夢ならばここで終わらせて(4/4)
「……このあいだ、一緒にいた人、彼女なの?」
「え?」
「私を見掛けたって言ったでしょ?あのとき一緒にいた女の人、だれ?」
言っちゃった。ついに言ってしまった。でも、いま聞かないと一生、聞けなくなってしまう気がしたから。洋平くんは瞳をあらぬ方向に向けて、すげない物言いでつぶやいた。
「覚えてないよ、いました?そんな人」
「あの派手な感じで、綺麗な女の人だよぉー」
「さぁー、道でも聞かれたんじゃねーの?」
「わざわざ洋平くんに?」
「ははは。それ褒めてんのかー?けなしてる?」
「……」
「名前ちゃんが心配するような相手じゃないよ」
もうそれ以上言うなと言わんばかりにくちびるを塞がれる。ん、と驚いてくちびるを引っ込める私に、執拗なくちびるが口元を奪いに来る。頭を抑えられているため逃れることが出来なくて舌が侵入してきたとき「んー!!」と声を出して抗議したけれど、それが留まることはなかった。
口の中をつるっとした舌が滑ってきて、器用に私の舌に絡まって来る。もがいて顔を離すと、舌から逃れることはできたがくちびるは触れたままだった。キスをしたままそっと目を開けると目を開けたままの洋平くんと目が合う。相手はなにか考えているみたいなそういう遠い目をしていた。そして「あ。」と、唐突に洋平くんが言う。
「その気になっちゃった。いい?」
「ん?」
「名前ちゃん?」
「……え!?」
甘えたような腕が私の腰に回され彼のくちびるが私の耳や、首筋に触れる。横向きになっていた体を仰向けにして彼は私の腰の上に跨って来た。
「え、ちょ、ちょっと! なに!?」
「シぃー。」
「はえっ!?」
「おとなしくしててください」
「え……っ?!」
急な展開に動揺して瞬きをしているあいだに、彼のくちびるが鎖骨に触れて、手がスウェットのズボンを下着ごと脱がしにかかったので私は声にならない悲鳴をあげた。
「やだ! やめてやめて!タンマタンマ!」
「大丈夫、痛くしないよ?優しくする……」
「——っ、うぅ……」
これはもう抵抗しても無駄だときっぱり諦めたときだった。洋平くん、力強いし。それに、手。いつも煙草を挟んでいるその手がいまは私の体に触れている。だから私は、腹をくくることにしたのに……。
「——ウソ。」
と言った彼に思わず「へ?」と目を丸くした。
その指の腹や、手のひらの感触。形のいい爪。浮き上がった節々。それだけで、いつもと違うというだけで、洋平くんの知らなかった一面を目の当たりにしたような気がしたから。
好きな人にこの身を捧げるなら申し分ないって思ったのに——うそでしょ、やめちゃうの……?
「俺、大切な人ほど、手ェ出せない主義」
「……」
「ははっ、そんなウソつきみたいな顔しないの」
なんて。なんとも紳士的な姿を証明してくれるもんだから、ほんとずるいなと思う。腹を括った証として固くシーツを掴んでいた手をほどいて、そっと洋平くんのうなじと首に腕を回してみる。相手は抵抗もせず、すんなりとそれを受け入れてくれた。ずっと、こうしてみたかった。この人の首に腕を回して、しがみついてみたかった。私の頬に彼のくちびるが触れる。なんだかくすぐったくて目を閉じると身体に粟立つ快い感覚が胸から広がっていく。キスされるとまるで愛されているみたいだ。心から、大切にされているような気がする。
その温もりに安心して眠気が襲いはじめてきたころ、洋平くんが耳元でささやいた。
「名前ちゃん、」
「ん?」
「いま、幸せかい?」
「……ん。」
「そっか、ならよかった。」
顔を離した洋平くんが優しそうに笑ったので、あ、と思った。胸がちくりとした。数年前の事を思い出したからだ。花道くんの誕生日会で、洋平くんと出会った、あのときのことを。
目つきが悪くてミステリアスで、まったく掴めなくて。私の理想からは遥か遠くかけ離れているその姿に心の底から警戒していた私。誕生日会の帰り道に立ち寄った公園で、花道くんとバスケをしていた私が庶民シュートを決めたとき「ナイッシュー」って声が聞こえてきて振り返った先——優しく笑っていたあの洋平くんと今キスして私をみている洋平くんが、同じだったから。同じ顔で笑っている。
そんな洋平くんの顔を見つめていると彼が不意に「あ、ジェラート」と口を開いた。
「え? あ……忘れてた、ごめんなさい」
「もう溶けてんじゃないかー?」
「もうこれ以上、冷凍庫に入らなくって……すぐ食べなくちゃいけなかったのに」
ベッドから起き上がって、テーブルに置かれた箱に手を伸ばし容器に触れてみるとすでに溶けてしまっていて私はがっかりした。しかし残された冷気がひんやりして火照った手には心地いい。
「冷凍庫いっぱいって、なんで?」
「洋平くんが補充してくれるからいっぱいなの」
