作業曲:クジラ夜の街 /詠唱
波音セレナーデ
躓かないように下を向いた世界の隅っこで、
行ったり来たりする青い靴が当たり前になった事を、いまだ飲み込めずにいる。
私は誰にも見られたくなかった。いつも閉じこもって、あらゆるもので遮断して、安全な世界から流れる景色を見るのが好きだった。
だから、当たり障り無く人の隙間を歩いていた隣に今は君が居るという事は、私自身が線を引いた心の領域に彼の侵入を許したからだと思っていた。
それをどうやら違うみたいだと気が付いたのは、彼を橋渡しにして広がった世界で、色も形も違うたくさんの口が同じ事を喋ったからだ。
“彼はいつも、君を見ていたよ”
私が持っていてもおかしくはない荷物を平然と揺らす横顔も、口笛を吹く唇も、スニーカーのつま先も、レンズ越しの向こう側を見ている。
こうして確かめてみても、
少しも私を見ているなんて感じない。
そうすると、じゃあ何故みんなはあんな事を?という問いに一番似合うのは当たり前に、私が見ていない時にだけ見ているのかもしれない、という事になる。
誰もが見ている君を、
なぜ私だけが知らないんだろう。
なぜ、
私には解らせてくれないんだろう。
どうして私が見ている時は、
見てくれないんだろう。
疑問は夏日に炙られて、日に日に焼ける。
それでも考える事を止めなかった思考が、
ひとつの答えを導き出した。
私、誰にも見られたくなかったのに。
なんでどうして、
こんなのまるで、君には見て欲しいみたいで。
すると、
私が境界線への侵入を許したのではなく、彼が勝手に飛び込んだのではないかという考えに辿り着く。
君がいる世界に、
私を連れ出すためだったとしたら、私は。
なんのためにと思考するうち、
自分の中に願いが生まれていた事を知って
転がり落ちた世界は、今は隣、当たり前の君。
私は、君を見ていたいよ。
まだ少し怖いけれど。
君が見ていてくれるなら、私は。
「見ても、いいよ。」
熱に浮かされた夏の果て、
隠れたかったあまのじゃくを脱ぎ捨てれば、振り返った先の君が私ばかりを見るから、分けてもらった温い炭酸が今さら弾けて胸を苦しくした。
波音セレナーデ
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