愛の言葉はむずかしくて(5/5)


初めて記憶のないままに朝チュンを迎えた私は、学習したと思っていた。もう同じ轍は踏まないと。だから朝チュンはなかった、今回は。土曜日で仕事が休みではあるが寝ていたのは自分の部屋のベッドだったし、何かいたしてしまった痕跡もなければ、隣に誰かが寝ているわけでもない。

下着姿なのが気にかかるが、寝ている間に脱いでしまったのだろう、大丈夫よくあることだ。それよりも私が頭を抱えていることは。いや抱えたくないのに大人しく床に正座している理由は——。


『今日のゲストは〜横浜アルビレックスの三井寿選手でぇ〜す』

深夜枠で放送されているバスケットボールの番組の再放送が点けっぱなしになっていたテレビから流れてきたからだ。

バスケットボールに詳しいお笑い芸人と各チームにいるチアリーダーにでもいそうなほどの美貌の司会者の隣にスマートな佇まいで立っている——炎の男、三井寿の姿。

『いやぁ〜。お久しぶりです、三井選手』
『どーも、お久しぶりです』
『え、なんか含みがありますね、どういうことですかぁ?』
『だって俺二ヵ月前に三井選手と飯食ったもん』
『えー、いいですねえ。さて!今回はそんな三井選手のプライベートに密着しました!』
『よろしくお願いします』
『まずはこちらの映像からどうぞ。13時のヒーローたちっ!』

メディアに露出している三井寿や流川楓をあえて見ないようにと過ごしていたのはひとえに、彼らのプライベートには全く興味がなかったからだ。プレーをする彼らが好きだった。本当に憧れだった。そんな私の目に、いま偶然にもこうしてテレビを通して彼が出て来たということに、さすがに偶然ではないのだろうなと頭の隅で考える。

この人が私と連絡を取ったり気に掛けてくれたり一緒に食事に行ったり......一夜を共にしたなんて考えられない。自分が不憫になってくる。

偶然じゃない、わかってる。神様が……身の程を知れって怒っているんだ、きっと。

『普段はどんな格好をしているんですか?』
『え、もうめっちゃ楽な格好すよ』
『ジャージですか?』
『いや、TPOに応じてそれなりに……』

私はすぐにテレビを消して、またベッドに潜り込み目を閉じた。自然と溢れ出て来る涙は怒りか、悲しみか、後悔か、戸惑いか——虚しさか。


何時間そうして眠ったかはわからない。ただ次に目をあけたとき私のベッドの横にはあぐらを掻いたノブがいて、私は驚いて勢いよく飛び起きた。

突然——勝手に上がり込んできたであろうノブ。当然の如く、正座で向き合う二人の間には沈黙が流れている。これこそまさにお見合い、だ。

「……お前さ、正直ヤッたの?三井さんと」
「……」
「……」
「……黙秘権を行使します」

三井さんとのことをノブにはどうしても言い出せなかった。相手が相手なだけに牧さんにも話せなくて。誰にも相談できなくて。そんな恋は初めてで、苦しかった——。え……?恋?

「……」
「あーあ、だからかー。最近牧さんの機嫌がすっげェ悪かったの。お前謝れ!八つ当たりされてた俺に!」
「なんでよ!むしろノブが三井さんと私を置いていったりするからじゃんっ!女になれば神さんが振り向いてくれるっていったのもノブだし!」
「言ってねェよ!子どもだっつっただけだろ!?てかそこは本気にとるなよ!!牧さんには言うんじゃねーぞ絶対!!」
「え! てか牧さんも知ってんの……!?」
「たぶん最初に気づいたの牧さんだろ。んでもって神さんも知ってんじゃねーの?神さんも何だかんだお前に対しては過保護だし」
「な、なんてこった……!!」

まるでプライバシーがないと床に額を擦り付けて悶える。だれか守ってくれ、私のプライバシー。

「……真面目な話、お前はどう思ってンだ?」
「……どう、って……三井さんのこと?」
「他にいねェだろ……俺と同じ職業っつったってあの三井寿だぞ?MVPとか、他にも賞を何冠も取ってるという、Bリーグ界の期待の星」
「……」
「お前とは住む世界がちがうって」