「え、そうなの?じゃあソレ凍らして前のはいま食っちゃえば?」
「あ、そっか。うん、そうする。洋平くんも食べるでしょ?」
「え、俺? 俺はァ……」
断りそうな雰囲気だったので、有無を言わせず私が「二つ食べなきゃなんないから食べてよね」と早口で言う。彼の「……はい」というちょっと弱ったような声に私は気づかれないように笑って冷凍庫から、ミルクとラズベリーのジェラートを二つ持ってくる。
「どっち食べる?」
「んー、ミルク?」
「はい、ミルク。」
「どーも」
ベッドの上、隣に座ってひとくち口に入れる。ラズベリーの甘酸っぱさと、舌でとろける感触に嬉しくなる。
「あー、久々に食うと美味いなジェラートって」
「ね!おいしい。ラズベリーもひとくちどーぞ」
「うん」
洋平くんは私のをひとくち食べてしみじみした様子で「やっぱミルク派」と言って自分のをまたちびちび食べはじめた。
「名前ちゃん」
「ん?」
「べつに、そこまで気張らなくていいんだぞー」
「え?……なに、急に」
仕事のことだと思った。正直、企画が採用されなかったことなんてすっかり忘れていたから面食らって彼の横顔を見つめる。彼はひとくちミルク味を食べてそれから私の顔を見た。眉を下げて、仕方なさそうに笑みを浮かべる彼の顔はなんだかいつもよりもずっと近くて、特別なものに感じられる。もうすでにまったく落ち込んでいなかっただけに逆に私はちょっと傷ついた。私と付き合うと言ってくれたのもすべて慰めによるものだったとしたら、それこそ泣いてしまいそうな事態だ。
「この際、俺んとこに永久就職って手もあるし」
「……」
「なーんてな」
「………はっ!?」
「やっぱ、さすがにそれはまだ早いよなー」
いや、むしろその選択肢がいいのだけれども、どうやら冗談だったようだ。だが私を慰めようとしてくれている洋平くんの愛情が私が考えていたよりもずっと私に注がれていることを知ることが出来た気がした。
「——でも私、もうちょっと頑張ってみるよ」
「そう?偉いなァ、名前ちゃんは。頑張り屋さんだな」
「洋平くんがいたら、頑張れそうな気がするし」
「俺に出来ることなら、なんでもするよ。」
「え?」
「名前ちゃんは何も考えなくていい、自分のことだけ考えてればいいんだ」
「うん……ありがとう。」
洋平くんが優しい顔で頭を撫でてくれた。いつも頑張れと言っていたくせにちょっと落ち込んでみたら気を張らなくていいだなんて。本当になんていうか、可愛がってくれているんだなあって。そう、本当の家族みたいに——。
「それより花道に名前ちゃんに手出したって言ったらアイツどんな顔すっかな、楽しみだなー」
「え?ちょっと、変なこと言わなくていいよ!」
「いやぁ〜殴りかかってこられたらどーしましょおっかねぇー」
「なんで物騒なこと言いながら笑ってるの?洋平くんに暴力振るうわけないでしょ」
「はっはっは。それはどーかなぁー」
「ふふ、……ねぇ?」
「んー?」
「私のこと好き?女の人として、見てくれる?」
俯きながら私はピンク色のジェラートを見つめて言う。ミルク味のジェラート、半分ほど減ったそれを「ごちそーさま」と私に押し付けて、洋平くんが続けて言う。
「家族としても見てるし、自分の女として見てもいるよ、ちゃんと。」
「そうなの?」
「ああ。それって、最強だろ?」
「うん、たしかに。」
——最強。たしかに、最強だなあと思って頬が緩んでくる。もし本当だったらこれ以上望むことは出来ないし、そんなにすごい愛情を実感したらこのジェラートの如く溶けてしまいそうだなと。
「しっかし……ジェラートってそんなに食えねーもんだなー、もう飽きちゃった俺。」
「そ? おいしいよ?」
「え、好きなのかい?」
「うん」
「もう飽き飽きしてたかと思ってたけど。冷凍庫いっぱいに詰め込んでるくらいだからなー」
「うん。これからもお土産には、このお店のジェラートがいいな」
「そう? じゃあ、そうしますよ」
「懲りずにね」と言いながら、洋平くんのくちびるが私の瞼に触れる。思わず目を瞑った。ジェラートを食べていたくちびるがひんやりしていて興奮して、熱のこもった肌にとても気持ちいい。
「でも——味はもっと、いろんなのにして。」
「ははは……仰せのままに、お姫さま。」
「日替わりにしますよ」と笑う洋平くんを見ていたら確かに溶けてしまいそうだなぁと言うほどの愛情を感じることが出来たってお話。
間接 キス の、つづきをしようよ。
(そうだ。宮城さんって知ってる?)
(あー、うん。名前だけね。花道くんの先輩?)
(そー。君が見た女性は、その人のカノジョさん)
(え。)
(俺も高校一緒だったから、偶然会ってさ。駅で)
(……っ、)
(はははっ。残念、的外れ。)
※image song『 これ以上やさしくしないで/JAMOSA 』