雨の音(3/3)
「名前!! どこへ行ってた!?」
「あ……」
「……ん? おい、その男誰だよ!?」
男が彼女を引っ張って殴りかかろうとしたので俺は思わず大声で「触ンなっ!!」と制止した。そして気付けば俺は、男の胸ぐらを掴んでいた。不意に、頭の片隅で高校時代の体育館での事件が蘇ってきて俺は必死にその邪念を振り払ってから言った。
「女を殴っといて、何が婚約者だ!?笑わせんなっ!」
彼女を後ろへ庇って、野郎に近づけないようにすると、彼女が俺の腕をぎゅっと掴んで言った。
「……もう、い……や、だ。」
ぽつりと零した言葉の後、背後で彼女が静かに泣き出した。
「あなたにはついて行けない。結婚したくない」
「は……?冗談だろ?何年つきあったと思ってるんだ?おまえ、周りの人間になんて言うんだよ?俺は言うぞ!?おまえに新しい男ができたって、会社にも親にも友達にも!」
俺は怒りが頂点に達しそうなのを必死で押さえ込む。ここで殴り合ったら彼女が怯える。チームにも迷惑がかかる。だけど俺は、胸ぐらを掴んだままで言った。
「いい加減にしろよ。言えるもんなら言えよ」
「……は?」
「新しい男で結構だ。てめぇよりましだわ。女殴って、言うこと聞かせようって奴よりはな」
「……」
「周りがこいつを責めたって俺が守ってやるよ!それに、殴ったの訴えてもいいんだぞ?証拠は残してんだからな、テメェ、それわかって言ってんだろーな」
思いっきり凄んで言った、と……思う。さっき思い出した過去の負の遺産とは違って無様な感じにはなっていないはず……いや、そう思いたい。
勢いに任せていたので自分が巻き舌だったことくらいしか覚えてないが。たぶん、腰を抜かしてしまった奴の姿を見れば、ちゃんと、男らしくは出来たとは思う。うん。
いまここに、水戸がいたら聞いてみたい。俺のこの行動はあの頃と違って——間違ってねえよなって……。
「——名前、帰るぞ。」
思わず呼び捨てにしてしまったがしれっと俺は彼女の肩を抱いた。彼女も抵抗することなく身を委ねてくれたのでそれにはホッと安心する。それでも彼女は俺を見上げながら、何かを言いたそうだった。
「話は……帰ってからにしようぜ」
それにコクンとひとつ小さく肯いた彼女を見てそのあとは何も言わないままとりあえずマンションへと戻った。玄関に入り、鍵をかけたとたん、彼女の身体から力が抜けた。
「大丈夫、か?」
彼女は頼りなさげにウンと言った。そのままリビングへ連れて行きとりあえずソファで落ち着かせる。隣に座り、そっと彼女を抱き寄せた。
「——もう大丈夫だ、安心しろ。」
*
——公園で、彼に会った。殴られそうになったとき、とっさに三井さんが間に入って守ってくれた。強い、大きな背中を目の前にして私の口から自然と漏れた言葉。
「あなたにはついて行けない。結婚したくない」
そう言った私に彼は激高して、自分勝手なことばっかり捲し立て最後には脅しまでかけてきた。そのとき三井さんが言った言葉——こんな場面なのに、私は胸が高鳴った。大概、私の頭もバグってるとは思う。
三井さんのマンションに戻ると一気に力が抜けた。三井さんは私をソファに座らせ、こんな私を優しく抱きしめてくれるのだ。
ここは安心できる。最初から三井さんは優しかった。タクシーに乗り合わせたときも。本屋さんでも。そして、公園で私を見つけたときも——。
甘えていたくなる。でもそんなの許されるの?それに三井さんの気持ちだってある。さっきのはその場のノリで彼を黙らせたかっただけで本当はそう思ってはいないかも知れない。うん、たぶんそう、そうに決まってる。
「名前、さん——。あ、いや……名前?」
三井さんが私を呼び捨てた。これで、二回目。さっき、初めて名前を呼ばれたときのことを思い出して私は僅かに頬を赤らめる。私は顔を上げた。あ……いつもの、優しい顔だ。
「——好きだ。」
——え?……ん?いま、なんて言ったの?私の聞き間違いでなかったら��好き�≠チて、聞こえた気がした。え……好きって、どう好きなの?頭がこんがらがってしまう。
彼女があの野郎に、ついて行けないと言った。ってことは、俺……言っても、いいよな?自分の気持ち——。
さっきあいつに言ったことは本当の気持ちだったけど。彼女がどう受け止めているか気になる。今はこうして抱きしめてるけど、言っても、いいか……?よし。男、三井寿。俺は、決めた——。
「名前、さん——。あ、いや……名前?」
呼び捨てた俺を不思議そうに見ながらも、顔をほんのりと赤らめている彼女に、思わず期待してしまう。
「——好きだ。」
そう言った俺をなお、不思議そうに見る彼女。これは……頭がこんがらがってる、な。たぶん。そう思った俺は、彼女をさらに引き寄せた。少ししてからゆっくりと彼女を引き離し、その唇を、そっと指でなぞった。そして、そのままそこへ、キスを落とした。俺の腕をつかむ彼女の指が、かすかに震えている。さらに深くキスを繰り返したあと、唇を離して至近距離で言う。
「……俺の気持ち、わかったか?」
彼女は一瞬だけ目を見開いたがすぐにくしゃと笑って頷いた。
「……名前は? どう思ってんの?」
彼女はそっと俺を引き寄せて、さっき俺がしたように、今度は俺の唇にキスをくれた。それでも彼女は不安そうに聞く。
「——三井さん。本当に、私なんかでいいの?」
俺を見上げる。俺は、彼女の唇を親指で優しくなぞりながらぽつぽつと話し出した。
「——俺、出会った頃から名前のこと、ずっと好きだったんだよ。まあ、一目惚れってやつだな」
「婚約破棄した、女だよ……」
「それがどーしたよ?おかげで俺の片思いは終わったしな」
「三井さん……」
「寿でいい」
「……ひさし……。」
「——名前、お前が好きだ。」
俺はもう一度、はっきりとそう伝えた。彼女を引き寄せて、強く抱きしめてまた甘く深いキスをその無防備な唇へと落とした。
きみに想いを 塗り つける。
(あ……雨降って来たね)
(あー、だな。)
(なんか……いつも雨だね、わたしたち)
(おぅ。おかげさんで雨が好きになったぜ、俺)
(うん、わたしも……。)
※image song『 雨の音/當山みれい 』