ハッキリとそう言われてしまうと、さすがに傷つく。いや知ってたけど。そんなの私が一番わかってたけど。

「それは、わたしも思う。…………でも、」
「でも?」
「変だと、思うけど……もちろん混乱はしてるんだけど、さ……いやだ、とは思わなかったんだよねぇ……」
「……なにが」
「好きだ——、って言われた」
「え"っ…………」
「ねぇノブ、」
「……ん?」
「……わたし、新しい恋、できるかなぁ」

顔を赤らめた私にノブが少し戸惑いを見せたあと「それが答えだろ」と呆れ口調で言う。

「……まぁ万一、三井さんとケッコンすることになったとしてだ」
「結婚!?早い早い、まずはその……お付き合いとかさ?」
「どっちでもいいわ。とりあえず、後悔はしないんじゃねーの?あの人、ああ見えて真面目だし」
「えぇ?だってノブが言ったんだよ?スケコマシらしいって」
「え、言ったっけ?俺そんなこと」
「言ったー!!結構前だけど」
「あー、そういうネタ?なんだよあの人は。界隈じゃみんなそうやってイジってっから。ププッ」

首を傾げる私にノブも同じく首を傾げるが、「え、あれ嘘だったの?」と訊けば「真に受けてたのかよ」と、やれやれと言わんばかりに、抑揚つけて溜め息を吐いたノブ。

「——で、どうするんだよ?神さんは諦めるってことでいいんだよな?」
「……う、うん……三井さんとお付き合いするってなったら、もちろんそれは」
「三井さんなら多少は信用してやってもいいかもな。付き合ったからってすぐに結婚するわけじゃねェし、お前が無理だと思ったらその時点で別れることになるだろうし」
「……」
「俺から差し向けといてアレだけど……お前にデメリットはない、正直。それくらいしっかりした相手との付き合いの方がお前には合ってるんじゃねェかとも思う」
「……」
「三井さんは変な真似しねェ多分。真面目にちゃんと将来とか考えて付き合ってくれると思うぜ」
「……」

私はほっとして小さく溜め息を吐く。それを見ていたノブが不服そうに「なんだよ?」と言う。

「よかった……私、ノブがそんなふうに励ましてくれるなんて思ってなかったから」
「へっ?」
「だから、どうしても言い出せなくて。ごめん」
「なんでだよ?」
「ん?なんんとなく……軽蔑される気がしてさ」

ノブはいつも通りオバーリアクションで前のめりになって「軽蔑ぅ?」と言う。

「だって憧れのスポーツ選手と関係もったりとかそういうのって……馬鹿みたいでしょ?自分でも馬鹿だと思うもん」

気まずそうにモジモジして言う私にノブは無言だったけど、ややあって抑揚つけて「はぁ〜あ!」と溜め息を吐くと、いつもの調子で言った。

「何言ってんだよ、たしかに三井さんはBリーグじゃナンバーワン人気だけど、そんなの関係なくお前はあの人に惚れちまったって話だろ?」
「——、」

関係……なく?そうなのかな……私にとって三井さんはやっぱり横浜アルビレックスの三井寿だよ。切り離してなんて考えたことなんてない。

神さんみたいに、一人の男としてどうかと言われると……どうなんだろうか。

「俺はミーハー的に一回記念でヤッとこうみたいな女は確かに嫌いだけど——つっても仕掛けたの俺なんだけど」
「……っ」
「あの日、三井さんの隣に座ったお前と三井さんが握手したときの——」
「……」
「お前のあの、真っ直ぐで純粋な目を見て、軽蔑なんてしたりしねーよ」
「……」
「三井さんだって、あんな素直に幸せって顔されたら嬉しいと思うんじゃねーかなぁ知らんけど。とにかく、だから頑張れ!」

んん……と思い悩む私を無視してノブは「やっぱ本命は流川じゃなくて三井寿だったんだろ?ええ?ほれほれ」とか野ザルみたいなふざけた顔をして肘で突いてくるが今はフルシカトしておく。

