※堕胎・避妊具無し等の過激な表現が含まれるため閲覧注意※





引き出しを開ければ投函することのできない封筒がひっそりと納められている。

私の心のポストに投函されている手紙たち。
あなたには、届くことのない手紙——。


言えなかった 1000の言葉を

 遥かな君の背中に送るよ

 翼に変えて

 聞こえてる? 1000の言葉は

 傷ついた君の背中に寄り添い

 今も遠く離れた空の下から

 抱きしめてるよ。







「名字さん、東京支店からお電話です」

私はパソコンを打ちながら、回してくださいと告げる。デスクに乗っている社内の電話がプルルルと鳴ると、私は忙しなく叩いていたキーボードを打つ手を止めて、その電話を取った。

「はい、お電話変わりました。……ええ、その件でしたら先日そちらの方へメールと書面でご連絡差し上げましたが」

台北支店に転勤になって、もうすぐ一年になる。仕事にも言葉にも慣れてきて、毎日忙しい日々を送っていた。

システム手帳を開けば、そこには幸せそうに笑い合う私とあなたが居る。あれはそう、中学時代の友人、彩子からの一本の電話が始まりだった。






『名前?アンタ、今日忙しい?』
「何?仕事中だよー。しかも師走!!」

大学を卒業してメーカーに就職した。バイヤーの仕事に就いた私は毎日忙しい日々を送っていた。

その夜、彩子の半ば強引な誘いに仕方なく待ち合わせ場所へと向かった。なんだかやたらと騒がしいな……。到着した先では、もはやお店の外にまで声が漏れてる始末。私はとりあえずそのお店のドアを開ける。

……え。な、なに……これ。酔っぱらいの集団?あ、わたし、場所……間違えちゃったかな。

そーっと私は開けた扉を閉めた。そしてもう一回お店の外の看板を確認する。いや、間違ってないよね……てか、彩子はいったいどこに行ったんだろうか。私はお店の前でしばらく考え込んでいた。


「名前っ! もう来てたの〜?」

振り向くと、はたしてそこに彩子が笑って立っていた。

「ねえ……てか、なに?これ。」

元から、さっきみたいな雰囲気が苦手な私にはとても考えられない、あの光景。私は少し憤慨して彩子に詰めよる。

「あ、やっぱり怒った?ごめんね」

とりあえず話を聞くとどうやら彩子の高校時代の同級生がプロのバスケットボール選手で、しかも日本代表にも選ばれたメンバーで?んで、今日は忘年会で女の子を連れて来いってことになって、私に電話した、って……。

たしかに彩子とは成人式後からまた繋がるようになって、よくランチしたり連絡も取ったりしてたけど……だからって急にこんな……てか、で?どこにその日本代表とやらがいるわけ?さっき一瞬映った私の目には、どう見てもパリピなメンツしかいなかったけど。しかも忘年会って……年末まで、まるまる四週間は残ってるっての。

「アンタは興味ないだろうから知らないかも知れないけど、横浜ヴォルターズっていうね……」

と、彩子は何やら長々と説明してくれた。もともとスポーツとかにはあまり興味がなかった私。今の仕事に就いてからはテレビをゆっくり見る時間もないので急にスポーツ選手です、と言われたところで、そういった情報には少々疎かった私からすれば「誰ですか?」状態なわけで。

「とりあえず入りましょ!」

彩子は渋る私の手を引っ張って、ずんずん中へと入ってしまった。

「彩ちゃん! あ、彼女が友達?」
「そうよ、名字名前ちゃんでーす!」

……「でーす!」って、彩子アンタねえ……ったくもう、高校生じゃないんだからさ。私はふぅとひとつ溜め息を吐いてから襟を正す気持ちで背筋を伸ばした。

「はじめまして、名字名前と申します」

って。それでも、きちんとお辞儀をして挨拶してしまうこの性格。きっと職業柄だな、たぶん。

そしたら「堅いこと言いこなし!」って、彩子を含め、周りの男性たちにばんばん肩を叩かれるわ、ぶんぶん手を振り回されて、しまいにはこの猿の惑星みたいな連中から握手を求められるわで……ああ、私が苦手な世界がいま、目の前に広がっている……。

