「あっ……ぃてててっ」 デスクワーク中、インク瓶に手を伸ばした小さな動作だけで軋むように全身に走った痛みに思わず悲鳴をあげた。 一等痛む場所を手のひらで抑えて体を丸めてうぐぅっと低く呻く。 「あぁ!大丈夫ですか、アマリア中将?!」 真っ青な顔で駆け寄って来る、普段はクールな美人秘書に申し訳なく思いつつ、手で制して顔を上げた。 「だ、大丈夫だ……問題ない」 痛みのせいで滲んだ冷や汗を手渡されたタオルで拭っていると、気忙しげにメガネのフレームをくいっと押し上げながら、秘書は「まったく」と艶のある唇を尖らせる。 「大体、中将には休養が必要なのです! あの“金獅子”との戦闘を乗り越えて体はボロボロなのに!」 「ははは……有り難くない事に、そのせいで二階級昇進させられたおかげで。 やる事がいっぱいで休む暇なんてないんだよ」 お前にも苦労をかけるな、と苦笑まじりに声を掛ければ秘書は勢いを削がれたのか頬を染めて俯いた。 そんな秘書の様子に(可愛いなぁ)と海軍という男社会で生きてきたせいか根付いた親父臭さでぼんやりと思う。 照れ隠しなのか「珈琲を入れてきますね!」と言って踵を返した秘書の背中を見送りながら、やる気の削がれた書類を投げ出すように羽ペンを置いた。 背凭れに深く寄りかかっただけで、あちこちが痛む体にやれやれと溜め息を吐き出す。 この体の痛みとはまだ、一週間ほどのの付き合いだ。 本部へ帰還の為にとある海域を航行中。最近名をあげ出したルーキーの“金獅子”と、真っ向からぶつかってしまった不運な戦闘は、軍艦3つと多数の死傷者を犠牲を出しながらも痛み分けで終わった。 その戦闘の際、 自分が乗り込んだ軍艦だけは何とか守りきり。沈んだ艦の海兵を多く救出し帰還できた采配が、高く評価されたらしいが、ぶっちゃけ面倒な事になったとしか言い様がない。 苛々した気持ちを落ち着けようと葉巻入れに手を伸ばし、細巻きの煙草に火をつけ、薄く開いた唇から細く白い煙を吐き出した。 そもそも、襲撃の際、乗船していた艦が食らった一撃目の砲撃が船長室にめり込み。艦の指揮官達が瓦礫の下敷きになってしまった事がそもそもの始まりであり。指揮官を失った下級海兵のすがるような視線は、残った面子で階位が一番高い自分に向けられるわけで──もう、そこからは自棄だったと思う。 それを生き残った海兵達が美談的にあの時の話を広めたせいで、“白刃の”などという不要な二つ名までついてしまったほどだ。誠に持って不本意としか言えない。 「面倒くせぇなぁ……」 つい口にしてしまった言葉に、再び溜め息が落ちる。 首をそらして見上げた先に自分が掲げた“正義”の書が飾られている。昇格した際に、元帥殿から一筆いただいたものだが、自身が掲げた文面とその力強い筆致は全くもって不協和音だと思う。 カチン。と、小さく音をたてて回ったドアノブに、秘書が帰ってきたのだろうと思いのろのろと反らしていた顔を戻した。 「随分、参っているようだなアマリア中将」 「!」 予想に反して部屋に現れた、自分を中将にと強く押してくれた上官の姿にアマリアは慌てて立ち上がろうとして、走った激痛に椅子に逆戻りする。 「いい、いい。楽な姿勢でな」 「……お言葉に甘えます、コング大将」 デスクにゆっくりと歩み寄る上官に、辛うじて会釈をするとアマリアは困ったように笑った。 上官ーー大将・コングは、アマリアのつくデスクの正面に立つと厳しい顔で腕を組んだ。 「軍医から、入院患者が逃げたと報告が上がっていたぞ」 「はぁ。なるほど、とんだ病院嫌いがいたもんですねぇ」 素知らぬふりで嘯きながら、コングへ葉巻入れを差し出す。 同じ銘柄の葉巻の吸っている男は、素直にそれを受け取った。 「俺は一応、お前には治療期間として休暇が与えたと思っていたが?」 「コング大将、この書類の山を休暇中熟成させろと?」 無茶な、とぼやきながら葉巻の灰を落とす。 コングも火をつけた葉巻を咥えて、まったくと呆れたように煙とともに吐き出した。 「家に持ち帰って、楽にやってもいいんだぞ。 お前の今の立場上、その怪我の後遺症が残って二度と戦場に戻れないほうが問題なんだからな」 「わかってますよ……」 ほんとか?と疑う上官の視線から逃れるようにアマリアは目を泳がせた。 戦場よりもデスクワークの方が何倍も安全なのだ、椅子に座りっぱなしは確かに辛いが死ぬようなことはあるまい。 そんなこちらの考えを読んでか、コングはゆるりと目を細めた。 「──アマリア中将」 「はい」 「本日より休暇中、本部への立ち入りを禁ず!」 「はぁ?!」 突拍子もない発言に思わず目を見開いて上官を見上げる。 今までのこちらの話を聞いていましたか?と思いっきり顔に出ていたのか、コングはにやりと笑って見せた。 「書類の持ち出しは許可してやろう。 毎朝、その日の分をお前の秘書に届けさせる」 「いや、ちょっとコングさん……? 話が急すぎて、なぁんかとてつもなく怪しいんですけど」 ひきつった口の端が頬の裂傷を刺激する。 「休暇中、一つ頼みたい事がある」 「──何ですか」 聞きたくないと思いながらも、上官の命令ならば聞くしかない。 「悪餓鬼の子守りをして貰えないか」 は、と音にもならない声が漏れた。 悪戯っぽく笑いながら指を三本付き出すコング。 それはあれか三歳の子供ってことか、子育て経験どころか出産経験もない女にそれはあまりに酷な任務じゃあるまいか? 「三人ほど、な」 予想外過ぎる言葉に、悲鳴に近い声が漏れた。