46.
知人の変わり果てた様子を目の当たりにしても未だ何の変化もない遊戯にシャーディーは目を細めた。どうやら吉森だけでは遊戯の心を完全に乱すことはできないらしい。そのことにすぐに気づいたシャーディーは、徐にぐるりと他の者たちを見渡した。
この中からもう一人ほど、“人形”を見繕わなくてはならない。今度こそ確実に遊戯の心を怒りや恐れ、憎しみで満たし、遊戯の心に住み着いたもう一人の人格を呼び起こさなくてはならない。それに相応しい人間とは。

「みんな!気を付けて!」

自分のすぐ傍で大声を上げる少女にちらりと視線を落とす。髪を肩の上で揃えきりりとした意思の強そうな眼差しを持つその少女。遊戯と直接的な友人、まして異性ともなれば遊戯の心を大きく動かすことができる筈。そう考えたシャーディーは、杏子の後頭部に千年錠を掲げくるりと回した。


閉ざした瞼を開いたそこは美しい光景だった。ゆっくりと雲が流れる青空に白い太陽が浮かんでおり、さんさんと陽光を部屋に射しこんでいる。なんとも眩しい部屋だ。また部屋を形成する壁は一面鏡張りで、まるで吹き抜けのダンス教室のようである。“心の部屋”の「鏡」とは「自信」を表している。自分の姿を映し出す、つまり自分自身を受け止めている証拠であり、確固たる信念を持つ人ほど部屋には「鏡」が存在した。そして部屋中の植物はまるで絵画のような色合いで、囀る鳥たちは杏子の女の子らしい、メルヘンな部分を表現しているようだ。
そんな空間の中でふわふわと浮かぶ絵画に、シャーディーは視線を移した。アメリカ合衆国の有名な観光地、自由の女神像の絵である。しかしその女神像は片手に紙コップのジュースを、もう片方の手にはバレエシューズが掲げており、つまりこれが少女の夢であることはシャーディーにもすぐに分かった。渡米してダンスをしたい、といったところだろう。更に目に触れたのは木陰に置かれたベンチの上にぽつんと置かれた写真立て。けれどそこに飾られているのは顔が黒く塗りつぶされた男性の写真だった。異性の写真が心の中にあるということは、少なからず相手に好意を持っていると言うことは分かるが、しかし何故顔が映し出されていないのかは、シャーディーには分からなかった。

正直なところ、この部屋の持ち主、つまり杏子にはとても好感が持てた。なんと純粋で強く、美しい部屋だことか。
しかし目的のためにはこの部屋も“模様替え”しなくてはならない。遊戯の心を乱すために。シャーディーはつと目を閉じると、“表”で見た杏子を思い出す。せめて吉森のようなみじめな人形ではなく、言葉と記憶を失っただけの可憐な人形にしてやろう。そう思ったシャーディーは、胸元の十字架を握りしめた。

“暗・黙・模・様”

美しい部屋が揺れる。あれだけ晴れ渡っていた青空は暗雲が立ち込め、木々も暗い影に覆われて色を失う。鳥たちは羽ばたく前に動きを止め、ふわふわと柔らかく浮かんでいた絵画はぴたりと固まってしまう。色と時間を失った部屋を見たシャーディーは、静かにその場を後にした。

* * *

「うひゃ〜〜〜っ!!」
「!」
「うげっまたこっち来た!」

両手を上げて襲い来る吉森に逃げ惑う城之内と双六、そしてハルカ。焦点の合わない吉森は喃語を発するばかりでまるで怪物のようである。ハルカが吉森の様子を呆然と見つめていると、城之内がその腕を引っ張り自分の後ろに守るように隠してしまった。

「吉森教授!どうしてしまったんじゃ!わしを忘れてしまったのかい!友達じゃろう!?」
「じーさん!ダメだ、不用意に近づいちゃ!!」
「・・・・・・っ!おじーさんっ」

吉森の前に出た双六が懸命な表情で声を掛ける。それに反応したのか吉森が追いかける足をぴたりと止めた。全員がそんな吉森の反応に固唾を飲む。もしかして正気の戻ったのだろうか。

「う・・・うがうがーっ!!」
「ぐあっ!!」
「!!」

期待に反し、吉森は拳を握ると乱暴に振りあげ、双六を殴り飛ばしてしまった。勢いよく弾かれた双六の身体は背後にしていた大きな本棚にぶつかり数冊の本を落としながらずるずると床に倒れてしまった。

