相も変わらず本日も早起きして寒い中、必死に布団から出てマフラーに手袋、コートをしっかり身に纏い職場へと向かう、メリークリスマス!が目の前に迫った今日このごろ。
 そうだ、明日はクリスマス。ということは今日は言わずもがなクリスマス・イヴなのだ。
 そうか、今年もまたクリぼっちがやってきてしまったのかと思いながら職場までのこの道を通うのも、もう何年目になるだろうか。


「——で?名前は今年も告白できずにアローンクリスマスって感じ?」
「アーロン言うなっ!もうほっといてよ!いいのわたしはっ!一人が好きなのっ!」

 仕事終わりに数ヶ月もの間、両片思いをしてたらしい同じ会社の同期と付き合うことになった友人のなまえちゃん。幸せオーラむんむんなまま、その言葉の通りアローンな私にそう言い放つ。
 てか、何なんだ両片思いって。両思いでいいじゃん。誰だ、こんな言葉を世に放出した輩は。しかもアーロンクリスマスとかバカにするわりには自分だってアーロンクリスマス・イヴだろうが!

「もう二年経ったのにね。まだ踏ん切りつかないわけ?」

 なまえちゃんにそう言われるのも仕方がない。実は二年前、久しく彼氏になりそうだった相手と、それこそ周りからは両片思いだとか言われてたのに、何故かぽっと出の可愛いサンリオキャラクターみたいな子と出会った途端、二日でカップル成立した彼のことを今でも引きづっているのは事実。しかし引きづっているのは彼のことではなくて、その出会って二日で付き合ったという何ともスムーズすぎる流れに対してだ。
 とは言っても私は負けたのだ。その、出会って二日のサンリオキャラクター系女子に。
 私がもっと可愛くて明るくて積極的な子だったら、自信も今よりは持てたのかもしれないけど。でももういいんだ、終わった話なんだから。

「ここは明日も営業してますので、よかったら顔出してよ」

「明日は野間たちも来るって言ってたしな」と、二杯目のお酒を手渡して来たこの居酒屋の店主、水戸洋平(以下、洋平さん)がいつも通りの爽やかな口ぶりで言う。ああ、今日も眩しいよあなたの営業スマイルは。

「なんかさぁ、わたし去年もここでクリスマスを祝った気が……あれは夢だったのかなぁ」
「アーロンクリスマスよりはいーだろ?」
「洋平さんさァ、そこはっきり言わないでよね」

 とほほ、だよ。とほほ。とほほ以外の言葉もないわ、毎年同じパターンすぎて。
 この居酒屋は在学中にバイトでお世話になっていた関係で晴れて社会人になった今でも行きつけの飲み屋となっている。その頃から洋平さんが店を切り盛りしていて、さっき名前が上がった野間さん含む彼の知り合いとも今では顔見知りだ。

「それにしても名前ちゃん、彼氏いなくて何年経ったんだ?」

 洋平さんがタバコに火をつけながら問う。昔は決まってセブンスターを吸っていた彼も最近では体を気にしはじめたのか、はたまた親友のバスケット選手、桜木花道選手のためなのか、タールをぐんと下げたマイセンなんかを吸っている。例えタールを落としたからと言って電子タバコが主流の現代に紙タバコに拘るのは彼のポリシーなのかもしれないな。まぁ似合うから無問題モーマンタイだけど。
 
「えーっと……」

 言いながら指を折って数えてみた。いち、に、さん…いやいやまさかそんなはずはない。と、もう一度イチから指を折ってみたが何度試しても同じ数になってしまうのだから自分でも驚愕する。
 
「……ロク、年? え、六年だって。」
 
 あははと笑って誤魔化したけど待ってましたと言わんばかりになまえちゃんが「さっすが!」と手を叩いて大喜びする。
 彼女の肩を少し強めに弾けば、わざとらしく「痛い!」と言ってよろけるフリをする彼女に溜め息を吐く。そんなコントみたいなことをしている私たちを洋平さんは呆れた顔をして眉毛を下げて眺めていた。
 
