恋時雨(7/7)


 帰国した私は、すぐに三井先輩のマンションを訪ねた。「お土産です」と、それだけ言って袋を渡す。三井先輩は「あ?」だの「は?」だの言って困惑していたけれど「しっかり目を通してください」とだけ言い置き私は彼のマンションを後にした。

 彩子が帰ってから俺は、受け取った袋の中身を取り出す。そこには大量の手紙——文字はあの、彼女のものだった。


��お元気ですか。台北の生活は食べ物に慣れるのが大変です��

��もうすぐお父さんですね。寿くんならいいパパになれますね��

��日本代表の映像を見ました。バスケットをしている姿はやっぱり素敵です��

��いつか、笑って会えたらいいですね��


 全ての手紙の出だしはそんな書き出しで。でも最後の文章は決まって��本当はすぐにでも会いたい。それは私のわがままです。ごめんなさい�≠ニ締めくくってあった。毎日の小さな出来事を俺に報告するみたいに何通も。最後には��会いたい�≠ニ��ごめんなさい�≠フ文字。
 ……名前、お前これ、出せば良かったじゃねーかよ。すぐ、迎えに行って……やったのに。そしてそんな手紙の中に違うものが一通入っていた。俺はその手紙の出だしを読んで目を見開く。


 ——��私のかわいい赤ちゃんへ�=B

 本当にごめんね。産んであげられなくて。でも覚えていてね、ほんの一日だったけど二人で出かけたこと。パパと出会った場所、思い出を全部、覚えてくれたかな?
 あなたのパパが、どんなに優しくて素敵な人か本当は見せてあげたかったけれど、でもごめんね。ママには勇気がなくて出来ないの。
 全部ママがわるいんだよ。だから、ママだけを責めてね。もし、もしも許してくれるなら、夢の中だけでいいから、会いに来てくれる?顔もわからないけど、きっとすぐに、わかると思うから。
 そしていつかまた、この億千の星の中で一途になれる人と出会って、私がその人を心から愛せたら、もう一度戻ってきて。

 あなたのママより。


 ……お前、どんな気持ちでこれ書いたんだよ。口に出せなくて、ひとりで抱えて。会いてぇ……今すぐ抱きしめてやりてぇ。
 ふと視界に入った袋の底に、一枚のメモが見えた。なんだこれ、メモ用紙か。あ?……住所?と何か他にも書いてんな。

��名前は自分を責め続けてます。捕まえてこなかったら許さないからね先輩!��

 アイツ……でも、ありがとな。結果はどうあれ俺、行ってくるぜ——。とるものもとりあえず。


 *


「俺の一生がかかってるんで、ダメっつっても行ってきます!」

 チームにそう言い切って強引に休みを貰った。側にいたチームメイトたちも唖然としてその光景を見ていたけれど、どうやらひとりだけ、宮城は内情を知っているらしく、呆れたように溜め息をついていた。そのツラが、あの日、高校三年生の春。久しぶりに体育館のまえで頭をさげたときの隣にいたコイツの顔と同じで思わず俺も鼻で笑ってしまう。

 俺はチケットを取ってすぐさま台北へ向かった。空港についてすぐ彼女のマンションを探す。彩子から教えてもらったおかげでちゃんと無事にたどり着くことが出来た。あいつらの結婚式でもしもスピーチを頼まれたあかつきには絶対にこのネタをぶっ込んでやろうと決めた。
 聞き慣れない言葉が飛び交うこの街で、お前はどうしてたんだよ。お前のことだから、きちんと会社へ行って規則正しく生活していたんだろうななんて思うと自然と笑みが零れてしまう。
 彼女の部屋の前まで来て俺は大きく息を吸った。こういった一世一代の勝負時には必ず、高校三年生の夏——インターハイでの山王戦を思い出してしまうのはずっと変わっていない俺の中でのルーティンだ。


 ——名前、迎えに来たぜ。


 インターホンを押す。その手がどうも震えている。しかし中からは返事がない。どうやら留守みたいだ。仕方なくその場で彼女を待つ事にした。
 一時間ほどした頃、アルミの階段をコンコンと登って来る足音が聞こえた。壁にもたれ膝を立てて座っていた俺が顔を上げると、そこには彼女、名前が立っていた。

「……」
「……」

 踵を返して走り去ろうとする彼女の手首を思い切り掴む。そのまま強い力で引き寄せて抱きしめた。言葉なんて、どうでも良かった。ただ、抱きしめたかったんだ。
 最初は抵抗していた彼女だったが、やがて細い腕が俺の背中にやんわりと回された。そして強く抱きしめ合った。

