マリーはシリウスの為に用意していた服──長い投獄生活に着ていた物に代わる、新品のローブと洋服に着替えさせた。 今だ痩せこけた顔だが、長くなった髪を後ろでまとめ、にこりと健康的に笑って見せた顔は、手配書のそれとは別人と言っていいほどだ。 これで少しぐらいのごまかしにはなるだろうと、マリーは目を細める。 「行くか」 「あぁ」 マリーの差し出した手をとったシリウスの二人の姿が、一瞬で部屋から消えた。 次の瞬間、二人がいたのは叫びの屋敷。 マリーはシリウスから手を離すと、彼に犬の姿でここで待つように伝えそこからまた姿を消した。 そして、表れたのはホグワーツの大広間の隣の小部屋の前──代表選手が待つ場所だった。 開け放った扉の向こう、他の正式な代表選手達の中に、自分と同じ方法と代表選手にしたてあげられたハリーの姿を見つけた。 マリーはダンブルドアを見上げた。 「校長先生、これは一体どう言う事でしょうか。 理由をお聞かせ願いたい」 ダンブルドアに向けられるマリーの声にしては、酷く冷たい色を持っていた。 「年齢線を越え、年少の代表選手である君達が選ばれたのじゃ」 「ならばハリーと私は、試合規則に叶っていないはず。 辞退させて頂きたい」 「それは出来ない」 睨み合うようなダンブルドアとマリーの間に、慌てて入って来たのはバクマンだった。 「知ってると思うが、年齢制限は今年に限り、特別安全措置として設けられたものだし。 ゴブレットから名前が出た限り──魔法契約に拘束される」 苛立つというには生優しくない、冷たい怒りをあらわにする少女を宥めにかかったバクマンを一瞥すると、マリーは部屋の人間を見回した。 他に三校の校長、マクゴナガルとスネイプ、それからクラウチ氏──その瞳が写す感情に、マリーは忌ま忌ましそうに舌打ちした。 「私の他の生徒に、もう一度名前を入れさせるように主張する」 へつらいも笑みもかなぐり捨てた、まさに醜悪な形相でカルカロフが言った。 「《炎のゴブレット》をもう一度設置していただこう。 そして各校3名の代表選手になるまで名前を入れ続けるのだ。 それが公平というものだ、ダンブルドア」 「しかし、カルカロフ、そういう具合にはいかない」 カルカロフの要求に、バクマンが困り切ったように言った。 「《炎のゴブレット》はたった今火が消えた。次の試合まではもう、火がつくことはない」 「次の試合に、ダームストラングが参加することは決してない!」 ついに怒りを爆発させたカルカロフを、マリーは冷たい視線で睨みながら、ガリリと右目の瞼に爪をたてた。 マリーの纏う空気に、二年前のロックハートの前でキレた時と同じ雰囲気を感じハリーは体を震わせた。 「あれだけ会議や交渉を重ね、妥協したのに、このようなことが怒るとは思いもよらなかった! いますぐにでも帰りたい気分だ!」 「はったりだな、カルカロフ」 マリーの背後、扉の近くで唸るような声がした。 「代表選手を置いて帰ることはできまい。選手は競わなければならん。 選ばれた者は全員、競わねばならんのだ」 片足を引きずりながら部屋に入って来たムーディはそう言いながら、マリーを見やり、それに彼女は忌ま忌ましげに舌打ちした。 「──ダンブルドアも言ったように、魔法契約の拘束力だ。都合のいいことにな、えぇ?」 「都合がいい?」 カルカロフがムーディの言葉を聞き返した。 「何のことかわかりませんな、ムーディ」 カルカロフは、ムーディの言うことは聞くに値しないとでもいうように、わざと軽蔑した言い方をしていることがハリーでも簡単に、彼の声色から読み取る事ができたし。 それを裏付けるように、カルカロフの拳は固く握り締められていた。 「わからん?」 ムーディが低い声で言った。 「カルカロフ、簡単なことだ。 ゴブレットから名前が出てくればポッターが戦わなければならぬと知って、誰かがポッターの名前をゴブレットに入れた」 「もちろーん、だれか、ホグワーツに“りんご”を二口どころか三口もかじらせよーとしたのでーす!」 「おっしゃる通りです、マダム・マクシーム」 激しく責め立てるように口を挟んで来たマクシームに、カルカロフは紳士のように恭しく頭を下げて見せてから、バクマンへと向き直り鋭い視線を彼へと向けた。 「私は抗議しますぞ。