「そうかー。モテそうなのになー」
「あ!それ私の十八番おはこ!」
「あっちゃー、バレたか」
 
 私と洋平さんの会話を聞いていた彼女が「なに何どういう意味?」としっかり聞き返してくる。
 そう、昔ここでアルバイトをしていた頃、よく男性客との会話に困ったときや面倒くさくなったときなんかに決まって私が相手に言っていた台詞だ。これを言えば大抵の男性陣は喜んで自分の自慢話なんかをしだすし、はじめの頃こそ私だって言う相手を選んでいたものだがいつしか私の中でとりあえず男性にはこれを言っておけばいいだろう精神が芽生えて誰彼構わずこの台詞を口にしてその場を乗り切っていたものだ。
 そんな過去の話を説明すれば馬鹿にされるかと思いきや意外にもなまえちゃんが「ああー」と神妙な面持ちで私を凝視する。
 
「名前、アンタさーそりゃあ男も出来んわけだ」
「え?どういう意味?」
「だってそれってさーキャバ嬢みたいじゃない?せっかく居酒屋でバイトしてたってそんなんじゃ小さな出会いも見逃すよ?」
 
 ごもっともだ。返す言葉もない。その証拠に洋平さんも「さすが、長年のダチだな」なんて言って参ったって感じで感心してた。いや、感心してないでだったら洋平さんが誰か紹介してよ、と言いそうになった口を噤む。何度も過去に言った台詞だからだ。そして実際に誰かを紹介された経験もゼロ。だから言わない。悲しくなるから。
 そのときテーブル席のお客さんから注文が入り洋平さんがカウンターを出て席に向かう。それを目の端で確認したなまえちゃんが、すかさず耳打ちをしてきた。
 
「ね、彼はどーなの?めっちゃ男前じゃない?」
「え?彼って、洋平さん?あー......」
 
 ないない。だって、私なんかには高嶺の花すぎるし。確かにめちゃくちゃ男前だと思うし性格も完璧だ。だけどバイトをしていたときからの知り合いで、あの頃から一緒にいた時間が長すぎて今更そういう目で彼を見れないのも事実。しかも、多分だけど長く付き合っている彼女がいる気がする。プライベートこそあまり表に出さないけど、何となくそう思っていた。昔からずっと。だから恋愛対象に見れない。いや見ないようにしてた。
 
「なまえちゃんも知ってるでしょ?昔から。洋平さんと私は絶対にないってば」
「ダメか。いや、さ?時間が経ってから芽生えるものもあるじゃない?世の中にはたくさん」
 
 時間が経ってから芽生えるものねえ。確かに、あるんだろうけど……でも、洋平さんとは絶対にないと思う。だって、洋平さん気づいてるもん、私が本当に想いを寄せている相手のこと——。
 
「あ、ほら来た!」
「!」

 なまえちゃんが突然入り口のドアの方を見ながら私の肩を叩いた。ガラガラーと開け放たれたドア。一気に居酒屋の中の空気がガラリと変わり、その人が入って来たのがわかる。俗に言うオーラというやつだ。ああ、もう嫌。私はたったそれだけの事で心臓が死にそうなのに。
 そう、彼はそれほどの人なのだ。けれどそんな私の心情に勘付いているのはさっきも言った通り洋平さんだけだと思うんだよね。

「お、名前。いたのかよ」
「うん、いたよ」
「あっ!お前いるなら持ってくりゃよかったな。こないだ言った、もう着なくなったスウェット」

 易々と私の名を呼び私に着古したスウェットを持ってくればよかったと話している彼は、今ではちょっと社会現象になりつつある男女共に大人気のバスケットボール選手、三井寿だ。
 今日は久しぶりに会った。彼は「こないだ」なんて軽々しく言ったけど私が部屋着が欲しいとぼやいたときに、もう着なくなったのがある、今度持ってくるな!と彼から言われたのはもう三ヶ月も前の話になる。

「……あ、ああ。うん。あ、ありがとう」
「今週で神奈川おわりなんだよ。会えてよかったぜ」

 ばっちりお礼の言葉を噛んだ私に、三井さんは優しい声色で笑ってそんなことを言う。
 今週で神奈川おわりって……またすぐに戻ってくるくせに、まったく大袈裟なんだから。しかも「会えてよかったぜ」なんてよくもまぁそう簡単に口に出せるもんだなと、もはや感心すらする。

「おお!お前も来てたのか、久しぶりだな」
「はい!アーロンな彼女の愚痴を聞きに!」
「アーロン?あ!つか聞いたぜ、水戸から。お前男出来たんだってな?よかったなァ」
「そうなんですよぉ!これでようやく、アーロンクリスマスから解放されます!」
 
