夢ならばここで終わらせて(1/4)


 あれは四月——従兄のバースデーパーティー。あなたと私の奇跡の出逢い。気づけば毎日連絡を取り合って、気づけばいつも笑い合っている。
 前世でつながっていたような、心を許し合った気がしていた。誰よりも分かり合えたはずなのに誰よりも支え合っているはずなのに二人の未来が見えないのはなぜだろう。

 私はこんなにあなたを想っているのにいつまで経っても妹あつかい。叶わない恋だって信じたくないよ。『付き合おう』ってどうして言ってくれないの?
 そんなに大切にしないで。ハグするたびに胸が傷んで……。これ以上、やさしくしないで——。





*


 繁忙期。仕事の企画書作りと、車の免許を取るべく教習所通いをダブルでこなして私は死ぬほど疲れて果てていた。秋の日とは言えど夏の名残の湿度と気温に参って、くらくらする頭を手で庇いながら歩いていると前方で通行人の流れが淀んでいることに気が付く。流れを遮っているのは私の想い人——水戸洋平だった。洋平くんが女の子と歩いているのだ。
 小顔で巨乳でスパイラルパーマをかけた派手めでイマドキ風の女性。異様な雰囲気とただでさえオーラがあって美形な彼は目立つから行きかう人たちはちらちらと洋平くんたちを横目に通り過ぎていく。そのままなに食わぬ顔をして洋平くんが私に気付いても素通りしてしまうか、あるいは、さらに大きく迂回して気付かれないよう帰るか、そんなことを考えているのもつかの間、その洋平くんと目があった。


 駅裏にある有名店の紙箱の中、ドライアイスの敷き詰められたなかにミルク味とラズベリー味のジェラートが二つ。揺らめく白い冷気に顔を撫でられていつもと当然のごとくおなじお土産を前に私は溜め息をつく。

「夜のお店のおねーさんからとかですかぁ〜?」
「違います。買ってきたんだって」

 そう言って彼は、毎度捨ててしまう流れになるポイントカードをちらつかせる。そんな彼の訪問は今週二度目なので、つまりいま手元には六つもミルクとラズベリーのジェラートがあるわけで。私の冷凍庫はスペースが狭いから、ほうれん草や去年のお餅や鶏肉の合間を縫ってぎゅうぎゅうに押し込まなければならない。

「うぅん……入るかなぁ……」

 ブツブツ言いながら在庫整理をしている私など意に介さず洋平くんが私のベッドの中に潜り込むのが見えた。

「……あ、何時に起きる?」
「ん?あー、起こさなくていいや。おやすみ。」

 弱々しい声。いまにも眠りに落ちていく瞬間の彼の姿。最近うちに来ることが多いということはいま、彼女はいないのかなあ。でも、あの街中で会った女性は……。
 私が今朝目覚めてまた今夜眠る予定のベッドに横たわっている想い人。淡い色合いの布団に包まる、見た目も中身も彼との対比は、何百回見てもやっぱり変だ。あー、ダメだ……。ジェラート、一個どうしても入らないや。諦めてはみ出し者のラズベリーを食べてしまうことにしプラスチックのスプーンを手にベッドにもたれ掛かってフローリングに座る。ワンルームなので別室という空間がないため、こうして彼が眠りに訪れたらいつも静寂を保つのに気を遣う。電気を消してパソコンの画面の照明を少し弱くして。しかしパソコンを前にすると洋平くんの存在もすっかり忘れて没頭することができる。だから切羽詰まっている時期の彼の訪問は、大変ありがたいものだった。
 彼は眠っているときは本当に存在感がないし、音も立てないしまるで死んでいるみたいだ。起きているときは嫌ってほど目に入ってくるのに眠ったら電源ごとオフしたみたいに思われる。
 パソコンに長文を打ち込んだり、たまに動画を小音で見たりして指を休めてジェラートを食べたりとそんなことを繰り返し疲れたら首を回して。ふと時計を見ると、一時間ばかり経過していた。後ろをそっと振り返ってみる。さっきは横を向いていた身体が、いつの間にか仰向けになっていて青白いなにかの中毒者のような顔にパソコン画面のぼんやりした光の帯が横切っている。顔だけは変わらず壁側へ背かれていてその短い睫毛と頬、やや寄せられた眉根のカーブの向こう側は暗闇を重ねている。自分のすぐそばで眠っている人がいるという状況はなんとなくくすぐったくて快くもある。息を殺しているのも楽しくそれでいて時々漏れてしまう自分から発せられる音にも悪戯心をくすぐられる。だれにでもこんなふうな気持ちになるわけではない。胸がじわりと温かくなるこの気持ちには——。
 また画面に向かってキーボードを叩いていると肩の後ろから、ぬっと手が突き出てきた。

