名前と会ってからプライベートでも笑うことが多くなった気がしている。

はじめの印象とは打って変わって、間の抜けたところとか、物を置き忘れて慌てて探すところ。案外照れ屋で、ちょっと揶揄って褒めると顔を真っ赤にしてそっぽを向くところ。別の顔を発見するたびに楽しくて、つい……誘い出してしまう。

名前はどう思って俺と出かけたりしてるんだろうな。そんなことを思うことが最近では多くなった。宮城やチームメイトにも「なんでニヤけてんの?」なんて聞かれちまう始末で、仕事とプライベートはきっちり分けねーとな、と自分に喝を入れてみたりする。


「みっちゃん!久しぶりっ」

美容院からの帰り道、予期せぬ声掛けに思わず振り向くと、そこには昔の彼女……なまえがいた。

「ねえ、何してんの?いまヒマ?」
「あ?……別に、予定はねーけど」
「あそ? たまには付き合ってよ。ねっ?」

そう言う彼女に少し嫌な気持ちになりながらも、とりあえず食事に行った。嘘を付けない性格が、こういう場面で損をする。「予定がある」「暇じゃねーんだ」そう言ってしまえば回避できるのに。なかなか出来ない自分が、どうも昔から好きになれない。

それでもこんな俺の性格を名前は、素直でいいと言う。嘘の付けない真っ直ぐな人だよねって、いつも褒めてくれるんだよなぁ。ああ、アイツいま何してんだろ。


彼女と二人で食事をしながら、俺からは特に話は振らず、一方的にマシンガントークをしている向こうの話ばかり聞き流していた。

「……では、よろしくお願いします。」

不意に、聞き覚えのある声がした。チラと目配せしてみると、まさかの、そこには名前がいた。

思わず眉間に皺が寄って、挙動不審みたいに目を泳がせてしまう。だらしなくテーブルに肘をついていたが、自然と背筋を伸ばして落ち着きなく、椅子に深く座り直したりする俺。

おそらく取引先の人と一緒だったのだろう。仕事のバッグとパンツスーツ姿だ。俺の異変に目敏く気付いたなまえが、名前の方を見た。

「……え、彼女?」
友達ダチ

少し食い気味に言葉を被せる勢いでぴしゃりとそう答える。だって、ほかに答えようがねえしよ。しかしなまえは、おもしろそうにじーっと彼女を眺めていた。

先に取引先の人らしき人物が店を出て行く。それを待ってから出入口に向かうためか、俺の背後から名前が歩いて来る気配がする。真横を通り過ぎるときに、さっと顔を伏せよう……そんなことを考えていた刹那、目の前に座る元恋人が、ガタンと椅子から立ち上がった。

「こんばんは!私、なまえって言います。みっちゃ……あ、三井寿の彼女です。よろしく」

——と、意気揚々と言い放った彼女の言葉に一気に身の毛がよだつ 。

「——オ、オイ。 ま、待てよ!」

そう制止する俺を無視して、思わず立ち上がってしまった俺の手を、なまえが掴んで握る。

俺たちの席で立ち止まったままの名前は、それでも顔色ひとつ変えないで「こんばんは」と丁寧に挨拶をした。そして会釈をして、すっとその場を去って行く。

慣れた手つきで会計を済ませ彼女が店を出て行く後ろ姿を見送ったあと、俺は声を荒げる。

「バッカじゃねーの!何でンなこと言うんだよ!?」
「は?みっちゃんこそ何ムキになってんの?友達なんでしょー?」
「……っ」
「あ!まさか……なに、それとも好きなの?」
「……はぁ?」

言われてそこで一瞬、俺は考えた。好き?……好き? あ……やべ、好きだわ。俺好きなんだわ、アイツのこと。なまえが余計なことを言ってくれたおかげで、答えが出てしまった。


