「初めて見るけど、何だか居心地が悪いものだね」 「そうか?慣れるとそうでもないが」 マリーの隠れ家へと訪ねて来たルーピンの言葉に、シリウスは首を傾げながら安楽椅子に腰掛けたマリーを見遣る。 ここに急に戻って来たかと思えば、「考える事がある」と言ったと同時に“糸”を張り巡ったマリーは、それっきり黙り込んだままだ。 ルーピンはマリーに向けていた顔を、正面に座るシリウスに戻した。 「それで、シリウス。ハリーからあれから手紙は?」 「情けない事に、私を心配してか……中々今の様子を話してくれなくなってしまってね」 眉を下げてそう語ったシリウスに、ループンはなるほどと頷いた。 ようやく温かく受け入れてくれるかもしれない“家族”を、自分のせいで手放したくはないという、ハリーの気持ちがわかったからだ。 しかし、それはシリウスも同じ事──ハリーに何かあってからでは遅い。 「リーマス、君からハリーに手紙を書いて探りをいれてくれないか?」 「うーん、ハリーも今不安定な時期なんだと思うよ。 下手に突かない方がいい気もするけどね」 微かに渋るルーピンの考えも確かに一理ある。 今、ハリーは敏感に周りの反応を受け止め過ぎている。 思春期独特のモノだろうが、彼の場合それだけではなく過去の事柄も関係してくる。 「マリーからは、何か?」 「帰って来てすぐにアレだからな……ほとんど何も話しちゃいない」 たシリウスは困ったように肩を竦めて見せた。 「ずっと、あのまま?」 「ずっと、あのままだ」 部屋に張り巡らされた糸のような気配が、体にくっついた雲の巣のように纏わり付く感覚が、まだ慣れないのだろうルーピンが居心地悪そうに椅子に座り直した。 「彼女は何の答えを探しているんだい?」 「おそらく、だが──“闇の印”が上げられた事を含め、ハリーの傷の痛みの原因を追ってはいるみたいだ」 「そうか……」 以前からマリーが言っていた関連性の見えない事柄は、もしかしたら彼女の中では一本の線になっているのかもしれない。 「君はどう思う?ヴォルデモートは復活すると思うかい?」 「──させたくない、というのが本音だな」 ルーピンの真っ直ぐな問いに、シリウスは憂いた目を伏せながら苦く笑った。 「奴が復活すれば、マリーは死ぬ。 それをわかっていながら、復活などさせない」 獰猛な獣が唸るように低く吐き捨てたシリウスの言葉に、ルーピンも顔を曇らせた。 「──“呪い”か…余命は一年を切ったという話は聞いていたが」 「マリーは何も語らない」 ルーピンにシリウスは悲しげな声で返した。──昔から、彼女はいつも何も語らなかった。 制御仕切れていない《言霊》のせいで、声を無闇に発する事が出来なかった学生時代。 それを教えてくれたのは本人ではなく、寮監であるマクゴナガルだった。 姉にどんなに虐げられ、怪我を負い呪いで苦しんでも──それを知されるは本人からではなく、いつも泣きながら治療するリリーだった。 闇の陣営に一族を殺され、本格的に“ガブリエル”として生きねばならなくなった決断も、本人からではなく、ダンブルドアの口から伝えられた。 マリーは大事な事は口にはせずに、ゆるりと笑って消えていこうとする。 酷く悲しい、悪い癖だ。 ルーピンは話題を変えるように、ズレた時の景色がうつる窓を見た。 冬が終わり、ようやく青葉が芽を出す暖かな春が訪れていた。 シリウスはもう冷めた紅茶の入った白磁のカップを傾けた。 プツリと何かが切れた感覚の後、部屋に張り巡らされていた糸がするりするりと消えていく感覚に顔を上げる。 安楽椅子に座っていたマリーが片目の碧眼を開け、微かな鋭さを持って押さえた腕を見下ろしていた。 薬を飲んでいるらしい本来の姿の彼女は、眼帯はしておらず、稲妻型の傷が走るあらわになった瞼がきつく閉じられているのがよく見えた。 「マリー?」 終わったらしい術に声をかけると、マリーの碧眼はようやくシリウス達に向いた。 「リーマス……?」 