死因、と言うならば過労死と、生きている私ならばカルテに書いていただろう。 今まで書いてきたように、自分の名前が書かれたカルテに過労死、と。 しかし、自分の死因を自分で書けるはずはなく、書くとすれば同僚の医師が私の死因を書いたのだろう。 25歳で今の病院に就職した、28歳で救命救急医に専属となり、そこで5年間戦い続けた。 休みなく人の生と死と向き合い、感謝とそれと同じくらいの責める言葉を聞いて来た。 そして5度目の春、行った手術の回数を数えるのをやめた5日目の連続勤務を明けた朝、帰宅した自宅で眠るように私は死んだ。 疲れのピーク値はもう2日前から振り切ってる。 もう疲れた、と思うよりも、もう終わりかと思うくらいには自分は医者馬鹿なのだと思う。 (まだ、救いたんねぇなぁ) 私がいなくなったら、あの病院の救命救急医はどうなるんだろう。 それでなくても3人しかいなかったのに、受け入れ制限やらやりはじめるんだろうなと、悲しい結果ばかり浮かぶ。 走馬灯だとしても、浮かぶのはどうせ病院の事ばかりだ。そんな自分に思わず飽きれた笑みが浮かぶ。 (私は誰かのヒーローには、なれたかな) 医者になりたかったのは、小さい頃からの願いというか、病気の父の為になりたかったからだった。 その父も、私が医大合格を伝える前に死んでしまった。 だから、父の変わりに誰か救いたかった。 視界にあった書きかけの論文の山と、積み上がったコンビニ弁当の空箱が、白く霞んでいく。 今更、何を言おうが無駄なのだろう。 桜が見える角部屋が気に入って借りたアパートの窓から、満開の桜が風に吹かれて散っていた。 私は、私の一生を終えた。 次目覚めた時に、新しい人生が始まるとも知らずに、私は静かに短い休息についた。