魔法省と、それから国際連盟──」 「抗議したいのはこちらの方ですよ」 大人達の煩わしい会話にいい加減嫌気がさしたのか、マリーが苦々しく唸った。 「なんで文句言いまーすか?」 マリーに食ってかかったのはフラー・デラクールだった。 「私たち、みんな、何週間も、何週間も、選ばれたいと願っていました!学校の名誉にかけて! みんな死ぬほど欲しいチャンスでーす!」 地団駄を踏むフラーに、マリーは残酷なほど凄みのある笑みを浮かべて見せた。 「私もハリーもそんなの望んじゃいない。 金も、名誉も、誇る一族の名を……私達には、もはや何一つ残っていない」 ハリーはマリーのゾッとするほど冷たい言葉に唇を噛んだ。 息苦しい沈黙が流れた。 「私が気になるのは、何故、年齢線を越えられない私達二人の名前がゴブレットに入れられたかですよ。 貴方ならわかるんじゃないんですか、マッド-アイ・ムーディ教授」 マリーの碧眼が穏やかな声の割に、鋭くムーディを睨んだ。 「あのゴブレットに名前を入れるような魔法使いは腕のいい奴だ……」 「おお、どんな証拠があるというのでーすか?」 マダム・マクシームは、馬鹿な事をと言わんばかりに巨大な両手をばっ開いた。 「なぜなら、強力な魔力を持つゴブレットの目を眩ませたからだ!」 ムーディが言った事に反論はなかったらしいが、マリーの瞳は浚に濁った感情を映し出していた。 「あのゴブレットを欺き、試合には三校しか参加しないということを忘れさせるには、並外れて強力な錯乱の呪文をかける必要があったはずだ。 わしの想像では、ポッターとカウンシルの名前を、それぞれ四校目と五校目の候補者として入れたのだろう……」 「随分。簡単に策略を見抜いたのですね、先生」 すぅっと細められたマリーの瞳に、ムーディは顔を顰めた。 「実に独創的な説だ、しかし──」 「カルカロフ、君は黙っておれ。 カウンシル、前の事から嫌にわしに突っ掛かってくるな。 そんなに、“あの名”を呼ばれたのが嫌だったのか」 カルカロフの言葉を遮ると、ムーディが威嚇するような声で切り返した。 「なぁ、“ガブリエル”」 体の向きを変え、真っ直ぐにムーディを見据えたマリーの無表情だった。 眼ばかりは憎悪の入り交じった殺気を込め、ムーディを見上げていた。 「──警告しよう、アラスター・ムーディ。その名を呼ぶな」 幼い少女が口にするには重く低い声が、部屋の空気を支配した。 ギラギラとしたマリーの本当の殺意を、ハリーが見るのはこれで二度目だった。 難しい表情をするムーディに、向けてすぅっと上げられた手に、ダンブルドアは声をあげた。 「マリー!」 窘めるように呼び掛けたダンブルドア声に、マリーの表情から感情が霧散し、虚ろな瞳がダンブルドアを振り返った。 上げられた手はいつの間にかローブの中に隠されていた。 「──どのような経緯でこのような事態になったのか、我々も知らぬ」 ダンブルドアは部屋に集まった全員に話しかけた。 「しかしじゃ──望むにしても望まぬにしても、結果を受け入れる他あるまい。 セドリックもハリーも、そしてマリーも試合で競うように選ばれた。従って試合にはこの3名が──」 「おお、でもダンブリー・ドール」 「まぁ、まぁ、マダム・マクシーム。 何か他にお考えがおありなら、喜んで伺いますがの」 ダンブルドアは答えを全くが、マダム・マクシームはただ睨むばかりで何も言わなかった。 マクシームだけではない、スネイプは憤怒の形相だし、カルカロフは青筋を立てていた。 ハリーはちらりと、マリーを見たがその顔に一切の感情はなく、もはや読み取る事は出来なかった。 しかし、バグマンだけはむしろウキウキとして見えた。 「さぁ、それでは、開始といきますかな?」 バグマンはニコニコ顔で揉み手をしながら、部屋を見渡した。 「代表選手に指示を与えないといけませんな? バーティ、主催者としてのこの役目を務めてくれるか?」 何かを考え込んでいたクラウチ氏は、急に我に返った顔をした後、取り繕うように「フム」と深く唸ってみせた。 「指示ですな、よろしい。最初の課題は……」 クラウチ氏は、暖炉の明かりの中に進み出た。 その時ようやく近くでクラウチ氏を見る事が出来たハリーは、病気ではないかと思った。 目の下には黒いクマ、薄っぺらい紙のようなしわしわの皮膚──こんな様子は、クィディッチ・ワールドカップの時には見られなかった。 