「ありがとな!!」

俺はそう言い捨てて「え!ちょっと!」なんて声をあげる彼女を置き去りにし、急いで店を出た。





さっきのは、いったい何だったんだろう?なんかすごい嫌な気分だったな。

三井さんの彼女か……きれいな人だったな。色が白くて整った顔で、手入れの行き届いたきれいな爪。しかもスタイルが良くて……。

取り乱すのが嫌で、咄嗟にあんな態度をとったけど。でも、これが出来ちゃうのが今の私なのだ。もっと取り乱したりしたほうが、女の子は可愛いのかな。昔は出来た。どちらかと言えば、感情をむき出しにしていたほうだと思う。どっちが正解かは、今となればよくわかんないや。

……に、しても。何でこんなに落ち込むの?あー嫌だ、嫌だ。劣等感の固まりみたいに思えてしまう。

そのとき——携帯が鳴った。画面を見ると、相手は彩子だった。私はひとつ溜め息を漏らしてからその着信を取る。

『もしもし? 今どこにいるのよ?』
「え? 家に帰るところだけど」
『アンタ、まだ9時よ……』
「もう9時だよ!」

これがいつもの彩子との会話だ。私は何も知らず緩い世間話をしはじめた彩子に、ついさっき起こった出来事を話してみることにした。言い終えて「話、終わりました」って言ったら彩子が電話の向こうで溜め息を吐いた。

『ふーん、三井先輩に彼女ねぇ……』
「……綺麗な、人だったよ?」
『……ねえ、アンタって今まで誰かと付き合ったことあったかしら?』
「えっ?……ない、けど」
『ええ!?アラサーにもなろうって人がぁ?!』
「だ、だって……」
『まあアンタって何故か昔から男性恐怖症よね』
「すっ、すきな人くらいはいたんだからね?それなりに!」
『はいはい。』

なぜ私が気まずくならねばならないのか謎だったけど、でも彩子の言う通り、アラサーにもなって男性と付き合ったこともないってのは私自身、気にしていないかと言えばそうとも言えない。

『ねえ、アンタ自分の気持ち気づいてる?』
「え……? なにが?」
『アンタは三井先輩に恋してるのよっ』
「——、」

 ……は? 恋、ですか……?
 え。てか、恋って……なんだっけ?


『ほんとアンタって、仕事はできるのに恋愛には全くだめなんだから〜』
「……悪かったね、ダメで」
『好きじゃなかったらそこまで考え込まないわよっ。三井先輩と出会ったときのことから遡って、よ〜く考えてみなさい?』

『じゃーねっ♪』と言って勝手に電話を切られてしまった。向こうから掛けてきたくせして……。


出会ったときからって……出会ったとき……。動物病院までタクシー来てくれた、親切な人。食事のとき笑いまくってた人。歩くときさりげなく、歩幅を合わしてくれる優しい人。

ちょっと強引だけど、すべての優しさがさりげなくて、自然な人。ほっと、させてくれる人——。

「……」

さっきのシーンが浮かんで来て、胸がざわめく。あれ、わたし……もしかして、嫉妬してる——?


 『アンタは三井先輩に恋してるのよっ』


彩子の言葉が心に響いた。彩子……、気付いた。気付いちゃった私。でも——所詮、片思いだし。きれいな人に囲まれている、あんな、煌びやかな世界にいる三井さんが、私を選ぶはずがない。

「……あぁ!もうやだ、こういうの!」

無意識に口に出ていた。そうだ、こういう風に自分をかき回されるのが嫌で、好きとか愛してるとか、そういう感情を持たずにここまできたんだ。でも、どうしてだろう……三井さんに関して言えば、すこし違うような気もする。

