笑って、待ってて
※サンジ、ゾウで仲間と別れる話の派生※ウタが世に知れ渡っている世界観
ゾロに、「サンジくんと喧嘩した」というと死ぬほど呆れた顔をされた。
「なんでンなことになったんだよ」
アイランドキッチンのあるこの部屋。いつもはサンジくんの仕事部屋と言っても過言ではないこの空間で私は酒の在処を探し当て、キッチンの向かい側に座っているゾロへと差し出す。映像電伝虫ではウタのライブの中継が激しい熱量と共に伝えられていた。
航海の途中に上陸した島の露店で私が買ってきておいたマリネやローストポークなどがトレイのままそこに並んでいて酒宴はゆるい雰囲気のまま盛りを過ぎていた。
「いやぁ……ちょっとカッとなっちゃって。サンジくんなにか言ってなかった?」
「昨日もここで飲んだが……とくには。あいつ自分のことは言わねェしな。そもそもあいつのことなんざ興味もねェが」
「……」
「まァ……ほどほどにしとけよ」
「うん……、そうだね」
私も見様見真似で檸檬割りを作って飲んだ。濃い目に出来たそれは炭酸強めで美味しかった。まさか乱闘沙汰になったとは絶対言えないなと思う。さすがにゾロでも呆れを通り越して怒るだろう。私はお酒をぶっかけて蹴ったし。
ゾロやフランキーたちから、こうしてお誘いがあるとき必ずサンジくんもここに同席していたものだが今日に限って彼はいなかった。島に買い出しに行ったのかもしれないけれど、なんとなく自分のせいかなという気もする。
まさか私と顔を合わせたくなくて持ち場(彼の仕事場)を離れるほどキッチンへの執着が薄れたわけではないだろうけど。ウタのライブを観ながら、ついでに右ストレートでぶん殴っておけばよかったといまだに思ってしまうあたり我ながら反省が足りていない。
*****
「ナマエちゃん。久しぶりだな」
お手洗いから出るとサンジくんと船内の通路で鉢合わせした。彼もお手洗いに向かうらしい。ゾロと二人で飲んだ日から約一か月後に今度はフランキーからのお誘いでこうして三人集まることになったのだが。
サンジくんは私に一言も話しかけず目も合わせなかった。フランキーも余計なおせっかいはしないと決めたらしく私とサンジくんのことはスルーしてくれていた。よって、彼が私に話しかけたのはこのトイレ前での一言が本日、初となる。
「お久しぶり」
おうむ返しに会釈つきで微笑する。
すれ違おうとした腕を、いきなり掴まれた。
「君に蹴られた脚がまだ痛むけど。責任取ってくれるかい?」
低い声で、ねっとり囁かれる。
高いところにある顔を睨みつけると険のある目が楽しそうに細められた。
「もちろん、いつでも。フルコースで手当てして差し上げるけど」
「それは頼もしいなァ。このところ、眠りも浅くて困ってるんだ。誰かさんに酒を頭からご馳走されたことが、どうも忘れられなくてね」
「眠れないなんて心配だね。私もあの日、手を掴まれた反動で変に捻ったみたいで。ほんとに困ったもんだよ」
しばらく視線を合わせていた。私は睨んでたけど。しかしチョッパーが通りがかったのを機に火花は急速に鎮火された。第三者の前では良識ある大人を装うべきだ。サンジくんは鼻白み背を向けて歩き出し私は早足でキッチンに戻った。
あの人も反省してないらしい。よかった。もし向こうが殊勝な態度をとってきたら私だけが大人げないみたいではないか。
「なァ、本当はおまえら。仲いいんだろォ?」
紙のように薄いロックグラスを手にフランキーが言う。目がからかうようにキラキラしている。サンジくんは、はは、と笑った。仲間がいると笑うのだ。この男は。
「さあ、どうだかな」
低く、意味あり気な声。
反応したほうが負けだ。無視無視。
「ナマエちゃんがどう思ってるかはわからねェが、俺は可愛がってるつもりだ」
無視したかったのに、そうもさせてくれないらしい。私は二人の視線を一身に浴びて渋々口を開いた。
「もちろん、私もそう思ってるよ。みんな仲良し。そうでしょ?」
「ナッハッハー!まァ、そうだなァ」
「……ナマエちゃん、恋人はいるのか」
いきなりサンジくんがそんなことを言い出して当たり前に驚く。全部知っているくせに、なんでそんなしょうもない話をするのだろう?黙って酒の席を楽しんでいてはいけないのだろうか?
