなーくらいにしか思っていなかったつもりでいたんだ。
—
その日はチームのミーティングがあった。その後何の予定もないから、同じチームの宮城と食事に行くことになり、外の通りを歩いていたら宮城が不意に立ち止まって出し抜けに言う。
「三井サン、見て。すっげ、きれい」
宮城がブライダルサロンを指さす。ガラス越しに見えたウエディングドレス姿の女性。ん?どっかで見た後ろ姿だな……と、その横顔にじっと目を凝らすと相手は……彼女だった。どきっとした。
そして……なぜか苦しくなった。隣で笑うのは、彼氏か? へえ……結婚、すんのか。
—
「——三井サン。」
「……あ?」
「全然食ってねーけど。腹でも痛てぇーの?」
「……あ、いや。あんま腹減ってねえのかも」
「ふうん……じゃ、コレちょーだい」
「ああ、勝手に食え。」
その日はなんだか呆然としていた。自分の気持ちに気がついてしまったからだ。でも、結婚するんじゃだめだろ……そう思って頭の中の邪念を無理やりに取っ払った。
それからしばらくして、夜、コンビニの前で彼女に会った。
そしてこの前見かけたことを言ってみる。彼女は恥ずかしそうにうつむいて照れながら話す。学生時代からのつきあいで、気の知れた相手だということや、なれそめなんかも。
俺は彼女がエンゲージリングをしていないことが不思議で聞いた。彼女は笑いながらネックレスに通したリングを見せてくれる。仕事をしてるうちは指にははめないらしい。「でも、ちゃんと身に付けているでしょ?」って、笑って言う。
そのリングは、彼女の首元で光り輝いていた。
——やっぱり、俺。この人が好きらしい。
会えば柄にもなくときめいて、男の話を聞けば心が痛い。告白前に失恋ってことだよな……なんて考えながらマンションへ戻って思いっきり大きなため息をつく。
……ヤベ。結構、しんどいぜ、これ。俺は破滅願望でもあるんだろうか。なんでよりによって、結婚が決まった人を好きになるのかと考えあぐねる。でもバカな脳は、上手い判断が何ひとつ出来ず、溜め息ばかりが出る。ああ、どうすっかな……参った。
—
休日、特にすることもなかった私は本でも探しに行こうと外に出た。
駅前の本屋さん。適当に流し見て……あ、あった。なんとなく頭に浮かんでいた本の題名、そのお目当ての本を見つけた。でも手が届かない、お店の人呼ばなくちゃ。そう思って振り向こうとしたら、後ろから手が伸びてきた。振り向くと三井さんが口の端を吊り上げて笑っていた。
「ほらよ。」
そう言って、私の欲しかった本を、軽々と棚から取って手渡してくれる。
「あ……ありがとうございます。」
受け取った私に「奇遇だな」と緩く笑いかける。そんな三井さんも手に本を持っていて、なんとなく二人してレジに並ぶ。会計を済ませたところで三井さんが話しかけてきた。
「今日これから、予定あんのか?」
「いえ、」
そう答えると丁度昼時だし、昼飯でも一緒に食べようぜ、と言われた。特に断る理由もないので私は二つ返事でOKした。
三井さんの車で和食の店に連れて行ってもらう。全室個室で落ち着いた店だ。食事もおいしくて箸がすすんだ。そういえば、こんな食事、しばらくしてなかったな。
今の婚約者は、家に来るか呼ぶか、私が作ってそれを食べるかのどれか。ま、別にいいんだけど。
でも最近、特に婚約してからは、ないなぁ。なんて、最近思う疑問がふと頭をもたげた。すこし、ため息が出る。
「ん? どうかしたか?」
不意に三井さんが聞いてくる。私は何でもないと笑ってやり過ごした。……こんなの、相談することじゃないし。そもそも三井さんに言って、どうするのって感じだもんね。
食事を終え、わざわざアパートまで送ってくれた三井さんの車が私のアパートの前に止まり、私はお礼を言って車を降りた。そして三井さんが見えなくなるまで見送った。
—
