つないだ手の温もりは、

その日は珍しく朝から頭が重かった。
目が覚めた時、頭に鋭い痛みが広がったのは飲み過ぎや寝過ぎから来るものでも、偏頭痛でもない。
認めたくないが恐らく風邪によるものだ。昨晩から喉に違和感を感じていたものの、寝たら治るだろうという安直的な考えで、チョッパーから薬も貰わず寝たら、このザマだ。

朝飯のため重たい体を起こし、キッチンに入ると俺が最後だったらしく各々から朝の挨拶と、遅く起きて来たことへの嫌味を投げられる。

「おはよ、ゾロ」

残りの空いてる席に着くと、明るい挨拶と共に背中を叩かれ、首だけ捻って真横を見ると、朝っぱらから無邪気に笑うナマエが横に座っていた。

「なんだ、ナマエか」

朝から憎まれ口にも似た言葉を言ったが、彼女の顔を見て内心で、安堵の溜め息を吐いたのも事実だった。
いつもと変わらない、なんてことのない朝の挨拶を交わしただけなのに、ナマエはその笑みを引っ込めて、怪訝そうな表情を浮かべる。

「……鼻声」

ポツリと零された言葉に、軽く唇を引き締めた。
たった一言、言葉を交わしただけで、俺の体調を暴かれたことに驚いたのだ。

丸っこい目を鋭くさせて見上げてくるナマエに、いくら取り繕ったところで、バレるだろうなと、諦めにも似た感情と共に溜め息を吐いた。

「あ?……あぁ、夕べから少しな」

正直に告げると、ナマエは「珍しいね」と軽く眉を下げ困ったような表情を取るものだから、俺は湧き上がる感情を抑えるために、後頭部を掻くしかなかった。

「あ!飴玉ならあるよ?」
「飴玉?」
「うん、このあいだ島で買ったの」
「あー……じゃあ、くれ」

ナマエのポケットから取り出された飴玉の入った包みを受け取り、とりあえず自分の懐に仕舞い込んだ。

「サンキュ」

チラリと視線を隣のナマエに戻すと、少しだけ不安の残る顔で俺を見上げるナマエと視線が重なった。

「大丈夫だって、日頃から鍛えてんだから倒れるほど柔じゃねぇよ」

不安が消え去るようにと、ナマエの頭に手を乗せて撫で付けてやったが、ナマエはその表情に浮かべたものを、益々悲壮なものへと変貌させる。

「でもゾロ、血まみれで何もなかったとか平気でウソつくよ?」
「っるせぇ!忘れろ!なんで知ってんだよ!」

優しくしていたはずの手は、ナマエの言葉によって自然と乱暴なものになった。羞恥に耳まで赤く染まり、風邪とはまた違う頭痛が襲い掛かる。

どうしてコイツはいつまで経っても、減らず口をきくのか。

ぎゃ、と色気の無い悲鳴を上げたナマエから手を離すと、クソコックの「ゴラァ、マリモ!」という耳障りな声が聞こえて、また大きく溜め息を吐いた。



その日は筋トレ以外、ほぼ睡眠で乗り切った。
けれど、普段と比べれば汗の量が尋常でないほど多かった。あまりにも汗が吹き出てきて、タオルでは追いつかなくなり、何度かシャツを取り替えたのだが、明日の予備も含めて6着ともすべて使い切ってしまうほどだった。ナミに怒られるな、こりゃ。

こんだけ汗を掻いたなら、風邪も引き下がってくれりゃあいいのに、引くことは無いのだから世知辛いものだ。

その日の晩飯は初めて抜いた。
その旨を伝える際に、甲板にいたチョッパーに、飯はいらないと伝えてくれ、と、いうことに付け加えて、ようやく自身が体調不良だとも訴えた。

整然とした自室は、当たり前に人の気配が全く感じられず、皆キッチンで夕食を共にしていることから船内が静かだった。
壁にある電気のスイッチを押すと2、3度瞬いた後に明かりが点き、閑散とした室内を目の当たりにすると、嫌でも溜め息が漏れる。

別に飯は無いなら無いでもいいが、もう一度部屋から出る気力はすでに尽きてしまっている。

「コックから何かもらってくりゃ良かった……」

この仕打ちには溜め息を吐くことしか出来ない。
頭痛も酷くなってきたし、机に置かれたままの昨晩の残りの酒を飲んで寝てしまおうか。だが、空腹の状態で飲んで、しかも稀に見るこの体調不良。胃が荒れるのも辛い。

