「今、なんて、言ったの風見さん?」 その言葉に、やれやれと言うようにため息を吐き出して「だから」と前置きして、もう一度その言葉を繰り返す。 「うまくいくわけないだろ? 告白は、相手がいないと出来ないんだから」 驚きに丸く見開かれた目に、情けない男の顔が映り込んでいた。 いつの間にか、と言ったらおかしな話だが。一期下で入ってきた後輩、そして隣に控える右腕としての部下に、信頼だけでなく慕情を向けるようにいつの間にかなっていた。 何かドラマチックなきっかけがあったわけでもはない。 ただ一年のほとんどを過ごすこの職場で、隣に控えることの多いこの信頼の置ける部下に向けるには、随分と熱の篭った目を自分がしてしまっていたことに、指摘される前に己で気づけたことだけは幸いだった。 でなければ、彼女の同期で幼馴染だという上司に、再びきつい指導を受けることになっていただろう。 誰にも気づかれる前にそっと、普段の職務でそうするように腹に抱えたモノを覆い隠す仮面をつけて、腹の奥底で飢えたモノに僅かな餌を与える日々を送ることに、今だけは満足していようと思った。そう、今だけは。 たくさんの命と時間を犠牲にして、護国のために追い詰めた組織を掃討するための作戦は間も無く大詰めを迎える。 そうして、それが全て終わったらと、もう少しで瓦解しそうな理性の鎖で腹の底に押さえ込んだ欲の頭を深く沈めた。 今だけ、あと少しだけ。そんな魔法の言葉で宥め賺して、隣に立つ彼女に理性的な先輩の顔を見せる。 「全部終わったら、一先ず何がしたいですか?」 そう、一大作戦も目前に控えたそんな夜。 一息入れようと、休憩室へと誘い出した彼女がなんてことのない会話の中でたずねてきた。 連日の徹夜に、もはや化粧っ気もなくなってきた疲れの滲む彼女の顔に艶っぽさを感じてしまい、大してうまくも不味くもない缶コーヒーを飲み下すのに「ごくり」と嫌に大きな音を立ててしまった。 頭によぎった欲求は、夜とは言え口に出すには憚られるものだった気がする。想像がリアルになる前に振り払い「全部がおわったら、なぁ……」と答えを考えるフリで彼女の言葉をただただ繰り返す。 「私は溜まりに溜まった有休消化したいんですけど、許可下りると思います?」 「下りてもらわないと困るな……じゃないと班員全員から辞表でもだされそうだ」 それだけの激務を作戦成功のために全員が重ねてきている。ため息交じりにそう返すと、彼女は小さく吹き出してから「たしかに」と声を噛み殺した笑みに震わせた声で言った。 缶コーヒーを飲むために持ち上げた腕が、隣にいる彼女の二の腕を微かに掠めてしまう。 わずかに触れ合う距離感に、わざと何も言ぬまま並び立ったまま。もどかしい触れ合いにさえ愛に飢えた男が、それでも良いと彼女の存在に喜ぶ。 普段、飲んでいるのを見たことのないブラックコーヒーを選ぶくらいには疲れているらしい彼女を早く休ませてやらないとな、と思いつつも、この場を崩すのは自分からでは無理そうだとどこか冷静な頭で思った。 「……休みをとったら何をするんだ?」 彼女の話が聞きたくて、そう水を向けると彼女は少し驚いたような顔をしてから「そうですね」と考え込んだ。 「うーん……とりあえず、目の下のクマが消えるまでは寝たいです」 部屋の掃除も、あ、それより引っ越したいかも、それから布団を干して、と自分の指とは違うほっそりとした指を1本ずつ折り曲げながら、これからを夢想して話すキラキラとした横顔を盗み見て目を細める。 あぁ、好きだな。 そんな彼女の隣で、自分も一緒にそんな幸せを共に過ごせたら、と思った。 だから「どうしたいですか?」と彼女に自分の話を促されて、素直に「告白したい」と口にしていた。 君の隣で、これからを1人の男として過ごしたい、と君に告白したかった。 「風見さん」 彼女は1つ、目を瞬く。その仕草に、もしや気づかれただろうかと、つい今しがた溢れ出した欲望を素直に口にしてしまった自分の油断に臍を噬む。 「それ、死亡フラグってやつです。気をつけてください」 妙に真面目くさった顔と声で言われて、気づかれなかったことへの安堵と落胆と、それから自分でも確かにフラグだなと思って思わず情けない顔で笑ってしまった。 そうだ、そんなフラグを立てている暇などないのだ。 彼女の言う通り、気をつけねばなるまい。今一度気を引き締めなおすその横で、小難しい顔をしている彼女に必ずこの想いを伝えなければならない。 腹の底で飢えた男が、強引に全てをぶち壊して奪い去る前に、必ず。 ──あの時の死亡フラグは、俺のものだった筈だろ? 全て終わった。被害はゼロではなかったもの作戦はほぼこちら側の勝利で結末を迎えた。 