 しれっとカウンター席の私の隣の椅子を引き、ドカンと座ったかと思いきや私を飛び越えてなまえちゃんと会話を弾ませる三井さん。
 そんな浮かれた雰囲気の二人に私は少なからず居心地の悪さを感じてしまう。…てかさ、じゃあなまえちゃんの隣に行ったらいいのに。

「あ。これやるよ、死ぬほど不味いガム。」

 と、三井さんは私に食べかけのガムの包み紙、残り四つくらい入っているそれを手渡して来て、やっぱり無自覚にキラキラオーラを放ちながら「水戸、ビール!」と声を張って注文する。まず開けかけのを渡すな。しかも不味いやつなんてくれるなっつの。せめて美味しかったやつにして。
 そんなことは伴わず、お客さんがコソコソと「あれ三井選手じゃない?」とか言ってる声が背後から聞こえてくるけど当の本人は、まるで気にしていないって様子だ。しかも「あ、便所行ってこよ」とか、わざわざ口に出して席を立ち颯爽とトイレに向かって消えていった。

「数少ないチャンスなんだから……ね?当たって砕けてみなさいよ」

 どんな場所でも絶大な人気を誇る彼に溜め息をつく私になまえちゃんが呆れたように耳打ちしてきて私はハッとし、彼女を見やる。
 
「え……?な、なに?なに言ってんの?」
「えー?だって名前、好きなんでしょ?」
 
 時間が止まるとは、まさにこのことだろう。
 私は目を瞬かせて彼女を凝視していた。それなのになまえちゃんは自分のお酒を飲みながら「バレバレだから」とか何とか楽しそうに言う。

「はい!?だから私はずっと二年前の彼のこと」
「それがフェイクだって知らないとでも思ってたの?そもそも、あのときそういう空気にならないように必死だったくせして」

 げっ……うそ、全部バレてんだけど。
 そうだ、確かに二年前にサンリオ彼女を手にした彼と出会ったのはこの居酒屋だった。その時にもちろん側になまえちゃんもいた。あと——三井さんも。
 だけどあの日は三井さんが初めて異性を連れて来た日だった、この居酒屋に。それが彼女なのか何なのか私にはわからなくて。けれど、ひどくショックだったことだけはしっかりと覚えている。
 二人と洋平さんの会話を盗み聞きしてたらどうやら洋平さんも相手の女性を知ってる風で、高校時代の知り合いみたいだった。
 でも三井さんは、慣れた感じで「あやこ」とか呼ぶし、もうなんか悲しいんだか何だかよくわからなくなって結構のアルコールを注入した。そして周りの煽りと酒の力でその彼と俗に言ういい感じ≠ノなって、連絡先を交換して……

「サンリオ彼女が出来た時悲しいふりしてホッとしてたの分かってるんだからねー?」

 そりゃそうか。私の演技なんて彼女からしたらお見通しなのだろうから。うっすらと記憶の中で帰り道に彼女に泣きついたことは覚えているし、朝までハシゴして付き合ってもらって彼女の家で潰れて寝てしまって迷惑かけたような気もするし「三井さんが好きなのに」とか、どっかのタイミングで悪酔いした私が言っていても不思議じゃない。てか絶対言ったんだろうな、好きだって。

 彼女に限らず洋平さんにもよく言われた。私は好きな人に冷たくする傾向があるって。それじゃいつまで経っても好きな人には振り向いてもらえないよ、って。
 好きな人以外と接してる私はとても魅力的だと洋平さんから言われたとき気づいたのだ、だから私は好きになった人と付き合ったことがないんだろうな、って。冷たくしてるつもりはないのに。

「来年は海外かも知れないよ?このまま会えなくなっても後悔しない?」
「……そ、それは……」
「もう何年そうやってグジグジしてるつもり?」
「はい、ごもっともです……」

 言葉の通り、もっともだ。でもあんな人気者に私が相手をしてもらえるとは思えない。むしろ、私なんかが三井さんと実はこうして飲み屋で知り合って今では友達のような関係性だなんて本気の三井寿ファンが知ったら、その女子たちに殺されそうだ。

