あの夜、マリーはスネイプから自身の記憶を奪った。 愛する者の中から自分を消すという行為が、どれほどのものかハリーには想像することしか出来ないが、それは酷く悲しく、酷く恐ろしい事だと思う。 共に歩んだ時間、共に刻んだ思い出を捨て去り、何も知らない他人になる──忘れた相手はいいかもしれない。 だが、記憶を持ったままのマリーにはとても辛い事のはずだ。 それでも彼女はすべて覚悟し、一人思い出を抱え進む事を決意したのだろう。 しかし、二人で並んでいた道を一人歩みだしたマリーの背中は、ハリーには小さく寂しげに見えた。 そんなハリーの杞憂を余所に、記憶を失った男は新しい記憶を紡いでいく──生まれた、新しい感情と共に。 「記憶を失っても、スネイプがスネイプであることは間違いないんだよね……」 ぽつりと思わず呟いた言葉に、不思議そうな顔をしたロンとハーマイオニーだったが、ハリーの視線の先を辿ると納得したのか「あぁ…」と頷く。 ハリー達の視線の先──窓から見える中庭には、スネイプとその正面に立つマリーの後ろ姿があった。 「そうよねぇ……ただ一人の記憶がないだけでスネイプはスネイプなわけだし……好みが変わるわけでもないものね」 ハーマイオニーは、何とも言えない表情でそう言うとこめかみを指で押さえた。 ロンは窓枠に肘を付いて呆れたように呟きながら二人を見下ろす。 「だからって同じ人間を好きになるって事、普通あるかぁ?」 そう、記憶を失ったスネイプからして見れば新しい感情だが、端から見ればそれは不死鳥の如く甦った感情なのだ。 二人が何を話しているのかは、此処からでは全く知ることは出来ない。 だが距離を置いて見る第三者の目には、スネイプの表情がこの場にいる誰も見たことがない柔らかいものだと言うことが見てとれた。 「正しくこれが“愛の力”ってやつなんだろうね」 ハリーはそう言って二人から視線を切り離すと再び歩き始めた。 続いてロンとハーマイオニーも歩き出す。 彼女の決意も覚悟もあっという間に蹴散らした、“愛”の威力をまだ本人達だけが知らない。 2021.1.9 (初公開:2015.2.22)