学年末のパーティーで発表されたマリー助手の退任と結婚の報告は、寮対抗杯の結果が出た時以上の歓声と悲鳴で彩られた。 相変わらずの仏頂面の──思うに照れ隠しなのだろう──スネイプに腰を抱かれて、穏やかに微笑むマリーの姿にハリーは誰よりも大きな拍手を送った。 こうして、ハリーのホグワーツでの一年はあっという間に幕を閉じた。 長期休暇を前に、ホグワーツを離れる準備をしている楽しげな級友たちの中でハリーはただ一人憂鬱そうに、誰よりも少ない荷物をカバンに詰めていた。 また、あのダーズリーの家に帰るのかと思うと荷詰めをする手はとにかく重い。 「ハリー!」と部屋の入り口から自分を呼ぶ声に、ハリーは顔をあげた。部屋の入り口にはロンの兄、パーシーが立っていた。 「マリーさんが寮の外で待っている。君に用があるそうだ」 「え!」 パーシーのその言葉に、ハリーは慌てて立ち上がると、寮の出入り口へと急いだ。 「マリーさん!」 出入り口の扉を開けると、そこには外套を身に纏いカバンを手にするマリーの姿があった。 「やぁ、ハリー」 ハリーは彼女の目の前に立つと「もう発たれるんですか?」と言った。 列車で帰る生徒たちと違い別の方法で帰ると言っていたマリーは、元々ハリーたちより先にホグワーツを離れるという話は聞いていた。 「あぁ。だから君に挨拶と……それから、1つ渡したいものがあって」 「渡したいもの?」 そう言ってマリーは、二つ折りのカードを差し出した。 ハリーはそれを受け取ると、そっと開いてみた。中には一枚の写真が挟まっていた。 中央に座る婚礼衣装の二人の顔にハリーは目を見開いた。 「これって…」 「ジェームズたちの結婚式の時に、友人たちと一緒に撮ったんだ」 マリーはゆるりと目を細めると、ハリーの手の写真に並ぶ顔を指した。 「ジェームズとリリー、その隣が君の名付け親である親友たち」 「マリーさんもいるね……」 写真に写る顔は皆幸せそうに微笑んでおり、一等幸せそうなハリーの父親は同じく笑顔の二人の男性にもみくちゃにされて祝われている。花嫁の隣に立つ男装姿のマリーは、そんな様子に母・リリーと顔を見合わせて笑っている。 まさしく幸せをそのまま切り取った一枚だった。 「他の写真は、ハグリッドに渡したんだけど……あぁ、これは秘密にしておかなきゃいけなかったな。 でも……この写真はきっと、君には渡らないと思ったから」 どうして?と問いかけたハリーの言葉は、マリーは写真を持つハリーの手に触れたことで、飲み込まざるおえなかった。 まっすぐな碧眼がハリーを見下ろしていた。 「この写真のことは、君と私だけの秘密だ。 だけど忘れないで……この写真に写る全員が、君のことを愛している」 ハリーは溢れ出た気持ちのままマリーに抱きついた。その背中にマリーの腕が回り、そっと優しく撫ぜてくれた。 ずっと求めていた、愛情のある抱擁にハリーは少しだけ泣いた。 「呪いのことがなければ……本当は私が、君を引き取りたかった」 こっそりと囁かれた言葉に、それならばどれほど良かっただろうと思った。 でもそれはあくまでもしもの話で、マリーは未だ呪いに命を蝕まれている。 「僕も、もっと貴女といたい。まだたくさん、話したいことがありました」 両親の話だけでなく、彼女のことも、そしてこの写真に写る両親の親友たちのことも。 「また……会えますか?」 顔をあげてそう尋ねたハリーに、マリーは「もちろん」と微笑んだ。 「心配しないで、私はここを去るけど……“私”は君の側にずっといるよ」 とんと細い指先で優しく突かれた胸元をハリーは手のひらで抑えた。 「また会おう、ハリー。その時はたくさん話をしよう」 「──はい、マリーさん」 また、と次の言葉を交わしてハリーは去っていくマリーの背中を見送った。 