45.
「お、ここじゃ!」

双六の声にハルカたちは顔を上げてその建物を見上げた。そこにはレンガ色の大きな建物があり、正門には「童実野大学」としっかり刻まれていた。日が暮れてはいるがまだ学生や先生が残っているので正門の柵は閉じられていなかった。双六が先に吉森に連絡してくれていたお蔭で警備員に止められることなく敷地内に入る。まだ人が居るとは言え殆んどの灯りが消されており、薄気味悪い印象を受ける。ハルカでさえ少しだけ怖気づいたのだから、オカルト嫌いの城之内なら尚の事怖がっているだろうと彼を見ると、案の定先を歩いていた筈の城之内は少しずつ遊戯の後ろまで後退していた。道中コンビニで買ったお菓子やジュースの入った袋を持つ手が黄色くなっているのをハルカは見逃さなかった。

「なんか夜の学校って気味悪くて嫌いだぜ〜!」
「まったく、城之内はからっきし度胸ないわねぇ!」

校舎に入り薄暗い廊下を歩いていると遂に城之内が愚痴を零す。何を心配しているのか窓の外をちらちらと見る城之内に杏子が呆れた溜息を零した。何も起きやしないのにいちいちビクつく姿には男らしさの欠片もない。けれど夜の学校が薄気味悪いことにはハルカもこっそり心の中で賛同した。特に見慣れない建物に居るのだからその不安も仕方がないのかもしれない。

「着いた!」

奥まで進むと漸く「考古学研究室」とプレートが掲げられた部屋まで辿り着いた。一つしかない出入口の隣には室内に収めきれなかったのかスライドガラスが付いた棚が配置されており、上段には考古学らしく古いツボや頭蓋骨が並んでおり、下段には本がびっしりと詰まっていた。ディスプレイ棚兼本棚と言ったところか。

「コワい・・・」

偽物か本物か分からない頭蓋骨を見つめながら城之内が青い顔をする。怖いならそんな間近で見なければいいのにと、ハルカは笑った。

「城之内さー、そんな顔して吉森教授に会ったら余計落ち込ませちゃうよ!」

杏子があまりの城之内のヘタレ具合に一喝する。更には遊戯まで「そーだよね!」と大きく頷いて見せた。

「教授、きっと館長さんの件で気が滅入ってるはずだもん!」
「・・・・・・暗い顔、見せられない。」

自分たちは吉森を励ますためにここに来たのだ。そんな自分たちが暗かったり怖がった顔をしていては誰も元気にすることなんてできない。城之内はハルカたちの言葉に一度頭を掻くと漸くきりっと表情を引き締めた。

「おーし分かった!そんじゃま、いっちょー明るくいこーぜ!みんな!」

城之内の努めて明るい声にハルカたちも大きく頷く。自然とそれぞれの表情も明るくなり、ハルカの顔にもやんわりとした笑顔が浮かぶ。

「久しぶりに教授とこいつをやるかの。」

そう言って双六がコートのポケットから小ぶりのウィスキーボトルを取り出す。心許せる友人と酒でも酌み交わせば、少しは吉森の心も安らぐだろうと思って自宅から持ってきたものらしかった。

「・・・・美術館の話、なるべく、しないでおこう。」
「そうね、折角元気づけても思い出してまた落ち込んじゃうかもしれないし。」

声もなく全員がそれに頷く。これは重要な決まりだ。人を慰めるとは、言葉や話題を選ばなくてはならない。あまり器用とはいえない城之内には少しばかり心配は残るが、城之内のやる気に満ちた顔にハルカもそれ以上何も言うことはなかった。
そうして城之内と遊戯が勢いよく研究室の扉を開く。

「ちわーっス!」
「吉森教授!お邪魔しまーす!」

人差し指と中指を立てて敬礼するように室内に入り込む遊戯と城之内の後ろから杏子たちも笑顔と元気な声で乗り出す。ハルカに至っては小さな声ではあるが。

「教授、遅くなりまして・・・・・」

ハルカたちの声に振り向いた吉森に双六が朗らかに笑む。扉の前に整列するハルカたちを見た吉森は、にこりと笑みを浮かべた。

「やぁ、よく来たねー!さぁ入って入って!入って入って・・・」
「失礼しまーす!」

立ち上がった吉森は疲れているのかふらふらと足元が覚束ない。それでも笑顔を浮かべるとは、もしかしたら自分たちに気を使っているのかもしれないとハルカは吉森を見ながら思った。心配を掛けないために無理に笑うなんて、流石大人だ。けれど。

「君たちが来るのを待ちわびていたんだ。フフフ、フフ・・・・・・」
「・・・・・・」

不気味な笑いにハルカの背筋がぞくりと冷える。言葉としては単純に遊びに来てくれた自分たちを歓迎してくれているようだが、なんだか少しだけ違和感を覚えたのだ。けれどその正体が何か分からずハルカは首を傾げた。

