恋時雨(2/7)


 年の瀬よりもすこし早めに開かれた、チームの忘年会の日。彩子が、一人の女性を連れてきた。きちんとスーツを着こなしためちゃくちゃ真面目そうな女。それが俺の第一印象だった。
 他のチームメイトや友人らは酔っぱらって彼女の背中をばんばん叩くが彼女はそつなくかわして笑っていた。いい意味で、人のあしらいが上手いっつうか。そんな彼女を俺はしばらく見ていた。たしかに行動はそつなくて、きちんと挨拶もして酒もあまり飲まなくて、たばこも吸っていない。やっぱ、すげえ真面目なんだろうな。そんなことを思っていたら、不意に彼女が人目を忍んで店の外へと出て行く。ん……?どこ行くんだ?単純にそう思って、なぜか俺は彼女の後を追った。ふと見ると彼女が座り込んでいる。その手には小さな子犬。捨て犬か?って思いながらも俺は少し離れたところから、その光景を眺めていた。
 優しげな横顔。声を掛けながら子犬を撫でている。へえ……さっきとは全く違う顔じゃねーか。もはや、別人だな。

「ウチにおいで。その前に獣医さんいこうねっ」

 そう言って立ち上がる彼女に、思わず俺は声をかけた。獣医と聞いて咄嗟に宮城を思い出し俺は店の中に奴を呼びに戻った。宮城は自分の飼っている犬の獣医に連絡を取り彼女は犬を抱えてそのままタクシーに乗った。
 宮城と一緒にそれを見送って宮城はすぐに店の中に戻って行ったけど俺はその場でしばらく考えていた。え?つか、帰りどうするんだ?って。
 そのあともやっぱり気になって店に戻り宮城に動物病院の住所を聞き、俺もそそくさとその場を退散してタクシーに乗り込む。どうせ帰るついでだしって、そんな軽い気持ちで。案の定タクシーは引き払っていて、彼女が段ボールを抱えたまま突っ立っていた。俺が彼女に同乗するように言いそのまま彼女を送っていった。意外と近所だったのには驚いた。
 降りたとき彼女はタクシー代を払うと言うし、でもやっぱり俺にもこういう場面ではなけなしのプライドはあるわけで。問答の末「じゃあ、今度お礼させてください」と顔色ひとつ変えずに業務連絡みたいに言った彼女にとりあえず電話番号とIDを教えた。

 ——名字名前。まじめな奴だよな。わざわざ礼なんて、べつにいいのによ。


 *


 それからしばらくして、彼女からメッセージが入る。絵文字も使わない。白黒の、きちんとした文章と文節。ものすごくまじめな……ってか堅すぎじゃね?いくらなんでも。まじ業務連絡みてぇだわ。俺ンとこのチームの連絡ですらもっとフランクだってのに。こんなところに性格が出るよななんて俺は思わず吹き出してしまう。
 向こうの休日とたまたま休みが重なった俺は、彼女と会うことにした。待ち合わせ場所に着いたのは約束の時間の五分前。実は遅刻が嫌いな俺。だが到着してぎょっとする。……すでに、来てるじゃねーか。どこまできっちりしてんだコイツ。でも今日の彼女はスーツじゃなくて私服だった。当たり前にあの日とはなんだか感じが違ってて、ちょっといいな、と思ったりした。どうやら俺はギャップに弱いらしい。こんなとこで自分の新たな面に気付くとはな。

「——悪ィ、すこし早めに来たつもりだったんだけどよ……」

 そう言って謝ると彼女は「私もさっき来たところです」なんて言って、へらりと笑った。彼女が連れて行ってくれた店は和食の店だった。どうやら知り合いの店らしく、女将と緩く挨拶なんかを交わしていた。庭の見える六畳ほどの掘りごたつ風の部屋。そこで二人食事をした。驚いたことに話してみると、どんどん印象が変わる。生真面目っつーか凛としているときは何だかいけすかねぇのは変わらないけど案外ツメが甘かったりおっちょこっちょいな面も垣間見れた。どうやら女将が言うには結構いい加減なところもあるらしくすぐ物をその辺において後で慌てるとかなんとか。
 一番おもしろかったのは視力検査の話で「空いているところを言ってください」といわれて表示された文字が��E�≠セったので「上も下も右も空いてます」と言ったらしい。俺が「どういうことだよ、文字は文字として読むだろ普通」って言ったら彼女は「だって上も下も空いてたから」なんて胸を張って言い切る。たしかに……Eの空白は上も下もあいてるけどよ。そんなこと普通言うか?まじ、桜木みてぇなヤツだなって思った。

