壁に光
「なまえちゃんおはよう。今日もかわいいね。」
「相変わらずの軽口に殺意すら芽生えるわクソ。しね。」
通勤するために最寄り駅に向かえば改札横の柱にもたれて佇む1人の男。その男は私を見るなりにっこりと笑ってこう宣った。
彼は事あるごとにこの駅で私を待ち伏せては薄っぺらい世辞や愛を囁く。それをそのまま受け取るほど私は素直でも馬鹿でもない。よってこの彼の行為は迷惑以外の何物でもない。
「羽風くん、いい加減待ち伏せするのやめない?」
「薫って呼んでくれないの?」
自分に都合の悪そうなことは無視、彼の常套手段だ。そうして自分の要求を押し付ける。
「何が目的で私に声かけるのか知らないけどアンタアイドルでしょ?新規ファンが欲しいならメディアで愛を語りなさいよ。」
「そうじゃないんだけどなあ。なまえちゃん全然分かってないなあ。」
何を、そう言いかけて口をつぐむ。これは私に都合が悪い。
羽風くんの横を通り過ぎて改札に通勤定期をタッチする。当然の如く後ろについて自分のICカードをタッチする羽風くんに舌打ちを送りたくなった。
羽風薫とは。今ティーンから主婦層までのハートをがっちり掴んで離さないアイドルユニット、UNDEADのメンバー。ユニットの中でも特に人気の高い彼を知らない女の子はいないんではなかろうか。女の子に甘く、優しく、そしてカッコいい。巷の彼への印象はそんなものだろう。
そんな彼と何故知り合いなのか。それ2ヶ月前まで遡る。
私の弟は駆け出しのモデルをしている。顔は身内の贔屓目無しに見ても整っており、スタイルも良い。そんな弟は人気を徐々に伸ばし、ついに人気アイドルUNDEADの面々と雑誌でコラボ表紙を飾ることになった。
弟は顔は良い。しかし顔以外大したことのない男だ。間抜けだし少し鈍臭い。そんな奴は大事な撮影の日にミスを犯す。
その日遅刻寸前で家を出て行った弟はなんと連絡ツールの携帯を家に忘れて行った。けたたましく鳴るそれを見つけた私は愕然とした。馬鹿なのかあいつは、と。マネージャーさんからの鬼電に私が代わりに出てみれば予想以上に慌てふためいており、弟がまだ到着していないこと、彼の電話に私が出たことを質問してきた。
弟はもう間もなく着くのではないかということを説明し、この携帯を届けに行くのでスタジオの場所を教えて欲しいと言えば、わずかに落ち着きを取り戻したマネージャーさんは場所の地図を私の携帯へ送信してくれた。
それを見て現場へ赴けば、撮影はすでに始まっており、マネージャーさんがペコペコとおじぎをしながら出迎えてくれた。
しばらくマネージャーさんと大変ですね、いやいやそちらこそ、というような会話をしていると休憩に入ったようで、弟がこちらへ寄ってきて一言。
「あれ?姉ちゃんなんで来たの?」
元来私は我慢強い方だ。しかしここまで来た労力と精神的ストレスにより心のダムは決壊する。
「なんでじゃねえよカス。身支度にダラダラ時間かけやがって挙句忘れ物って、アンタ小学生なの?ねえ?馬鹿なの?いい加減にしてくれない?いつまで他人に面倒見てもらうつもりなの?マネージャーさんには謝りましたか?え?謝ってない?今すぐ頭下げろカス。」
家族内でのヒエラルキーは私の方が上だ。弟は慌ててマネージャーさんに謝罪した。
「っ、ふふっ、はははっ!ヤバイ、むり。」
突然の笑い声にハッとし、あたりを見回すと同じく休憩中のUNDEADのメンバーの1人が大笑いしていた。
「君、みょうじくんのお姉さん?」
ひとしきり笑い終わってから、その人は私に問うた。
「はい、そうですけど。」
「すっごくかっこいいね、それにかわいい。」
「は?」
思わずメンチを切りそうになった。アイドルのくせにナンパとか節操ねえのか、とかなんでこの流れでそれ?、とか思うことは色々あった。
「俺、羽風薫っていうんだ。よろしくね。名前教えてくれない?」
「……みょうじなまえ、です。」
それからというもの、彼、羽風薫は聞き出した私の番号に毎日電話をかけてきて、くだらない話からそうでない話まで沢山喋ってきて、側からみれば猛アプローチされているように見えるかもしれないが、私としては非常に迷惑だった。
「なまえちゃん、なんだか眠そうだね。」
「毎朝こんな感じだよクソが。」
「こらこら、女の子がそんな言葉遣いしちゃダメでしょ。」
乗車してドアの横に凭れていれば羽風くんは私を周りから庇うように立った。電車内までついてくるなんて呆れたものだが、私が他の乗車客から圧迫されないようにしてくれるのは流石といったところか。
「なまえちゃん朝弱いの?」
「低血圧だし夜型だからね。」
「俺が毎朝モーニングコールしてあげようか?」
「シバかれたいの?」
「怖いな〜。そうだ、これかけたらちょっとは日差しが眩しくないんじゃない?」
私が目をしばしばと瞬いていると羽風くんは自分のかけていた眼鏡を外して差し出した。
「は?いらないから。それ変装用でしょ?」
「そうだけど?度は入ってないから大丈夫だよ。」
「そうじゃない。顔バレしたらどうするの!アイドルなんだから写真でも撮られたら…!」
「なまえちゃんは優しいね。」
「はあ?」
眼鏡を突き返せば羽風くんはとても優しい笑顔を浮かべて言った。
「好きだよ。」
いつもヘラヘラしてるくせに、なんでそういう時だけそんな顔をするんだ。
「……見る目ないね。」
ドアのガラスに映る私の顔は随分薄汚れていた。
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