「なんか、都合よすぎる気が……」
「あ?……まあ、身元もはっきりしてるし、どこの馬の骨だって話でもねェからいーんじゃね?」
「……」

——だから家族は作りたくない。

神さんの言葉を反芻する。きっと彼とは一緒になれない、私が傍にいたっていなくたって神さんの生活は何ら変わることもない。

「ノブ、わたし……、」



—


気合いを入れて一生足を踏み入れることはないと思っていたエントランスをくぐり抜ける。建物の中だと言うのに中央部が吹き抜けとなっているビルは圧迫感を感じさせない。むしろ見上げれば僅かに陽の光が差し込み来客者を爽やかにさせる。

今の私にはその高級な造りに、ただただ怯えを感じるばかりだが。勢いでここまで来たのはいいもののこれからのことを全く考えていなかった。とりあえずノブに言われた通りに三井さんを呼び出そうと教育が行き渡っていると一目で分かる受付嬢のところによろよろと年寄りのごとく近寄る。

「あ、あの……」
「はい、こんにちは。ご用件を承ります」
「その……あの、三井さん……あ、えっと三井寿さんに、会い、……えっと、お会い、したい、のです……が……」
「……失礼ですが、三井寿の担当者にアポイントメントはおとりでしょうか?」
「あ、あぽいんとめんと……!?と、とってないです……」
「申し訳ございませんが、アポイントメントをお取りでないお客様はまたご連絡をいただきお越し下さいますようお願いいたします」
「で、ですよね……!」

鉄壁の笑顔と、正論の前に完敗である。基本的なことも忘れていて恥ずかしい……!と顔が火照りぐぉおと両手で押さえる。

……ごめんなさいお姉さん。お仕事の邪魔して。でも不審者じゃないんです、少し待って?顔の熱が引くまで待って……!でもどうやって三井さんに連絡をとろうかと、そのまま頭を抱えたとき。


———たーんたったたーんたらん!

「!!……あ、ノブかあ。……もしもーしノブ?三井さんに会えないじゃん」
『はっ?今日は午前で終わるから外で待ってりゃ会えんじゃね?って適当に言ったの真に受けたのかよ!?』
「えー?わたし受付の綺麗なお姉さんに三井さんいますかって言っちゃったよ?」
「はっ!?バッカ野郎!おまえ、誰がこの世の中にチームの事務所の真正面から入って行く馬鹿がいんだよ!』
「ええ?……あ、待ってノブ』

スマホに表示された名前を見て、あっと思った。そうじゃん連絡先知ってたじゃん、むしろ何回も連絡したし、わざわざここに来る必要なかった。

『ノブ、三井さんからキャッチ入った。またね」
『あっ、オイ——ちょ、待て……』

ノブからの尋問でよほど混乱していたらしい。最初に思いつくはずの連絡手段がすっぽーんと頭から抜けていてさすがに自分の残念さに項垂れる。

「……はい、もしもし?三井さん?」
『……ん?元気ねえな、どうした?』
「いえ、自分のアホさ加減に呆れていたというかなんというか……」
『……あ?いつものことだろ、気にすんな』
「いつものこと!?ちょ、そんなさらっとディスらないでくださいよ!」
『別にディスったわけじゃねェけど……つかいま電話大丈夫か?』
「…………、大丈夫ですけど」
『……なんだよ、騒がしいな。外にいんのか?』
「あー......実はいま、三井さんのチームの会社のエントランスに……」
『はぁ!?ちょ、待ってろすぐ行く、絶対に動くなよ!』

———ぷつっ ツー、ツー、ツー ……

「えぇ……」

動くなって、ここから動くなってこと?一歩も?でも、さっきから受付のお姉さんからの、視線が痛いんですけど……ちょっと端の方に移動しちゃダメかな、別にそれくらいならいいよね。

一応、へらりと笑ってお姉さんに会釈をし、他の人の邪魔にならないように端へ——

「名前っ!」
「え、はっや!え、三井さん早くない……!?」
「動くなっつっただろ!何で移動しようとしてんだ!」
「エッほんとに一歩も動くなって意味だったの?だ、だって邪魔になるじゃないですかぁ……」
「お前が気にすることじゃねェ、また居なくなられた方が面倒だっての」

え、気にすることですけど!!むしろ当事者めっちゃ気になる!なんなら今も周囲の視線がっちり掴んでめっちゃいたい!!