「だってさ?向いてる方向を言って下さい、ならわかるのに」

 って、まだそんなことを言う。俺が「わーったわーった。空いてたんだもんな」って言えばムキになって「あ!バカにしてる!」なんて無遠慮にも俺を指差して本気で怒る。あとはなんでもないところで転ぶとかぼーっとしてて気づけば深い溝にはまってたとかそんな漫画とかドリフみたいなエピソードが盛りだくさんで、笑っちゃいけないとは思ったが品なく笑ってしまう。つか当人だって「笑わないで!」とか言いながらも笑っちまってるしな。
 その日は普通に楽しかった。名字名前という人の意外な一面が見れた気がする。俺は素直にまた会ってみたいと思った。
 その食事会のあと、俺は彼女と連絡を取り合った。やり取りが増えるにつれてきちんとした言葉遣いが少し砕けてきたりしてそれが何だか嬉しくもあった。


 *


 ——三井さん。どちらかと言えば適当っていうか��ザ・男�≠チて感じの印象だけど、よく笑うし実はとても優しい。
 一緒に食事をしたとき涙を流して大笑いしてた人。眉間に皺を寄せた顔以外の彼を見れたことがなんだか不思議で。私も会ってまだ二回目の異性だというのに、随分と砕けてしまった気がする。もしかしたら、女将さんがそういう風にし向けたのかも知れないけど。でも、嫌じゃなかったのはどうしてだろう。

「わんわん!」

 足下に、あの日の子犬が元気にまとわりつく。名前を迷って、たくさん候補を出して私は結局、この子に��フランソワ�≠ニ、命名した。
 私がフランソワを連れて獣医さんにワクチンを打ってもらいに行く予定だった日、三井さんから久しぶりに連絡が入った。それを伝えると、送迎してやると申し出てくれた三井さんに私は素直に応じた。一緒に命を救った場面にいた三井さんにもフランソワを見せてあげたかったからだ。
 そんな私の想いを悟したのかは不明だが「俺にもフランソワ見せろよ」なんて届いたメッセージを見て思わず笑ってしまう。送り迎えはもちろん病院の中まで付き添ってくれた三井さん。結局フランソワは、すっかり三井さんに懐いてしまって膝の上から離れようとしなかった。私は思わず、フランソワにぶつくさ文句を垂れる。

「フランソワー、君にミルクをカテーテルで飲ませて離乳食を作って食べさせてトイレのしつけをして面倒見てるのは、だぁれ?」
「おいおい、嫉妬すんなって」

 三井さんは猫なで声で「なぁ〜、フランソワ」なんて言って隣で笑ってる。

「どうして笑うかなー? ほんとにお母さんは私なのに」

 尚も不貞腐れてそう返す私に「フランソワ焼き餅焼いてんぞ。おまえの飼い主」と軽口を叩き、フランソワの頭を大きな手で優し気に撫でた。

「つか、フランソワって。お前センスねえよな」
「え!なんで?可愛いじゃん」
「だってよ、フランソワって……」
「えー、フランソワって顔なんだけどなぁ」
「……だな。言われてみりゃフランソワに見えてきたわ」

 三井さんは「お前はフランソワだもんなー」とか言って赤ちゃんをあやすみたいにフランソワを低い高さで高い高いしてみせる。それを見て私も自然と頬が緩んでしまうのだった。
 そんな日々の中で、気付けば三井さんと過ごすことが多くなっていった。今では三井さんは私のことを「名前」と呼び捨てで呼ぶ。私は未だに「三井さん」だけど。
 お互いに好きだとか付き合うとかそういうことも言ってはいなくて。ただよく一緒にいる、そんな感じに近かった。でも私はそれだけでよかった。この穏やかな日々がただただ続けばいいなと願っていた。