「今更——素直になるなんて、出来ないよ」

 そんなに重い雰囲気で言ったつもりはなかったのに意外と声が低かったからか一瞬その場がしんみりした。それを感じ取ったなまえちゃんがふぅと息を吐き私の肩をポンポンと叩いてくれた。きっと、慰めてくれたのだろうと思う。

「まあ、明日もここ来ればいいじゃん。名前には一番しっくりくるクリスマスでしょ?」
「はは、だね。」

 しっくり、か……。あーあ、とは言え……私は今年も一人で悲しいクリスマスって事で決定かぁと、少し肩を落とした。



 ——数時間後、なまえちゃんが彼氏から呼び出しを食らい、るんるん気分で居酒屋を去って行った。私と同じアーロンクリスマス・イヴだと思っていたけれど、やっぱり彼女は正真正銘、今では歴とした彼氏持ちなのだ。
 私も陰で言われてみたい「ああ、あの子カレシ持ちだもんねー!」って。
 そんなことを悶々と考えながら一人寂しくお酒をちびちび飲んでいたら、知らない内に他の卓でワイワイ客と騒いでいた三井さんが戻ってきた。
 
「あ? 帰ったのか?お友達は」
「うん。彼氏に呼ばれてね」

 そりゃあ今日はクリスマスイヴだもんねー!と付け加えて言ったけど何か嫌味っぽく聞こえちゃったかな?でも実際には羨ましいと思ってるんだからいっか。いちいちそんなこと三井さんが気にするとも思えないし、と思い悩むのをやめた。
 そのときガラガラーと居酒屋のドアが開く。見れば入って来たのは最近よくここに通いはじめたサラリーマンだった。確か年齢も近かったはず。

「あれー?名前ちゃんじゃん!え、隣座っていい?」
「いらっしゃーい、空いてるからどーぞ。今日は帰り遅いんすねー」

 私が答える前に、カウンターに戻って来た洋平さんが営業スマイルでお客さんにそう言う。私の逆隣には三井さんがまだ座っている。何か気まずい。しかし、隣の椅子に腰を下ろした彼がお酒や料理を注文したあと緩く会話を振ってきたので、意識を三井さんではなく、彼のほうへと向けた。
 
「予定あるんだと思ってたよ、今日イヴでしょ」
「そうですね、さっきまで友達とここで飲んでたんですけど……彼氏に呼び出し食らって帰っちゃいました」
「そっかー、じゃあ何かラッキーだなぁ」
 
 ラッキーだな=c…多分、これに深い意味はない。社交辞令の一環なんだろうと軽く愛想笑いを返し、その場をやり過ごす。ちょうど逆隣に座っていた三井さんがお代わりを注文したので私も続けてお代わりのレモンサワーを頼んだらすぐに洋平さんが準備してくれた。それを何故か、三井さんが受け取り無言で渡された。少し不審に思いながらも軽くペコっと頭を下げる。

「最近はいつもこの時間ですか?終わるの」
「ううん、今日は家族サービスしたい奴らの皺寄せで、ちょっと遅くなった感じかな」
「それ、次回も頼まれるやつですね、きっと」
「そうなんだよね〜。独り身は損だよ、ほんと」

 しばらくそんな感じで三井さん——じゃない、逆隣の彼と会話をしていて、その間、三井さんはずっと無言だった。気を遣ったのかもだけど。
 もうそろそろネタも切れそうというタイミングで彼が「俺もクリスマスに彼女いたらなー」なんて言うので、キタ!と思ってすかさず返した。
 
「えー、でも絶対モテますよね?」

 ……よし、これで当分は自分自慢か過去の本当か嘘か定かではないモテ歴史を語りだすだろう。
 ああ、苦痛だった……深く知りもしない相手とダラダラ語るのがどうも苦手だし、ちょっとめんどくさかったから助かった。
 私の予想通り、彼は過去にどれだけモテたとか元カノが何たらかんたらと誇らしげに語っていたので、あとはこれに対して、たまーに相槌を打ったりしてやり過ごせば満足した彼がお会計して帰る、とう流れになるだろう。
 案の定、彼は好きなだけ自分自慢をしてご機嫌な様子で会計を済ませて帰って行った。