「それよりどうしたよ?おまえがここに来るなんて。清田からここに居るって聞いたのか?」
「や、その……三井さんとお話しがしたかったんですけど、その……連絡先入ってたの忘れてて」
「はぁ?………忘れるか?普通」
「そ、それだけテンパってたんですって……!そ、それで!三井さんの都合がいい時に少しお話ししたいんですけど……!」
「あァー、なら行くか」
「えっ、い、いま!?」

三井さんは「そっ、いま」と当たり前かのように言い放つ。自分のスマホをポケットから取り出して誰かにメッセージを打ったのか、はたまたスケジュールを確認したのか、まあどっちかはわからないけれど、またすぐにスマホをポケットにしまった。

「面倒はチームメイトに押しつ……任せてきた。しばらく俺がいなくても問題ねえ」
「え、いま押しつけてって……」
「ほら、行くぞ」
「アッ!?ちょ、み、三井さん……! す、すみません、お騒がせしました!ちょ、三井さん引っぱらないでくださいってばー!!」

美人な受付のお姉さんは、ぽかーんとしても美人でした。あ、ひがみじゃないよ?ほんとに美人。


せっかくのいい天気だからと、近くの店でタピオカティーをテイクアウトして公園のベンチに向かった。週末の昼時の時間とはずれたみたいで、わずかに子供や散歩をしている人がいるものの賑やかというわけでもない丁度いい空間。

何と話しかければいいのかカップを握りしめて、ぐるぐる目を回している私の手からカップが落ちて被害を被る前に三井さんは私から「落とすぞ」と言ってそっとカップを抜き取ってから呟いた。

「……怒ってんのか?」

そう言ったあと普通に私のカップに口をつける三井さんに驚く。さらっとやるのね、間接キス…!なのに「甘めぇ」とか言って苦い顔するし。

「お、おこる……?いえべつに。ただですね私、大変申し上げにくいのですが昨夜の返事をしていないような気がしてですね……」
「あ?返事?」
「その……好きだ、って告白の返事…………」
「……告白なんて、してねーけどオレ」
「へ。」
「俺はただお前が好きだって言っただけだ。神を好きなの知ってたのに言っちまって怒ってっかなーと思ってよ」
「……」

そりゃ牧さんも心配するわ。ノブも無断であがってくるわ。みんな私に頭抱えるわ!!わたしだって頭抱えたいよ、自分を殴りつけてやりたいよ!そうだよ、付き合ってくれと言われたわけじゃないのに……三井さん巻き込まれ事故じゃん!恥ずかしい!

「ああ、なるほどですね、うんうん。あ、あの、それならあの、私はこれで……」

顔から火というよりも、血でも拭きそうなほどに恥ずかしくて、私はさっさとその場から立ち去りたかった。……ので、勢いよくベンチから腰をあげ、回れ右で三井さんに背中を向けて歩き出したとき、三井さんの「おれは——」という低い声が背中を撫でて、思わず足がぴたっと止まる。

「三井寿。横浜アルビレックスの現役選手で清田はチームメイトだ。二年後の、オリンピックにも出れるように、いま必死に頑張ってる」
「……はい?」

まさかの自己紹介がはじまり振り返った私は目をぱちぱちと瞬かせて戸惑う。

「ちゃんと名乗ってなかったからな。俺はこれからもお前に隠し事はしねえし、裏切ったりもしねえし嘘もつかねえ」
「は、はぁ……」
「それを知った上で考えてくれよ、俺と付き合えるかどうかを」
「……ちょ……っと整理させてください?あの、昨日、三井さんの大切な友人に悪ノリで酔っ払った私がくだを巻いて、んで帰りに三井さんと埠頭にドライブに……」
「俺だとだめか?」
「……えぇっ?」
「俺じゃお前に、愛されねえのかよ」