一人になった廊下で、ハリーはもう一度手元の写真に目を落とす。 降り撒かれた花びらのシャワーの下で満面の笑顔をこちらに向ける彼らの顔に触れるように、写真の表面を指でなぞる。 「……名前くらい、聞いておけば良かった。 貴方たちはなんていう名前なんですか?」 父の傍で笑う、二人の男はただただ優しい目でハリーを見つめ返していた。 廊下の角を曲がったところで、壁に寄りかかって立つ男に気づいてマリーは微苦笑を浮かべた。 「別に、今更どこかに行ったりはしないよ」 するりと奪われたカバンに、そう小言を漏らす。 聞こえないふりで歩き出した背中を追いかけてマリーもまた歩き始めた。 「写真」 「うん?」 「持っていたんだな…奴が写っているものさえ、捨てずに」 マリーは目を伏せて「あぁ」と静かな声で答えた。 言葉が意味することは聞かずともわかった。あの写真には、彼がポッター夫妻とともに写っていた。 「何も言わずに、それをあの子に渡すとは……真実を知った後、あの写真がどうなるか見ものだな」 「“真実”か、そうだな……あの真実を知れば、どうなるのだろうか」 「……マリー?」 振り返った彼の怪訝そうな顔に、うっそりと笑いかける。 「世界は変わるかな、変わらないのだろうか」 「どういう、意味だ」 マリーはその問いかけに答えぬまま、彼の横を通り過ぎた。 「マリー」と彼が再び名前を呼ぶ。 「時が来れば、君もわかるさ」 煙に巻くような答えに、舌打ちを1つして再び足音が2つになる。 カバンを持つ手と逆の手が、マリーの手に絡んだ。するりと握り合い、そして指を絡ませもう一度握り締める。 マリーは微かに息を震わせて笑い、隣を歩く彼に体を寄り添わせた。 「君とこうして歩くのも、しばらくお預けか」 マリーがぽつりと零す。「そうだな」と静かな同意が返って来た。 これからダンブルドアの手により、マリーは肉体の時間を戻す術をかけられる約束になっている。 「少し、もったいないな」 彼の肩に頭をもたれかけながら、マリーは目を伏せた。 「しばしの辛抱、だろう?」 「うん」と返した声が存外、拗ねた色を滲ませていたせいか体を震わせた低い笑い声が触れた肩から直に響いた気がした。 「お前がどんな姿であれ、私はお前が健やかであることを望もう」 こめかみを掠めていった柔らかい温もりに、マリーは「うん」ともう1つ頷いた。 ・・・ それは、すぐにこの身に変化を与えた。 目の前には小さな手の平、ぶかぶかな服、ズレて邪魔な眼帯。 なんだか視界が開けるなと、右目に触れれば傷痕もなく。よく見える両目がそこにあった。 視線を上げれば、いつもより随分高い位置に満足そうなダンブルドア先生の顔と、硬い表情のスネイプの顔がある。 何はともあれ成功したらしい。 「どうじゃ、マリー」 「えぇ……さっきまで傍にあったあの声が、今は聞こえなくなっています……」 驚きと安堵が滲むマリーの声にスネイプは安堵の息を吐いた。 「一応は成功かの」とにっこりと笑ったダンブルドアに、マリーは笑い返す。凝り固まっていた表情筋がスムーズに動くためが、自然に笑えたような気がした。 「マリー、学校が始まるまでどうするんじゃ?」 「一先ず“部屋”で荷物を纏めてから、セブルスの家でお世話になるつもりです」 ズルズルと引きずるローブを手で手繰り寄せながらそう言うと、ダンブルドアは優しく微笑みながらそうかと何度も頷いた。 「念のためにセブルスには、あの薬の作り方を教えて置いたのでな。定期的には飲んでおいてはどうじゃ?」 「そうしてみます」 「マリー、すぐに荷物を纏めに行くか?」 「そうだね。忙しくなる前に、行ってしまおうか」 今まで口を閉じていたスネイプの言葉に、マリーは素直に頷いた。 