どうしてだろうか。さっきの彼女の様子が気になる。ときどき溜め息をついて、それでも、何でもないと弱く笑う笑顔。
彼女に会うたび、惹かれていく自分に気がつく。彼女の黒い瞳。少し目尻を下げて笑う顔。首をかしげて考えこむ仕草……目を閉じれば浮かんでくる。あーあ、相当重傷だな、こりゃ。
そもそも婚約者がいんだぞ。でも諦めきれないで何とか繋がっていようとする自分もいたりして。ほんと、イカれてる。どうするんだ、俺。
それからしばらく彼女を見なかった。少し心配になって家も知ってるし、と思うが、行くのは失礼だよなと思いとどまる。そんなことを悶々と考えていて、久しぶりに彼女に会えた日。でも、なんだか彼女はいつもと違ってた。
—
今日はなんだか具合が悪い。風邪を引いたらしく熱もあった。会社を休んで横になっていたら部屋の鍵を開ける音が聞こえた。婚約者が来てくれたのだ。思いがけず嬉しくなる。それはきっと身体が弱っていたせいもあるのだろうけど。
「なにやってんだ?」
寝室で横になっている私に彼が言う。具合が悪いと返したが、さして気にする様子もなく彼はリビングでくつろぎ始める。
熱っぽい身体で、すこし考えてた。この人は婚約してから変わった、って。ドレスも勝手に自分で決めて、招待客も……しまいには、住むところや家具まで。仕事だって辞めると決め込んでここへ来たって、何をする訳じゃなくて病気で寝ていてもほったらかしで。
昔はおかゆとか、不器用なりにも作ってくれたりしたのに。そんなことを思っていたら寝室へ彼が入ってきた。やっぱり、心配してくれてたんだと思った次の瞬間、彼がいきなり私に覆い被さってきたのだ。
「ちょっと……!わたし、風邪で熱……っ」
「うるさい、黙ってろ」
そう言い放たれてすぐに、パジャマのズボンだけを脱がされ、そのまま自分の欲求だけを満たして彼は帰って行ってしまった。
……どうして、こんなことできるの?前はこんなじゃなかった。私はしばらくベッドの上でひとりただ呆然としていた。
熱が下がってからコンビニへ買い物に出た。何か食べないと……そう思ったのだ。
そこで、久しぶりに三井さんに会った。相変わらず明るい笑顔だ。私も笑って、挨拶をしようと思ったけど。でも……うまく笑えない自分が憎い。三井さんも、そんな私の様子を見て不思議そうな顔をしている。きっと、言われる——
「オイ……なんか、あったのか?」
——ほらね、やっぱり。
三井さんてって、意外と目敏いもんなぁ。
「いや——、なんでもないです」
「……」
声をかけた俺の顔を見て、泣き笑いみたいな顔になる彼女。なんか、おかしいよな、絶対……。
「……ちょっと、話そうぜ?」
そう言って、帰り道の公園のベンチに座った。夜だからもう誰もいない静かな公園で彼女はぽつりぽつりと話し始める。ある程度聞いたあと俺は、無性に腹立たしかった。
「病気で寝てるっつーのに……ンなこと、できるもんなのかよ?」
って、怒りを抑えながら言ったら、彼女の瞳から涙がこぼれた。
「俺ならしねぇ、絶対に……っ」
彼女を見て、はっきりと言った。無意識に自分の膝に乗せられていた手で拳を作る。
「どうしてですかね……婚約するまでは、こんなんじゃなかったのに……」
涙を流しながら、彼女はため息をつく。
「友達はマリッジブルーだって言うけど。それで私も、こんな風に思うのかな……?」
「……、」
……いや、それは違げーだろ。
「ちゃんと——話し合うことは必要だと思うけどな。またいつでも、話聞くからよ」
俺が言えることはこれが精一杯。いつでもかけていいからと、もう一度呟いて、彼女に自分の携帯番号を教えた。
……結婚すんの、止めとけよ。
喉まで出かかっていた言葉を、必死で飲み込む。彼女の気持ちが俺にない以上そんなこと……言えやしねぇ。
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