「ようやく、僕が来ている事に気付いてくれたみたいだね」 自分を映した碧眼にルーピンは困ったように笑ってみせた。 「何かわかったことがあるのなら、教えてくれないか?」 「──あぁ、そうだな」 火のない暖炉の前にある安楽椅子から立ち上がると、マリーはふらふらとした足取りでシリウス達のところまで来た。 シリウスの隣、ソファーの空いた場所にドサリと腰を下ろしたマリーは、疲れた様子で深く息を吐き出した。 「マリー、大丈夫か?」 彼女の分の紅茶を入れながら、いつにもなく疲労を見せたマリーに、シリウスは心配そうな表情を見せた。 「あぁ……大丈夫、久々に長く“糸”を張りすぎたせいだ」 「何か、捕らえたのか」 #マリ#ーはシリウスから紅茶のカップを受け取りながら、碧眼を伏せながら頷いた。 「バーサ・ジョーキンズの失踪──ハリーと私の夢の符号──全てがヴォルデモートの動きに繋がっているのは確かだ」 マリーの言葉に、ルーピンとシリウスの表情に緊張が走った。 「私達が見た夢──ヴォルデモートがいた場所、殺したマグルの正体がようやくわかった」 「何処の誰だったんだ?」 「リドル家の庭番、フランク・ブライス」 「リドル……?」 聞き馴染みのない名前に反応した二人に、マリーは緩く苦笑した。 「トム・マールヴォロ・リドル──ヴォルデモートのかつての名を知る者はほとんどいないだろう」 「!!」 「なんだって!!」 目を見開いて驚いた二人に、マリーは両手でもった白磁のカップにゆれる紅茶の波紋へと視線を落とした。 リドル──それはヴォルデモート卿に流れる、マグルの“穢れた血”の名だ。 「奴が、憎んだマグルの元へ帰った理由がおそらく1番の問題──何かを計画しているのは間違いない」 奴は父の血──崇高なるスリザリンの血に混じった“穢れた血”を憎んでいたのだ。 その家に戻る理由など、その憎しみに勝る、自分の復活に必要な“何か”がそこにあったに他ならない。 「ならば、その屋敷に行くべきだ!奴が弱っている今こそ……!」 「無駄だよ、シリウス」 声を荒げて言ったシリウスを宥めるように、マリーは勤めて静かに言葉を紡いだ。 「二年前の事といい、奴は自分の生命を分け、隠している。 それを全て殺し尽くさない限りは、奴はまた力を取り戻す」 「そんな……」 絶望の色を深く映したシリウスは体に入れていた力を抜くとソファーに沈み込んだ。 「なら、何が僕達には出来るんだ?」 ルーピンの問いにマリーは視線を微かにさ迷わせた後、心が決まったのか真っ直ぐにルーピンを見つめ返した。 「奴は確実に対校試合の事を知ったはずだ──動くなら今その時。 その計画だけは潰さなくてはならない」 マリーの白い指先が、自身の稲妻型の傷に触れる。 カリッと、その薄い瞼に形の良い爪がたてられた。 虚を取り除いた澄んだ碧眼に映るのは、どろりとした憎悪と殺意──ルーピンは自分から反らされたその瞳に悲痛そうに眉をひそめた。 あの時から何も変わらない──ヴォルデモートに対する憎しみは、彼女の中でまた成長しているようにも見えた。 ふと、その感情を消し去りぼんやりとした色をうつす碧眼がルーピンに向けられた。 「リーマス、頼みがあるんだ。 しかし、危険な頼みだ、断ってくれてもいい」 「断るなんて選択はないよ。 友の為だ、危険だろうと頼みを無下にはしない」 ルーピンのきっぱりとした言葉に、マリーは微笑むとありがとうと言った。 「相変わらず魔法省は信用出来ない。バーサの行方を追って欲しいんだ」 「わかった、すぐに発とう」 立ち上がったルーピンに、マリーは少し待つように言うと、大きな棚から上質な生地のローブを持ってくるとルーピンへと差し出した。 「父のお古で悪いが、寒くなる時期の旅だ、持って行ってくれ」 「いや、でも……」 口ごもるルーピンのくたびれたローブと比べたら天と地ぐらいの差がありそうな、お古と言うには上等な温かみのある茶色のローブだった。 「私は君に、これぐらいしか出来ないんだ」 困ったように笑うマリーに、引く気はないのだとわかりルーピンは目を細めた。 