気がつけば私はコンビニで買い物をしながらぼーっと未だに考え込んでいた。じーっと新作のプリンを手に取りそのパッケージを凝視したままで。


「……なぁ、プリン一個に何そんな真剣なツラしてんだよ?」

その声に顔を上げると、目の前に三井さんが立っていた。一瞬、自分がどうリアクションするべきか考えて、その場で固まる。

「それ、うめぇの?」
「……へっ? あ、あぁ……た、たぶん」

なんて間の抜けた答え方なんだろう。この人の前ではどうもおかしくなってしまう。

三井さんは私の手からそれを取って、三井さんが持っていたらしいスポーツドリンクと一緒にレジに持って行く。

急いで後を追ってお金を渡そうとすると「いらない」とジェスチャーで返される。レジ前でもめてもなんだしと思って、今回は甘えさせてもらうことにした。


「ほらよ。」

コンビニの外、プリンの入った袋を手渡されて「あ、ありがと」と、お礼を言う。

「あのよ。俺これ飲みてぇから、公園行こうぜ」
「こ、こうえん……?」
「おぅ」

出し抜けにそう言ったかと思えば軽い足取りで先を歩いて行った彼に、とりあえず着いて行く私。公園に辿り着き、ベンチに座りながら三井さんはさっき買ったスポドリを飲んでいる。

「食べねーの?」

三井さんがそう言うから、せっかく買ってもらったしと思い、私は隣でプリンを食べた。三口ほど食べたところで、じっと私を見ていた三井さんが言う。

「ほんと、うまそうに食うよな」

三井さんは何故か笑ってる。そう……かなぁ。えっ、もしかして食べ方、汚かったかな……油断してた?わたし。なんて、そんなことを思ってたら「味見させろ」と一口、私の手から食べた。突然の出来事に、また固まってしまう。


「……甘めぇ。」

固まったままの私を気にもせずに苦り切った顔で感想を述べる三井さん。さも甘そうに言うその顔を見て、甘いもの苦手なのかな、って頭の片隅で思ったりした。

「三井さんだってスポドリ、甘いと思うんですけどね」

軽口を叩いて笑う私を三井さんはまた凝視する。それに気付いて、思わずさっと視線を逸らせば横から、まさかの言葉が飛んで来た。

「じゃ、飲んでみるか?」

……。

な、なんか……。声の感じがいつものそれではない雰囲気にどきっとして、私は小さく手を振りながら「いいです、大丈夫です、間に合ってます」と、矢継ぎ早に言った。

「あ、そ?」

すこし目を細めて笑う三井さん。僅かに吊り上げられた口の端が妙に色っぽくて、どきどきと胸が高鳴る。次の瞬間——私は、三井さんに引き寄せられていて、暖かな感触が唇に触れた。

「……」
「……」

なにが起こったのか把握できず、あわあわ戸惑う私に、もう一度重なる唇。そして、そのまま抱きしめられた。





急いで店を出た俺は、名前を捜した。あ、電話掛けりゃいいか!と思って着信を鳴らしたが、相手は話し中。でも彼女の性格上、あのまま一人で遊びに出かけたりと言うことはないだろうと思った。それに直帰するんだとしたら、さっさと家に戻ってしまうような気もした。

俺は彼女のマンションの方へと足を速める。走ってしまおう、トレーニングがてら一石二鳥だ。

マンション近くのコンビニを通りがかったとき、不意に中に視線を向ければデザートコーナー付近に彼女が居た。俺は息を整えてから店内に入る。ピンポーンピンポーン♪という呼び鈴にも彼女は反応を示さない。俺はスポドリを手に取り背後から彼女のそばに歩いて行く。何……やってんだ?

彼女はデザートコーナーの前で、プリンを片手にじーっとそれを凝視していた。俺はそのまま背後から声を掛ける。

「……なぁ、プリン一個に何そんな真剣なツラしてんだよ?」

顔を上げた彼女は、惚けたような顔をしている。たとえばきっと人間が、宇宙人にでも遭遇したらこんなツラするんだろーなって感じの反応だ。

「それ、うめぇの?」
「……へっ? あ、あぁ……た、たぶん」

間の抜けた答え方に笑いながら、俺はそれを奪い取ってレジへ向かう。追いかけてきた彼女はまた自分の分を払おうとする。ったく、これくらい構わねーってのに。だから俺はいらないとジェスチャーし、さっさと支払いを済ませた。

そしてコンビニの外へ出て彼女を公園に誘い、ベンチに座って俺は買って来たスポドリを飲んだ。名前はさっき買ったプリンを横でおいしそうに食べている。そんなにうめぇのか?その横顔に思わず笑ってしまう。でも。ほんと、うまそ……。