「わぁ!」

 突然、冷たいその手が私の肩を掴んだので心底びっくりして跳ね上がる。その瞬間までまた彼の存在を忘れて没頭していたので。

「あ、ごめん。脅かしちゃった?」
「え?あ、うん、ちょっとね。でも大丈夫……」
「——いま、なんじ?」

 疲れてくぐもった声。振り返ると私の肩を掴んだままの洋平くんが暗い顔で上体を起こしているところだった。私はすぐ画面の右上に表示された時計を見る。

「まだ九時半。洋平くん、一時間くらいしか寝てないよ?」
「そっか、よく寝かせてもらいました」
「えー、嘘つき」
「ははは」

 いつも起き掛けは頭でも痛いみたくつらそうに見えるけど今日はとくにそうだなと思った。でもまたこの一時間半の睡眠で約二十四時間くらいは起動できるのだろう。

「あれ? ジェラート食べてたんだ」

 パソコン脇に置き去りにされた空っぽのジェラートの容器。目ざとくソレに気付いて洋平くんが「大好物だもんなー」としたり顔で囁くのを私は少し白けつつ聞いている。『ジェラートと言ったらミルクかラズベリー』という彼の独断と偏見によってはじめは手土産に持ってきていたソレが、いつの間にか彼のなかで『ミルクかラズベリーのジェラートは名前ちゃんの大好物』に変わっていたらしい。
 約五年間も、毎度毎度与え続けられている私が辟易しているとは微塵も思うまい。いや、思っているかもしれない。もしも気付いていたとしても「ま、喜ぶだろう」の一心で、またミルクとラズベリーを買ってくるのだ。

「名前ちゃん、水もらってもいい?」
「あ、うん。ちょっと待ってね」

 立ち上がってワンルームのため短い距離の先にある冷蔵庫に向かう。私がいつも使っている安物のコップに入れた水を洋平くんは三口ほどで飲み干した。

「ねえ?」
「んー?」
「もうちょっと、いれる?ここに……。」
「ああ、そうだな……」

 そう言って、私のパソコンを覗き込む彼の顔が私の肩に乗る。洋平くんの匂いがする。目の動きからして右上に小さく表示されている時計を確認したのだろう。

「時間は問題ないーと、思う」
「マンションに帰るの?」
「いや、今日飲み会でさ。君の��イトコ�≠ニ大楠たちと」
「え?花道くんってまだアメリカじゃないの?」
「帰って来たよ、一昨日。」
「あっ、そうだったんだぁ……」
「おいおい、なんで俺のほうが詳しいのよ」
「へへ」

 「君のイトコのツラ見ながら酒盛りよ」と嬉しそうにぼやく洋平くんに私は微笑んで、ベッドに座る彼の足もとの床に移動して座った。なぜだか突然の沈黙を感じる。この人が私の部屋のベッドに仮眠を取りに来ることは日常生活の一部になるほどよくあることだったが彼は寝て起きればすぐにいつも出て行ってしまう。だからこうしてベッドのふちに腰をかけて私の部屋の壁をぼんやりと眺めているこの人に対して、どう反応すればいいのか私はわからなかった。前はこんな沈黙なんてちっとも気にならなかった。彼の前で寛ぎ、のびのびと過ごしていたし寝転がって漫画を読んだりだらしなくすることもできた。いまでは、あんなことをしていたのが、遠い昔の出来事のようだ。洋平くんは、なにひとつ変わっていないのに。