「じいちゃん!」
「じーさん!」

遊戯と城之内が心配そうに声を上げる。ハルカも城之内の背後から双六の様子を確認してみるが、双六は気を失ってしまったらしく、か細い呼吸を繰り返していた。早く手当てしなくては、もしかしたら危ないかもしれない。そう思いながらも次は城之内とハルカに標的を変えた吉森によって、双六の元に行くことができず、ハルカはくっと下唇を噛んだ。
このままではいずれ全員豹変してしまった吉森に襲われてしまう。全員が傷つけられてしまう。ハルカは部屋の隅で固まる杏子と本棚を背にしてこちらを見ている遊戯を見て、決心したように頷いた。それならば。

「・・・・・・っ!!」
「あっ、おいハルカ!!」
「ハルカさんっっ!!」

城之内の背後から躍り出たハルカは吉森に向かって勢いよく突進する。自分から向かってきたハルカに虚を突かれたらしい吉森は、一拍遅れて両腕をハルカに伸ばすがぎりぎりでそれをかい潜ったハルカは、吉森を振り返って叫んだ。

「・・・こっち、来なさいっ!」
「うがぁっ!」

よろけた吉森がハルカの声に反応して身体ごとこちらを向く。そして今度こそハルカの首を掴もうと両腕を伸ばして突進してくる吉森を確認したハルカは、背後にしていた部屋の扉をがらりと勢いよく開けて走り出した。

「ダメだ!ハルカさん!!」
「・・・ンの馬鹿っ!」

遊戯と城之内の声を背後で聞きながら、吉森がちゃんと自分を追いかけてきていることに少しだけ安堵してハルカは足を速めた。兎に角今は、吉森を遊戯たちから引き離さなくてはならない。長い長い鬼ごっこの始まりである。

* * *

「遊戯っ!杏子とじーさん頼んだぜっ!!」
「城之内くん!」

囮となって吉森を連れ出したハルカに舌打ちした城之内は遊戯に早口で捲し立てると、自分もハルカを追いかけ部屋を飛び出した。それに驚いた遊戯が部屋の出入口まで駆け寄るが既に三人の姿は遠く離れており、遊戯は一体どうしようかと眉を潜めた。まさかハルカは自分を囮にして部屋を出ていくとは思っても見なかったのだ。ハルカの勇気に驚かされながらも、心配の方が矢張り勝る。遊戯は何もできなかった自分に不甲斐なさを感じて拳を握りしめた。

「遊戯よ、君はいい友を持ったな・・・彼女は身を犠牲にして君を守ろうと考えたようだ・・・・・」
「!」

背後で掛けられた言葉に遊戯はぐるりと振り返る。そこには先程からずっと自分たちを傍観していた男が立っており。

「そしてここにも・・・」
「!! 杏子!!」

その傍には杏子が微動だにせず突っ立っていた。大きく目を開き虚空を見つめるその瞳にはまるで生気を感じられず、遊戯はそんな大事な幼馴染の様子にたらりと冷や汗を流した。

「杏子に何をしたんだ!」

遊戯が険しい顔で叫ぶと、シャーディーは静かに口を開いた。

「“心の部屋”の“模様替え”をさせてもらった。この少女は言葉も記憶も持たぬ人形・・・・私の意思以外動くことのない“人形”と化したのだ!」
「!!」

自我を持たない操り人形と化してしまった杏子にショックを受ける遊戯を見て、シャーディーは笑みを浮かべる。

「さあ少年よ!怒りに身を任せるがいい!悲しみに身を震わせるがいい!そして奴を呼び覚ませ!もう一人の遊戯を!!」

歯を噛みしめ苦悶する表情から徐々に怒りの色に変えていく少年とそれを冷たい眼差しで見下ろす男。ふたりの間で空気がぴりりと揺れる。シャーディーには分かっていた。もう一人の黒髪の少女の行動が遊戯の心を揺るがすきっかけとなったことに。そして今、目の前の少女も危機に瀕していることを聞き、心の振れ幅は増大している。もうひと押しであることを感じ取っていた。

