※原作ネタバレ+捏造のため閲覧注意。
※原作・アニメを未視聴の方はご注意ください。






 本当に喧嘩ばかりの日々だった。最初はもっと穏やかに愛し合えると思っていた。
 片想いが叶って両想いになれたとわかった日、死ぬほどに、あんなにも嬉しかったはずなのに。それなのに時間が経つほど、どうしてかすれ違いばかりが増えていった。彼は表の顔とは違って、付き合ってからは言葉の少ない人だった。いつも冗談みたいな軽口ばかりを言って本心をどこにも置いてこないような人だった。こちら側が不安になって詰め寄っても、いつも笑って誤魔化して、優しすぎる目で黙ってしまう。

『大丈夫ですよ、俺のことは気にしないで。』

 そうやって、何でも背負ってしまう人だった。だけど私は、大丈夫じゃない彼を知りたかった。ヒーローじゃない彼を、好きでいたかったのだ。

『俺はただ——あなたを守りたかっただけです』

 あのとき私たちは正しさを巡ってぶつかった。誰かを救うために誰かを犠牲にしてもいいのか、ヒーローという存在が命令に従うだけのものならそれは果たして希望なのか——。
 あの夜、私が『あなた苦しさを、半分持たせてほしいだけ』と言ったとき、彼は俯いてしばらく黙ったあと、冷たい声でこう言い放った。

『そんなこと、してほしくない。最初から』

 終わらない応酬の末に『あなたとの未来が見えない』と言葉にしたのは私のほうだったけれど、それを突き刺したのは、彼のほうだった。

『だったら俺じゃなくていいんじゃないですか』

 笑っていた。最後まで彼は、笑っていたのだ。けれどその目は、明らかにいつもより遠かった。それが本当に最後の喧嘩になった。私は何も言い返せず、それ以上何も言えなくてただ背を向けて静かに泣きながら彼の部屋のドアを閉めた。彼は追いかけてこなかった。そのまま私たちは別れてしまった。音沙汰はなかった。
 それからというもの何度もあの夜のことを思い返しては、あの時もっと優しくすればよかった、ちゃんと待っていればよかった、もっと違う言葉を選んでいればと後悔だけが何度も胸の奥でやり直しを繰り返した。それでも彼の羽音はどこかで風を切っているように思えて、私は毎晩、毎晩、空を見上げた。忘れたくて、でも忘れられなくて過去にしようとするたびに、胸の奥がきしんだ。

 そうして季節がひとつ、またひとつと、過ぎていった。そして今日、静かな部屋のテレビ画面に彼が映っていた。黒いスーツに身を包んだ我が国ナンバーワンヒーロー、エンデヴァーが報道陣の前で深く頭を下げていた。その隣にはベストジーニスト。そして——彼、ホークスがいた。
 彼は声を震わせずに、言葉を噛みしめながら、ただ真っ直ぐに前を見て、淡々と話していた。

『——父の件も逃げるヴィランを刺し殺したのも事実です。父について隠していた事につきまして謝罪申し上げます』

 その言葉の奥に、何重もの疲労と後悔と、それでも、なお、前を向こうとする意思、ヒーローであり続けようとする信念が見えた。私はテレビの前から動けなくなった。
 生きてた。彼は生きていたのだ。私を置いて、ひとりで死んでなどいなかった。でもその代償に何を失ったのだろう。羽根も声の一部も、国民の信頼も、そしてもしかしたら、自分自身までも。
 私は気づけば走り出していた。足が止まらなくなった。連絡もとれないまま、ただ、彼に会いに指定避難区域へと向かった。


 *


 避難区域の手前——まだ安全とされるエリアに差しかかったとき、幼い声が耳に届いた。ちらと横を向くと、瓦礫の隙間を縫うようにして二人の子供が走り回っていた。
 すでに空き地になってしまった公園跡。かつてブランコがあったであろう場所には陽の光だけが揺れていた。

「君たち、危ないよ。あまり奥に行かないでね」

 私は自然と声をかけポケットを探る。たまたま中に入っていたラムネとキャラメルの袋。小さな掌にそっとそれらを差し出すと、二人の子どもは少し戸惑ったあと顔を見合わせてから嬉しそうにビー玉のような瞳を輝かせて「ありがとう」と、言って笑う。笑い声を上げながら駆けていく姿を私はしばらく、見送っていた。焼け跡と瓦礫——そして、今なお残る熱の匂いの中を無垢な瞳が、何ひとつ恐れず駆けてゆく。その笑顔の奥に私はふと空を駆けるあのヒーローの背中を思い出していた。ただ「守りたかった」というあの眼差しをどれだけ忘れようとしても、忘れられなかった。

