あれから仕事(主にナミのサポート)に明け暮れている。このところ新たな情報の整理に立て込んだため本や地図の見すぎて眼精疲労からの頭痛を引き起こしている。カフェインを控えるべきなのだろうが休憩時のコーヒーだけはやめられない。

コーヒーカップを持って、お行儀悪くベッドに体育座りをして心底ぼーっとしていた。こういうときサンジくんのことを思い出してしまう。あの晩のことを上手に消化できていないせいだ。

船の航路のことを優先して考えなければならないのに……サンジくん……サンジくんか。なんせ初めて他人に暴力を振るったのがあの男だ。彼もいい歳して蹴られるとは思わなかっただろう。お酒もぶっ掛けたし。

そういう相手とキッチンであんな空気になったのは生理現象によるもの——すなわち性ホルモンの作用であろう。彼も私もそういうタイミングだったのだと思うのが自然だ。だから次にふたりきりで会ったときはまた以前の関係に戻っているだろう。

頭ではそう考えても、それだけではないのだと納得していない自分もいる。


自室の時計を見ると23時を過ぎていた。ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んで足早に船を降りる。ひと気のない海辺はまるで氷の世界だ。街の街路樹は霜に覆われて街灯に照らされてキラキラと光っている。

吐く息が白い。鼻の頭が凍えるようだ。
私しかいないはずの砂浜の出口に見慣れたスーツ姿が暗闇の中でも目立っていた。

「……」

驚いたのは、それがサンジくんだったからだ。彼は町の方を眺めてタバコを銜えていて私の気配に気づいてこちらへ歩いて来る。サンジくんが目の前に来て一瞬、黙って見つめあったままお互いに呆然としていた。

「お疲れ様」

彼は、静かにそう言った。
気まずそうな表情を微かに見せたが、すぐにいつもの優しい顔に掻き消された。

「……偶然だね。驚かせちゃったかな?」
「ううん……どうしたの?」

一歩近寄るとサンジくんも一歩歩み寄った。0℃に近い外気温だというのにマフラーの下がじわりじわりと熱をもつ。サンジくんのきゅっと引き結ばれたくちびるが、ゆっくり何か言おうと開口するのを真剣に見つめていた。

「外に飲みに行くのかい?」
「……そのつもり」
「少し……お時間をもらえるか?少しで、構まない」
「……」

自分がいまどんな顔をしているか、だいたいわかる。くちびると頬に熱感があるし、心拍数が上昇していることから瞳孔散大による瞳のきらめきが強調され、いわゆる恋する顔、発情のそれになっていることだろう。

彼を求めることになるなんて——あれだけ毛嫌いする(フリ)相手が謝ってくれたというだけで……というか私はこの人の外観に惹かれていたのだと思う。その気持ちに反発したくて、いつも考えないようにしていただけで。

そんな気さえするほどサンジくんは美しい表情を見せてくれている。それは、たぶん他の人では見られない渇望とためらいが入り混じったものだった。

「私の部屋来る?散らかってるけど」
「……いいのか?」
「うん。どうぞ。戻ろっか……キッチンからお酒でも持ってきてもらえるとありがたいんだけど」
「勿論。お持ちしますよ、お姫様」

彼が先を歩いてエスコートくれたので、また船に戻った。船に上がる際に手を引かれ、そのときサンジくんの匂いがふわふわと漂っていて心地よかった。野性味のあるミステリアスなタバコの香りを胸いっぱいに楽しんだ。

まるでピクニックにいくような晴れやかな気分だった。今日まで皆と一緒の空間でもあまり会話がなくて悶々としていた問題が、これでいっぺんに解消されそうだったから。とはいえ多少の掃除くらいはしておきたかったなと思う。机には書類や本が山積みになっているし洗濯物は部屋干ししっぱなしだし。


「自分が思っていたより散らかってた。有機物はさすがに放置してないので安心して」

ベッドが清潔であればそれで構わない。いや、言うほど清潔じゃないな。サンジくんは立ったまま無表情で一点を眺めている。何を見ているのだろうと視線を追うと自分の色気のない下着が洗濯バサミからぶら下がっていた。回収しようかと思ったが、もういい。サイズのタグまでばっちり見えてるし。