どうも風邪は、思ったよりも悪化の一途を辿っているらしい。
なにか冷たい物が飲みたいが、やはり、部屋を出る気力が沸かず、遂に歩くという選択肢すらも取るのがどうも億劫に感じられてならない。

──ダメだ、
全部諦めて、軽く汗だけ流して寝るか。

汗でベタ付く身体で床に着くのは厭わしい。本日何度目かわからないシャワーを浴びてから、タオルで頭を拭っていると、コンコン、と乾いた音が室内に鳴り響いた。

──誰だ?

面倒だと思いつつも、朦朧とした意識の中では正常な判断が出来ず、更にドアを叩かれた方が煩わしいと思い、部屋の入り口へ向かった。

ドアを開けると、すぐに冷たい空気が流れ込んでくる。シャワーを浴びたことで身体に集めた熱を一瞬で奪われてしまい思わず身震いした。
誰が来たのかと、視線を落とすと、そこには今朝、笑顔で飴玉をくれた彼女が立っていた。

「………ナマエ?」

目を丸くして俺を見上げたナマエは、俺の肩に掛かるタオルを見て、しまった、と罰の悪そうな表情を浮かべた。

「あ、ごめん、お風呂入ってたんだ」
「いや、別にかまわねぇけど」

寒さが身体に染み付く前にと、ナマエの手を引いて部屋の中へと招き入れる。彼女が部屋に来ることは珍しく無かったが、事前の伝言無しに突然やってくることは滅多にない。

「どうした?」
「あのね、コレ、サンジくんからバカマリモにって」
「んだよ、それ……」
「あと、チョッパーから風邪薬」
「……」

脱力して肩から力を抜いて、ベッドの縁に腰を下ろすと、ナマエは両手に持っていたお盆ごと、枕元のサイドボードに置いた。その行動を横目に見れば、ナマエが落ち着いた声で、みんなが心配しているということをしれっと口にされると、気恥ずかしいものがあったけれど、悪い気分にはならなかった。

「でもまさか、風邪引くとは思ってなかったよ、ゾロもれっきとした人間なんだね」

そう言って、面白そうに笑うナマエは、相変わらず悪戯小僧のような顔だった。

ひとつ、ナマエの額を小突くと、俺はそのまま倒れ込むようにベッドへと雪崩込み、「適当に座れよ」と枕をクッション替わりにするよう、ナマエに向けて放った。
それを片手で器用に受け取ったナマエは、ベッドの傍に枕を置くと、その上に膝立ちになり、仰向けになって倒れ込んだ俺の顔を覗き込む。

「ゾロ、まだご飯食べてないでしょ?」
「あぁ?……おぅ、まだ食ってねぇよ」

ナマエの手が俺の額に伸びる。
相変わらず冷たい指先の感触に目を細めて、俺からもナマエに手を伸ばした。
彼女の額もまた、指先と同様に冷たくなっており、シャワーを浴びた俺の手の温度が移ればいいのにと、両手で覆ってやったが、ナマエの頬が温まるよりも前に離れていく。

名残り惜しむように、ナマエの手を取ったが、あしらうように頭を撫でられただけであった。
立ち上がったナマエは、枕元の盆が乗ったボードを少し引く。

「具合は大丈夫なの?食べられそう?」
「………食べる」

まどろんだ視線でナマエを眺めていたのだろう。
気怠げに起き上がろうとする俺の背中に、手を差し入れ、心配そうな顔で見つめてくる。
情けなくも、抱きかかえられるように起こされ、傍らに置いてあった枕をすかさず背中に入れられるものだから、介護でもされているような気分に陥る。

「……っつーか、コレ多過ぎだろ」

平常であれば楽に食べられるだろうけれど、いまの状態でこの量を食べきれる自信が無い。
焦った俺を一瞥したナマエは、茶碗にお粥をよそい、俺の手の中にレンゲと一緒に押し込んだ。

「だって私も食べるもん」
「は?お前食って来たんじゃねーのか」
「うん、早くゾロのとこ来たかったし、一緒に食べたいなって思ってたから」
「……あっそ」

自分の分をよそいながら答えるナマエの言葉に、彼女のありがたみと愛しさが、心の中に充満する。
こんな風にナマエから大事にされているということが、最近とくに素直に身に染みて嬉しいと思うようになった。

