恋時雨(1/7)
※堕胎・避妊具無し等の過激な表現が含まれるため閲覧注意
引き出しを開ければ、投函することのできない封筒がひっそりと納められている。私の心のポストに投函されている手紙たち。あなたには、届くことのない手紙。
言えなかった1000の言葉を遥かな君の背中に送るよ、翼に変えて。
聞こえてる?1000の言葉は。傷ついた、君の背中に寄り添い、今も遠く離れた空の下から抱きしめてるよ——。
*
「名字さん、東京支店からお電話です」
私はパソコンを打ちながら、回してくださいと告げる。デスクに乗っている社内の電話がプルルルと鳴ると私は忙しなく叩いていたキーボードを打つ手を止めて、その電話を取った。
「はい、お電話変わりました。……ええ、その件でしたら先日そちらの方へメールと書面でご連絡差し上げましたが——」
台北支店に転勤になってもうすぐ一年になる。仕事にも言葉にも慣れてきて、毎日忙しい日々を送っていた。
システム手帳を開けばそこには幸せそうに笑い合う私とあなたが居る。あれはそう、中学時代の友人、彩子からの一本の電話が始まりだった。
『名前?アンタ今日、忙しい?』
「何?仕事中だよー。しかも師走!!」
大学を卒業してからメーカーに就職した。バイヤーの仕事に就いた私は毎日忙しい日々を送っていた。その夜、彩子の半ば強引な誘いに仕方なく待ち合わせ場所へと向かった。なんだかやたらと騒がしいな。到着した先では、もはやお店の外にまで声が漏れてる始末。私はとりあえずその店のドアを開ける。
……え。な、なに、これ。酔っぱらいの集団?あ、わたし、場所……間違えちゃったかな。私はそーっと開けた扉を閉めた。そしてもう一回店の外の看板を確認する。いや、間違ってないよね?てか、彩子はいったいどこに行ったんだろうか。私は店の前でしばらく考え込んでいた。
「名前っ! もう来てたの〜?」
振り向くとはたしてそこに彩子が笑って立っていた。
元からさっきみたいな雰囲気が苦手な私には、とても考えられないあの光景。私は少し憤慨して彩子に詰めよる。
「ねえ……てか、なに?これ。」
「あ、やっぱり怒った?ごめんね〜」
とりあえず話を聞くとどうやら彩子の高校時代の同級生がプロのバスケットボール選手でしかも日本代表にも選ばれたメンバーで?んで、今日は忘年会で女の子を連れて来いってことになって、私に電話したって……。たしかに彩子とは成人式後からまた繋がるようになってよくランチしたり連絡も取ったりしてたけど。だからって急にこんな……てか、で?どこに、その日本代表とやらがいるわけ?さっき一瞬映った私の目にはどう見てもパリピなメンツしかいなかったけど。しかも、忘年会って。年末までまるまる四週間は残ってるっての。
「アンタは興味ないだろうから知らないかもしれないけど、横浜ヴォルターズっていうね……」
——と、彩子は何やら長々と説明してくれた。もともとスポーツとかにはあまり興味がなかった私。今の仕事に就いてからは、テレビをゆっくり見る時間もないので急にスポーツ選手ですと言われたところで、そういった情報には少々疎かった私からすれば「誰ですか?」状態なわけで……。
「とりあえず入りましょ!」
彩子は渋る私の手を引っ張ってずんずん中へと入ってしまった。
「彩ちゃん! あ、彼女が友達?」
「そうよ、名字名前ちゃんでーす!」
「でーす!」って、彩子アンタねえ……ったくもう、高校生じゃないんだからさ。私は、ふぅと一つ溜め息を吐いてから襟を正す気持ちで背筋を伸ばした。
「はじめまして、名字名前と申します」
って。それでもきちんとお辞儀をして挨拶してしまうこの性格。きっと職業柄だな、たぶん。
そしたら「堅いこと言いこなし!」って彩子を含め周りの男性たちにばんばん肩を叩かれるわ、ぶんぶん手を振り回されて、しまいにはこの猿の惑星みたいな連中から握手を求められるわで……ああ、私が苦手な世界がいま、目の前に広がっている……。
チラ、とあたりを見渡せば、他の女の子は結構露出した服装で私だけがかっちりとしたスーツ。しゃーなし、だって会社帰りだもん。ま、あの手の服は持ってないし。そもそもあーいうタイプの服は着ないけどさ。