「お構いなく……本当に忙しいんだな、ナミさんが師匠じゃ仕方ないか」
「どんなに忙しくてもサンジくんの部屋はきれいなんだろうね」
「性分だからな。掃除してさしあげたいけど下手に触らないほうがよさそうだ。なんだかアインシュタインの部屋みたいだ」
「そこまで散らかってないよ、失礼な。掃除、今度是非お願いしてもいい?」
「ああ。その後は美味しい酒を用意させてくれ。付け合わせに魚貝料理でも。最近凝ってるんだ。ナマエちゃん、好きだろ?」
「そんなことまでいいの?シーフードは確かに大好物。なんで知ってるの?」
「いや。見てればわかるよ」

サンジくんは低く微笑んでくれた。優しい目をしてる。余裕があればじっくりと見つめあいたいところだが時が惜しい。会話はこの程度にしておこう。

無言で手を引っ張るとサンジくんも付いてきてくれた。部屋に設けられている脱衣所に彼を引っ張りこんで背広を脱がせた。

「ネクタイとシャツも脱がせるね」

しゅるしゅるとネクタイを解きボタンもさっさと外していく。鍛えているといったのは伊達ではなく非常にいい身体をしている。厚い胸板、割れた腹筋があらわになり、たくましい肩が露出した。袖は自分で抜いてもらった。

サンジくんは「驚いたな……」と言いつつ全く驚いていない真顔をしている。彼は私のペースに合わせ同じように私の服も脱がせてくれた。

「万歳して」とセーターを脱がしブラウスの小さなボタンを外した。ブラなんか秒で剥ぎ取られた。自分ですらホックにもたつくことがあるくらいなのに、さすがだ。さすがレディーファースト。何をやってもそつがないし優雅ささえ感じる。

しかしショーツだけは焦らすようにゆっくり下ろした。というのは、そのときになって初めて口唇を重ねたからだ。キスをしながら臀部を撫で自身の下腹部と密着させながら最後の一枚は荒っぽく脱がせた。

私を抱き寄せる手が大きくて熱かった。彼の薄い唇はしっとりとして、やわらかい。いつまでもキスしていたかったが時間には限りがある。

残るは彼の黒のボクサーパンツのみであった。だが、いまから自分と交わる部位だと思うと躊躇ってしまう。このままそっとしておきたいところだ。だが時計は無慈悲に24時を打っている。それにサンジくんは私が下ろせないと知ると情けなく笑うだろう。

「失礼します」

と断りを入れてボクサーパンツを下ろす。陰茎が引っかかり恥骨のあたりで止まった。覚悟を決めて手を入れて立派すぎる陰茎を引っかかった布地から外すと今度はスムーズに足首まで下ろせた。もう一仕事終わった気分だった。脱がすことに成功したというのに彼の口許は意地悪く緩んでいる。

浴室に入りお互い裸のまま抱き寄せあった。シャワーがざーっと流れている。キスも気持ちいいが抱擁も気持ちいい。湯気の中でお互いの肌を堪能した。

「本当に、いいのか」
「……?」
「俺と寝ると、後悔するんじゃないのか」

彼の懸念はわかっている。私たちは冗談でもこんな関係になるべきではない。だから返事の代わりにキスしてあげた。口にも頬にも首筋にも。双方が求めあっているのなら後悔を恐れるなんて馬鹿げている。

サンジくんの体は美しかった。肌がきれいで張りがあって、ぴかぴか光るほどきめ細かい。肩や胸は筋肉で肥大しているが腹部はぎゅっと細く締まり美しい曲線を描いている。

これほど見事な肉体の持ち主なのにサンジくんは私の裸こそを「奇麗だ」と言った。その感覚には同意しかねるが彼は本当にそう思ってくれたらしい。自分は容姿を頻繁に褒められるタイプではないが嬉しいものだ。サンジくんは私を大胆にしてくれる。きっと彼は私が何をしても優しく受け入れてくれるだろう。

愛撫の延長上で互いの体や頭を洗ったあと浴室を出てベッドに転がった。キスをして、びしょ濡れのまま肌を確かめた。

「わたし、上になってもいい?」
「どうぞ。こっちに乗って」

エスコートするように手を引いて下腹部に跨らせてくれる。電気は消さず明るいままやった。サンジくんのことをよく見ておきたかったのだ。

「入れたい?」と訊くと目を細めながらサンジくんが「入れたい」と私を見る。聞いておいてすぐには入れてやらない。粘膜を擦り合わせて焦らしていると堪え様のない手が尻を掴み無理やり挿入された。