「名前ちゃん、お代わりは?」
「あ、うん。いただこっかなー、同じので」
「はいよー」
「あ!洋平さん、店閉め作業手伝うからね!」
「お!助かります」

 時刻は九時を回ったところだった。平日、しかもイヴということもあり居酒屋にいたお客さんも私と三井さんを抜かせば残り一組となっていた。
 三井さんはこうして私がバイトを辞めてお客さん側になったときから気づけばいつも隣に座っていたりする。最近出会ったわけでもないので隣同士に並んで座っていてもこんな風に無言の時間が流れたりもする。別にそれが嫌な空気感じゃないから助かってるけど。
 私はふとスマホを開きSNSや未確認のメッセージを確認し始めた。なんとなく視線を感じて横を見れば、頬杖をついて私を眺めていたらしい三井さんとバッチリ目があう。
 
「ん? なに?」
「いや?えー絶対モテますよねぇ?≠チてか」

 三井さんはわざと私の声真似を誇張して披露しニヤッと口角を吊り上げる。私は、ちょっとだけむすっとして「だってめんどくさいんだもん」と言い、またスマホに意識を戻した。
 チラと目の端でまた確認してみれば三井さんは未だ頬杖をついたまま長い指でグラスの中の氷をカラカラと回して弄んでいた。こんな行為も彼がやると行儀が悪く見えないのだから不思議だ。
 
「そんな浅い台詞を野郎に投げかけてよ、本気にされたらどーすんだ、責任とれんのか?」
「はぁ?本気? 責任って?」
「はぁーあ、これだから鈍感女は困っちまうぜ」

 突然どうしたのかと思わず言葉に詰まる。そんな彼を訝しげに見返してみれば彼は至って冷静でいつものように無表情の中にも不機嫌を醸し出すように眉間に少しだけ皺を寄せて私を一瞥するがすぐに正面に視線を戻してから言った。

「お前はめんどくせーからって理由で言ってんだろうけどな、側から見たらただの人たらしだぜ」
「別に、そういう意図で言ってるわけじゃ……」
「じゃあ——俺と付き合ってみますか?って言い返されたらお前どーすんだよ。付き合うのか?」
「……ないでしょ、ないよ。ないない」
「ふーん。だからお前は一生アーロンなんだよ」

 その投げやりな言葉にむすっとして「ちょっと」と反論しようとした瞬間にガタン!と三井さんが席を立ったので言いかけた言葉を飲み込んでしまった。彼はすぐに「水戸、お勘定」と言って冷めた雰囲気のまま支払いを済ませ私に挨拶もなしにお店を出て行った。ドアを少し強めにバン!と閉めて行ったのを見る限り大層、ご立腹だったのだろうことを察する。

「はぁ……?なにあれー。感じわるー」

 プンスカ膨れる私を見ていた洋平さんが「男心のわかんないお姫様だな」なんて揶揄ってくるから「意味わかんないし」と自称、可愛くない代表の私はそう言い返して、手に持っていたグラスの杯を一気に煽ってやった。





 ——翌日。ドラマみたいな奇跡なんてひとつも起こらないまま迎えたクリスマス当日の午後五時過ぎ。
 今日こそは残業したくないと定時で会社を出た夕暮れ時。あと数十分もしたら真っ暗になるんだよね、まったく……冬は怖い。

 ここ近年のクリスマスは無理矢理のロマンチックがそこら中に溢れかえっていて息が詰まりそうになる。それは私が若い頃と違って拗らせてしまったからそう思うのかも知れないけれど。
 そう、ドラマじゃないから私が丁度よく歩道橋の上で沈みゆく夕陽を見ながら物思いにふける、なんてこ洒落た真似もできないので通い慣れた道をただひたすらに自分のつま先を一心に見つめながら歩くだけ。別にいつもと変わらない光景だ。
 クリスマス?なんだそれ、おいしいの?笑っちゃうよ。だいたいここは、日本なんですよ。全然キリスト教徒じゃないんですよー、ってね。

「……」

 虚しい。小言しか出てこないや。気づけば日が沈み切っていつの間にか辺りが真っ暗になったことに気づく。もう溜め息をつく気にもならない。

「……六年、かぁ」

 早いなぁ、季節は……丁度、六年前。それなりに長く続いていた相手、高校時代から付き合っていた彼氏に振られた。理由は単純で「好きな子が出来た」とはっきり言われた。そんな絶望の淵に立たされていた私の目の前に現れたのが三井さんだった。