チラ、とあたりを見渡せば、ほかの女の子は結構露出した服装で私だけがかっちりとしたスーツ。しゃーなし、だって会社帰りだもん。ま、あの手の服は持ってないし。そもそもあーいうタイプの服は着ないけどさ。

それにしても。私の頭が固いのか、やっぱりどうもこういう空気は好きになれなかった。仕事柄、人に合わせることはできるからそれなりにしていたけど。正直言えば、家に帰りたい。いや、むしろ仕事してる方がまだいいかも知れない。私は外の空気を吸いに行こうと、そっとお店を出た。


「……くうぅん」

不意に鳴き声が聞こえた。目をこらすと、路地の隙間に小さな段ボールがある。気になってあけてみたら、中には小さな子犬が一頭いた。おそらく室内犬のミックスだろうということはわかった。顔自体はシーズーで小降り。自分の実家で犬を飼っていただけにわかってしまった。

「捨てられちゃったの?困ったねぇ。君これじゃまだご飯もまとも食べれらないでしょー?」

そんな猫なで声が自然と出てしまう。おそらく、離乳前に捨てられたのだろう。放っておけば確実に死んじゃうな、この子犬……。

「仕方ない、ウチにおいで。そのまえに獣医さん行こうねっ」

そう犬に話しかけて、私は段ボールを抱えた。


「連れて帰んのか?」

——その声に私は驚いて振り向いた。確かさっきお店の中にいたような気がするんだけど。えーっと、名前は……名前、誰だっけな。この目つきの悪さだけは覚えてたけど。

「はい。この子離乳前みたいで、寒いしこのままじゃ死んじゃうから」

その人は「ん?」と言いながら、無遠慮にも私の抱える段ボールの中を覗き込んで来た。

「うぉ! すっげ小せぇ。」
「でしょ?とりあえず獣医さん連れて行かないと……」
「——じゃ、ちょっと待ってろ」

彼はそう言い置いてからまた、お店の中へと入っていった。すぐにもう一人の男性と一緒に出てきて、その彼も私の抱える箱の中を覗きこむ。

「わー。こんなちっせえのに、何てことすんだろうなァ。ひっでぇと思わねぇ?ね、三井サン。」

彼がさっきの男性に向かってそう言った。そこでこの人が三井さん≠ニ、いうことを理解した。二人のやり取りでもう一人の男性が宮城さん≠ニいうことも分かった。

私はさっきお店でされたみんなからの自己紹介を全然聞いてなかったんだなと改めて反省する。桜木って赤い坊主頭の人はインパクトあったから覚えたんだけどなあ……。全然ハズレだった、顔も名前も全く一致しなかったわ。でも、もう大丈夫。三井さんに、宮城さん。しっかり覚えましたよーってね。

宮城さんは犬を飼っているらしく、すぐに、知り合いの獣医さんを紹介してくれた。私はそのままタクシーに乗って、紹介してくれた動物病院まで向かい健康診断をしてミルクとほ乳瓶、念のため注射ポンプとカテーテルをもらった。

ところが……ここに来て気がついた。帰りのタクシーがないってことに。しかも今は十二月。タクシー会社はどこも大忙しだろう。さて、どうやって帰ろうか。そう、このツメの甘さが私なのだ。威張って言う事でもないけど。

途方に暮れている私の目の前にタクシーが止まった。後部座席から「乗れよ」と声がする。戸惑っている間もなくドアが開いて、不思議そうに中をのぞき込むと……たしか、みや……じゃなくて。三井さん、だっけ?そうだ、三井さんの方だっ!私、全然覚えてないじゃん、と心の中で突っ込みを入れる。まあ、とにかく、その人が居た。

「帰り、どうすんのかと思って、こっちに回ってもらったんだよ」

そう言って勝ち気な笑顔で笑ってみせる彼。おかげで路頭に迷うことなく家までたどり着くことが出来た。タクシーの中で三井さんと少し話していて、意外と近所に住んでいることもわかった。


「じゃあ、これ……タクシー代です」

三井さんにお金を差し出すが、彼はそれを受け取らなかった。でも、私としても甘えっぱなしは嫌だったので下心とか全くなしで、淡々と言った。

「じゃあ今度お礼させてください」

正直、本当に深い意味はなく、ただ対等でいたかったというのがこのときの本音だ。彼の連絡先を聞いたとき何故か驚いた様子でぽかんとしていた三井さん。それでも慌てて携帯を取り出す仕種が日本代表とはいえ、何だか滑稽だった。そして私は三井さんの乗るタクシーを見送った。