出会った頃は、気恥ずかしさが強くて、煩わしいと思ってたことが信じられない。

「それじゃ、サンジくんのご飯、いただきまーす」

小さな手の平同士を合わせ、親指と人差し指の間に箸を挟んだナマエに促され、俺もまた持たされたままの、お粥に口をつける。
食ってると身体が温まっていき、食べる前よりも食欲が出てくるようだった。最初は食えない、なんて言って跳ね除けたくせに、3分の2以上を食べてしまった俺にナマエは、嬉しそうな表情ながらも苦笑いを浮かべる。

「食欲ありそうなら追加でサンジくんに頼んでこようか?」
「いや、充分だ。ありがとな」
「あ、でもゼリーもあるよ」

そう言って、盆の脇に置いてあったミカンのゼリーを渡されて、ナマエの手に視線を延ばす。ゼリーを持った手とは逆の手には、ナマエの大好物であるプリンが持たれていた。
それが、ナマエがコックの作るデザートの中で一番気に入っているデザートであることが見て取れて、ニヤリと口元を緩める。

「そっちのプリンは?」

冷やかすような視線を投げ掛けると、ナマエは焦った表情で身体を捻って、俺の視線からプリンを守る。

「これは私の!」
「ふーん」
「な、なによぅ。サンジくんがくれたんだもん、食べたっていいでしょー?」
「バーカ、取らねぇよ。サンキュ」

一通りからかって楽しむと、ナマエは人の悪い顔を浮かべる俺を睨みつけながらも、すぐに肩から力を抜いてプリンを頬張った。

幸せそうに食べるナマエの姿に頬が緩み、彼女の方へ自然と手が伸びる。

頭を柔らかく撫で付けてやると、気持ちよさそうに目を細めるナマエに、プリンの味が幸せなのか、俺の手を愛しく思ってくれてるのか、どちらなのかと考えた。
……俺の手であればいいのに、と願いながらミカンゼリーを口に運んでいると、甘ったるい味が口に広がり、喉が渇いていることに気付いた。

「なんか、飲み物ねぇか?」
「はいはい」

膝立ちになって、サイドボードに手を伸ばしたナマエは、盆の上からグラスに入った水と風邪薬を俺に差し出してくる。
ガラスのグラスに口をつけていると、食べ終えたゼリーの器を手から抜かれ、盆の上の他の器と一緒に重ねていた。
そのまま立ちあがったナマエは、口元に笑みを浮かべて、俺に手を翳す。

「それじゃ、あとは温かくして寝てね」
「なんだよ、もう帰んのかよ」

病気になると心細くなるのか、思わずそのような言葉が口をついて出た。
言った俺自身も驚いたが、普段から俺の憎まれ口しか聞かないナマエの方が、驚きが大きかったのか、真っ直ぐに唇を引き締めて、丸っこい目を更に丸くして俺を見やる。

素直過ぎる言葉を吐いてしまったことで、頬に熱が走り、持ったままのグラスを頬に当てて羞恥を隠した。
俺の慌てる様子を目にしたナマエは、小さく噴き出して笑い、肩から力を抜いて鮮やかな笑みを向ける。

「んー、じゃあ、もう少しいようかな」

俺の寝るベッドに肘を付いて、腹から寄り掛かるようにして座ったナマエに合わせて、背中を預けていた枕を外し、俺もベッドに横になった。

俺の横に置かれたままだったナマエの手の平を握り締めると、ナマエがあまりにも嬉しそうに笑うものだから、正面から見ていられなくなり、わざとシーツに目を落とす。
クスクスと笑ったナマエは、ベッドに右頬をくっつけて、俺と目が合うようにした。

「ゾロ。ゾロってば」

繋いだ手の指先をくすぐるように弄ぶナマエに、観念して視線を戻すと、鮮やかな笑みが眼の前に広がった。

「出会った頃もさ」
「あ?」
「こういうこと、しょちゅうあったよね」
「そうだったか?」
「ゾロさ、いっつも船の隅で泣いてる私を見つけてさ」
「あー……あったな」
「不安だったんだよね、突然この船に降り立って」
「……」
「決まっていつもゾロが傍にいてくれた」
「……逆もあったろ」
「そうだっけ?」

俺の言葉に、今度はナマエがとぼける番だった。

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