何を言われているのか、理解が出来ない。
だってそれじゃ、まるで——。

「俺はお前が、名前のことが好きだ。お前の事情も気持ちも知ってる。……同情とか、そんな軽い気持ちじゃねえ」
「……」
「好きだから、知らない間に他の奴にとられたくねェと思った」

だから、昨日気持ちを伝えた。野放しにすんのは危険だっていう思いももちろんある。でもそれ以上に誰か他の奴にとられたくなかった。と、そう言った三井さん。

「お前は、俺のことが嫌いか?」
「……いやっ、嫌いなわけじゃ、ないん……ですけど、ただ私……何年も前から神さん以外の人と付き合ったりとか本気で考えたり……ううん、想像できたこと、なくて……」

——諦めたい、だれか別の人に恋したい。そう思ったことは何度もあったけれど、じゃあどんな人と付き合って、どんな風に過ごすのか、具体的にイメージなんて出来なかった。そんな状態で三井さんと付き合うのは三井さんに失礼な気がして。

「なら俺がその、初めてになればいい。神とだって付き合ってねーんだし。これから俺と想像じゃなく、実際に体験していけばいいじゃねーか」
「三井さんを……本気で好きになるか分からないのに?」
「そこは俺が努力するところだろ。お前の気持ちが俺に向かねぇのなら、それは俺の力不足だ」
「……三井さんの力不足とかはないです。でも、私ほんとに神さん一筋だったので彼女らしくとか女の子らしくとか、そんなこと分かりませんし」
「……」
「でも……いやだって思わなかったんです。相手が三井さんだってこと」
「……」
「三井さんの気が変わったらすぐに言ってくださいね!」
「——なら、商談成立だな」

三井さんの声が少し嬉しそうなのは気のせいか、私はぴょんっと勢いをつけて立ち上がって、三井さんに手を伸ばした。

「不束者ですが!よろしくお願いします……!」
「……おぅ、よろしくな。」

これが——恋かどうかはわからないけれど。私はたしかに一歩踏み出した。やっと、踏み出せた。



—


そのまま三井さんとは公園で別れることにし、なんとなくノブにトークアプリで三井さんと付き合うことになったと送ったらすぐに電話がかかってきた。

なぜかその日の晩にノブと飲む流れとなり、私は適当に買い物などをして夕方すぎ、ノブたちといつも行く飲み屋へと向かった。「あと五分で開きますので」と店員に言われて外でぼけっと突っ立って開店待ちをしていたら「何やってるんだ?」と背後から声を掛けられて心底びっくりする。

「ぎゃっ!び、びっくりしたぁっ……!牧さん」
「お前、後ろから見たら完全に不審者だったぞ」
「えっ?そう?てかなにしてんですか?牧さん」
「清田に呼ばれた。きょうは非番だったからな、先に一杯ひっかけようかと」
「えー、牧さんが飲むなんて珍しいね」

そうこうしているうちにお店が開店時間となり、牧さんと一緒に中に入ってノブには悪いがさっさと二人で一足先に乾杯した。酔っぱらってしまう前に牧さんに三井さんと付き合ったことを報告すると以外にも牧さんは「そうか納得いってるならいいんじゃないか」とあっさりした反応だった。

「で、三井と婚約するのか?」
「早いってば!まだお付き合いした段階です!」
「そうだったな。悪い、揶揄ってみた」
「でも有名人に引っかかって馬鹿やってるって思って心配してくれてたんですよね?本当、ごめんなさい」
「まぁ、それはもういい。俺たちはお前の保護者だからな。過保護が過ぎただけだ」
「でも、まだ結婚するって決まったわけじゃないから!そこだけ勘違いしないように!」
「長く続けばいずれはそうなるだろ、というか、何だか顔が赤いが……大丈夫か?」

何やら含みのある笑みでこちらを見てくる牧さんの顔がこれだけ腹立たしく思えたことはない。なんだよ、そんなに赤くなるのはおかしいことか。

だって仕方ないではないか、ずっと神さん一筋で浮気もせず愛だの恋だの真っ最中だったけれど当事者になったことは一度もなくて、ここまで清く正しく(学生時代はそれなりに遊んだけれども)生きてきたのに、一夜の過ちをおかしてしまった相手が、しかも推しが知らないうちに恋人になるなんて……!