「味見させろ」

そう言って彼女の手からプリンを一口奪い取る。

「……甘めぇ。」
「三井さんだってスポドリ、甘いと思うんですけどね」
「じゃ、飲んでみるか?」

俺が密やかにそう言うと、彼女は顔を赤らめながら小さく手を振り「いいです、大丈夫です、間に合ってます」って早口で言ってた。その姿にたまらず俺は、飲みかけのペットボトルを横に置いて、彼女を抱き寄せる。

——好きだ。気持ちがあふれてくる。俺はそのまま名前の唇に、そっと触れるだけのキスをした。戸惑って慌てふためいている彼女にもう一度。そして、そのまま抱きしめた。


「好きだ。俺と付き合ってくれ」


抱きしめたまま、そうはっきりと伝える。

俺の腕の中、名前を見ると顔から首まで真っ赤になっていて、それが妙に可愛らしくて。あまりに年齢とのギャップがありすぎて笑えてしまうほどに、愛おしい——。

これが本当の名前なんだな、と思った。きまじめで、なんか抜けてて、照れ屋で。


「返事は?」

そう聞く俺に彼女は「あ、あの、でも、さっきのあれは……」と小さな声で戸惑いを露わにする。あ?……あれ?ああ、さっきの……元カノのことか、と思った俺は、さっきあったことを全部、嘘偽りなく話した。

「でも、私なんかじゃなくても綺麗な人はたくさんいるし、私より良い人もいるし……。こんなのじゃなくても……」

ちょっとてんぱっている感じの名前が言う。惚れた弱みとは怖いもんで何だかそれが、めちゃくちゃに可愛らしく見えた。

「こんなのって言い方すんなよ。俺が好きになったヤツなんだぞ」
「……」
「なあ、名前のちゃんとした気持ち、聞かせてくれよ」
「——、」





……三井さんが私を好きだと言ってくれた。つきあって、って……。誰のこと?って思ったけど、ここには私しか居ないし。でもさっきの女の人が脳裏をよぎる。

それを思い切って口にすれば、三井さんはさっきのことは誤解だと、ちゃんと嘘偽りなく説明してくれた。改めて考えてみる自分の気持ち。私も、好きになってた。三井さんのこと。

「恋してるんだよ」っていう彩子の言葉が浮かぶ。……いいのかな、言っても。

私の顔を見つめる、いつになく優しい三井さんの瞳がいつからか大好きになっていた。さりげない気遣いがうれしかった。

これは私にとって初めての冒険にも値することだった。まじめにきちんと曲がることなく……そうしてきた。高校時代はこう見えても今とは真逆の人種で。でも、進路を考えるようになって、それではダメだと気付いたときから真面目に、必死に生きてきたのだ。

色んなことをごちゃごちゃと考えれば、戸惑いもあったけれど、私は素直な気持ちを、三井さんに告げた。


「私も……」
「……」
「わたし、三井さんが好き。」

三井さんはその言葉に嬉しそうに目を細めて綺麗に微笑み、私もそんな三井さんを真っ直ぐに見つめ返して強く抱きしめ合った。


「大好き……。」

彼の腕の中、溢れ出る想いが自然と言葉になって私の口から零れ落ちた。







私に人生初の彼氏ができて数ヵ月。相変わらず彼とは健全な・・・お付き合いをさせていただいている。大きな変化と言えば、彼のことを三井さん≠ナはなく寿くん≠ニ呼び始めたこと。

そんな五月が目前に迫った今日は久しぶりに彩子とランチの予定を立てていた。彩子と別れたら、彼へのバースデープレゼントを選びに行こうかなとも思っていた私だったが、そんな私の思いを知らない彩子が帰り際、出し抜けに言う。