「──ありがとう」 ルーピンは両手でそれを受け取った。 手触りもいい厚手のそれは、自分には勿体ないほどのものだと直ぐにわかる──それもそうだマリーの父と言えばカウンシル家の家督である。 ルーピンはそれを片手に持ち直すと、マリーの肩を抱き寄せ優しくハグをした。 「僕も必ず帰る、だから君も」 逝くな、と泣き叫ぶには随分と歳を重ねてしまった自分には難しく、気付いてくれと口には出せなかった狡い大人が、抱き寄せる腕の力を強めただけだった。 「……わかった、君の帰りを待ってる」 マリーは碧眼を細めて苦く笑いながら、ルーピンの肩を優しく叩いた。 ルーピンは彼女から離れると、シリウスとも短いハグを交わし、部屋を後にした。 マリーはしばらく立ち尽くしたまま、ルーピンを見送った後、シリウスに向き直った。 「シリウス、君はハリーの元に行くべきだ──危険だからと止めたい所だが。 おそらく彼にはシリウス、君が必要だ」 「危険かなんて問題じゃない、ハリーの為だ」 シリウスの力強い答えに、マリーもしっかりと頷いて返した。 「それに、ここにいるよりマリーの力にもなりやすいだろう」 「……ありがとう」 「何。愛する女の為だ、気にするな」 さらりと言ってのけたシリウスに、マリーは困ったように眉を下げながら彼を見上げた。 それにシリウスは穏やかに笑うだけだった。 「前にも言っただろ……君の心が私に向かないのはわかってるし、傷心の君に付け入るつもりはない」 「シリウス」 「マリーの心は昔から、姉とスネイプにしか向いていないのは知っているしな」 シリウスはゆっくりとマリーの目の前に立つと、そっと手で彼女の白い頬に触れた。 マリーはそれから逃れもせず、ただじっとシリウスを見つめていた。 「だからといって、君を愛する気持ちも変わらない」 「──君のようないい男に、応える事の出来ない私で、すまない」 「一途なのは、どちらも一緒ってだけさ」 フワフワと柔らかな黒髪を指で遊ばせながらシリウスは笑う。 「側にいるだけでいい、そんな気持ちわかるだろ?」 「あぁ──わかるな」 マリーは微笑みながら頷いた。 「夢見るとすれば──いつか、平和になったらハリーと私とマリー、それからルーピンと一緒に暮らしたいな」 シリウスの柔らかな言葉にマリーは笑った──悲しげな微笑みだった。 「いい、夢だな」 「叶えてくれよ」 シリウスの両手が、マリーの頬を包み込んだ。 額に薄い唇を触れさせながら、シリウスは願うように呟く。 「マリーの《言霊》なら出来るはずだ──本気でそう願えば」 「シリウス、私は」 「私は君をスネイプに譲る気はあるが、あの姉に譲る気は微塵もないんだ」 シリウスのはっきりとした言葉に、マリーは口を噤んだ。 マリー、と名前を呟くシリウスの唇が額を掠めた。 ふと、机に何か落ちた音に二人は振り返った。 そこにはいつの間にか、封筒が一通置いてあった。 マリーはそっとシリウスの手を解くと、それを拾い上げた。 「ダンブルドア先生から──なんだろう」 学校の校章が描かれたそれを、怪訝そうな顔でマリーは見下ろし、少し乱雑とも言える仕種で中を開いた。 碧眼が文面を走った瞬間、マリーの表情が歪むのがわかった。 「何か、あったのか?」 「シリウス、すぐにホグワーツに向かう。 君も来い、大変な事になった」 手紙をくしゃりと握りしめた手が徐々に小さくなっていく──二つの碧眼がシリウスを見上げた。 「ハリーが三校対校代表選手に選ばれた、何者かの策略によってだ」 「まさか!」 「私も認めたくない──くそ」 珍しく口汚く吐き捨てたマリーの様子に、シリウスはまだ何かある気がして目を細めた。 「マリー?」 「──馬鹿な話だ、私の正体を“忘れていない”人物がいるなんて」 「マリー、それは一体」 困惑気味なシリウスの表情を、マリーの無表情が見上げた。 「私が──ガブリエル・マリー・カウンシルとして、三人目のホグワーツ代表選手に選ばれた」