「なんだか意外と明るいじゃん!」
「うん・・・」

傍に立つ遊戯と城之内が耳打ちしあう。思いのほか笑顔で出迎えてくれた吉森に安堵したのだろう。そのせいか気の緩んだ城之内は、コンビニ袋を吉森に突き出して盛大な笑顔を向けた。

「教授―ッ!これ土産ッス〜!ほら、今日美術館でいろいろ世話に・・・」

約束したばかりだというのに早くも美術館の話題を口にしてしまった城之内に杏子の焦った声が重なる。

「アホ!美術館の話は早いっつーの!」
「ヒマッタ!」

大慌てで口を手で塞ぐが時すでに遅く、吉森は顔を俯かせて肩を落としてしまった。見るからに落ち込んでしまい、城之内は焦ったように「すまん」と零すがもうどうしようもない。こうなれば無理矢理に話題を変えるまでだ。

「そうそう・・・美術館でねぇ、」

けれど吉森はすぐにかくんと顔を上げる。そしてその顔には、歪な笑顔が貼りつけられて。

「殺されちゃったねー・・・館長さん!ヒヒ・・・」
「!!」

金倉の死を笑顔で語る吉森にハルカたちは言葉を失う。あんなに心優しい吉森がまさか人の、しかも発掘の仲間の死を笑って口にするなど信じられないのだ。目を見開き怪しく笑う吉森に、異変を察知した全員が動揺する。

「おい、なんかおかしくねーか・・・」
「吉森教授!どーしたんじゃ!」

双六が大声で吉森に問いかけると吉森はまたかくんと頭を垂れた。まるでその動作に力が入っていない。足も変に内股になり腕もだらりと力なく垂れている。まるで操り人形がつり下がっているようでハルカは隣の杏子の袖を掴んだ。

「どうもしやしないよ・・・・私は待っていただけだ・・・・」

ぼそりぼそりと呟く声は吉森のはずなのにまるで別人のように不気味だ。焦点の合わない目を上げた吉森は続ける。

「遊戯くんが来るのを・・・ヒヒ・・・」
「え!?」

突然名前を呼ばれた遊戯が驚いて声を上げる。それとほぼ同時に吉森は両手を前に突き出して城之内に大股で近づき、驚く城之内に構わず勢いよく首を両手で掴んだ。

「く・・・・っ、な・・・・・!」
「城之内くん!」
「・・・・・・!」

まるで絞殺さんとばかりに力を籠める吉森の手を、コンビニ袋を手放した城之内の手が懸命に剥がそうとするが全く剥がれる様子はない。首を絞められて思うように力が入らないのか、はたまた吉森が年にも関わらず底知れない力を発揮しているのか。遊戯も双六も城之内から吉森を離そうと手を出すが全く歯が立たなかった。

「もうひとりの遊戯くんに会いたいなぁ・・・・・・」

ぽつりと吉森が遊戯に向かって呟く。傍に居たハルカもそれを聞き取りはっと息をつめた。
何故吉森が、遊戯のもう一つの人格を知っているのか。そのようなこと、本人に会ったハルカ以外杏子たち疎か遊戯本人でさえ知らない事実だ。
一体なにが起きているのか現状を把握しきれていないハルカの額を冷や汗が流れる。兎に角今は城之内を救出することが先決だ。

「教授、本気で城之内を殺す気よ!」
「吉森教授!どうしてしまったんじゃぁ!」
「・・・・・・!・・・・・・!」

杏子と遊戯と双六が吉森の腕を掴んで引っ張る。ハルカは自分の力では無理と分かっていながらも吉森の身体に後ろから抱き着いて体重をかけて引きはがそうと試みる。けれど吉森は、ニタニタと変わらぬ不気味な笑顔を顔に貼りつけたまま視線を空虚に向けて尚も城之内の首を絞める力を緩めない。足元もしっかりと踏ん張りを効かせハルカの引っ張る力に動じる様子はなかった。

「シャーディー!」
「!」

すると突然、遊戯が何かを叫んだ。今度は何がと吉森の背後から遊戯を覗き見ると、何故か自分の背後を厳しい目で睨みつけているではないか。まるでそこに何かが居るような眼差しにハルカも視線だけその遊戯の見ている先に移すがあるのは研究室の閉ざされた扉だけだ。何か遊戯にしか見えない物が居るのかと一瞬思案するがその間に吉森を引っ張る力が緩んでしまい、慌ててしがみつき直す。吉森は声を上げて笑った。


「吉森教授に何をしたんだ!」

突然背後に現れた黒人の男に遊戯は大声を上げる。タイミングを見計らったように音もなく現れたその男は、今の状況をただ見つめるばかりで驚く様子もない。よってこの男が吉森をおかしくしたと直感的に思った遊戯はシャーディーを睨みつけた。その男の存在に気付いているのは遊戯だけであることを、遊戯自身もまた気づいていない。