『水戸、お前の女じゃねーだろうなー』
『違うって、バイトで入ってくれたんだよ』
『へえ、よろしくな。俺、三井っつーんだ』

 屈託のない笑顔で長い手を差し出してきた彼に呆気に取られていたら「なんだァ?挨拶もまともに出来ねーのか新人バイトは」とか超上から目線で言われてイラッとしたけどちゃんと挨拶くらいできるよって意味もこめてちょっとぶっきら棒に「よろしくお願いします」って言って差し出された手を取って握手したら「よくできました」って笑った三井さんのあの表情を今でも覚えている。

 専門学校に通うことになった入学早々、風邪を拗らせて寝込んでしまったお陰で、すでに出来ていたグループの雰囲気に、うまく馴染めなかった無様な私。そんな私に三井さんはよく相談に乗ってくれた。
 今日の私みたいにやっぱりあのときもどんよりしていて。洋平さんはきっと呆れていたと思う。
 もっと楽しくお酒を飲みたいだろうに、一緒に来ていた人たちの輪に戻らなきゃいけなかっただろうに三井さんはカウンター越しにひたすら落ち込んでるのを隠しながら若い子と話したいおじさんたちの相手をしていた私を見ていて、慰めて、大丈夫だって、長い手を伸ばして来て頭を撫でてくれた。

『言いたいことあんなら言ってみ?聞くぜ、俺でよかったらな』

 ……って。そのとき既に世間でも人気者だった彼はそう言った。だからこんなふうに自然と話せる仲になれてすごく嬉しかった。はじめは、兄妹みたいな立ち位置でこれからもっと仲良くなって行きたいなって思ってたんだけれども。
 彼を本気で異性として意識し始めたのは二年前だったと思う。そうだ、あのサンリオ女子と付き合った彼と俗にいういい感じ≠ニ周りから囃し立てられたときだ。なんかこう、胸の奥がモヤモヤして同時に女性をお店に連れてきた三井さんが憎くて悔しくて悲しくて……ああ、私はこの人のことが好きなんだなって気づいた瞬間だった。

 このまま会えなくなっても後悔しない?

 なまえちゃんの言う通りだ。わかってる。でも私は、やっぱり自分に自信が持てない。
 クリスマスとか、三井さんとの今の関係性とかそんなものがちゃんと味方にあるのに言い出せない。私なんてそういう人生、そういう運なのだ。


「——おい、」

 突如、背後から聞き慣れた低い声がして、私は勢いよく振り向いた。
 そこには、すこし鼻を赤くした人気者が立っていた。マフラーを巻いて、手には何かのスポーツブランドのショップ袋が持たれている。

「やっぱな、名前じゃねーか」
「三井さん……」

 三井さんは白い息を吐きながら私の方へと向かって来て距離を縮めた。足の長い三井さんのお陰ですぐに私と彼の距離はあと数歩、というところだ。そこで足を止めた三井さんと私は向き合っている状態になる。目の前にスターが立っている。

「仕事終わりか?今日は早いんだな」

 三井さんが俯く私の前髪を避けて顔を覗こうとするから私は咄嗟に顔を背けて「いや!」と声を張った。驚いた三井さんが珍しく素直に「わ、悪ィ」と気負けしたように呟いて私から距離を取った。私は三井さんに背を向けてマフラーに顔を埋める。背中に三井さんの視線を感じる。
 ……怒ったかな。機嫌を損ねてしまったかな。だって、急に触れてくるからびっくりして……

「ご、ごめん。い、今……化粧崩れてるからさ」

 今、こんな情けない顔を見られたらそれこそ私終わりだから——。
 何だよ、人がせっかく声かけてやったのによ、とか何とかぶつくさ文句を言われるだろうと思った私は彼に聞こえない程度にため息を漏らした。

「……顔色悪そうに見えたんだよ、大丈夫か?」

 しかし三井さんは文句を言うどころか、もっともなことを言う。そして、やっぱりこんな状況下ですら素直になれない私に対しても、相変わらず優しいのだ。文句を言われるなんて思った自分が情けない。
 私は言葉に詰まった。けれど三井さんは、それ以上突っ込まないと決めたのか、茶化す気はないようで私の目の前に移動して来てしゃがみ込むと私と無理やり目を合わせた。私は、緊張で言葉が出なくてその場に立ったまま。頭の中は真っ白で脳がおかしくなりそうだ。

