まさか、後者だったとは──自分を静かに見つめ返す標的を鋭く睨みながら、スクアーロのどこか冷静な頭がそう考えていた。 確かに自分の性格上、監視等の根気と我慢のいる任務は向いていない──段々イライラして斬り殺したくなってくるのだ──だからといって、スクアーロは名の知れた暗殺者であり、ヴァリアーの幹部の一人だ。 そう簡単に一介の殺し屋に気配など悟られる筈が無いと高を括っていたらこの様かと、スクアーロは顔を顰めた。 監視の任務について数日、行動を起こさない相手に焦れたのは、スクアーロだけではなかったようだ。 目の前のこの標的はスクアーロの存在に気付き、なおかつスクアーロを闇から引き摺り出す為にご丁寧にも罠を仕掛けてくれたのだ。しかもとても簡単な罠──不審な行動を見て武器片手に出て来たスクアーロを迎え撃つという安直なものであった。 (引っ掛かる俺も俺だなぁ) ただなんの感情も無く自分を見つめる幼き標的を見返しながら、スクアーロは己に舌打ちする。 裏路地に僅かに差し込む月光に、彼女の蜜色の瞳が猫の目のように闇に光り浮き上がっている。自分とは真逆の闇色の黒髪はさらりと揺れてその瞳を隠してしまった。 『アグリ』と姓もなく報告書に書かれた名前は、本名なのか怪しいものだ。彼女の個人情報はほぼ皆無に等しく、彼女が自分とそう変わらない年頃の少女だという事も、スクアーロはこの仕事を始めてわかった。 (尾行にも随分前から気付いてやがったな……厄介だ、殺っちまうかぁ?) そう物騒な事をつらつらと考えながら、ぐっと武器を持つ手に力を込める。 それに気付いたのか少女の瞳がすぅっと細められた。 攻撃を仕掛けてくるかと身構えながらのしばらくの睨み合いの後、ふいっとこちらを見つめる蜜色の瞳が逸らされた。 「あ゙ぁぁっ?!」 スクアーロの不審そうな声を無視して少女は黒いコートを翻し踵を返すともう闇へと紛れようとしている。 「ゔおぉい!!待てコラァ!!」 予想外の相手の引き際に微かにずっこけながらは、スクアーロはその背中を呼び止めた。 殆ど、裏路地の闇に体を解かし立ち止まった少女は、少しだけスクアーロを振り返ると、薄く口を開き囁くように言葉を紡いだ。 「ドン・ボンゴレに伝えろ。私はお前達に手を出すつもりは無い」 「てめっ…!!」 初めて聞くその声はゾッとするほど無機質で、スクアーロはゾワリと背筋を焦がす悪寒に口の端を歪めた。 所属までバレていたのは予想外で、思わず今にも切り裂いてやろうと言わんばかりに獲物を構えていると、少女の指がすっとスクアーロの胸の辺りを指した。 「バレない様にするなら、監視にその隊服を着ない事だ」 なんの抑揚も無い声で言い放つと同時に少女の気配は消えた。 少女が先程立っていた場所を見つめてから、胸より少し下に縫い付けられていた紋章を見下ろし、スクアーロはがしがしと頭を掻いた。 「ゔお゙ぉい……バレた上に逃げられたってぇのかよ」 頭の中でザンザスの言葉がエコーする。 『しくじるな』 もう“しくじって”しまった──また、殴られるか蹴られるか。いや、どこかに顔面をぶつけられるか。どのみち痛い事には変わりない。スクアーロはもう何度目かわからない溜め息を吐いた。 (しっかし、なんて報告したもんか………) スクアーロは重苦しい溜め息を吐くと、彼もまた裏路地の闇に消えていった。 ビルの上──細い三日月を背に、裏路地で自分と対峙した男の気配が消えるまで辿っていたアグリは、小さく溜め息を吐いた。黒いコートの裾がばさばさとビル風にはためく。 「ヴァリアー、か」 小さく呟いたその名前は風に煽られ、すぐに闇夜に消えていく。 「嗅ぎ回っている事はすでにバレていたか……」 すぅっと蜜色の瞳を細め、ぐっと拳を握る手に力を込めた。 皮の手袋がぎちぎちと不穏な音をたてている。 「ケリは…早めにつけた方がいいな」 長めの黒い前髪を掻き上げ、蜜色の瞳を隠す様に顔の半分を覆う金属質の仮面を装着するとアグリは再び闇に溶けて消えていった。 ::: 案の定、というかなんと言うか。報告が終わった途端スクアーロはザンザスにテーブルに思いっきり顔を打ち付けられた。 (ゔお゙ぉ……鼻血とまんねぇ…) 鼻血に染まり顔の中心を押さえつつ、こちらを見下ろすザンザスにちらり視線を向ける。 「ゔぉおおい…痛ってぇぞぉ」 「しくじるな、と言った筈だ」 「……別に、しくじっちゃねぇだろ、俺はきちんと任務をこなしたぜぇ。 アイツは自分はボンゴレに害は無いと言ったから、俺はそれを真実と受け取り殺す必要は無いと判断した──何の問題があるってんだぁ?」 「言ってる事を鵜呑みにしたのか、お前は」 あからさまに不機嫌な顔をしているザンザスに、スクアーロは肩を竦めた。 自分の言葉は言い訳じみてるのはよく理解している。 「餓鬼に気配を気付かれ、罠にハメられたお前にしちゃあ上等な言い訳だな」 胸に刺さる嫌味にスクアーロが顔を歪めると、ザンザスは不機嫌そうに「もういい」と言って報告書にサインをした。 「上にはそう伝えておく」 「あぁ……」 嫌にすんなり通った言い分に腑に落ちないながらもスクアーロが頷くと、ザンザスは早く出ていけとばかりにまるで犬を追い払う様にしっしっと手を振った。 「っ!さっさと出ていきゃいいんだろ!!?」 「わかってんならさっさと出てけ、うるせぇ。あぁ……この後の任務までにはその血を止めておけよ」 わかってるよ!と喚くとスクアーロは拗ねた様に扉を蹴り開け部屋を出て行った。 勢い良く閉められた扉に溜め息を吐くとザンザスはスクアーロから渡された報告書を、卓上に投げ出した。 スクアーロの気配に気付く程の実力者──とはいえ、ザンザスにしてみれば大して興味が湧く事ではなかった。 この書類を9代目に届けさせて、それで任務の事は終わる。ザンザスはこの夜に己が関わる任務に着くため、その書類を部下に本部に届けるよう言い放つと肩にかけた黒い隊服を翻し部屋を出た。 いつもと代わり映えのしない任務──流失した書類の回収を命じられたついでに関わった者を殲滅するというものだ。だが、最近は自分達の標的を横取りしている輩がいるのだ。 任務を完璧に遂行するためには早めに潰さなければならないだろうと、ザンザスは静かに思考を巡らせていた。 ヴァリアーが今回の標的としていたファミリーのアジトは、任務開始時にはもう血に染まっていた──また、例の輩が横取りしていったらしい。 「この頃、横取りされてばっか」 殺しが出来なかった苛立ちから、ベルは足下に転がっていた“頭”を蹴り飛ばす。飛んで来たそれをザンザスが避けると、べちゃりと嫌な音がして壁に激突した。 部屋の絨毯はおそらく豪奢な模様が編まれ色彩も豊かだったのだろうが、今では月の薄明りに照らされ見えたそれは無残にも赤黒く変色し、歩く度にぐちゃぐちゃと湿っぽい足音をたてる。 ザンザスは足元に落としていた視線を上げ、壁に飛び散った血に指を這わせた。 (血が、まだ乾いてない) 指先をヌルリと汚した血液にザンザスは眉間に皺を寄せた──この襲撃からそう時間がたっていないとすれば、その犯人はここからそう遠くない場所にいるかもしれない。 「ゔお゙ぉい、奥の奴等も皆殺られてる。誰一人、生き残っちゃいねぇぜ」 奥の部屋──メイドや女子供、非戦闘員である屋敷の住人が隠れていただろう部屋の確認に行っていたスクアーロ達は散らばる死体を避けながらこちらに歩いて来た。 惨殺については別段“この”世界では珍しい事ではない、ザンザスはスクアーロの言葉に特に反応はしなかった。むしろ予想通りでもある。 「ちぇっ、面白くないなー」 ベルはまたもう一つ生首を蹴飛ばすと屋敷からさっさと出て行ってしまう──哀れな部下の顔面に生首が直撃したのをザンザスは見なかった事にした。じっと、足下の死体を見つめているザンザスから原型を留めていないそれ視線を移しスクアーロが呟いた。 「やはり、怨恨かぁ?」 ザンザスが視線だけで何故だと言葉の先を促す。 「死体の切り口見ても……ありゃあ、普通の刀じゃねぇな。 なにかもっと薄く鋭利なモノで切り裂いてある、しかも何度も、何度も…」 気狂いじみてるぜぇとぼやくスクアーロの言葉に、ザンザスは部屋の中を見回した。 