「——そーいや、名前ちゃんさぁ」
「ん?」
「今日、なにしてたんだー?駅前に居たよな」
「あ、うん……」

 わざとそこには触れないようにしていたから、どきっとしたし少し傷ついた。あの女性と一緒にいた洋平くん。洋平くんからしたら私に女の子とデートをしているのを見られてもなんともない、わずかでもマズイと思ったりされない、その当然すぎる事実がわかっていたけど、ちょっとだけ、ショックだった。

「あ、えっと……教習所、行ってたの」
「へえ、今どこらへん?」
「こんど、高速乗るよ」
「お〜。まあ、せいぜい死なないようになー?」
「う、うん……」
「免許取ったらさ、ドライブでも行く?助手席でハンドルさばき検定してあげますよー、なんて」
「ええ〜? 静かに乗っててくれるならいいんだけどさぁー」

 必死にその傍らにいた女性の影を思い浮かべないようにしているけれどスパイラルパーマヘアや派手な洋服の柄なんかが、ちらちらと脳裏に焼き付いていて、ふとしたときに見えてしまいそうになる。こんなことで悩んでバカみたいだ。いや、本当にバカなのだろう。私が洋平くんの身辺の女の人のことを考えたってなんにも出来ないのに。仮に私が文句を言ったって当然洋平くんは怪訝な顔をするだけだ。私なんて彼の親友の従姉妹で、ちょっとだけ他の女性よりも付き合いが長くて、世話を焼いてくれているだけなんだから。

「——で? 仕事のほうはどう? いけそう?」
「うーん……あんまり。」
「なんだよー、もっとガツガツいけばいいのに」
「だって私にやれることはやってるもん。今ドキの新卒たちが出来過ぎなんだよ」
「あー、まーなぁー。」

 大袈裟に溜め息をつく洋平くんがごろりと床に転がって私の膝におもむろに頭を乗せる。どきっとして身体がすくむけれど、私の顔の真下にある洋平くんの顔を見る。横向きになったその顔は、気持ちよさそうに寛いで目を閉じていてなんだか子供みたいだった。微かに触れる髪の感触とか、首筋とか、そういう重さや、質感の触れるところ以外でも私の身体はざわざわしておかしくなってしまいそう。膝枕なんて洋平くんはしょっちゅうしてくるけど出会った頃から。でも最近はあまりなかった。だから——いまちょっと、やばい。

「まっ、頑張ってんならいいけど。君ならうまくいくよ」
「う、うん……まあ、頑張るよ」
「深く悩まずに思った選り行動してみたら?そしたら上司もその意欲に負けて折れるとかない?」
「うーん、わかってるんだけどさぁ」
「どーせ新卒に遠慮してんだろー?急がないと、どんどん先越されちまうぜー?」
「はーい……」

 膝枕しながら親みたいなこと言われてもねぇ、とは思うけれど。その発言はやっぱり響く。私が誰よりも一番焦っているから。でも仕事のことに関しては、洋平くんが帰ってからじっくり考えてみるとして今はどうしても意識が膝の上に傾いてしまう。髪の毛、案外柔らかいなとか顔を動かすたびに耳が触れるなとか。じっと見つめてみたいし頭や顔に触れたいなとも思うけどどれもこれも私には許されないことだから。あの女(ひと)ならそれができるのだろう。膝に触れる感触は、おなじはずなのに——。

「……やべ。寝ちまいそうになった」
「寝れば?」
「いや、もう行くよ」

 起きておもむろに立ち上がった洋平くんの膝に残された感触を名残り惜しみながら私も立ち上がる。さきに電気をつけて、洋平くんを追い越して玄関に向かう。立ったままで彼が靴を履く背中を見つめる。突然その背中に触れてみたらこの人はどんな顔をするのだろうか。『なに?』といつものように軽い口調で言うのだろうか。
 扉を押し開けてやや背を丸くして出て行く彼が一度、私に振り向いた。その目に『好き』と伝えたらどうなるだろう。『出会った頃からずっと』って——。

「またね、名前ちゃん。」
「……うん、またね。」

 とても言えない。言えるわけがない——関係が壊れるのが怖いから。『またね』と挨拶をしてくれたその言葉が無くなってしまうのが怖いから。
 パタン……と閉まった扉を見ながらジェラートだらけの冷凍庫を思い出して、溜め息が出た。


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