スネイプが今も暮らす生家はスピナーズ・エンドという、工場の廃墟と汚れた川の近くにある荒れ果てた袋小路にあった。 彼が生まれる以前からあるその家はところどこガタが来始めているが、マリーとしてはそう言った部分に愛着を感じ始めている。 マリーの生家は、既にない。 一族が襲撃を受けた際、真っ先に火を放たれたのが当主であるマリーの父がいる場所であったため、家に残していた私物や思い出……それら全てが灰燼と帰していた。 だからこそ、スネイプの生まれ育った家に滲む生活感がマリーには心地良かった。 するりと、指先で撫ぜて確認して見るのは、つい先ほど直したばかりのキッチンの水道だ。朝食を準備する際に、水漏れが気になった箇所を直しただけだが、蛇口を捻ってみれば水の出はだいぶ良い。 流れ出る水を受け止めたケトルの中身を確認し、水を止めると濡れた手を布巾で拭いってからマリーはケルトをコンロにかけるとキッチンを出た。 この家には今、マリーしかいない。家主たるスネイプは朝食を済ますと出掛けてしまった。 用事としてはマリーの2度目の学校生活に必要なものも含まれていたため、同行を求めたものの怖い顔をされてしまい小言を言われる前に断念するしかなかった。相変わらずの過保護さである。 (以前に増して、心配性に拍車をかけてるなぁ…) やれやれとマリーは溜め息を吐いて、暖炉前にある椅子へと身を沈めた。 目の前に翳して見た自分の手は、見慣れたそれよりも生白く頼りないほどに小さい。そもそもどこもかしこも小さく、その差に慣れずに行動がちょこちょこおかしいせいだと言うのはわかっている。 基本的に頭にあるサイズと、実際のサイズに誤差があるのだ。その感覚を掴むまでは、おそらくあの“心配性”は緩和されないだろう。 マリーにかけられた呪いの進行を遅らせるため、ダンブルドアの手によりマリーの肉体は20年ほど巻き戻されていた。今のマリーは、ホグワーツ入学前の幼い少女の姿である、だが中身はそのままだ。 膨らみのない胸の上で手を組んで、脱力するように背もたれに寄りかかり2度目のため息を吐き出す。 そう、中身は変わっていない。 見た目のまま幼女を心配するが如く扱われるのは大変不本意である。 たとえ、キッチンに立つのに踏み台が必要であろうとも、だ。 しゅんしゅんと沸騰の合図を鳴らし始めたケトルに、火を止めねばと体を起こそうとしたマリーは動きを止めた。 「──誰?」 不意に感じた知らない気配にリビングとキッチンを繋ぐ入り口を眼光鋭く睨む。 徐々に、ケトルの音は小さくなり、誰かがコンロの火を止めたのがわかった。スネイプではない。 マリーはもう一度「誰?」と繰り返した。 そして、そろそろとキッチン側から顔を半分ほど出した、小さな生き物にマリーは目を眇めた。 「“屋敷しもべ”……この家にはいないはずだけど、君はどこの家の子だろうか?」 未だ鋭さを持つマリーの視線に、テニスボールほどのぎょろりとした緑の瞳が怯えるように揺れ動いている。 「は、はじめまして、カウンシル家の血族のお方。 ドビーめにございます。ドビー、と呼び捨ててください」 ドビーと名乗った屋敷僕の言葉に、マリーは一瞬言葉に詰まってそれから自分の“設定”をようやく思い出す。 (“カウンシル家の血族の方”、ね……自分の“設定”を忘れているようじゃいかんな……) 学校が始める前に作り上げた今のマリー の肩書は、“カウンシル家ともわずかに血が繋がる分家の分家、遠方の親族”マリー・カウンシルだった。 名前を変えなかったのは、自分と真実を知る関係者が偽名に慣れるまでの時間的な猶予がなかったことが一番の理由だ。 同じ名前なのは、ガブリエルの名前をあやかりたかった親がつけたとか、どうにでも言い訳は出来る自信がある。そう言ったことは自分の専売特許だ。 床に鼻の先がつくくらいに低くお辞儀をするドビーに、マリーは詰めていた息をふっと吐くと、鋭さを無くした視線を彼に向けた。 害はないと判断し──そして、彼ぐらいの魔力には負けない自信があったからだ。 「それではドビー、顔をあげて側に来て──」 “向かいの席に座ってくれ”と言いかけて、どのみち『屋敷しもべ妖精』は断るかと、言うのをやめた。 ドビーは素直にマリーの座るソファの前まで来ると膝をついた。 「私に何の用かな、ドビー?」 「貴女様には、ガブリエル・カウンシルへ伝言をお願いしたいのでございます」 (ガブリエルに伝言、ね……目の前のが本人なんだけど) キンキンとした金切り声で話すドビーを、ソファのひじ掛けに寄りかかりながらマリー僅かに目を細めて見下ろす。 「どんな伝言だろうか?」 「罠が、恐ろしい罠がハリー・ポッターを待ち受けているのです。 ハリー・ポッターをホグワーツに行かせてはならないのです!」 「──…」 ドビーの言葉に、マリーは唇を引き結んだ。 