主導権を奪い合い、どちらが先に絶頂させるか暗黙の了解で競い合った。むろん、負けたのは私だ。経験値に差がありすぎる。だがそれなりに善戦はしたと思う。

彼が肩で息をしているのを初めて見たし、こらえるようなため息も、せつなげな表情も、こちらが苦しくなるほど美しかった。

それぞれ果てたあとサンジくんは私の髪をドライヤーで乾かしてくれた。ついでに濡れたベッドのシーツも取り替えてくれた。


「——どうしてあのとき恋人がいるのかなんて訊いたの?知ってたでしょ?」

寝転がりながらサンジくんの手を取って自分の手と重ねて見る。指が長く手甲も大きい。静脈と骨が浮き出て指先は角ばっていて男らしい手だ。されるがままになっていた手が急に私の手を掴む。そのまま口許に導いて恭しく指にキスした。

「マリモとよくつるんでるだろ。奴が候補かなと思ってね」
「あー、ゾロは仲間だよ。酒友って感じ。絶対ないない」
「なるほどな。そのわりに俺のことはそれ以上に倦厭していたようだけど?」
「うん。サンジくんもでしょ?」
「俺はそうでもなかったよ」
「そうは見えなかったけど?」
「ナマエちゃんが、俺のことを見ていなかっただけだ」
「……」

ふふ、と低く笑ったあと、その唇がきゅっと閉ざされた。

「諦めれるもんなら、諦めたかった」

彼は私の頭を掴んで唇を奪った。そのキスは、たまらなく胸を締め付けた。それからじゃれあって髪を編んだり何度もキスしたり肌をなぞったりして1時には裸のままふたりで昏々と眠った。抱き合ったまま朝が来ても離れ離れにならないように——。



翌朝、目を覚ますとサンジくんは既にベッドを離れていた。私も着替えてキッチンに向かうとワイシャツを腕まくりしてキッチンで作業しているサンジくんと、朝食の支度が整ったテーブルを前に私が起きて来るのを待っていたらしいみんなが席に着いていた。

早朝から焼きたてのパン、他にはオムレツとサラダまで用意されている。キッチンも相変わらず奇麗。私の部屋も書類は整頓され本は本棚へ、洗濯物は畳んで収納されていたな、たしか。余裕の顔でみんなに朝ご飯を振舞っているのだ。この人、本当にすごい人なんだな。

サンジくんは「おはよう、ナマエちゃん」と言いカップにコーヒーを注いでいる。

「おはよう……」
「悩ましい姿をお目にかかり眼福ですが……シャワーを浴びてきてはどうだい?」
「うーん……シャワーはいいかな、」

徐に席について、はみ出たワイシャツの裾をズボンにしまっていると彼はキッチンから私の席に向かって来て「世話の焼けるレディーだな」と言いながら淹れ立てのコーヒーを置いてくれた。

「熱いから気を付けて」
「ありがとう……」

こんなときに昨晩の出来事が蘇る。サンジくんが「万歳して」と言ったこと。当然ながら、ゆうべ私の服を脱がせたときと違って今朝の彼はテンションがやや低い。





*****


「ナマエちゃん、昼と夜とでは全く別人だな」
「独りが長いとこんなもんでしょ、サンジくんは面倒見いいんだね」
「俺にこんな真似をさせるのはナマエちゃん限りだ」
「……」

朝食を終えて各々の時間を過ごす。私はサンジくんの昼ご飯の仕込みに付き合いがてら、そのままキッチンにいた。出してもらった二杯目のコーヒーを口に含むころには頭もすっきりしていた。サンジくんは私の隣の席に腰を下ろして私のことをじっと見つめていた。まえは何見てるんだと思って腹を立てたこともあったけど。いまは何だか照れくさい。

「美味しい……コーヒー、癒される……」
「それはよかった」
「サンジくん、やっぱお料理上手だよね」
「独りが長いとこんなもんだよ」

私のセリフを真似して微笑んでいる。

「……」
「俺は仕事だからな」
「ん?」
「ん?ああ、料理ね」
「そっか……」

セックスが最高のコミュニケーションとはよく言ったものだ。こうして同じテーブルについていると個人ではなく私たちという単位になる。

その後すこししてから自室に戻ろうと席を立った。顔を下げるとサンジくんがキスをしてきた。ほんの数秒だけの間。よけい寂しくなる、そんなキス。

キッチンの扉の取っ手を掴んでから私は一度振り返った。優しく微笑むサンジくんがいる。余韻に浸る間もなく私は急いでその場を後にした。

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