「俺は、おまえと神がいずれは結婚するものだと思ってたんだがなぁ……」
「だ・か・ら!!まだ結婚するって決まったわけじゃないし!」
「じゃあお前は、三井のことが嫌いなのか?」
「それはっ……!好き、だけどっ、でもそういう好きとか、今はまだよく分かんなくてっ」
「そういうけどな、名字……大学時代に告白してきた相手に手を握られただけで蹴りあげただろ、アソコを」

あー。そういえばそんなこともあった気がする。でもあれは、友だちだと思ってたのに告白されてそのときに何故か手を握られて、鳥肌がぶわっと立ってつい足が出た、気がしないでも、ない。

「お前は好きか嫌いか極端だからなぁ……すこしでも無理だと思ったら、そうしていただろ」
「え、三井さんのアソコを蹴り上げてたって?」
「ああ」
「……」

むっすりと黙り込んだ私に、牧さんもそれ以上は何も言わずに、ただぽんと私の頭に手を置いた。

「……ん?」
「うまくいくといいな、三井と」
「……うん」





—


牧さんとノブと飲み会をしてから二週間後。私は三井さんといつもの居酒屋でデートをしていた。ここ二週間は三井さんも忙しすぎて迎えも一旦中断していたし、こうしてゆっくりと食事をするのも久しぶりだ。いつものように三井さんが容赦なく注文するのももう無我の境地で気にしないことにした。

「最近なんか忙しくてよ。こうしてゆっくり会えなかったけど、変わったことはなかったか?」
「私は何も!三井さんも忙しかったんですね」
「なんで俺だけ忙しいのか謎だけどな。清田とか暇してんだろ?まあ、元気そうでよかったわ」
「うん、げんきげんき!……………あ」
「あ?……どうした?やっぱ何かあったのか」

自分から「あ」と言いながらも、この先を言おうかどうしようか考えあぐねる。本当にたいしたことでもないし、言ったら言ったで無駄に三井さんの負担が増えるのではなかろうかと思い悩む、が隠していても、三井さんにはいつか必ずバレそうなので言ってしまうことにしよう。

「あー、別に大したことじゃないんですけどね?三井さんSNSやってます?どういった流れか三井さんと別れろとDMで脅迫されました」
「…………あぁ゛!?」
「ひっ。み、三井さん顔!顔!何人も殺したような顔してる……!」
「…………いつだよ、それ」
「えーっと……三日前の昼休み頃でしたかね。美女でしたけど、写真は。なかなかにヒステリーなお方でしたね、文章の感じが」
「大丈夫だったのかよ?」
「もちろん!無視しました。今の時代は怖いですからね、一応ノブに見せてみたらブースターでも知らん顔って言ってましたし、安定のシカトぶっこきました」
「そか………名前」
「ん?はい?」
「……俺もいつでもすぐ動けるとは言えねぇけど何かあれば頼ってくれ。まして俺のせいでお前に危害が加えられるのは見過ごせねェし」
「でも……ほんとに大したことはなかったし……なんなら今の今まで忘れてました」

こちとら何だか仕事がぱたぱたしていて悩む間もなかったのは事実だしSNSでの脅迫のことを忘れていたのも事実だ。冗談抜きに忙しかった。ほんとに忙しかった。

「清田とか牧とは相変わらず会ってんのか?」
「えっと……神さんたちも忙しかったみたいで」
「……神?」
「あ!ごめんなさい、なんか三人セットみたいな感じだからつい、先に名前が……」
「……いいぜ、続けろよ。聞く。」
「……はい、」

小規模とは言え、交通事故が多発していたこの二週間。それによる負傷者やらなんやらで牧さんと神さんは忙しそうにしていた。特に神さん。救急外来の当直になることが多いし。

一日目の予定されていた午後のオペが終わるなり急患の受け入れ、二日目も朝からオペ続き、夜になってやっと受け入れも落ち着き容態が悪化した患者もおらず、三日目の午前やっと気を抜けると思ったら大規模火災の発生。しかも運び込まれてきたのはこの三日間で一番の重傷患者二名。牧さんの話によれば神さんは病院の宿直室で寝泊まりしているとか言うから一回だけ、ほんと一回だけお弁当を持って行った。食べたかは不明だけど。