「ほらよ、こないだ言ってたスウェット」

 持っていたショップ袋を差し出されて反射的にそれを受け取り中を覗いてみると、約束通り彼の着古した上下お揃いのスウェットが入っていた。

「一応ちゃんと洗っといたぜ?でもよ、それお前にはでけーと思うんだよなー。いいのか?」
「……」
「なんか時期的にクリスマスプレゼントみたくなっちまったな。新品じゃなくて申し訳ねーけど」

 やだ……その笑った顔、やっぱりかっこいい。すっごくかっこいいよ。今にもこの胸が張り裂けそうだ。泣きそうなくらいに愛おしく思ってしまう。そう素直に言葉にできるなら、こんなに困ってない。
 一喜一憂、あなたのせいで一日中悩まされて。こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかったのに。
 私、この人が好きだ、大好き。どうしよう。

「……っ」

 困った、好きすぎてどうしようもない。もしも——もしもこのまま当たって砕けたとして、そのあと私には一体、何が残るんだろう。
 自然と涙が滲んできた私に三井さんは気づかないフリを決め込んだのか突拍子もなく「今日ってクリスマスだよな」なんて台詞を吐いて立ち上がったので思わず長身の彼を見上げる。そうしたら三井さんはニヤっと口角を吊り上げて私から視線を解き、その視線を真横に向けた。下を走る車のテールランプが彼の瞳に映ってキラキラとイルミネーションの如く輝いて見える。

「俺、彼女いねーし?実は大っ嫌いなんだよなークリスマスってよ」
「……」
「——でも今年は、名前がいるから大丈夫だって思ったんだよな」

 彼の横顔に見惚れていたら突然、そんなことを言った。私は手袋をはめていない冷えた両手でさっき受け取ったショップ袋をあほかってくらいに握りしめる。ほんのりと三井さんの香りがした。

「現にこうやって?聖なる夜に偶然会ったしな」

 本当に……偶然なのだろうか。だって、じゃあ何で私に渡す予定のコレ、持ってたんだろう。
 嘘みたいな彼の言葉に涙が止まらない。この人本当に、どっかの国の王子様なんじゃないの?

「——モテるでしょ」
「あ?」
「そうやって女の子を落とすときに毎回同じようなセリフ言ったりしてるんでしょ?さらっとさ」

 本当に私は——可愛くない。これじゃ自称どころか、どこの誰が見たって可愛い女の子にはなれないと思うだろうな。
 素直に一言ありがとう≠ニ、たった五文字の感謝の言葉すら、伝えることができない。だから二年前、居酒屋で出会った彼といい感じになったのに簡単にサンリオ系女子に取られたんだ。
 六年前に別れた彼氏もそう。こんなんだから浮気なんてされたのだろう。もう救えないほど馬鹿野郎だ私は。私なんか一生モテる≠ネんて言葉には縁の無い女だ。
 
「そりゃあモテるよね。だって自分の私物をホイホイと異性にあげれるんだもん。なるほどねー、人気者なわけだぁー!」

 そっかそっか、と努めて明るく言ったけれど、三井さんは何も言い返してこなかった。呆れてるんだろうなと思って、ちらっと彼の方を盗み見たら意外にも真っ直ぐに私を見つめていた彼と視線がかち合ってしまった。すると彼はハァ、と息を付き、やや目を細めて言った。

「……馬鹿かよお前は。女に服なんてあげたことねーっつの。しかも俺のおさがりなんてよ」
「……」
「俺のこと本気でモテてるって思ってんのか?」
「……モテるでしょ、実際」
「じゃあお前は——付き合ってくれんのかよ?」

 不意に——昨日の帰りに彼から言われた言葉を思い出した。
 お前は、めんどくさいからって理由で言ってるんだろうけど側から見たらただの人たらしだ。
 じゃあ俺と付き合ってみますか?って言い返されたらお前はどうするんだ、付き合うのか?って言葉が私の頭の中を一気に支配する。次いで洋平さんの言った「男心のわかんないお姫様だな」というあの台詞も蘇ってきて、まさか、と思う。
 ——ねえ、それってさ。勘違いしてみてもいい話?その言葉、いま言った言葉……モテることに一生縁のない私なんかでも図に乗っちゃっていい感じ?どうしよう。もうダメだ……コントロールが出来ないよ。