年の瀬よりも少し早めに開かれたチームの忘年会の日、彩子が一人の女性を連れてきた。きちんとスーツを着こなした、めっちゃ真面目そうな女。それが俺の第一印象だった。

他のチームメイトや友人らは酔っぱらって彼女の背中をばんばん叩くが、彼女はそつなくかわして笑っていた。いい意味で、人のあしらいが上手いっつうか。そんな彼女を俺はしばらく見ていた。

確かに行動はそつなくて、きちんと挨拶もして、酒もあまり飲まなくて、たばこも吸っていない。やっぱ、すごい真面目なんだろうな。そんなことを思っていたら、不意に彼女が人目を忍んで店の外へと出て行く。

ん……?どこ行くんだ?単純にそう思って、なぜか俺は彼女の後を追った。ふと見ると彼女が座り込んでいる。その手には小さな子犬。捨て犬か?って思いながらも俺は少し離れたところから、その光景を眺めていた。

優しげな横顔。声を掛けながら子犬を撫でている。へえ……さっきとは全く違う顔じゃねーか。もはや別人だな。

「ウチにおいで。その前に獣医さんいこうねっ」

そう言って立ち上がる彼女に思わず俺は声をかけた。獣医と聞いて咄嗟に宮城を思い出し、俺は店の中に奴を呼びに戻った。宮城は自分の飼っている犬の獣医に連絡を取り、彼女は犬を抱えてそのままタクシーに乗った。

宮城と一緒にそれを見送って、宮城はすぐに店の中に戻って行ったけど、俺はその場でしばらく考えていた。え?つか、帰りどうするんだ?って。

そのあともやっぱり気になって、店に戻り宮城に動物病院の住所を聞き、俺もそそくさとその場を退散してタクシーに乗り込む。どうせ帰るついでだしって、そんな軽い気持ちで。

案の定、タクシーは引き払っていて、彼女が段ボールを抱えたまま突っ立っていた。俺が彼女に同乗するように言い、そのまま彼女を送っていった。意外と近所だったのには驚いた。

降りたとき、彼女はタクシー代を払うと言うし、でもやっぱり俺にもこういう場面では、なけなしのプライドはあるわけで。問答の末、「じゃあ今度お礼させてください」と、顔色ひとつ変えずに業務連絡みたいに言った彼女に、とりあえず電話番号とIDを教えた。

——名字名前。まじめな奴だよな……わざわざお礼なんて、別にいいのによ。






それからしばらくして彼女からメッセージが入る。絵文字も使わない。白黒のきちんとした文章と文節。

ものすごく、まじめな……ってか堅すぎじゃね?いくらなんでも。まじ、業務連絡みてぇだわ。俺ンとこのチームの連絡ですら、もっとフランクだってのに。こんなところに性格が出るよな、なんて俺は思わず吹き出してしまう。


向こうの休日と、たまたま休みが重なった俺は、彼女と会うことにした。待ち合わせ場所に着いたのは約束の時間の五分前。実は遅刻が嫌いな俺。だが到着して、ぎょっとする。……すでに、来てるじゃねーか。どこまできっちりしてんだ、コイツ……。

でも今日の彼女はスーツじゃなくて私服だった。当たり前に、あの日とはなんだか感じが違っててちょっといいな、と思ったりした。どうやら俺はギャップに弱いらしい。こんなとこで自分の新たな面に気付くとはな。

「——悪ィ、少し早めに来たつもりだったんだけどよ……」

そう言って謝ると彼女は「私もさっき来たところです」なんて言って、へらりと笑った。


彼女が連れて行ってくれた店は和食の店だった。どうやら知り合いの店らしく、女将と緩く挨拶なんかを交わしていた。庭の見える六畳ほどの掘りごたつ風の部屋。そこで二人、食事をした。

驚いたことに話してみると、どんどん印象が変わる。生真面目っつーか、凛としているときは、何だかいけすかねぇのは変わらないけど案外ツメが甘かったり、おっちょこっちょいな面も垣間見れた。どうやら女将が言うには、結構いい加減なところもあるらしく、すぐ物をその辺において後で慌てるとかなんとか。

