懐かしい夢をせいか今朝からどうにも体というか心が重い。 忍びとして如何なものかと思うが、時折ふって湧く郷愁はどうにもならない。 長期任務であっても今までなら帰れる場所だった、だが今ではそうはいかないのだ。 何度目か分からない溜め息を吐いて、さっきから中身の減らない椀置き、こめかみを押さえる。 食の進まない箸は重く、慣れた筈の味が酷く味気なく感じた。 「うみの先生、具合でも悪いんですか?」 向かい側の席に座った土井先生の心配そうな声に、はっと顔を上げ苦く笑って見せる。 「いえ……昨日の疲れがまだ残っていたみたいで」 まさか夢見が悪かったとは言えず、曖昧に誤魔化せば土井先生は「あぁ」と納得したように頷いた。 「今日から夏休みですからね、昨日はだいぶ遅くまで相談を受けていたんでしょう?」 「えぇ……6年生は夏に一番スカウトが多いですから。 みんな、ある程度の知識は得ておきたかったんでしょう」 「進路相談も大変ですねぇ」 「いえいえ、担任の先生方ほどでは」 そう答えて、横から突き刺さるおばちゃんからの鋭い視線から逃れるように置いた椀を手に取った。 大丈夫です。お残しはしませんから。 土井先生が言う通り、今日から夏休みの学園は静かで、この食堂も自分達二人しかいない。 「土井先生は、夏休みはどうされるんですか?」 青菜のお浸しを咀嚼しながら、土井先生に夏休みの予定を訊ねた。 「はははは……は組の補習が終わらないと何とも……」 「……そうでしたか」 土井先生の乾いた笑い声が耳に虚しい。 「ちなみに、うみの先生のご予定は?」 「私は新しい情報を得にしばらく各地を回ろうと思います」 「また、城同士の状況は変わって来ていますからね──タソガレドキを中心に」 最後に囁くように呟かれた城の名に、クジラは小さく頷いた。 「新しい軍師を引き入れたようです。戦の仕方が変わったと風の噂で……」 それを確めに行かねばならない、と暗に言えば土井先生はちらりと食堂を見やった。 おばちゃんは先程外に水を汲みにいったようで、気配は近くにない。 「……“曲者”からは何も?」 さらに潜められた声に、僅かに目を細める。 “曲者”と自分の関係は、もう学園内には知れ渡っていた。 とはいえ、どちらの情報も流し合うような真似はしないと思われているのか、特に苦言を呈されたことは今のところない。 「“あれ”から情報を得れば、私は学園の情報を流さなければなりませんから、そう言ったやり取りは何も」 「それもそうか、あれで中々に食えない男ですからね」 「流石に組頭をやっているだけありますよ」 空になった椀を置く。 「ちょうど戦があるようです、その軍師が何者か掴めればいいんですが……」 数日前、長屋を訪ねて来たあの男は「近々、戦があるのでしばらく会えない」と言う話を残していった。 「道中お気をつけて──深入りをして貴女の戻りが遅れれば、生徒達も私達も心配しますから」 「──はい、ありがとうございます」 優しげな土井先生の声に、長く会えていない従兄の声が蘇る。 再び襲って来た郷愁を誤魔化すように、目を伏せた。 「あれ、じゃあ今回は山田先生の家には寄らないんですか?」 「あぁ、いえ。先に顔を出して行こうかと。 ちょうど休み前に山田先生の奥方から手紙も頂いておりましたし──『山田先生を連れて帰れ』と」 そう書かれていた事を告げれば、土井先生はひきつったような表情で固まった。 山田先生の奥方は、単身赴任に出たまま中々帰らない夫にかなり業を煮やしているのだ。 「山田先生も土井先生と同じく……でしょうから、私が愚痴ぐらいは聞きましょうかと思いまして」 「あ〜…今年こそ帰りたいとは言っていたんですがねぇ。 きっと利吉君も帰らないんだろうなぁ」 何とも情けない顔の土井先生に、でしょうねぇと答えながら思わず苦笑する。 親子して仕事人間の二人が長い休みをとるとは思えない。 「あ、土井先生もたまには顔を見せに来なさいと奥方が」 「私にですか……?」 「学園に行ってから中々顔を見せに来ないから、心配していらっしゃるそうですよ」 「──そうでしたか」 少しだけ寂しげな表情で俯いた土井先生から僅かに視線を反らす──山田先生から、土井先生が学園に来るまでの事情が自分と同じ事は聞いていた。 前例があったからこそ、クジラはここにいた──素性の知れない自分を受け入れてくれた学園には大変な恩を感じている。 そして同時に、それで本当に大丈夫か?とも思っている。その懐の深さというか大らかさが、少し心配だ。 「それでは、私の分もよろしくお伝え下さい。 休みが取れたらきちんとご挨拶に伺いますとも」 「──えぇ、確かにお伝えします」 食べ終えた膳に二人とも箸を置く。 「お二人とも、食後のお茶でも淹れましょうか?」 配膳口から顔を覗かせた食堂のおばちゃんに、二人で「頂きます」と答えた。 「はいよ」とにっこり笑顔で応えて、おばちゃんが奥に引っ込んだ。 「そう言えば、うみの先生」 「はい」 おばちゃんの背中を見送っていた視線を土井先生に戻す。 「昔の記憶は……あれから戻りましたか?」 「──……」 明かせない素性は、記憶を失った事にして伏せた。 「いえ……まだ、何も」 自分がいた里は“此処“にはない。 だから、クジラは語る事を自身で禁じた──いつか“奴”を見つけるその時までは。