だが、最後の悪あがきに幹部が爆発させた場所には、彼女たちの班が配備されていた筈だ。 それぞれの仲間たちと安堵と労りの空気で和みかけている他所の捜査員たちの間をすり抜けて走る背中には嫌な汗が滲んでいた。 無線はこの場の騒ぎのせいで混線していて、唯一作戦遂行のために直接上司と繋げた通話のみまともに使える状態だが、それはまだ、同期である彼女を探す上司の声ばかりをイヤホンを通して届けてくる。 彼女の配置場所に近くにつれ、まだ燻る炎と土埃交じりの煙が漂い、そして何かが焼けるような嫌な匂いが鼻の奥を刺した。 怒声に近い仲間たちの声と、各所の救護班が慌ただしく走り回るそんな場所で足を止めてあたりを見渡す。 ヒビが入って見えにくいメガネのレンズ越しに、人が倒れ抱えられ運ばれていく中に彼女の姿を探した。 耳元と、そして離れた場所から大小に重なって、割れんばかり声で上司が彼女の名前を叫んだ。 見つかった!と震える心を抱えて、声の方向に走り出す。 上司が何度も、何度も繰り返す彼女の名前を叫ぶが反応がないらしい。呼ぶ上司の声に徐々に不安と恐怖が混じってくる気配を感じて、その恐ろしさに思わず耳に刺していたイヤホンを抜き捨てた。 進んで行く先はもしかしたら爆心地に近かったのかもしれないと、ぞっとするような真実に気づいたのはあたりの様相からだった。噛み締めた唇から血が一筋流れていったが、痛みは感じなかった。 煤けた景色の中、それでも目立つ色彩の上司を見つけて「降谷さん!」と声をあげる。 彼女は、と続けようとした言葉は彼の腕でぐったりとしている彼女の姿に、喉がひゅっと乾いた音をたてただけで終わった。 「っ、風見! 手を貸せ! 至急コイツを救急車まで運ぶ!!」 こちらに気づいた上司が悲壮な顔で振り返ってそう叫んだ。彼女は、自分の名前にわずかに反応したようだったが、顔をあげることはなかった。 震える膝が折れないように歯を食いしばって踏ん張り、上司が抱える反対側に回り込み血まみれの腕を肩に回して抱え上げる。 下から覗き込むように見た彼女の顔はひどいもので、血と土に汚れた顔に嵌め込まれた虚ろな眼球は何を見ているのかゆらゆらと不安定に揺れていた。 小さく呼んだ彼女の名前に、血濡れた唇が小さく答えるように動いた。 それはよく知る形だった、自分の名前を呼ぶ、その形に彼女の唇は音もなく動いた。 一番聞きたい声が、音にもなっていないことに目の奥が熱くなった。 「こンの馬鹿! 救急車まで意地でも踏ん張れって言っただろうが!!」 上司が今にも泣きだしそうな声で吠える。 「しっかりしろ!! あともう少しだ!!」 その反対側で、懇願するように彼女に声をかける自分の声もひどく情けないものだった。 だってしかたがないじゃないか、あんなに大切だった温もりが、はじめてこんなにしっかり触れた彼女の体にほとんど残っていないなんて。 耐えようとした涙に、無様に唇が戦慄く。 「む、り」と、乾いた2つの音が耳の側で彼女の唇からこぼれ落ちた。 「無理じゃない!!」 上司が力いっぱい否定した。 「むちゃ、」と、ほとんど吐息のような彼女の声が笑ったような気がした。 「無茶じゃない!!」 泣き喚く子供のような声で上司は悲痛に叫んだ。 すぐ側で聞こえていた筈の、彼女のヒューヒューと隙間風のような音をたてていた呼吸音が、さらにか細くなっていく。 「重傷者だ!! 優先してくれ!!」 襲い来る恐怖を押し殺すように叫んだ声に、振り返った仲間たちが自分たちが抱える存在に気づいて顔を青ざめさせた。口々に上がる彼女の名前に、反応が帰ってくることはない。 「体倒しますよ! しっかり!」 担架をもって駆け寄ってきた救急隊員の手を借りて、ほとんど意識がない彼女の体を担架に横たえる。救急車に乗せられていく彼女の姿を呆然と見つめていると、上司に力加減もないような強さで肩を掴まれた。 はっとして見た上司の顔は、数年ぶりに見る、ひどく凶暴で脆そうな表情をしていた。 「ここは俺が回す。風見、お前がコイツに同行してくれるか」 自分のものとは違う色彩の薄いその目に映るイロに、嗚呼と今更ながらに気づいてしまった。そうか、知っていたのか──この腹の底に飼いならした筈の、恋心という怪物を抱える男のことを。 「──はい」 なら仕方がないか、と諦めて。そして諦めたくない存在に向き直ると、なぜか急にその間に割り込むように上司は救急車に一度乗り込むと、担架からだらりと力なく垂れていた彼女の血まみれの利き手を掴み両手で握りしめた。 「おい、死ぬなよ。死んだら──お前の恥ずかしい話を風見に話す」 恐ろしい声色でそう脅すように言うだけ言って、呆気に取られている自分に握っていた手を差し出す。 震える手でその、冷たい手を受け取るとぎゅっと両手で包み込むように握りしめた。 