 私はもう一度、深く息を吸って足を踏み出す。熱の残る空気の中、がれきに足を取られながら、なぜか引き寄せられるようにして立入禁止の柵を越える。誰も近づこうとしない、その隔離区画の一角に彼はいた。焦げついたコンクリートの上にひとり背を向けて立つ影。その背中が振り返ったとき、目が合った。そして彼は、まるで何ごともなかったかのように、ふっと笑ったのだ。
 けれど私はその姿を見た瞬間、無意識に、逃げ出していた。ほんの一瞬だった。でも確かに私は踵を返していた。焼け焦げた羽根の痕——両腕に巻かれた包帯。その痛々しい姿が、胸の奥を切り裂いたから。
 会ってはいけない。近づいてしまえば、きっとまた許してしまう。そう思って逃げようとした、次の瞬間。カチリと、嫌な音がした。靴底の下で何かが噛み合ったような音。一瞬で、空気が張り詰めた、そのとき——

「……動かないで!」

 背後から飛び込んできたその声は、夢で何度も聞いた声だった。あのときと同じように私を守ろうとする声。背筋が凍りつくほどの緊張感と胸を焦がす懐かしさが一度に押し寄せる。ゆっくりと顔だけで振り返ると、彼は唇を引き結びながら、真剣な眼差しで、私だけを見つめていた。

「地雷です。今、あなたは地雷を踏みました」
「えっ!?」
「さっき、判明したんです。この一帯、地雷原の可能性があるって」
「うそ……っ、え、え、えっ……ほんとに!?」
「たぶん、そこにある。その、右足の下に」
「え、え、えっ! 地雷って、あの……?」
「まだ、作動してないとは思いますけど」
「え、えっ……ほんとに? ほんとにあるの?」
「……さて、どうでしょうね」
「えっ!?待って、私……死んじゃうのっ!?」

 彼は静かに私の方へと歩み寄ってきた。まるで何も怖くないような飄々とした顔をして。けれどその眼差しの奥で、何かが確かに震えていた。

「……っ……」
「動かないでって言ったでしょ」
「……うう、だって……!」
「俺、ヒーロー生活は長い方ですけど……それを踏んで助かった人は……見たことがありません」
「ちょっと!何で今そんな不吉なこと言うの!」

 私に顔を近づけてきた彼、ホークスは、ふっと目を伏せて両手を腰にあて、肩で息を吐いた。

「ねえ!どうにかしてよっ!このろくでなし!」
「……今、頼れる唯一の相手を、罵りました?」
「だって、無理なんでしょ!?私、死ぬの!?」
「死にません」
「方法が……あるの?」
「……離れて。俺が代わりに踏みますから」

 私は言葉を失う。彼の声はあくまで冷静だったけれど、その琥珀色の瞳だけが熱を孕んでいた。私は泣き出しそうな顔をして、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。

「このまま怯えてるあなたを見ているくらいなら俺が代わりに踏んだ方がいい」
「は!?そんなのダメ……!なんであなたが!」

 彼はもう私のすぐ隣まで来ていた。肩が触れる距離。彼がそっと自分の足を私の足の真下に滑らせるように踏みかえていく。私は混乱しながらも彼の足元と顔を交互に見て、彼の腕を強く掴む。

「……え、待って。代わりにって……?なんで」
「……」
「冗談だよね?だってそんな、地雷なんて……」
「まぁー、半分嘘です」
「はぁ!?なにそれ!」
「でも半分は本気ですよ。だって、俺はあなたを守るためにヒーローやってたんで」

 そう言って彼は私の顔を覗き込みながらふっと微笑んだ。けれどその笑みは微かに揺れていた。

「……爆発、する?」
「しますね」
「えっ?」
「俺があなたの代わりに死ぬんです」
「……はぁ!? そんなのダメっ!何バカなこと言ってるの!なんでホークスが死ぬのよ!」

 感情が爆ぜた。言葉が止まらなかった。本当はずっと会いたかったことも、怒っていたことも、愛していたことも、全部、全部、喉元からこぼれ出そうだった。

「もう、やだ……!お願い、死なないで……!」

 私は彼の胸をどんどんと叩いた。何度も何度も力を込めて。それでも、鍛え上げられた彼の体幹ではびくともしない。

「あなたが無事でよかった。それだけで俺はもう十分です」
「ちょっと……なにそれ、やめてよ……!」
「……」
「とりあえず……!誰か呼んでこないと!まだ、どうにかなるかもしれないでしょ!?」
「……」
「自分ができないからって、諦めないでよっ!」

 言いながら私は彼の胸を叩き続けた。だが次の瞬間——彼の腕にぎゅっと引き寄せられて、私はバランスを崩し彼の体の上に倒れ込んだ。瓦礫の上で彼に抱きとめられたまま、私はぎゅっと目を瞑った。しかし、なんということだろう、地雷は何の音も衝撃も出さなかったのだ。聞こえるのは鳥の囀りだけ。

「……元気でした?」

 それは、呆気ないほど穏やかな声だった。その言葉に私は思わず顔を上げる。土埃の中でも彼の瞳はまっすぐで優しかった。そしてあのへらっと笑う顔を見た瞬間、気づけば私は、泣いていた。
 世界が止まった気がした。鳥の囀りも今はもう聞こえてこない。あまりにも彼らしいその言葉に胸が一気に詰まってしまう。