「遊戯よ、よく聞け・・・これが最後の“引き金”の言葉だ・・・・」

シャーディーはぽつりと呟くと、視線を傍に立つ杏子に移し、その艶のある茶色の髪の一房を指に絡めてさらりと流した。

「この少女は私が“死ね”と命ずれば・・・死ぬだろう!」
「!!!!」

遊戯の鼓動が一際大きく打つ。怒りと憎しみと悲しみで遊戯の心が闇色に染まる。そしてそれを千年パズルが察知した時、金色の眩しい光がパズルから放たれる。

「!」

奴が来る。

それは合図だ。途端に闇の気配が色濃く部屋を充満させる。シャーディーは大きく目を見開き、輝きの向こうの少年を見た。

「シャーディーーッッ!!!」

抑えられぬ感情を声に乗せ、ぎらりと自分を睨むのは先程の少年。けれどその眼差し、力は間違いなくシャーディーが会いたいと願ったもう一つの人格であった。

「やっと会えたな、もう一人の遊戯よ!」

シャーディーの口元には笑みが浮かぶ。遊戯はそんな彼を鋭い視線で射抜くだけで、決して彼との再会を喜ぶことはない。

「さあ、ゲームの第二幕を始めよう・・・再び会えた今、キミとは決着をつけなければならない。闇のゲームでな!」
「!」

遊戯はその言葉で自分がこの男になんのために呼び出されたのかを理解した。それだけのために大切な人たちを危険に晒されたことも、全て。

「この前は“心の部屋”を探り君の力を確かめようとしたが、逆に返り討ち・・・だが今度はこの現実で君の力を試させてもらう!」

初めて対峙したのはつい数刻前のこと。その時の互いに感じた運命は、思いのほか早く二人を結ばせたらしい。遊戯はふんと鼻を鳴らした。

「このゲーム、受けて立つしかなさそうだな・・・。」
「ああ。・・・でなければこの少女もあの教授も永遠に“人形”のままだからな・・・」

このゲームで勝敗を決めない限り、杏子は戻ってこない。吉森も人形のままで、ハルカや城之内も永遠に追いかけられ続けることになる。遊戯は心の中で舌打ちをした。冷や汗が米神を伝った。

「ゲームは今より十分後、屋上で始める!私は先に行き手筈を整えておく・・・。幸いここは考古学研究室だけあって必要な道具は揃っているようだ。」

シャーディーの視線に誘われ周りを見れば何かの像がいくつも並んでいる。果たしてあれがゲームにおいて何の役割を持つことになるのか。全く予想がつかない。

「8時だ!その時刻になったら屋上に上がって来い!」
「・・・・・・」

それだけいい残し、シャーディーは杏子を連れて部屋を出ていく。後に残された遊戯は両手をポケットに入れたままじっと時計の秒針の音を聞いていた。

遊戯には何故シャーディーが自分の力を試そうとするのかが分からなかった。男の血族に自分の力を取り込みたいのか、それとも消し去りたいのか。しかしこの力のことを、遊戯自身も分からないでいた。何故自分が闇の力を支配し、操ることができるのか。その真実があの暗く冷たい“心の迷宮”のどこかにある“本当の部屋”にあるということだけが漠然と分かっていて、それ以外は分かっていない。分からないことだらけであった。

だが。

ひとつだけはっきりしていることがある。それはあの男が、遊戯にとって、遊戯たちにとって敵であるということ。
ならば当然、どんなゲームであろうと絶対に勝たなくてはならない。“遊戯”の大切な友のために。家族のために。

秒針がと長針が“12”に辿りつく。時間である。遊戯は床に眠る双六に視線を落とすと、静かに瞼を伏せた。


暗い廊下を進み、屋上への階段をゆっくりと登る。広い校舎に遊戯の足音だけが木霊する。一体ハルカと城之内はどこに行ってしまったのか。

(・・・相変わらず、無茶をする)

遊戯は先程“遊戯”の心越しに見たハルカの行動を思い出して苦笑した。皆を助けたい一心で自分を囮にする。遊戯の知るハルカらしいとも思えたが、それでも城之内を殺しかけた吉森が追いかけてきているのだから心配でならなかった。一応城之内がハルカたちを追ってくれているので恐らく大丈夫であるとは思う。吉森を連れて部屋を出ていくハルカの決心した顔が、以前倉庫で蛭谷たちの前に飛び出した彼女の表情と重なった。

「・・・・・・」

胸に落ちた冷たい感覚に遊戯は屋上の扉のノブを持つ手を止めた。そして倉庫のことを思い出した途端心に落ちた感情に自嘲的な笑みが浮かぶ。自分もまだまだ青い。
がちゃんと重たい音を立てて扉を開ける。この校舎のどこかで今も必死に逃げている彼女を助けるためにも、このゲームに勝たなくては。

「!」

扉の向こうの景色を見た遊戯は茫然とした。屋上には確かにシャーディーが居た。けれどこの広い屋上に立っているのは彼だけ。ならば杏子はどこかとぐるりと見渡すと。

「杏子!!」

驚くことに屋上を取り囲むフェンスの向こう側に杏子は居た。細い長方形の板の先端にまっすぐに立つ杏子。その杏子の足元に杭が撃ち込まれていて、そこから伸びた数本のロープがフェンスまで繋がっていた。板自体はどこも固定されておらず、屋上故に強く吹く風が板と杏子本人を揺らしていつ落ちてもおかしくはない状況であった。この建物は4階建て。落ちれば確実に杏子は死んでしまう。

