epilogue02
20××年、12月某日。
最高気温9℃、最低気温4℃。
現時刻、PM19時01分12秒。
星空の中で、一等強く瞬く、碧い星があった。
その星を見上げながら、南沢はベランダの手すりに手を置く。
雪がやむと、風が強くなり雲が流されて、空には星が瞬いていた。
雪の上を撫でるようにして吹く風はあまりにも冷たくて、白くなる息を見送る。
カラカラと静かにベランダの戸が開く音がして振り返ると、日和が自分の靴を持ち、それを履いて出てきた。
「こんな寒い中でよく黄昏てられますなあ」
「酔い覚ましだよ。つーか天はどうした?」
「五月雨氏ならご覧の通りですぜ」
日和が指差す、ベランダと部屋を繋ぐガラス戸の向こうでは、コタツに突っ伏して酔い潰れている天の姿があった。南沢は眉を寄せて声を荒げる。
「潰れてんじゃねーか!」
南沢が言うと、日和は「思ったよりも早かったですな」と頷いた。
「止めろよお前……!」
「まあまあ、どうせ五月雨氏泊めるんでしょ?」
「お前は泊めねーぞ。帰りどうすんだよ」
「京ちゃん呼ぶんで」
「大変だな剣城も……こんな幼馴染もって」
「え?こんな可愛い幼馴染がいる京ちゃんが羨ましいって?」
「言ってねーよ!」
昔から変わらないやりとりをして、南沢は舌を打った。日和は少し間を空けて彼の隣に立つ。ひやりと冷えた手すりに手を預けると、指に嵌められた銀の輪が淡く煌めいた。
「しかし今日は忘れられない日になりましたなあ。まさか昔の五月雨氏に会えるとは」
「タイムスリップってほんとにあるんだな」
「ひよりんだってしたことありますぜ?」
「そうかよ」
日和の言葉を適当に受け流す。勿論、天も日和も過去にそういうことがあったのは南沢も理解しているが、日和が言うとどうにも軽く、言い換えれば嘘臭く聞こえてしまうのだ。
南沢は背を手すりに預け、肘を置いて夜空を仰ぐ。白く凝結した息が吸い込まれるように昇って消えていく。酒で火照った体に、冬の風は心地よかった。
星が瞬くということを、南沢は天と出会って知った。
ただの比喩ではなく、星は本当に瞬いている。目を凝らしてみれば、その光はチカチカと揺れていて、ああこれが、と気付けたのは星が好きな天につられて、空を見上げることが増えたからだ。
今も見上げた限りの空の中で、一等強く碧い星が瞬いている。
日和が白い息を吐きながら切り出したのはその時だった。
「五月雨氏に聞かれたんですよ、何でまだ自分といるのかって」
「は?何だよそれ、いつ」
「センパイが電話してるとき」
つい硬くなる声に、日和は南沢の方を見ることなく、遠くに見える星を見ていた。
天は南沢と日和がまだ連絡を取り合っていることも意外に思っているようだった。笑ってしまう、繋げたのは天自身なのに。
雷門で日和と紡がれた希薄な縁は、南沢が転校したことで切れたと思っていた。それはきっと日和もだ。互いに、時折記憶の中で思い出すだけのような存在になると思っていたのにそうはならなかった。天がいたから。
天を通して2人は再会した。切れたと思った縁は再び結ばれ、ここまで繋がっている。
今日フェイとワンダバに日和が再び出会えたのも天がいたからだ。
ほんの短い時間だけでも、2人に出会えたことは日和にとっても大事なものだった。
天がいて、繋がったものが確かにあるのだ。
それなのに当の本人は何故自分達が傍にいるのかわからないと言うのだから、本当に笑ってしまう。
南沢が溢したのは自嘲ともとれる、寂しさの滲んだ痛々しい笑みだった。
「……で?お前はなんて答えたんだよ」
「いやあ〜それが答える前にセンパイ戻ってきちゃったんでえ〜」
答えながら、日和は天のあの暗い瞳を思い出す。
星も月もない夜のような、底の見えない海のような、夜を独りきりで過ごす子供のような天があまりにも悲しかった。
自分よりも幼いから余計にそう思えたのかもしれない。勝手な庇護欲を芽生えさせてしまったのかもしれない。
大人と呼べる年齢になってあの頃の少年と向かい合うと、彼がいかに寂しい、こんな冬の夜のような中に立ち竦んでいたのだとわかる。
思えばあの頃、自分は彼に何をしたかったのだろう。漠然と、彼みたいな不器用で優しい人に、相応の幸福があればいいなと願っていた気がする。もしくはあの暗い瞳に光を見せたかったのかもしれない。どちらにしても自分は、きっと彼の心に触れたかったのだ。触れて、大丈夫だよと言いたかった。
独りで背負わなくていいよ、私もいるよと、伝えたかったのかもしれない。