「ハリー・ポッターはホグワーツに戻れば、死ぬほど危険なのでございます」 「誰が、ハリーを狙っている?」 それを聞けばドビーは奇妙な悲鳴をあげて床にガンガン頭を打ち付け始めたので、マリーは彼の頭を伸ばした手で掴んで止めた。 「言えないんだな、わかったからやめろ、いいね、わかった? ──これだけは答えて、頷くだけでいい」 そう言うと、ドビーは何度も頷いた。 「それは、“あの人”か?」 ドビーは首を横に振った、それにマリーは「そうか…」と感情の乗らない声で呟いた。 「なら……その腹心、か?」 ドビーの首が、ほんの微かに縦に動いたのを見て、マリーは深く長い息を吐き出した。脳裏に過ぎった顔が、嫌な予感を駆り立てる。 するとこの屋敷しもべは“あの家”のモノかと思った瞬間、腹の底で蠢いた黒い感情にマリーは鼻にシワを寄せた。 「ドビー……その伝言を伝えることは構わない。しかしだ。 ガブリエルがどうしたって、ハリーが学校へ行くのは止められない──それは彼が望んでいる事だから」 そう、ハリーが“ホグワーツにいかない”という選択をとることはないだろう。 死ぬとわかっていても、死んだように生きる叔母家族の家などに残ろうとは思わないほど、ハリーはホグワーツでの生活を求めていた。 出来ること言えば、この事実を知った自分たち大人が警戒を強くするぐらいだ。それしかない。 「わかっております……御本人もそういっておられました」 しおしおとうなだれながらそう呟いたドビーに、マリーは目を見開いた。 「彼に、会ったのか?」 「はい……ドビーめは──っ!」 「! 待っ」 マリーの疑問に答える前に、ドビーは突然恐れるように身を震わせた後、パチンと言う音と共にその姿は消えてしまった。 腰を浮かしかけた大勢のままマリーは、キッチンにある裏口からやって来たその人物を出迎えた。 「どうした?」 怪訝そうな顔で、おかしな出迎えをして来たマリーを見つめる男に、「いや…」と曖昧に呟いた後ゆるゆると首を横に振った。逃げられた、その言葉は言うべきではないだろう。 ドビーは、おそらくスネイプを知っている。それがわかれば、ほとんど答えは得れた。 「おかえり、セブルス」 「あぁ」 少し腑に落ちない顔をしながらも頷いたスネイプは、持っていた袋をリビングのテーブルの上に置いた。 これがお前のだ、と示された紙袋の口を覗くと数冊の新しい教材などが見えた。 「フクロウは後日、一緒に買いに行こう」と言うスネイプの言葉に頷いて、マリーは「紅茶を淹れるよ」と言ってキッチンに足を向ける。 そこにはもちろん、あの屋敷しもべの姿はないものの。コンロの火は確かに消えていた。 マリーは手早くお茶の準備をすると、リビングに戻る。 スネイプは先ほどまでマリーが座っていた暖炉側の1人掛けのソファに、疲れた様子で座っていた。 背もたれに深く寄り掛かり、額に手を当て深い息を吐いたスネイプに、マリーは小さく首を傾げた。 「随分お疲れだね」 そう言いながら、買い物の荷物を一度どけたテーブルにティーカップなどをセットする。 「お前は、行かなくて正解だった」 「何故?」 「お前の苦手な人種が、2人もいたからな」 マリーは、袋の端っこに押し込められていたチラシを思い返して「なるほど」と呟いた。 「ギルデロイ・ロックハートのサイン会、か。本屋は大層混雑していたんだろうね。 それで……もう一人は誰のこと?」 カチャと小さな音をたてて湯の入ったポットを置いたマリーの横顔を見ながら、スネイプは苦々しく呟いた。 「ルシウス・マルフォイ──お前が1番会いたくないだろう人だ」 微かに強張った、否。感情がない横顔でマリーはポットの中身をカップへと注いだ。 「……そうだね」 揺れるカップの波紋を見つめる瞳が酷く濁って見えて、スネイプは低い位置にあるマリーの頭を撫ぜる。 さらりとした指どおりの青みがかった黒髪を指で何度か梳くと、マリーの表情が和らいだ様に見えてスネイプはほんのわずかに安堵の息を吐くと空気を変える様に言葉を続けた。 「まぁ、Mr.ウィーズリーとMr.マルフォイの取っ組み合いは見物だったが」 「ウィーズリー先輩?」 呟いた言葉にこちらを見上げた瞳は少し驚きの色を写していた。 「関わり合いにはなりたくなかったから、離れて見ていたせいで原因まではわからない。 しかし大の大人、しかもそれぞれ地位のある紳士が、本で叩き合うのは不様としか言い様がないな」 やれやれと呆れたように語るスネイプに、マリーは微かに喉を震わせて笑った。 「昔から、相性が悪い人たちだったから」 マリーはカップをスネイプに渡しながら、意地悪そうな笑みを唇に乗せた。 「どっかの誰かさん達みたいにね?」 「──私には、誰のことか全く検討がつかんな」 素知らぬふりで紅茶を飲むスネイプに、マリーは「よく言うよ」と肩をすくめたのだった。