「ではゲームを始めよう・・・・・“心理の秤”のゲームだ!!」

シャーディーの抑揚のない声に遊戯はキッと眦を上げる。

「シャーディー!よくも杏子をあんな危険な目に!!ゲームに利用する気か!」
「その通りだ遊戯・・・。君のゲームの敗北は少女の"死"を意味する。」

奥歯を強く噛みしめる音が鼓膜を打つ。あの時完全にシャーディーとの決着をつけなかったばかりに、杏子の命が追い詰められるとは。後悔と憎悪が遊戯の心を支配する。自分のせいで杏子は。

「ゲームのルールを説明する前にひとつ言っておきたいことがある・・・“千年パズル”の事だがーーー」

曰く。“千年パズル”は3000年の間誰にも完成させることができなかった。遠い異国の地で眠っていたはずのパズルは流れ流れて遊戯の元に辿りつき、8年の歳月をかけて漸く完成させられた。遊戯も、そして今は心の中で眠る“遊戯”も、それは偶然だと思っていた。奇跡とも思っていた。けれど。

「だが違う。“千年パズル”が君を選んだのだ!3000年の時を待ってな・・・」
「・・・!」

“武藤遊戯”が16歳にして誰にも解けなかった“千年パズル”を完成させたことは運命。パズルが遊戯を闇の力の持ち主として選んだと言う。遊戯の喉が僅かに鳴る。自分も知り得なかった千年パズルの実態が僅かに見えた気がした。

「そして我が血族も“千年アイテム”の力に選ばれた民なのだ!」

凛と通る声でシャーディーが言うと、遊戯は怪訝そうな表情を見せた。

「だからオレたちが仲間だなんてぬかすんじゃねーだろうな。そんなことは聞きたくもないぜ!ゲームのルールを聞かせな!」

吐き捨てるように叫ぶ遊戯の様子を見てシャーディーは目を細める。狙い通りだ。

「怯えるな、遊戯・・・」
「・・・なんだと・・・・・・怯えているだと・・・!?」

思いがけない指摘に遊戯は目を見開く。背筋を駆け上る悪寒に冷や汗が止まらない。

「お前は"心"のどこかでその“力”に怯えているのだ!未知なる“千年パズル”の力に・・・」
「!!」

遊戯の脳裏に浮かんだずぶ濡れの少女の涙。人々の悲痛な叫びが頭の奥で木霊した気がした。

「遊戯よ・・・それは"心"の弱さなのだ!その証拠にあれを見るがいい!」

言われてシャーディーが目線を向けた方を見ると、フェンスにロープで貼りつけられた小さな石の像の束があった。そのうちの一体が突然音を立ててひび割れする。そして。

「!?」

バキッ
石造が独りでに粉々に砕けてしまった。更にその像を括っていたロープが緩み、繋がれた先の杏子の足場がぐらりと揺れる。杏子の茶髪がふわりと揺れた。

「杏子!」
「遊戯・・・すでにゲームは始まっている事に気付かないか・・・少女の立っているのは"命の架け橋"!それを支えている4本のロープの先は4体の小人物像(ウシャブティ)に結ばれている。ウシャブティとは“答える者”を意味する。そしてそれらのウシャブティはお前の"心"の移し身なのだ!!」

遊戯が“心の弱さ”を見せた時、像は一体ずつ砕け散る。そしてそのロープを支える像が無くなってしまえば。

「少女の命も砕け落ちる。残り3体!!」
「!!」

像が既に遊戯の心を反映している。千年パズルの力に恐れを感じているという心の奥底の本心を見抜かれたことで遊戯の心の弱さが顔を出してしまい、4つある筈の像が1つ砕けてしまったのだ。一体どのようなタイミングでそういった経緯で像が割れてしまうのか分からない恐怖の心理ゲーム。遊戯の心拍数は上がるばかりだ。

「だが遊戯、これはゲームだ。お前が勝つ条件を説明しよう。」

杏子の立つ“命の架け橋”を支える4本のロープは、先刻までシャーディーの胸に掛っていた“千年錠”の輪を潜って繋がっていた。更にその“千年錠”を支えるロープがフェンスに結わえられていて、そこには5体目のウシャブティが括られていた。これは遊戯の"移し身"ではなく、シャーディーの"移し身"であると言う。つまり、遊戯の残り3体のウシャブティが砕けてしまう前にシャーディーのウシャブティを砕く、シャーディーの心を揺るがし心の弱さを引きずり出すことができたら“千年錠”はロープを伝って杏子の手に触れるという仕組みになっている。

「“模様替え”された者はその手に“千年錠”を握ることで正気に返る!!少女の命は助かり、私の負けとなる!分かるな・・・」

このゲームの実態とは。

「“心”の弱さを見せた者がゲームの敗者となるのだ!」

互いの“心”の弱さを探り出すゲーム。杏子の“命”と遊戯の"心"の重さが天秤に掛けられた、まさしく“心理の秤”のゲームである。

「ゲームを始めよう!!」