たしかに久しぶりに見た神さんのギラリとした目が忘れられない。いつものような私に向ける視線ではなかった、確実に。それもそのはず、神経も体力も消耗しているはずで、最も休みを必要としているのだろうから。そんな濃い二週間を過ごせば、どこぞのアンチなんて、記憶の彼方である。むしろよくぞ思い出したと自分を褒め讃えたい。

「……終わりか?」
「はい、という話を牧さんから聞いたのは一昨日です、一緒にお昼を食べにいったときに」
「……」

なぜか訪れる沈黙。え?専門的すぎた?いや、これでも噛み砕いて説明したつもり……あれ?ど、どうしよう……なにこの不穏な空気。

「神には——言ったのか、俺とのこと」
「あっ、それがまだ……なんか言える雰囲気じゃなくて」
「……だろうな。弁当渡す余裕はあっても、話すタイミングはつかめねェってか」
「……」
「……あっ、わりィ……深い意味はねェ」
「ううん、三井さんが100%正しいので」

またも訪れる沈黙。それでもなぜか、同じタイミングで自分の杯(今日は私もノンアル)を呷った私たちは思わず目を合わせる。三井さんは眉間に皺を寄せて目を伏せると「さっきの気にすんな、言うのはお前のタイミングでいい」と囁いた。

「そのメールよこした奴も、お前が気にしてねえならいい。けど、次からは連絡しろよ」
「はい。……あの、わたし……」
「……ん?」
「神さんには、ちゃんと伝えますので」
「……ああ、わかってるよ」
「で……あの、一つお願いが、」
「あ……?なに」
「おっと食い気味。あ、その、嫌なら嫌って言ってもらいたいんですけど……」
「……だから、なんだよ?」

嫌なことをお願いされるのかと少し警戒しているふうな三井さん。黙りこくった三井さんの向かいに座っていた私は徐に立ち上がり三井さんの隣に膝立ちになる。そのまま頭を抱えてウンウン唸っていたが、両手をぱちんと合わせて合掌し「失礼します」と三井さんの膝に膝をかけた。

「なっ……!?」
「よいしょっと………あー、この安定感……落ち着く」
「名前、」
「ちょっと、癒してください」

三井さんの膝の上に乗り上げてすっぽりと自分から腕の中におさまり、三井さんの胸に頬ずりする私。どうやら私もだいぶ疲れてネジがとんでいるらしい。

「……これが、癒されんのか?」
「癒されます。このビクともしない安定の筋肉。それに三井さんの匂い。ああ、ここが天国か」
「………。名前」

そっと名前を支えていた腕を抱きしめるように回してみる。そうしたら彼女は嬉しそうに俺の腕の中で笑うのだから、期待したっておかしいことではない。

「名前……。実際お前は俺のこと……、」
「……」
「どう、思って」
「……ぐー」
「…………………チッ、だよな。」

思わず舌打ちだって出てしまう状況。そうだと思った、そんなことだろうと思っていた。だがしかし、この期待をどうしてくれるのかと頭を捻る。

「……ったく。寝てんじゃねーよ」
「……っ」

俺の腕の中で安心したように眠る彼女の鼻を摘んで俺はため息を吐いた。ああでも——今この場に元湘北メンツがいなくてよかった。いたらきっとゆるんだ口元をからかわれてしまうだろうから。

だって仕方がないことだろ。たしかに疲れているようではあったけど、今日の彼女は酒を飲んでいない。それでもこうして自分に甘えてきたということは少なからず——


「自分に期待する事で、初めて物事は可能になるって、マイケルジョーダンも言ってたしな」


俺は名前に
好意を寄せられているという事なのだろうから。









 くだらない 幸福 に溺れてみたい



(……むにゃむにゃ、みつい、さん……)
(……ふはっ、すっげ間抜けヅラ)


※『 最後の優しさ/JAY'ED 』を題材に。


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