突風が過ぎ去ったかのような勢いで上司が降車したと同時に、救急車のドアが閉められ慌ただしいい気配と共に、救急隊員が彼女のスーツの胸元を乱暴に開く。 思わず反射的にそこから視線をそらし、彼女の顔に目を固定する。 彼女の顔を汚す、乾き始めたどす黒い血を拭うように手を伸ばす。パリパリとカサブタのようにカサつく*を親指で撫ぜながら、彼女の名前を呼ぶと血の気の失せた青白い瞼がわずかに震えた。 かざみ、さん。と酸素マスクの向こうで動いた唇が白いモヤでかき消される。 応えるように握る手に力を込め直して「あぁ、傍にいる」と言えば、ホッと吐き出した息にまた白くマスクの内側が曇った。 不意にやわく握り返された手に驚いていると、彼女の瞼が薄く開いた。 血が混じった涙で目の淵を濡らした彼女の唇がはくはくと、動いているのに気づいてその声を聞き取ろうと耳を彼女の口元に近づけた。 酸素吸入と、救急車の走行音に各種機械の音。その中でほんの微かな声だったが、自分の耳は確かに彼女の声を拾い上げた。 こくはく、うまくいくといいですね──。 は、と間抜けな声が開いたままの唇から溢れ落ちた。 するりと力が抜け落ちて、すり抜けそうになった手を慌てて握り直す。 「おい、何、言って」 動揺の滲む声は、鳴り響くアラートに殊更慌ただしくなった救急隊員の声に*き消える。 救急隊員が意識を完全に失った彼女の名前を呼びかけながら、心拍数と血圧の低下を叫ぶ。 「──うまく、いくわけないだろっ」 握りしめた冷たい手を額に押し当てて、血を吐くように腹の底から間抜けな男が悲鳴をあげた。 「相手のいない、告白なんて」 届くことのない告白が、どうやったらうまくいくというのか。 死ぬな。情けない男の懇願は涙と共に流れ落ちていった。 真っ赤に染まった顔、まん丸に見開かれていた瞳に映り込む自分の顔を見つめ返していたが、そろそろ違う反応が欲しくなって来て彼女の名前を呼びかける。 ハッと遠くに飛ばしていたらしい意識を戻した彼女が、首まで真っ赤にしたまま「なんで」と震えた声で呟いた。 かわいいなぁ、と目元を緩めてその様子を眺めていたら、彼女はうろうろと視線を彷徨わせてからまだ包帯だらけの手で可愛い赤面を覆い隠してしまった。 それでも真っ赤な耳は覗いているので、ツメが甘いなぁと風見は喉を震わせて笑う。 「わたし、風見さんの……告白の結果を、聞いた、だけなのに……」 「あぁ。でも、まだしてなかったからな。だから今、告白した」 「告白というか、赤裸々な独白でしたけどね!?」 ワッと顔どころか頭を抱え込むように背中を丸めた彼女に、声をあげて笑った。告白に託つけた、とんでもない心情の暴露を話したおかげか自分はとてもスッキリとしている。 パステルカラーの病院服に包まれた薄い上体が、隠れるようにベッドの布団に沈み込んでしまった。 「わ、らうこと、ないでしょう……」 布団に顔を埋めているせいでぐぐもった彼女の声はひどく拗ねた色を滲ませている。 「笑うしかないだろ、こんな情けない告白。本当はもっとマトモな、カッコつけたこと言う予定だったんだ」 こんなことになる前はな、そう言って手を伸ばすと布団を握りしめる包帯に包まれた小さな手に自分の手を重ねる。 恐怖しか感じなかったあの時の冷たさはもうない。奇跡的な生還を果たした彼女の温もりに、そっと安堵する。 そう、救急車で一度は呼吸を止めた彼女だったが、救急隊員の適切な処置とあの上司の脅しが効いたのか、奇跡的な蘇生で今もこうして生きている。目覚めるまでに随分と時間がかかったが、こうして生きていることだけで幸いだった。 重ね合わせた手をそっと親指で撫ぜていると、そろりとこちらを伺うように僅かにあげられた彼女の顔に微笑みかける。 「我慢を重ねて、嘘を重ねて、一番大切なものを喪っていたらざまぁないと思ったら。みんな、馬鹿馬鹿しくなったんだ」 いつの間にか、宥め賺すしかなかった欲はその凶暴な爪と牙が抜けて穏やかにそこにあった。 気持ちが冷めた、というわけでも昇華されたわけでもない。正直言ってもっと面倒なものになった気がしなくもない。拗らした、とも言える。 「惚れた女に、告白するのにカッコつけてられるほど、余裕なんかないんだよ」 そう言って、買い直した新しいメガネの奥でゆるりと目を細めて笑うと、彼女は一瞬息を飲んだようだった。 「それで」 怯んで、逃げてしまわぬように重ねていた手をずらして、指と指を絡めるように握り直す。 包帯越しでもわかるほど、彼女の体温が上がったのがわかった。 「告白の結果を、教えてくれないか?」 愛を手に入れたい男は、そう請い願った。 「答えなんか、知ってるくせに」 それはずいぶん、ずるい答えだな。