「……すき」

 高ぶった脳が、私にそう呟かせた。三井さんは無表情にゆっくりと私を見る。彼と、目が合う。
 止まらない、溢れ出す——好き≠フ気持ち。

「好き………」

 一瞬だけ目を瞑って、溜まっていた涙を流してまた開けて、そうしてまた、彼を見据える。
 ……困るだろうな、急にこんなこと言われて。ただ着古した、捨てるに等しかった物をもらっただけなのに。そうだ、今日だって偶然会えただけなのに。なのに彼は——三井寿は、自身の後頭部に手を添えて、照れくさそうに微笑んだのだ。

「あーっと……俺も、って言ったら、よォ……」
「え……?」
「お前、どうすんだ?」
「——、」

 思考停止。でも気付いたときに私は大きな三井さんの身体に、腕に——包まれていた。
 力が強過ぎて驚いて、つい持っていたショップ袋を地面にどさっと取り落とす。

「六年前に三井さん——私の話聞いてくれた…」
「ああ、覚えてるぜ」
「そのあと、三井さんが女の人を連れて来て……すごくショックで、ああ私は三井さんが好きなんだなって気づいて、それからずっと二年間……」
「よっしゃ、俺のが早ェな。俺の勝ち」
「……え?」

 驚く私を置き去りに三井さんが嬉しそうに言ったから私はつい「どういう意味?」と聞き返す。すると三井さんはちょっと勝ち誇った感じで口角をすこーしだけ吊り上げて言った。
 
「俺なんか六年前からだもんよ」
「六年前って、え……うそ……」
「この後に及んで嘘なんかついてどーすんだよ。なんか、ほっとけねェ奴だなって思ってた」

 ——夢みたいだ……。いや、むしろ夢?ううん夢じゃない。夢じゃないよね?これがクリスマスの奇跡、と言うやつなのかな。
 神頼みなんて信じちゃいなかったけど、今日は聖夜なんだ。もしかしたら本当にあるかもしれないプレゼントが、いまこの瞬間の、三井さんとの時間だったとしたら……ああ神様、本当にありがとう。


「て、ゆーかよォ」
「……あ、は、はい?」
「こんな暗ェと、俺も変な気起こしかねねーぞ?見てみ?ほら、イルミネーション」

 言われてびっくりして、咄嗟に距離を取るため離れようとしたらぐいっと腕を引かれて軽いキスをされた。そのまま彼の腕が私の背中に回って、強く抱きしめられる。

「——えぇ!!?」
「ワハハっ」

 腰が抜けそうになってしまった私を三井さんは楽しそうに笑いながら更に抱きしめていた腕に力を込めて支えてくれる。ひー、ふー、と浅く息継ぎをする私がおかしかったのか彼は「落ち着け」と、未だ半笑いで私の背中を摩りながら言う。
 ようやく落ち着きを取り戻しかけた私をゆっくりと離して至近距離を保ったままで彼が呟いた。

「名前へのクリスマスプレゼントは俺だ。んで、お前から俺へのプレゼントは?」
「……わ、たし?」
「ふはっ。よくできました。」


 挨拶もまともに出来ないのかと、初めて出会ったときに言われて、あのとき無愛想に返した私に言ってくれた「よく出来ました」とは全く違う、なんてメルヘンチックな「よく出来ました」なんだろうかと胸の奥がくすぐったくなる。
 それでもクリスマスにぴったりな臭くて、サンリオの世界よりもメルヘンな台詞を二人で言い合って笑っているのだから、私だって大概だろう。

 真っ暗で色気もない歩道橋の上。そこから見える街路樹に装飾されたクリスマス仕様のイルミネーションをバックに、どちらからともなくキスをする。
 私の頭の中では延々と、世界中のクリスマスソングたちが高らかに奏でられていた。

 ——そんな、クリスマスに起きた奇跡のお話。










 たとえばね、
   泣きたくなるような 幸福




(つか、今夜はやけに月が綺麗だな)
(それ、あえてこの流れで言うの?チャラ男)
(あン?だって綺麗なモンは綺麗だろうがよ)
(……ほんと、人たらしはどっちだよ)


 ※『 月が綺麗だって/berry meet 』を題材に。

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