「そういや、あまり聞かねえな。いねーだろォ?ずっと」
「ナミさんの手伝いも忙しいだろうからな。プライベートなんてあってないようなもんだ、この船に居ると」
「なんでそんなことあなたたちに教えないといけないの。ほっといてくれる?」
「まァそう怒るなよ、俺もいねぇしよ。独りもん同士仲良くしようぜ、ナマエ」
くすりと笑うフランキーの声には悪い気はしないが優しく微笑んだ表情を貼り付けているサンジくんにはイライラする。
「……いないのか?」
「は? いるけど?」
「え!?いるのかよ!?」
真に受けてくれたのはフランキーだけだ。恋人なんかいるわけがない。この船ではナミのサポートを請け負っている。そんな仕事がら朝から晩まで、なんなら朝から翌昼まで働いて、それ以外はこの船の上で過ごしている。わずかな時間をこのキッチンでの飲み会に充てている。そんな生活リズムで恋人なんかいるはずがない。サンジくんはそれをわかっていて言っているのだ。
「どんなやつだよ、ウチのクルーの誰かか?」
「う、うーん……か、海賊以外。」
「なんだァそれ。故郷の奴とかだろ?全然会えねーんじゃねェのか?」
「うん、まあね。でもまあ……会えてるよ」
「はーん……。そうか、そういうことかァ」
いきなりフランキーがなるほどなぁ、と言ってニヤニヤしはじめる。なにがそんなに面白いのか、このロボットが。私とサンジくんを交互に見て……サンジくんはれっきとした海賊でしょうに!
「いや、それはない!やめて」
すぐに否定してしまうのは悪い癖だが、このケースでは致し方がない。なぜ自分の秘密をばらすような奴に、しかもナミの取り合いをしている相手と恋人にならねばならない?
「バレたか」
サンジくんの反応に顎が外れるかと思うほど驚かされた。フランキーは本当か嘘かはどうでもいいらしく、わはははと笑っている。
「あんまりふざけたこと言ってると訴えるよ?」
私が怒ってもふたりはくすくす笑っている。これは私が必死になればなるほどドツボにハマるやつだ。
「だってよ、サンジ。フラれたな」
「、だな」
「まあ、飲めよ」
「ああ。」
ふたりの遣り取りを横目に私は今度こそ無視を決め込んだ。
キッチンを出ると外はしとしと雨が降っていた。雨の匂いは、お酒の匂いに似ている気がする。冷たい湿った空気が心地よい。
「ナマエ、一緒に行くか」
というフランキーの申し出を丁重に断った。このまま自室に戻ってナミからの言付けで確認しておきたかったことがあるからだ。きっと働きすぎだと心配されてしまう。とはいえフランキーも気付いているだろう。でも何も言わない。フランキーはこのまま町に出て再度飲み直すらしいし。
「そうかァ?じゃあ……まぁ無理すんな」
「うん、今日はありがとう。気を付けてね」
「おぅ、おやすみ」
フランキーはサンジくんとも軽く挨拶をかわしたあと思慮に満ちた表情を隠してしまう。何か言いたげな顔をしているようにも見えたが、その意思を遮ってそそくさと海岸へ降りて町へ歩いて行き、後には何も残さなかった。
サンジくんはその姿が見えなくなるまで真っ直ぐにフランキーの後ろ姿を見つめていた。
「……さてと、飲み直すか」
ゆっくりとサンジくんが言う。
そのまま、またキッチンに入ったので私もとりあえず後を追った。
「仕事に戻るんだろ?」
私の気持ちを先読みしたエスパーかと思ってぎょっとした。アイランドキッチンを挟んで背を向けてグラスに追加のお酒を注いでいるサンジくんの背中を見つめる。
「どうしてわかったの?私の気持ち」
「わかるよ。ナマエちゃんはそういう子だ」
「あぁ……そういえば私の気持ち伝えたんだもんね、勝手に。お節介にもさ」
これが先日の大喧嘩のきっかけだ。
自分の秘めたる気持ちを本人に暴かれて怒らない人間はいないだろう。しかも勘違いなのに。まあキレ過ぎた感は否めないけれど。
「後悔はしてない。ルフィのことが好きだったんだろ?」
「それ他の人にも公表したら本当に訴えるからね?」
「肝に銘じておくよ。それよりも、手を見せてみな」
「イヤだ」
「俺のせいで捻ったって言っただろ?大事がないか見せて」
そんなものは嘘っぱちだ。それを明かすために手をぶんぶん振って見せた。サンジくんはくすりと笑う。
「ルフィとはその後、話したのかい?」
「あぁ、そういうことも報告しないといけない感じですか」
「まぁ……念のために、ね?」
念のため——私もまぁ思ってもいないことを随分しれっと言えるものだ。確かにルフィのことは好きだ。けれどそれは、ほんの少しだけ他の仲間よりも特別慕っているというだけのこと。だから、サンジくんの大いなる勘違いなのだ。