 名前と会ってからプライベートでも笑うことが多くなった気がしている。
 はじめの印象とは打って変わって、間の抜けたところとか、物を置き忘れて慌てて探すところ。案外照れ屋でちょっと揶揄って褒めると顔を真っ赤にしてそっぽを向くところ。別の顔を発見するたびに楽しくて、つい誘い出してしまう。
 彼女はどう思って俺と出かけたりしてるんだろうな。そんなことを思うことが最近では多くなった。宮城やチームメイトにも「なんでニヤけてんの?」なんて聞かれちまう始末で、仕事とプライベートはきっちり分けねーとなと自分に喝を入れてみたりする。

「みっちゃん!久しぶりっ」

 美容院からの帰り道、予期せぬ声掛けに思わず振り向くと、そこには昔の彼女……なまえがいた。

「ねえ、何してんの?いまヒマ?」
「あ?……べつに、予定はねーけど」
「あそ? たまには付き合ってよ。ねっ?」

 そう言う彼女に少し嫌な気持ちになりながらもとりあえず食事に行った。嘘を付けない性格が、こういう場面で損をする。「予定がある」「暇じゃねーんだ」そう言ってしまえば回避できるのになかなか出来ない自分がどうも昔から好きになれない。
 それでもこんな俺の性格をあの彼女は、素直でいいと言う。嘘の付けない真っ直ぐな人だよねっていつも褒めてくれるんだよなぁ。ああ、アイツいま何してんだろ。
 彼女と二人で食事をしながら俺からは特に話は振らず一方的にマシンガントークをしている向こうの話ばかり聞き流していた。

「……では、よろしくお願いします。」

 不意に聞き覚えのある声がした。チラと目配せしてみるとまさかのそこには、あの彼女がいた。思わず眉間に皺が寄って、挙動不審みたいに目を泳がせてしまう。だらしなくテーブルに肘をついていたが、自然と背筋を伸ばして落ち着きなく、椅子に深く座り直したりする俺。おそらく取引先の人と一緒だったのだろう。仕事のバッグとパンツスーツ姿だ。俺の異変に目敏く気付いた元カノが彼女の方を見た。

「……え、彼女?」
「友達(ダチ)」

 少し食い気味に言葉を被せる勢いでぴしゃりとそう答える。だってほかに答えようがねえしよ。しかし元カノはおもしろそうに、じーっと彼女を眺めていた。先に、取引先の人らしき人物が店を出て行く。それを待ってから出入口に向かうためか俺の背後から、彼女が歩いて来る気配がする。真横を通り過ぎるときに、さっと顔を伏せよう、そんなことを考えていた刹那、目の前に座る元恋人が、ガタンと椅子から立ち上がった。

「こんばんは!私、なまえって言います。みっちゃ……あ、三井寿の彼女です。よろしく」

 ——と、意気揚々と言い放った彼女の言葉に、一気に身の毛がよだつ 。

「——オ、オイ。 ま、待てよ!」

 そう制止する俺を無視して思わず立ち上がってしまった俺の手を元カノが掴んで握る。俺たちの席で立ち止まったままの彼女はそれでも顔色一つ変えないで「こんばんは」と丁寧に挨拶をした。そして会釈をして、すっとその場を去って行く。慣れた手つきで会計を済ませ彼女が店を出て行く後ろ姿を見送ったあと、俺は声を荒げる。

「バッカじゃねーの!なんでンなこと言うんだよ!?」
「は?みっちゃんこそ、なにムキになってんの?友達なんでしょー?」
「……っ」
「あ!まさか……なに、それとも好きなの?」
「……はぁ?」

 言われてそこで一瞬、俺は考えた。好き?……好き?あ……やべ、好きだわ。俺好きなんだわ、アイツのこと。コイツが余計なことを言ってくれたおかげで、答えが出てしまった。

「ありがとな!!」

 俺はそう言い捨てて「え!ちょっと!」なんて声をあげる彼女を置き去りにし急いで店を出た。


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