飛び散る血の一線、逃げるためにか着いた血塗れた手の跡──尋常じゃない現場、見慣れた光景でもある。ザンザス達も時折使う手だ。相手を恐怖でじわじわと追いつめる──“みせしめ”としての殺し方。 「こりゃあ前の横取りと同じ奴だな、確実に」 「あぁ」 「ボス」 スクアーロが先程来た棟と逆側から、マーモンが部下を数人引き連れトコトコと歩いて現れた。 「ここもハズレだよ、中身は空っぽだ」 マーモンは顎でアタッシュケースを指した。 確かに部下が振ってみせたアタッシュケースは、カタカタと軽い音をたてている。 「またハズレかよ」 「でも僕達の前に入った襲撃者がこれを漁った形跡はなかった。やはり目的は僕達とは違うみたいだね」 「そうは言っても、また振り出しじゃねぇかぁ」 スクアーロは疲れたように溜め息まじりにそう言うと、頭をがりがりと乱雑にかきながらベルを追う様に屋敷を後にした。マーモンもまたふわりと浮き上がりその後に続く。 ザンザスは一度、屋敷に散らばる肉塊に視線を向けてから、後処理をしていた部下達に引き上げを告げた。 唇を尖らせ、つまらなそうに庭をぶらついていたベルは石畳の上に求めていた物を見つけて目を輝かせた。 しゃがみ込んで顔を近づけたその視線の先にはほんの小さな血痕が1つ、2つと落ちている。しかもその落ちた形状から言って、移動しているモノが落としていったものだ。ベルの口元がにぃっと愉快そうに三日月型を形作る。 「いいもん、みーつけ」 ベルは新しい玩具を貰った子供のように声を弾ませると点々と続く血を追いかけ始めた。 ちょうど建物から出てきたスクアーロは走り出したベルを見とがめて声を張り上げた。 「ゔお゙ぉぉい!!何してやがんだ!!帰んぞぉ!?」 ベルはご機嫌な様子で後ろで喚いているスクアーロの方をくるりと振り返る。 「やーだよ、王子は今から“兎狩り”〜」 「あ゙ぁ?」 不審そうな声を上げるスクアーロを無視してベルは赤い点を追いかける。 背中に飛ぶスクアーロの怒鳴り声を無視して、足取り軽くベルは夜の闇に消えて行った。 「何している」 「どうせベルが、残党狩りにいったんでしょ?」 後から来たザンザスとマーモンが呆れた様に上機嫌なベルの背中を見て言う。 スクアーロは先程までベルがしゃがんでいた場所に近づき、そして足下に血痕を見つけ忌々しげに舌打ちした。 「こいつを辿ってったんだなぁ………」 「放っておけ、すぐ戻ってくるだろう。血の量からして相手は、一人だ」 さっさと車に乗り込んだ二人からベルが去っていった方向に視線を移し、スクアーロは一人腑に落ちない顔をしていた。 「どうした?」 じっと動かないスクアーロを開けた車の窓から見上げザンザスは不機嫌な声を出した。 「少し気になる事がある……先行ってろぉ」 スクアーロはそう言うと、ベルが消えていった方向へと走っていった。 「どうしたんだろうね?」 「…アイツらを追え」 ザンザスは溜め息まじりに呟き、黒塗りの車が二人を追うため走り出した。 朦朧とする意識の中、腹部の痛みだけがいやにリアルだった。 アグリは、浅い息を吐き腹部の痛みに呻く。 (っ、目が霞んできたな……) 傷口を押さえている指の間から溢れる様に鮮血が漏れる。痛みに立ち止まってしまった足下には、もう小さな血溜まりができていた。 軽い貧血感にアグリは力無く座り込む。ここまでなんとか来たものの出血が多いせいか、体かひどく重い。 銃弾を受けたのは、ほんの少しの油断からだった。 標的に銃口を向け、外された安全装置に標的である肥満体の男の顔が恐怖からいびつに歪んだ瞬間──何故か躊躇ってしまったのだ。だから男が腕に隠していた小型の銃に気付く事が出来なかった。 (時間が無いというのに……随分と“時間がかかる”ようになった) 重くなる瞼を必死にこじあけつつ、この窮地から逃げ出す為に傷口を押さえる手に力を込める。 (くそ……頭がまわらない……) 脳に血が回ってないせいか思考力が低下して来ている。 その時、「うしし」と変わった笑いが暗い裏路地に響いた。 のろのろと視線を上げると、黒い影と月明かりに輝く王冠が目に付く。 「みーっけ」 三日月が笑った。