「最初の課題は、君達の“勇気”を試すものだ」 クラウチ氏はハリー達代表選手を見渡しながら話した。 「ここでは、どういう内容なのかは教えないことにする。 未知なものに遭遇したときの勇気は、魔法使いにとって非常に重要な素質である……非常に重要だ。 しかし、本当に正統継承者であれば……君には優位なものになるかも知れんな、カウンシル君」 クラウチ氏の言葉に全員の視線がマリーに向けられたが、彼女は何の反応しなかった。 「……最初の競技は、11月24日、全生徒、ならびに審査員の前で行われる。 選手は、競技の課題を完遂にあたり、どのような形であれ、先生方からの援助を頼む事も、受ける事も許されない。 選手は杖だけを武器として、最初の課題に立ち向かう。 第一の課題が終了の後、第二の課題について情報が与えられる。 試験は過酷で、また時間のかかるものであるため、選手たちは期末テストを免除される」 そこまで言い終えるとクラウチ氏はダンブルドアに向き直った。 「アルバス、これで全部だと思うが?」 「わしもそう思う」 ダンブルドアはクラウチ氏をやや気遣わしげに見ながら言った。 「バーティ、さっきも言うたが、今夜はホグワーツに泊まっていったほうがよいのではないかの?」 「いや、ダンブルドア、私は役所に戻らなければならない」 そう答えたクラウチ氏の言葉が、どこか譫言じみで聞こえたのはハリーの気のせいだろうか。 「今は、非常に忙しいし、極めて難しいときで……若手のウェーザビーに任せて出てきたのだが……非常に熱心で」 「せめて軽く一杯飲んでから出かけることにしたらどいじゃ」 「さ、そうしろよ、バーティ。私は泊まるんだ」 ダンブルドアの言葉に被せるように、バグマンが陽気に言った。 ハリーはその様子をどこか遠くに見ていると、きつく腕を握られ「ハリー」と小さく呼ばれた名前に視線だけで振り返った。 無表情のマリーが部屋を出ていく他校生達を見送りながら、ハリーの隣にいるセドリックに聞こえないほどに早く囁きかけた。 (君がこれをどう受け止めているかは後で聞く、しかし、油断するな、狙いはお前の命である可能性が高い──) 囁かれた内容に動揺したが、下手に反応を表に出すことも出来ず、ハリーは視線を泳がせた。 (私も、危ない、かもしれん) 最後に呟かれた言葉にハリーが振り返ろうとする前に、ダンブルドアがこちらに振り返り微笑みかけた。 「ハリー、セドリック。二人とも寮に戻って寝るがよい。 グリフィンドールもパッフルパフも、君達と一緒に祝いたくて待っておるじゃろう。 せっかくのドンチャン騒ぎをする格好の口実があるのに、ダメにしては勿体ない」 ハリーがマリーを見れば促すように微笑んで、掴んでいた手を離した。 ハリーはセドリックを見遣り、彼が頷いたので後は何も言わずに二人一緒に部屋を出ていった。 バタンとドアが閉まる音を背後に聞きながら、マリーは伏せていた瞼をあげ真っ直ぐにダンブルドアを見上げた。 「先生」 「……わしの部屋で待っていなさい、寄り道をして来てもよいからの」 「はい」 静かな返事を残しマリーは踵を返すと部屋を出て行った。 時計の針はとうに、土曜から日曜日へと日付を跨いでいた。 シリウスは叫びの屋敷の一室に、一人佇んでいた。 学校から一度戻って来たマリーは、もう叫びの屋敷を出て行っている。 悲痛な表情をしたシリウスがくしゃりと自身の長い髪を両手で掻きむしった。 「マリー……っ!」 先程、彼女が言った言葉が耳から離れない。 幼い姿には似合わない笑みを浮かべた彼女は、残酷ともとれる言葉を残した。 『シリウス、お前はハリーを必ず助け生きろ──私には絶対に手を伸ばすな』 いつもは感情が映り込まない碧瞳に、澄み切った生への諦めが見えていた。 『お前が、私を助ける事は許さないからな』 彼女は否定も肯定の返事も拒むように踵を返した。 「マリー」 絞り出すように彼女の名前を呟いてシリウスはきつく、きつく痛む胸を掴んだ。 遠くなる距離は、今に決して届かぬものになるのだろう。 マリーは、昔よりずっと遠くで笑う。 それが、終焉の迫った命だからなのかはわからない──それよりも、何か他に彼女をつき動かすものがあるのではないかと思っても。 彼女は何も語らないから、何のヒントさえも残してくれない。 だから、遠くを歩むその小さな背中を見送るしかないのだ。 その悲しみにシリウスは、小さく鳴咽を漏らした。