「ねえ。いいこと考えたんだけど、私」

……大抵、こんなときの彼女はろくなことを言わない。それは、中学時代もそうだった。だから私は返事よりも先に渋い顔を彼女に返す。

「名前、三井先輩とまだして≠ネいでしょ?」

思わず段差の無いアスファルトの上でずっこけそうになった。彩子をギロリと睨みつける私をスルーして彩子は続ける。

「やっぱりねぇ。歳食ってバージンだとそうなるわよねぇ」

……歳食って、って。あのね、人をなんだと思ってるんだ、この子は。

「天然記念物♡」
「うっ、うるさいっ!!」

彩子は隣でカラカラと笑う。ほんと昔から彼女はこういうことですぐ揶揄うんだから。

「いっそ、三井先輩の誕生日にでも……」
「ねえ! 高校生みたいなこと言わないでよ!」
「照れちゃって、可愛い♡でもあの三井先輩も、よく我慢してるわねぇ」
「……っ」
「立派、立派!一応アンタがバージンだってことは知ってるけどね、あの人も」
「彩子!!」
「だってぇー、言っててあげなきゃずっとお預けくらってて可哀想じゃないのよ」

……彩子、あんたって人は。妙なところで変な親切心遣いやがって……。確かに、そんな雰囲気になったことはあったけど、うまくそらしたというか何というか。


「……可哀想な三井先輩。好きな女の子がこんな態度じゃあねぇ〜」
「ぐっ……」

言いたいことを散々言って彩子は帰って行った。彼とデートだとか言って。そう言えば、彩子の彼氏が宮城さんだと寿くんから聞いたのも、つい最近の話だったなぁと思い出す。高校時代から宮城さんの方が彩子を好きだったって……なんだよ、自分だって長年お預け食らわせてたくせしてよく言うわ!

去り行く彼女の凛とした後ろ姿を見ながら、でもあんな風に生きられて、正直うらやましいと思うときもある。だからずっと、友達で居られるんだとも思うし。彼女を尊敬しているから。私のかちかちの頭を柔らかくしてくれるのは決まって彩子なのだ。

よし、誕プレはまた今度。改めて出直そう。そう思って地下鉄の駅へ向かう。そのとき突如、携帯が鳴った。見れば『着信:寿くん』と表示されている。

「もしもーし?」
『おっ! よぉ、名前か?』
「うん、はい」
『なあ、いま何してんだ?』
「いま?え、地下鉄に乗ろうかと……」
『道路の向かい側、見てみ?』

言われるがまま視線を道路へと向けた。そこには見覚えのある車。運転席から寿くんが電話を耳に当てたまま手を挙げていた。私は急いで信号を渡り車に駆け寄ると、寿くんが身を乗り出して助手席のドアを開けてくれる。


「どうしたの? 偶然?」

私は車に乗り込みシートベルトをしながら、そう問う。

「あ? 彩子が教えてくれたんだよ。一緒にいるってな」
「あ、そうだったんだ」
「俺も予定早く終わったしデートでもすっかなーって思ってよ」

……彩子。ちょっとうれしい。しばらく忙しくてちゃんとしたデートなんてしてなかったから。えー、なにあの子、気が効くじゃんか。


そしてそのまま食事をしてから、寿くんの家に行った。私からバッグを受け取り所定の場所に置く。私がいつもその辺に、ぽんと置いておく癖があるからだと思うけど。

私がキッチンでコーヒーを入れるのも最近は習慣になっていて、寿くんはにこにこしながらそれを見ている。まるで、おやつを待つ子供みたいに。でもどちらかと言えばフランソワに似ている気がする。こういうときの彼って、なんか犬っぽい。ブンブン振ってる尻尾が見えそうだもの。

ソファに並んで座ることも当たり前になっていた。でも、今日は……彩子が余計なことを言うもんだから、さっきからずっとそのことが頭の中をぐるぐる回っている。


「名前?なんかあったか」
「へ?」
「ずっと、一人で百面相してるぜ」
「い、いや。何でもない……です」

そう言って私は、テレビに視線を戻す。しばらく視線を感じていたけれど、彼がちょっとだけ更にこちらに距離を詰めたとき、心臓がひくっとなった。そして密やかに彼が囁く。

「名前……」

その声がちゃんと聞こえていた私が横を振り向くと寿くんがそっと私の頬に手を添えてきた。そのままいつもの優しいキスをお見舞いされる。

……ん?……んん!!?

ゆっくりとソファに押し倒される。キスもどんどんと深くなっていって……待って!!私にも心の準備ってのが……あるの、に……っ!!