「……因みに、センパイは」
「あ?」
「なんで五月雨氏といるんでるかねえ?」
目だけを南沢の方に向け、いつもと同じようなおちゃらけた口調で、でも真剣に日和が尋ねると、南沢もそれを汲み取ったようだった。ほんの少し目を細め、碧く輝く星を見上げる。白い息が上がって、その向こうにいくつもの星が瞬いている。
「……気に入らないから」
「はい?」
「なんでも自分でできると思ってるのが気に入らねえ、そのくせ何かを一人で抱えてしんどいと思ってるのにそれを認めようとしないのが気に食わねえ」
天に嫌味を言う時と同じトーンで南沢は言う。気に入らない、負の感情から傍にいるのか?と日和が首を傾けると、南沢は先程とは違い、柔らかく目を細めた。大事なものを見る目で、碧い星をその目に映している。
「お前はひとりじゃないって、思い知らせてやりたかったんだよ……多分な」
「理由なんてもう覚えてねーよ」と誤魔化す南沢の方へ日和が顔を向けた。風が細い金の糸を攫って、きらきらと淡く光った。その光は星の瞬きに似ている。
この人も自分とおんなじような思いを抱いて、彼の傍にいたのか。
道理でこの人との縁も途切れない筈だと、日和は口の中で笑う。
不意にカラカラと、小さな音と共にベランダの戸が開く音がした。日和は振り返り、南沢も視線を落とす。そこには戸に手を掛け、もう片方の手で目元を擦る天がいた。
「五月雨氏」
日和が短く呼ぶと、天は寝起き眼を日和の方へ向けてへにゃりと笑う。酒が入って赤くなった顔のせいか、いつもよりも幼く見えた。
「起きたのか酔っ払い」
「酔ってないれす……」
「酔ってんだろそれ」
舌足らずな様子でムニャムニャと返事をする天がベランダに出ようとして南沢が止める。「お前靴下だろ、やめろ」と制すると、天はぼんやりと考え込み、そのまま床に座り込んだ。開けっ放しの戸から、微かに暖気が流れ出る。胡座をかいて座った天の頭はグラグラと揺れていて、今にも倒れこみそうだった。
南沢は呆れながら天の方に寄り、彼の前にしゃがみ込む。
「おい、眠いんだろ?布団敷いてやるから寝ろ」
「んー……ふ、ふふ」
今度は小さく笑い出し、またその頭がゆらゆらと揺れる。
天は酔っ払うと感情の振れ幅が大きくなる。笑い上戸になるし、泣き上戸にもなる。素面のときよりもいくらか素直になるから、時折わざと酔わせることもする。ひとりで抱え込まれるよりはマシだ。酔っている間の記憶がないのは困るときもあるが。
今日は笑い上戸か、と揺れる頭を見ていると、天はゆっくりと顔を上げた。細められた目に、南沢と日和が映り込んでいる。
そらから薄い唇を開き、いつもよりもゆっくりとした、一音一音を噛み締めるように2人の名前を呼んだ。
「せんぱい、鬼城さん」
夜風が優しく吹いた。3人の髪を靡かせて、星は自分の姿を未来に届ける。月はなかった。星明かりだけで充分だと思えるほどに、空は明るい。
天はまた小さく、幸せそうに笑っている。「僕ね」と切り出した声は、子供が秘密を打ち明けるときのようだ。
「僕、2人に会えてよかったって思ってるんですよ」
星のようだった。淡く光る青い髪が、空色の星を取り込んだような瞳が。この空で一等輝く碧い星のようだった。幾光年を超えて漸く輝くように、日和と南沢の思いが漸く形になったような、そんな言葉を天は紡いだ。
固まって動けないままの南沢に、天はふへ、と笑って肩に頭を預けた。
暫くすると小さな寝息が聞こえてきて、眠ってしまったのだと悟る。
日和は天の言葉に丸めた目を戻して、動く気配のない南沢の背中に近づき、隣に立つ。膝を曲げて顔を覗くように屈んだ。
「センパイ、泣いてます?」
「泣くか!!」
グルリと日和の方へ顔を向けた南沢は眉を寄せて目を吊り上げている。南沢が動いた拍子に天の体が傾いて、慌ててそれを支えた。
天が眠ったままであることを確認するとほっと息を吐いて、南沢は思わず溢れたというように口元を緩めた。
彼の傍にいるのに理由が必要な頃はもうとっくに乗り越えたのだ。
今やもう、2人が天の傍にいる理由なんてない。ただ傍にいたくて、同じ時間を共有したくて、一緒に笑いたくて傍にいるのだ。それ以上のものは必要ないように思えた。
南沢と日和は目を合わせて、どちらからともなく笑い出した。
呼応するように遠い過去の姿を見せる碧い星もチカチカと瞬いて、日和が「飲み直します?」と聞けば、南沢も「いい肴ができたから、悪くねえな」と笑って頷いた。
【タイトル不明の未来邂逅】
(すべては未来に繋がっている)