「サンジくんは?脚、蹴られて大丈夫だった?」
「何ともない、鍛えてるから」
「そうでしょうね、こっちが怪我したかと思ったもの」
「酒をぶっ掛けられて驚いたのは本当だけど」
「頭が冷えてよかったんじゃない?」
「ハハ……手厳しいなァ」
それからしばらく二人とも黙っていた。窓の外に目を向けると雨はいつのまにか止んでいた。濡れた空気がまだこの船の中にも広がっている。ふと視線に気付き窓ガラスに映るサンジくんを見ると目が合った。何を言うでもなく、ただ私を見つめている。
「……ナマエちゃん」
「……ん?」
「先日の件、許してくれ。悪いのは全て俺だ。申し訳なかった。身勝手に言うべきじゃなかったよな」
このタイミングで謝ってくるなんて。これで大人げない大人は私だけになってしまった。サンジくんとはずっと喧嘩を吹っかけたり笑ったり、本当の兄妹みたいな感じでいられると思っていたのに。
彼がなぜ私の気持ちを本人に言ったのかはひとえに仲間ためだろう。それは理解できないでもない。仮にも本気で私がこの麦わら海賊団の船長に恋心を抱いていたとすれば……それは色々と面倒な事になるからだ。でもそれは私のサンジくんへの気持ちにも同じことが言える。
私が自分自身と向き合ってこなかったこと、見て見ぬふりをしてきたこと、赤の他人である私が麦わら海賊団と近づいて、のうのうとこの船の上で生きていること。そんな甘い自分自身の考えが丸裸に見透かされた気がして……自分自身が許せなかった。
それなのに何もなかったかのようにサンジくんは「ルフィが好きなのはいいが、ナミさんの手伝いは大変だろ?キツイ仕事だ」と言われたことも耐えられなかった。
ナミ相手だからキツイのではない。女性でもこの世界では強くて、確かにしっかりと自身の任務を遂行している。海賊も海軍もそうだ。ただ私の能力が麦わら海賊団に属する者として必要な資質に欠けているだけ。無能すぎるから。彼はそんな心の弱音を簡単に暴き出したのだ。
「許すことはできない」
「……」
きっぱりと告げると彼は眉をひそめて沈黙した。暗がりのこの部屋でその横顔のラインが鈍く浮かび上がる。いつも私といるときの困ったような眉とは違って睫毛はふんわりと彼のパーツの中で唯一やわらかそうだ。
「でも、サンジくんと普通のお友だちになれたらいいなとは思ってる。そうすれば許せるだろうし、私も自己課題に向き合えて成長するはずだから」
サンジくんは黙って私を眺めていた。あわい吐息が薄いくちびるから漏れるのが見えた。湿った空気の中で彼のタバコの香りが漂っていた。ゆっくりとサンジくんが私の目の前にくる。
気付くと彼は私の手を取っていた。ゆっくり握りしめて手掌の表皮を撫で、爪先に触れ、指に指を絡めた。
「ありがとう」
お友だちになれたらいい、などと言ったにせよ、その手の愛撫は友情の握手とは違った性質を帯びていた。まるで性器を触るような手つきだった。
彼の手は、洒落たスーツの袖口から皮膚はなめらかで短く整えられた爪までピカピカしている。それに比べて自分の手はひどく頼りなく手入れが行き届いておらず乾燥しがちで、なんだか手だけを見てもまるで釣り合いが取れていない。にも拘わらず彼は手を放してくれなかった。
急に口渇を覚え自分が戸惑っていることに気が付いた。いつものような口喧嘩をしたときのような苦い顔もせず、かといって穏やかでもなく熱を帯びた強い眼差しをしている。
それが欲情なのか、あるいは非常に高度な演技なのか私にはわからない。ただ彼はきっと、泣きそうになるくらい優しく抱いてくれるだろう。
「……もう、部屋に戻るね」
私は手をするりと抜いて袖の中に隠した。現実に戻らなければならない。
「……そうか」
サンジくんは低く呻くように相槌を打った。彼が身じろぎするとチャリ、と鍵かなにかの音が小さく響いた。消灯時間をとうに過ぎた船内はひっそりと静まりかえっている。
「じゃあ。今日はありがとね」
早口に言って髪を耳に掛ける。
自分の頬が火照っていることに、そのとき気が付いた。
「またおいで」
と彼は、そっと囁いた。
「……」
「行きな。ナマエちゃんが部屋に入るまで、ここで見てるよ」
「……わかった。おやすみなさい」
こつこつ、自分の足音が通路こだまする。
重い部屋の扉を押しやり中に入る前に足を止める。
強烈に振り向きたい衝動に駆られたが、そのまま中に歩き続けた。扉が閉まる。ややあってからサンジくんの靴の音が響いてキッチンの扉の閉まる音がして、やがて何も聞こえなくなった。
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