名前をソファにゆっくりと押し倒していく。

『あの子、男を知らないから大事にしてくださいねっ』

って、彩子に聞いたときには正直びっくりした。生真面目もそこまで行くか?とも思ったけど、俺が初めてなんて最高じゃねーか!と心の中でガッツポーズをしたのは記憶に新しい。

つか、身体……がっちがちだしな。別にとって食うわけじゃねーのに。実は何度かこういう機会は今までもあったけど、適当にかわされたりして、急に「あっ!あれ、どこやったっけ!?」とか言って雰囲気をぶち壊しやがるし。んで必死になって探したらとんでもないとこから出て来たりよ。

……でも。今日はもう、だめだわ。
タイムアップ、ゲームセットだ。さって、覚悟しとけよ……名前。

流れに身を委ねながらも、なにか言いたげな彼女に何も言わせないようキスをした。俺の腕をつかんでいる指先が震えてる。耳元で彼女に思いを伝えて、瞳を閉じた名前をそのままお姫様抱っこの要領で横抱きに抱き上げて寝室に運んだ。


身体を重ねて、また違う名前に会えた。生真面目で仕事熱心で、そのくせ少し……てか、かなり抜けてて優しくて。照れ屋で、そんなお前のなにもかもを、俺は全部知りたい。

お前が思うもの、感じるもの、全部……俺に教えてくれ。俺もすべてを、お前に見せていくから。





朝、隣で眠る名前が愛しくて俺はじっと息を潜め、その寝顔を見ていた。彼女が目を覚まし、俺を視界に入れると、小さく笑う。

「はよ。」
「うん、おはよ」
「起きるか?仕事だろ?」
「……!! そうだ!」

思わず飛び起きて自分が裸だってことにようやく気付いたらしい名前。今度はあたふたと服を探しはじめる。……ったく、ちゃんと枕元に置いてんじゃねーかよ。それに十分余裕もって起こしてるっつの。今から自分ち帰っても間に合うぜ、この時間なら。

「時計見ろよ」と促せば時間を確認した彼女の、あからさまに心の底からホッと安心した姿がなんだか滑稽だった。それから互いに着替えをすませて、一緒に朝食をとった。

「全部持ったのか?荷物」
「うん、忘れ物はないと思う」

そう胸を張って言い切る彼女に「忘れ物」と囁いて、俺は軽くキスを落とした。昨日あんな恥ずかしいことしたってのに途端に赤くなる彼女を愛しいと思う。


彼女をマンションまで送って俺は自宅に戻る。昨日までの愛しさとまた違う形の愛しさが生まれてる。——離したくない、そんな独占欲まで感じてしまう。あーあ、困ったな。





寿くんのマンションから自宅に戻ると玄関で怒りを訴えるフランソワがいた。ずっとキャンキャン鳴いている。

「ごめんごめん、寂しかったでしょ?ご飯食べた?」

仕事で遅くなることも多い私は自動で時間になるとフードが出てくるフードセーバーを使っていたからそこまで心配はしていなかったけど、さすがに寂しかったんだろう。その日フランソワは会社へ行くまで私にまとわりついていた。ああ、可愛い。

スーツに着替えてるとき、身体のあちこちに付いた赤い印を見てハッとする。でもそれが、確実に夢ではなかったと昨日のことを実感させてくれたのだ。

「……」

……あぁ、切り替え、切り替え!私は、身支度を整えて、フランソワに「いってきます!」と元気よく言ってから会社へと向かった。


それからしばらくして、寿くんと私は一緒に住み始めることにした。寿くんのマンションの方が、明らかにセキュリティ万全だし、利便性も高かったので私のマンションを引き払い、フランソワを連れて彼の家へと転がり込むようなかたちにはなってしまったけれど。

彩子が引っ越しの手伝いに来てくれたとき言っていた。「生真面目な名前の大冒険ね!」って。

たしかに前の私からは到底考えられないことだ。それでも幸せで楽しい毎日。お互い忙しくても、同じ空間を共用していることの安心感があったから。

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