「ほら、見てください。空が綺麗ですよ」
「……ばか……最低、嘘ついたんでしょ」
「……」
「……ばか、ばか……ばかヒーローっ……!」

 彼に覆い被さったまま拳で彼の胸をドンドンと叩く。そうして私は、彼の腕の中にしがみついていた。

「……ほんとに……生きてて、よかった……」

 私はその腕から、今度はもう、逃げなかった。こんなふうに、また触れられる日が来るなんて、思ってもいなかった。

「やっと、会えましたね。」
「……っ、……」
「もう一度、あなたに会いたかった」
「——っ、……っ、」
「会いたかったです、名前さん——」

 彼の声は、震えていた。ふざけているようで、ふざけきれなかった、そんな声だった。私はその胸の鼓動を聞きながら彼の胸に顔を埋めた。涙が止まらなかった。彼が生きていてくれたことが、私にまだ、会いたいと思ってくれていたことが、死ぬほどに、とてつもなく嬉しかったのだ。
 もう二度と、帰ってこないと思っていた。もう一度だけ姿が見られたらそれでいいと諦めていたのに——。こんなふうにまたあなたの胸に戻ってしまうなんて。
 泣きながら声にならない声を出して、拳で彼の胸を何度も叩いた。それでも彼は逃げなかった。どんな痛みよりもその抱擁を離したくないとでも言うようにそっと私を腕の中に閉じ込めたまま。

 彼がヒーローであることに私は嫉妬していた。彼が世界を守るたびに私は世界の片隅で、置いていかれる気がしていた。でも今こうして彼の腕の中にいて、ようやくわかった。私が本当に欲しかったのは、ただ、帰る場所をあなたにあげることだったんだ、って。

「ごめんなさい……。あのとき、あなたにあんな言い方をして——」
「……っ、」
「ごめんなさい、泣いて出ていったあなたを……追いかけてあげられなくて」
「謝らないで……!もういい。生きて帰ってきた今はそれだけで、もう充分だから……!」

 私は彼の胸に顔を埋めて声を押し殺した。焼かれてしまった羽根は、もう彼の背にはなかった。それでも彼の腕は確かに私を包んでいた。こんなにも、あたたかく、こんなにも私を想ってくれるカタチで——。
 きっとこの再会は、決してドラマチックな奇跡じゃない。けれど心の奥に残る炎のように二人がもう一度、触れ合ってもいいと赦された瞬間だ。
 あの日、言えなかった言葉の続きを、これからゆっくり紡いでいけばいい。だから今は、生きて帰ってきてくれて、ありがとうと伝えたい。

 羽根を失ったヒーローは、もう自由に空を飛べないのかもしれない。でも、もう一度、この胸に触れてくれるなら。私は何度だって、あなたの、あなただけの地上になれる。
 こうして地上に戻ってきたあなたが、ようやく私を抱きしめてくれたことが何よりの救いだからもう一度、あなたに触れてもいいのなら今度は、絶対に離さないと誓えるから——。

 しばらく私は、彼の胸に顔を埋めたまま動けなかった。どれほどの時間が過ぎたのかもわからない。けれどその温もりがやがて静かに私の呼吸を整えてくれた。そんな沈黙をやさしく破ったのはやっぱり彼だった。

「……ところで」

 不意にくぐもった声が、私の頭の上から響く。

「俺、そろそろ……窒息死しそうなんですが」

 私はびくりと身を引く。顔を上げると彼はいつものように、困ったような笑みを浮かべていた。けれどどこか本当に苦しげで慌てて言葉を返す。

「っ……! わ、私が……重いってこと!?」

 冗談だと頭ではわかっていてもつい語気が強くなる。彼は首を横に振って、優しく息を吐いた。

「いえいえ。命の重みを感じてるってことです」
「……っ、ご、ごめん……今、どくから……」

 私は急いで上体を起こそうとする。けれどその瞬間、彼の腕が、そっと私の背を引き戻した。

「そのままで、いいですよ」
「……」
「……もう少しだけ、このままで」

 その声は少しかすれていたけれど、どこまでも静かでやさしかった。私は何も言えなくなって、その胸に再び、そっと身を預ける。
 陽炎のように揺れる空の下——ひとつの息と、ひとつの鼓動が、ふたたび重なっていく。焼けた羽根の名残と土埃の向こうで始まった帰還の抱擁は、きっともう二度と離さないと誓うように深くそして、どこまでも現実(リアル)だった。





 

帰る場所が、あなたなら


(……ねえ、ホークス。帰ってきて……)
(……ただいまって言っても、いいんですか?)
(うん、いいよ)
(だったら俺、何度でも帰りますよ?)
(ふふ。まったく、調子いいんだから)
(はい。だって俺、まだ名前さんのこと——)
(……)
(全然、手放せてないですから)

※image song『 I'm sorry/Ailee 』


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