次の食事から三分粥になると、検診にやって来た医者が言った。 ようやくあの澱粉糊を水で伸ばしたような食事とおさらば出来るということに幾らか安堵の気持ちが浮かんだ。 折れた顎を固定されているせいでロクに喋れない自分に変わってベットの傍に控えていた直江と二、三言葉を交わして、医者は次の患者の元に向かうため早々に病室を出て行った。 「良かったですね。重湯が終わって」 介助を担う少女の言葉に、尾形は小さく肩を竦めた。 糊よりはマシだろうが病院食は病院食なのだ。 昼飯は医者の宣言通り三分粥と、それから野菜を蒸して潰したようなどろりとしたものがでた──直江が「何の菜っ葉だろう…」と匙に掬いながらぼやいていたほどには原型がわからないものではあったが。 澱粉糊から粥になったとて、病院食は変わらず塩気が薄い。 顎が動かせないため噛み応えのない上に味までこれでは、食事がひどく億劫になってくる。 (味の濃い飯が食いたいもんだな…) 利き腕が使えないため、直江が匙で掬っては口元に差し出してくるそれを口に押し込みながら尾形は、味も正体もわからぬそれを飲み下した。 その様子をじっと見つめながら直江は、尾形の食べる具合に合わせて粥を匙に乗せた。 それから数日が経ったが、変わらず食事は三分粥だ。 医者曰く、もう少し回復できれば五分粥に出来ると言っていたが、粥の硬さよりも濃い味の物が食いたいと容易く言えない現状がもどかしい。医者はまた直江と簡単な受け答えをして病室を出て行った。 顎の他、利き腕が折れている尾形が病室ですることはほとんどなく、次の食事まで寝て過ごそうとベットに横になった尾形に、ずれた布団を掛け直してから直江は「ちょっと出かけて来ます」と言う。 その声に視線を向けると、直江は椅子の背にかけていたコートに手を伸ばしながら言葉を続けた。 「次の食事までには戻りますが、何かあれば看護婦さんに頼んでください」 尾形は直江の手の甲をトントンと二回、指先で叩いた。二人で決めた「はい」の合図だ。 「いってきます」 病室を出て行く背中をぼんやりと見送ってから、尾形は静かに目を閉じた。 「尾形さん、お食事の時間ですよ」 看護婦の声で尾形は目を覚ました。 その日2回目の食事を盆に乗せてやって来た看護婦から、いつの間にか帰って来ていた直江がそれを受け取ってベットの傍までそれを運んでくる。 吸飲みに水を注いだりと手際よく食事の準備をする直江を寝起きのぼんやりとした頭で眺めてから、尾形は折れた腕を気遣いつつ体を起こす。 その動きに気づくと、直江は尾形の肩に綿入りをかけてくれた。それを無事な方の手で前をかき合せて、直江の用意を待つ。 すると直江は盆の上に見覚えのない輪っぱの弁当箱を取り出した。 不思議に思って見つめて入ると視線に気づいた直江が、「内緒ですよ」と声をひそめた。 こちらから中身が見えないように蓋を開けて、掬った中身を粥の椀へと入れる。それを少し混ぜてから匙に掬って差し出されたそれに思わず身を引くが、鼻先を掠めた匂いにあっと思う。 粥の白に混じった赤みがかった褐色とこの香りは間違いなくアレだ。 直江が毒を盛るとは考えられないが、渋々の体で差し出された匙を尾形は口を開いて招き入れる。 いつもの塩気のない粥と、柔らかく煮込んで解された魚のそぼろが舌に乗った。 じんわりと染み渡るような甘しょっぱい醤油の味が口の中に広がる。 味わうように薄く目を細めると、反応を伺っていた直江の表情が緩んだ。 「美味しいですか?」 その問いに答えるように口を開くと、直江はすぐに二口目を差し出す。 久々の濃い味付けに食が進むが、直江が「胃がびっくりしますよ」と困り顔で笑う。 ごくりと口の中のものを飲み込んで、一度小休止を置くために理由を尋ねるように輪っぱを指差せば、そちらに視線を移してから「あぁ」と意図を察したように頷いた。 「義姉が」と一つ零してから、視線を手元に落として匙で中身を混ぜる。 「よく体調を崩すと、粥ばかりになって。 それが続くと”味が濃いものが食べたい”と、よくぼやいていたので」 そして視線がゆるりとあがって尾形を見上げた。 「貴方もそうじゃないかと、思ったんです」 勝手にごめんなさいと、下げられた頭に尾形は腕を伸ばしてつむじを指先で突く。 顔をあげた直江の額に指で丸を描いた。合図の意味は「ありがとう」だ。 じんわりと頬を赤く染めて「でこはやめてください」と呻いた直江に、声を出さず堪えた笑いは息を震わせた。 食事を促すように匙を持つ手を突けば、直江は慌てて匙に粥を乗せて運ぶ。 「今日は急だったんですぐに手に入る鱈にしたんですが、次は楽しみにしてくださいね」 直江は悪戯を企むように声を低くして目を細める。 楽しみにしている。そんな気持ちを込めて匙を持つ直江の手の甲を指先で撫ぜた。