それにしても。私の頭が固いのかやっぱりどうもこういう空気は好きになれなかった。仕事柄、人に合わせることはできるから、それなりにしていたけど。正直言えば家に帰りたい。いやむしろ仕事しているほうがまだいいかも知れない。私は外の空気を吸いに行こうと、そっとお店を出た。
「……くうぅん」
不意に鳴き声が聞こえた。目をこらすと路地の隙間に小さな段ボールがある。気になってあけてみたら、中には小さな子犬が一頭いた。おそらく室内犬のミックスだろうということはわかった。顔自体は、シーズーで小降り。自分の実家で犬を飼っていただけにわかってしまった。
「捨てられちゃったの?困ったねぇ。君これじゃまだご飯もまとも食べれらないでしょー?」
そんな猫なで声が自然と出てしまう。おそらく離乳前に捨てられたのだろう。放っておけば確実に死んじゃうな、この子犬……。
「——仕方ない、ウチにおいで。そのまえに獣医さんのとこ行こうねっ」
そう犬に話しかけて、私は段ボールを抱えた。
「連れて帰んのか?」
その声に私は驚いて振り向いた。たしかさっき店の中にいたような気がするんだけど。えーっと名前は……名前、誰だっけな。この目つきの悪さだけは覚えてたけど。
「はい。この子離乳前みたいで、寒いしこのままじゃ死んじゃうから」
その人は「ん?」と言いながら無遠慮にも私の抱える段ボールの中を覗き込んで来た。
「うぉ! すっげ小せぇ。」
「でしょ?とりあえず、獣医さん連れて行かないと……」
「——じゃ、ちょっと待ってろ」
彼はそう言い置いてからまた店の中へと入っていった。すぐにもう一人の男性と一緒に出てきてその彼も私の抱える箱の中を覗きこむ。
「わー。こんなちっせえのに何てことすんだろうなァ。ひっでぇと思わねぇ?ね、三井サン。」
彼がさっきの男性に向かってそう言った。そこでこの人が��三井さん�≠ニいうことを理解した。二人のやり取りでもう一人の男性が��宮城さん�≠ニいうことも分かった。私はさっきお店でされたみんなからの自己紹介を全然聞いてなかったんだなと改めて反省する。桜木って赤い坊主頭の人はインパクトあったから覚えたんだけどなあ……。全然ハズレだった、顔も名前も全く一致しなかったわ。でも、もう大丈夫。三井さんに宮城さん。しっかり覚えましたよーってね。
宮城さんは犬を飼っているらしく、すぐに知り合いの獣医さんを紹介してくれた。私はそのままタクシーに乗って、紹介してくれた動物病院まで向かい健康診断をしてミルクとほ乳瓶、念のため注射ポンプとカテーテルをもらった。ところが、ここに来て気がついた。帰りのタクシーがないってことに。しかも今は、十二月。タクシー会社はどこも大忙しだろう。さてどうやって帰ろうか。そう、このツメの甘さが私なのだ。威張って言うことでもないけど。
途方に暮れている私の目の前にタクシーが止まった。後部座席から「乗れよ」と声がする。戸惑っている間もなくドアが開いて不思議そうに中をのぞき込むと——たしか、みや……じゃなくて。三井さん、だっけ?そうだ、三井さんの方だっ!私、全然覚えてないじゃんと心の中で突っ込みを入れる。まあ、とにかくその人が居た。
「帰り、どうすんのかと思って、こっちに回ってもらったんだよ」
そう言って、勝ち気な笑顔で笑ってみせる彼。おかげで路頭に迷うこともなく家までたどり着くことが出来た。
タクシーの中で三井さんとすこし話していて、意外と近所に住んでいることもわかった。
「じゃあ、これ……タクシー代です」
三井さんにお金を差し出すが、彼はそれを受け取らなかった。でも、私としても甘えっぱなしは嫌だったので下心とか全くなしで淡々と言った。
「じゃあ、今度お礼させてください」
正直、本当に深い意味はなく、ただ対等でいたかったというのがこのときの本音だ。彼の連絡先を聞いたとき、何故か驚いた様子でぽかんとしていた三井さん。それでも慌てて携帯を取り出す仕種が日本代表とはいえ何だか滑稽だった。そして私は三井さんの乗るタクシーを見送った。