「私の仮説が正しければ、そうすれば会えると思ったのだ・・・もうひとりの遊戯くんに!!」
「!!」

もうひとりの遊戯。
シャーディーは前に会った時も言っていた。もう一人の自分に借りができたと。遊戯は眉根を潜める。一体この男の目的はなんなのだ。

「なんてバカ力じゃ!この腕てこでも動かん!」
「城之内くん!」

どれだけ三人で腕を引っ張っても全く動かない。その間も城之内の顔色は悪くなるばかりだ。遊戯は目を見開き笑う吉森を見た。その目はまるで催眠術に掛ったように濁っている。遊戯は下唇を噛んでもう一度渾身の力で吉森の腕を引っ張った。

シャーディーはそんな彼らの様子をじっと眺めていた。まるで時が来るのを待つように、まったく動かず、ひたすらに。

吉森の”心の部屋”はシャーディーの闇の力によって”模様替え”され、男の操り人形と化した。そしてその人形に、シャーディーは一つの念を植え付けておいた。それは遊戯の友達を苦しめよというもの。それにより、遊戯の”心”を追い詰めることが吉森を人形と化した目的だった。シャーディーは思っていたのだ、追い詰められ”心”の行き場を失った時、もう一人の遊戯が現れるはずだと。

本来、シャーディーは王の墓を暴いた者たちを裁き終えれば日本から出ていくつもりであった。けれど偶然にも千年パズルを解いた少年遊戯と出会い、そしてもう一人の遊戯と勝負をして敗北した。その時から燻る敗北感と言う火を消さぬまま、この国を去ることを、男のプライドが許さなかった。それに、千年パズルの本当の力もまだ確かめてはいない。そのためには、もう一度もう一人の遊戯に会わなくてはならない。そのためならば、どんな手段でも尽くすつもりだった。例えこの勝負に関係のない人間が命を消されようとも。

「城之内くん!」
「・・・・・・ぐ・・・・・・・・・ぐっ・・・・・・」

呻き声を上げる城之内の目が白目をむき始める。彼の限界が近かった。それを見た杏子は咄嗟にぐるりと辺りを見渡し、机の上に置かれた地球儀に視線を止める。もうこれしかない、そう思った杏子は吉森の腕から手を離し、地球儀の軸部分を握って持ち上げた。思っていた以上にずしりと重いが、背に腹は代えられない。杏子はキッと視線を吉森に向けると、吉森に抱き着いていたハルカに大声でさけんだ。

「ハルカちゃん!!離れて!!!」
「・・・・・・!!」

杏子の声に弾かれたように顔を上げたハルカは杏子が振りかぶる地球儀を見て瞬時に危険を察知しすぐに離れた。それを見た杏子は大股気味に駆け寄り地球儀を力任せに振りまわす。

「教授・・・・・・っ、ごめんなさい!!」

ガゴオンと重く鈍い音が狭い部屋に響く。頭、と言うより顔面を地球儀で殴られた吉森は折れた歯を数本口から零しながら漸く城之内から手を離し仰向けに倒れこんだ。

「・・・・ったく・・・・・・死ぬ・・・・・・一歩・・・・・・手前・・・・・・・・・だったぜ・・・・・・」

突然吉森の圧迫する腕がなくなったことで崩れ落ちた城之内が咳き込みながら大きく肩で息をする。なんとか最悪の事態を免れたようだ。

「やったー杏子!」
「吉森教授が吹っ飛んだ・・・・!」

喜ぶ遊戯に驚く双六、ホッとしたハルカは胸を撫で下ろし城之内に駆け寄った。

「・・・・大丈夫?」
「ああ・・・杏子、ナイス一撃!」

遊戯も城之内に駆け寄り座り込む城之内の肩に手を乗せる。何度も呼吸を繰り返すうちに城之内の瞳も漸く生気を取り戻していた。

「吉森教授もちょっと心配じゃが・・・・・・」
「手ごたえがありすぎちゃったけど・・・・・・」

吉森の様子を覗く双六は複雑な表情を浮かべている。杏子も自分でやっておきながら城之内を助けるためとは言え人を物で殴ってしまったことに罪悪感を覚え茫然と吉森を見つめていた。床に伸びる吉森はぴくりとも動かない。気絶してしまったのだろうか。そう思って近づこうとすれば。

「いっ!!」

まるで何か糸などに吊られるように吉森の身体がぐんと立ち上がる。がくがくと揺れる身体はまるで意識がないようであるのにまたも吉森は両手を突き出して遊戯たちに近づいてきた。

「教授の状況は変わってないよ!」
「ゾンビか!!」

慌てて立ち上がった城之内はまるでゲームに出てくるゾンビのごとくニタニタ笑いながら迫りくる吉森に恐怖し遊戯たちの背を押して逃げ惑う。

「みんな!なるべく散らばれ!」

城之内の言葉に全員が散り散りに教室内を逃げる。吉森は誰を標的にするか決めていないのか近い者から構わず襲い掛かる。捕まればまた先ほどの城之内のように殺されるかもしれない。緊迫した空気が研究室を満たしていた。