一番おもしろかったのは視力検査の話で「空いているところを言ってください」といわれて表示された文字がE≠セったので「上も下も右も空いてます」と言ったらしい。

俺が「どういうことだよ、文字は文字として読むだろ普通」って言ったら、彼女は「だって上も下も空いてたから」なんて胸を張って言い切る。確かに……Eの空白は上も下もあいてるけどよ。そんなこと普通言うか?まじ、桜木みてぇなヤツだなって思った。

「だってさ?向いてる方向を言って下さい、ならわかるのに」

って、まだそんなことを言う。俺が「わーった、わーった。空いてたんだもんな」って言えばムキになって「あ!バカにしてる!」なんて無遠慮にも俺を指差して本気で怒る。

あとは何でもないところで転ぶとか、ぼーっとしてて気づけば深い溝にはまってたとか、そんな漫画とかドリフみたいなエピソードが盛りだくさんで、笑っちゃいけないとは思ったが品なく笑ってしまう。つか、当人だって「笑わないで!」とか言いながらも笑っちまってるしな。


その日は普通に楽しかった。名字名前という人の意外な一面が見れた気がする。俺は素直に、また会ってみたいと思った。

その食事会のあと俺は彼女と連絡を取り合った。やり取りが増えるにつれて、きちんとした言葉遣いが少し砕けてきたりして、それが何だか嬉しくもあった。





——三井さん。

どちらかと言えば、適当っていうか……ザ・男≠チて感じの印象だけど、よく笑うし、実はとても優しい。

一緒に食事をしたとき、涙を流して大笑いしてた人。眉間に皺を寄せた顔以外の彼を見れたことが、なんだか不思議で。私も会ってまだ二回目の異性だというのに随分と砕けてしまった気がする。もしかしたら、女将さんがそういう風にし向けたのかも知れないけど。でも——嫌じゃなかったのは、どうしてだろう。

「わんわん!」

足下にあの日の子犬が元気にまとわりつく。名前を迷って、たくさん候補を出して私は結局、この子にフランソワ≠ニ、命名した。


私がフランソワを連れて、獣医さんにワクチンを打ってもらいに行く予定だった日、三井さんから久しぶりに連絡が入った。

それを伝えると、送迎してやると申し出てくれた三井さんに私は素直に応じた。一緒に命を救った場面にいた三井さんにもフランソワを見せてあげたかったからだ。

そんな私の想いを悟したのかは不明だが「俺にもフランソワ見せろよ」なんて届いたメッセージを見て、思わず笑ってしまう。

送り迎えはもちろん、病院の中まで付き添ってくれた三井さん。結局フランソワは、すっかり三井さんに懐いてしまって膝の上から離れようとしなかった。私は思わずフランソワに、ぶつくさ文句を垂れる。

「フランソワぁー、君にミルクをカテーテルで飲ませて、離乳食を作って食べさせて、トイレのしつけをして面倒見てるのは、だぁれ?」
「おいおい、嫉妬すんなって」

三井さんは猫なで声で、「なぁ〜、フランソワ」なんて言って隣で笑ってる。

「どうして笑うかなー?ほんとにお母さんは私なのに」

尚も不貞腐れてそう返す私に「フランソワ、焼き餅焼いてんぞ。おまえの飼い主」と軽口を叩き、フランソワの頭を大きな手で優し気に撫でた。

「つか、フランソワって。お前センスねえよな」
「え!なんで?可愛いじゃん」
「だってよ、フランソワって……」
「えー、フランソワって顔なんだけどなぁ」
「……だな。言われてみりゃフランソワに見えてきたわ」

三井さんは「お前はフランソワだもんなー」とか言って赤ちゃんをあやすみたいにフランソワを低い高さで高い高いしてみせる。それを見て私も、自然と頬が緩んでしまうのだった。


そんな日々の中で、気付けば三井さんと過ごすことが多くなっていった。

今では三井さんは私のことを「名前」と呼び捨てで呼ぶ。私は未だに「三井さん」だけど。

お互いに好きだとか、付き合うとか、そういうことも言ってはいなくて。ただよく一緒にいる、そんな感じに近かった。でも、私はそれだけでよかった。この穏やかな日々が、ただただ続けばいいなと、願っていた。

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