夢ならばここで終わらせて(2/4)
「名前ちゃーん……って! どーした!?」
きょうもいつもジェラート屋さんの箱だった。その箱を自分の頭より高く掲げた洋平くんが私の顔を見るなり目を見開かせた。
このメールが届いた瞬間扉を開けて彼がやって来たのには本当になにかの関連性があったとしか思えなかった。だって、タイミングが良すぎる。監視カメラでも付いてるのでは?ってくらいに。それが私にとって良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど。
パソコンの前にへたり込む私は呆然としながら無言でメール画面が表示されたままのパソコンを指差した。
「……ん? なに?」
屈んで画面を凝視しているその顔が、一瞬だけ険しくなるのを見て、私は、そのメールの内容が見間違いではないことを知り、再度絶望のふちに立たされたのである。
「今回は企画を見送りましたが——って、書いてあるね。なに?相手は上司?」
「……」
「あー、今回のもダメだったんだ?」
「……」
「まぁ……気に病まねーでさ?ほかにいくらでもチャンスはあるだろ」
「それ……私の集大成だったの」
こういう企画を作る入るために大学のとき学科専攻したのにさぁ……とつぶやく私に洋平くんがそう、と軽い調子で相づちを打つ。実のところ、メールだけのフォローのし方にも不満があった。もっと考慮して欲しかった。上司たるもの、しっかりと部下をフォローするとこまでが��上司�≠ニいう肩書きのミッションにも含まれていると私は思う。なんて、今更なにを言ってもどうしようもないのだけれども。
洋平くんは座り込んでいる私の前にジェラートの箱を置き、背後のベッドに座った。
「ほぼ確定だろうって言ってたくせに……」
「んー。ダメだったもんはダメなんだし……さ。さあ、気持ちを切り替えて、ね?」
「もうやだ、あんなに頑張ったのに……」
車の免許も取りたかった、そろそろ本気で成果をあげなければならなかった。休みも暇があれば何件もの企業の新製品発表会をはしごして。暑苦しいスーツ、堅苦しい教習所……まわりの友達はみんな仕事で評価されて今の地位で安定し始めてリラックスしていて。じめじめとした空気、汗、溜め息、満員電車……。もう、やだ。
笑いながら自分って可哀想だなと思うとなんだか本当に惨めになってきた。それに洋平くんにはあの子がいるし。あの子の家では一緒のベッドで彼女を抱いて寝るのだろう。手料理も食べるし、髪を触ったり触られたり、私にするみたいに説教するんじゃなくて優しい言葉を言ったりするのだろう。ジェラートじゃなくてキラキラの指輪とか洋服とかそういうのを手土産に持って。私だって洋平くんが好きなのに。
「え!? なにも……泣くことはないだろー?」
「泣いてないよ」
「じゃあ、その目に溜まってんのはなんだろ?」
「目にゴミが入ったんですよぉ」
「……なあ、こっち向いてよ名前ちゃん」
「そっち向いて上司の気持ちが変わるなら向く」
「ほんと、君はお子ちゃまだよなぁ……」
うんざりしているのか呆れているのかそれとも面倒くさいのかよく分からない。でも少し弱った声が聞こえる。洋平くんが俯く私の隣に座り直したとき、涙がぽろっと膝に落ちた。
どうしてよりによっていま、洋平くんがいるのだろう。いなかったら私絶対に泣いてなかった。泣いてなんかなかったのに。どうして洋平くんの前では心がいつも剥き出しになってしまうのだろう。いちばん、隠し通したい相手なはずなのに。
「よーしよし。名前ちゃんは本当に頑張りました」
彼の手が私の背中をぽんぽんと叩く。きっと、そこからの進展はないと確信できる。残念だが。それが悲しい。ほんとなら、そのまま抱き締めて欲しいのに。
「名前ちゃんは頑張ったぜ、なあ?えらいえらい。大したもんだよ」
甘い声を出す洋平くんに一体この人はどんな顔をしているのだろうと横目で顔を伺うと、なんと笑っていた。こともあろうに。
一粒こぼれてしまったら、涙がぼろぼろと出てきて自分でも驚かされる。普段、滅多に涙なんか流さないものだから、蓄積されたストレスや全くどうでもいいことや出来事の分までどんどん涙腺から溢れてくるようだ。
「そうだよ……わたし、頑張ったんだよ。」
「うん」
「それなのに……私の企画を採用しないなんて、なに考えてんの」
「おお、そーだな。俺が上司だったら一発で採用してた」
「実際企画を蹴ったのはその上司なんだけどね」
「えー。……急に真顔になるんだなぁ。はぁ。」
浅く息をついた彼の私の背中を叩いていた手が今度は私の頭に触れた。その手が頭のてっぺんを撫ではじめる。びっくりして洋平くんの顔に自身の顔を向ける。そうしたら思ったよりも顔と顔が近くて。「ん?なに」と不思議そうな顔をされて我に返った。私があの女性なら絶対そのままキスしたくせに……。
「慰めてくれてどうもありがと。」
ぶっきらぼうに顔を背ける私は、本当にまるで子供みたいだ。結局、私の希望なんて一つも叶わないのだ。そういう人生、そういう運、そういう人間なのだ。
私なんか、このまま今の職場で社畜になって、たぶん洋平くんのことを引きずったまま良いのか悪いのかわからない人と結婚をして、洋平くんと離れていってしまって……あと十年くらいしたらなにもかも忘れてしまっているに違いない。お先真っ暗なことを考えていたら涙は止まったけれどますます気分が落ち込んでいく。