しかし、もたもたと裾の長い服で足を取られて動けないマリーを、スネイプは軽々と腕に抱き上げた。 きょとりと瞬く2つの碧眼に、スネイプは憮然とした顔をしてみせる。 「何時までも行けんからな」 「ごめん…」 小さな体をさらに小さくして、スネイプの腕に納まったマリーは小さくそう呟いた。 「では、新学期に」 ダンブルドアの愉快そうな顔に照れ臭く思いながら、マリーはそう言って暖炉を通じて“部屋”へと向かった。 ほぼ一年ぶりに帰って来たその部屋は相変わらず本で埋もれていて、頭上から落ちてきた呆れ混じりのため息に、マリーは苦笑を返すしかない。 スネイプは抱えていたマリーを下ろすと、杖を取り出した。 「まず、服のサイズを合わせるぞ」 「ん」とマリーが返事をしたと同時にに軽く振られた杖に合わせて、服が縮んでいく。 裾に埋もれていた手と足が出たところで杖がもう一振りされる。くるりと見回して小さな体にあっている服の丈に「ありがとう」とマリーは礼を言った。 それから動きやすくなった体でマリーは部屋を見渡して「さて」と呟いた。 「まず、トランクはどこに埋まってるかな」 本の山を越えつつ辺りを見渡すマリーにならって、部屋を見渡したスネイプは窓の外の風景に目を見開いた。 「! おい」 「なに?」 見つけたらしいトランクを発掘しながら振り返ったマリーに、スネイプは窓を指さした。 「今の時期に何故、雪が?」 「あぁ、この空間の時間の進み具合が狂ってるからだよ」 スネイプの疑問にマリーは何てこと無いように答えながら、トランクをひっくり返して中に隠れていた本を振り落とした。 「呪いの進行を何がなんでも遅らせる為にね、ダンブルドア先生がこの場所を作って下さったんだよ」 「なら……10年間、ずっとお前は此処に住んでいたのか?」 「あぁ、元々隠居生活みたいなもんだったし、ここはとても居心地はよかったよ」 「そんなものか……?」 スネイプは不思議な心持ちで、窓の外に降る雪を見つめていた。 その側をマリーがリストをぶつぶつと読み上げながら歩き回ると、《言霊》にかかったモノたちが山となった本を掻き分け姿をあらわし、鞄の中に自ら飛び込んでいく。 スネイプはなんとか部屋の真ん中まで来ると、無造作に置いてあった椅子に腰掛けながら、ぱたぱたと動き回る小さな体を目で追った。 「マリー、買う必要があるものはあるのか?」 「ないと──…あー」 「どうした?」 リストを見て僅かに顔を顰たマリーに、スネイプは首を傾げた。 「フクロウは、買わないと」 「お前のフクロウは?」 「それで正体がバレる可能性が……」 「──なるほど」 納得したように頷くスネイプに、マリーは「だろう?」と言って苦笑した。 それぐらいかな、と呟くリストを見つめる横顔に感じた視線に、マリーは再び顔をあげた。 「どうかした、セブルス?」 「いや、何だか見た目に違和感があってな……」 「あぁ……私も、この身長差にはしばらく不自由しそう」 そう言い合って2人は顔を見合わせて笑った。 リストの最後の品が収まると、パチンとトランクが閉まった。それを合図にスネイプは椅子から立ち上がる。 「終いか?」 「あぁ」 小さい体で大きなトランクを持ってふらふらと歩くマリーに、伸ばした手が簡単にトランクを持ち上げ、急に負荷が消えふらついた体をそれと逆の手が支えた。 「気をつけろ」 「ありがとう」 支えていた手が離れ、そのまま手を繋ぐように握り返すとカチリと小さな金属音がした。 あの言葉通りにすぐに贈られた、二人の薬指に光る銀の指輪は暖炉の炎に白く反射して輝いている。 「行くか」 「うん」 そして2人の姿は消え、部屋にはまた静寂が訪れた。 END (賢者の石編・完結:080921|再加筆:190304)