「名前、中で……話そうぜ」

 コクンと力なく肯く彼女の身体を離して一緒に部屋に入った。中に入った途端にまた抱きしめたくなり、もう一度、後ろから彼女を抱きしめる。顔を寄せると、彼女が泣いていた。

「名前……一人で辛かったよな?そばにいてやれなくて、悪かった……」

 彼女が勢いよく振り返り、俺に抱き着いたまま声を殺して泣く。我慢して我慢し続けた涙が堰を切ったように彼女の頬を伝っていく。

「声、出して泣けよ……」

 俺はそうつぶやいて唇を噛みしめる彼女を強く抱き寄せた。


 ずっと会いたかった人がそこにいた。強く抱きしめられて涙があふれた。いつの間にか覚えた、唇をかんで声を殺して泣くという特技。

「声、出して泣けよ……」

 寿くんが胸に私を抱き寄せて言った。小さな嗚咽が漏れる。そして私は声を出して泣いた。寿くんはそれでも私を正面から受け止め抱きしめ続けてくれた。
 やがて落ち着いた私をソファに座らせてくれた寿くん。彼も横に座りゆっくりと言葉を交わす。寿くんは全ての事情を話してくれた。荒れた生活を送っていたことやチームメイトの背中を押してあげたこと。もちろん、元……恋人とのことも、すべてを。
 私が子供を堕ろしたことも、俺が悪いと謝った寿くん。違う、寿くんのせいじゃない、そう言っても彼は断固として譲らなかった。

「名前は心も身体も傷ついたんだ。だから、自分を責めなくていい」

 寿くんは、やさしいあの瞳で私を見つめる。

「もう一度……やり直そうぜ?」
「……」
「きっと今度は……元気な子供、授かるからよ」

 彼は、そっと私を抱き寄せて優しくそう囁く。

「……産んでも、いいの? 許される?」
「あたりめぇだろうが。だからもう、自分を責めんな。頼むから……」

 そう言って、私の頬を両手で包み込み、優しいキスをくれた。


 *


 まもなくして私は日本へ帰った。後任者が決まって空港に降りた私を寿くんが出迎えてくれた。

「お帰り、名前」
「ただいま、寿くん」

 彩子と宮城さんも来ると言ってくれていたようだが、それは寿くんが丁重にお断りしたらしい。なんか変なの。会いたかったのに。でもそれは、彼の嬉しそうな顔を見て、言わないでおこうと思った。
 寿くんは新しく住居を変えて私を迎える準備をしてくれていたらしい。マンションまで向かうあいだ、少し広めの部屋にしたんだと、楽しそうに話していた。
 久しぶりの日本。駅ビルの広告塔にスポーツブランドとコラボしている、いま、私の手を引いて隣で歩いている人の写真が、でかでかと掲載されていて思わず足を止めて見上げた。

「……なんか、見たことある人が飾られてる」
「バーカ、俺だっての」
「ふふ、うん。知ってる」


 どうやら彼は——ビッグに、なったらしい。


 新しい新居に到着する。いつかここに、新しい命を迎えられますように……。
 フランソワが走って来た。つぶらな瞳で足下にじゃれてくる。でも寿くんは、さっさとハウスに入れてしまうのだ。必死に「フランソワ、ハウス!だーっ!ハウスだっての!」と叫ぶ姿がさっき見上げた広告塔のスマートさとは真逆で、思わず吹き出してしまう。

「寿くん?」
「あ? 今は、だめだっつの」
「なんで?フランソワ触りたい」
「俺の……俺だけの、名前だからな」

 そう言ってニヤリと口角を吊り上げた寿くんがひょいと私をお姫様抱っこする。「ぎゃあ!」と品なく声を漏らした私を無視して、そのまま寝室へと連れて行かれた。
 彼は私を一向に離そうとはしてくれず扉の向こうでクンクンと鳴くフランソワがなんだか不憫で可哀想だった。あとで、めいっぱい愛でてあげようっと。

 翌朝——。あたたかな胸に抱かれて目線を上に向けると、大好きな優しい瞳が私を見ていた。


「——名前、愛してるぜ。」


 そんな言葉が未だ夢か現実か曖昧な境界線の中で聞こえた気がして、私は幸せをかみしめたくてもう一度、瞳を閉じた。
 瞼に落ちて来るくちびるの柔らかい感触を感じながら、私はまた夢の中へと落ちて行った。










 夏 の名残にあなたをください。



(だーっ!フランソワ!!)
(え……?)
(ベッドに乗ってくんじゃねぇ!!)
(はは、いいよー?一緒に寝ようフランソワ)
(だーかーらっ!俺のだっての!)
(家に犬が二匹いる……)


※image song『 恋時雨/湘南乃風 』


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