「本当ごめんね洋平くん。もう大丈夫、寝にきたんでしょ?」
「寝なよ」と言いながら力の入らない彼の手、私はその頭を撫でる手をやんわり退けた。さっきまでニコニコしていたのに今度はやや不機嫌そうに顔をしかめた彼の顔がそこにあった。そうして低い声で彼が言う。
「……いや、やっぱ今日んとこは帰るよ」
「え、なんで?気にしないで寝てってよ、私もう大丈夫だし」
「大丈夫そうじゃないなー、それは。俺は邪魔者みたいだし、帰ります。」
「邪魔? は?なんで帰るの?」
「好きな相手にでも連絡して慰めてもらいな」
「いま連絡しないでいつするんだー」とかあり得ないことを言い出すので、唖然としてびっくりして、洋平くんの顔をジロジロと見つめる。
「……え? なんのこと?」
「名前ちゃん、最近好きな人できたんだろ?隠さなくてもいいって」
「……」
「チュウも言ってたぜ、名前ちゃん最近綺麗になったよなーって」
「……」
「たしかに。可愛さ倍増してる気もする。」
とりあえずダメ元でもいいから連絡してみな、とか、俺でもわかるバレバレとか。色気づく年頃になったんだなーとか花道には黙っとくから安心してとか……。腹が立ち過ぎて眩暈がしてくる。まぁまぁ今日はいつもに増してよく喋る。なにを見当ちがいなことを言っているのだろうか。信じられない。
「……よ、洋平くんは、ねぇ……」
震える声で顔がカァーっと熱くなっていくのを感じながら私は自分の足元の座布団を見つめた。
「洋平くんはいいよね。自由だし、かっこいいし人望あるし、モテるし」
「へ?……いや、そんなことはねーけど」
「それに、素敵な彼女もいるしねっ!」
「え? カ、カノジョ?」
「私みたいなバカに出来る暇つぶしの相手もいるし、満ち足りてるよね、楽しいだろうね」
一瞬ぽかんとしていた洋平くんが途端に眉間にしわを寄せるのが見えた。
「えっと……まさか、心の、病気にでもなったんじゃないよな?」
「ちがう! けどそうかもねっ!」
「はぁ?……なに、じゃあ酔っぱらってんの?」
「もういい!私ひとりになりたいの、帰って!」
「……」
「帰って! 二度と来ないで!」
「なんだよ……わかった。ならもう来ないよ。」
指でひたいをぽりと掻きながら洋平くんが立ち上がる。私は床に俯いたままで彼の足が動くのを視界の端で見ていた。その影が玄関に行き一瞬で靴を履き、扉を開けて出て行った。
—— バタン!!
数秒して本当は出て行ってないんじゃないかと期待して玄関を見たが、もう誰も居ない。あたり前のことだ、いるわけがない。あんな暴言を吐いておいて。
私って最低だなと思いながら、膝を抱えてようやくテーブルに置かれた箱に気が付いた。なかを開けてみるとあいかわらず保冷剤に守られたミルク味とラズベリー味のジェラートが入っている。触ってみると溶けかけていて、紙の容器がすこし柔らかくなっている。慌てて冷凍庫にと思ったがそう言えば冷凍庫、いっぱいなままだった。もう入らないや。
「はぁ……」
洋平くん……どう思っただろう。本当に、もう二度と来ないかもしれないなと思った。よくよく考えてみれば、彼みたいな最小限主義者のようなひとがいつも同じ代物だとはいえ手土産を買ってくることじたい大変なことではないのだろうか。こんなに毎回忘れずにきっちり持ってきてくれているとなると、いつも彼が私の部屋に来るときに一緒にジェラートをセットで連想しているということになる。私が喜ぶと思って。私の大好物だと思って。それなのに私もういらないと思ってた。しかも二度と来ないで!なんて言ってしまった。出会ったときからなにかと面倒を見てくれていたのに。さっきだって、私が落ち込んでいるから、よかれと思って、あんなことを言ったのだろう。100パーセント私を思いやっての行動だったに違いない。それなのに私なんてことを言ってしまったんだろう。
追いかけて謝らなきゃ。でも……なんて言えばいいんだろう。もういっそのこと全部打ち明けてしまおうか。そのことで洋平くんに掛けてしまったストレスが軽減されるなら私の恥ずかしさなんてどうでもいい。
好きだから素直になれなくて、カッとなって、当たってしまいました、ごめんなさいって。
そうだ、後ろめたさも気まずさも、これからの私と洋平くんの関係性ももうどうでもいい。彼が私のせいで、嫌な気持ちにならないことのほうが大切だ。
「……っ、」
——よし。追いかけて行って言ってしまおう。全部、隠していたことを全部。
急いで立ち上がろうとしたときガチャ!と勢いよく扉が開いて、私はそのまま硬直した。入って来たのは洋平くんだった。彼は顔を神経質そうに強張らせた様子で再度部屋に上がり込んで来た。
「洋平くん……」
よろけながら立ち上がる私の顔を、洋平くんがジッと見据える。冷静に考えれば彼が戻って来ただけのことなのだがあまりのことに思えてまるで瞬間移動にでも遭遇した気分で私は、呆然としていた。
「——ひとつ聞きたいことがある。いま、やっとわかった」
「え? え……、なに?」
こめかみのあたりに力を入れて顔を強張らせた彼が躊躇わず早口に言う。
「名前ちゃんの好きなヤツって——俺?」
「えっ!?……う、うん。」
急いでうなずく私に洋平くんが果てしなく眉をハの字に下げて、深く溜め息を吐いた。