転生悪役令嬢


まるマシリーズ/ウェラー卿コンラート
悪役令嬢が書きたかったけど、悪役が書けずに終わる。

***

 きらきらと光る銀色の星。
 その輝きが眩しくて思わず瞑り、目を開いたその瞬間、自分の意識が覚醒したのを感じた。

 今まさに目を覚ましたかのように、はっきりと。

 何度か瞬きを繰り返し、それでもなお消えないこの銀色の星達を、私は一度も見たことがないはずのに、"知っている"。

「…**嬢?」

 耳に入り込んでくる柔らかさを含んだ低くて心地の良い声。首が痛くなってしまうほどの高さまで見上げた私の目に映るのは、焦げ茶色の髪と清潔感溢れる短髪。まるでハリウッド映画に出てくるイケメン俳優のような端正な顔。そして私の手に握りしめられているのは、オリーブ色をした軍服のようなものだ。彼の胸元のあたりを、皺ができてしまうほど強く握りしめている。

 一番最初に認識したきらきらの銀色の星達は、彼の茶色の瞳の虹彩だった。
 なぜそれに気付いたかと言えば、私が彼にもたれ掛かるように上半身を相手に預け、至近距離で見上げていたからだ。
 観察するように目の前の男性をまじまじと見つめてしまう。そんな私を不審に思ったのか、彼の口がゆっくりと開いた。

「**嬢、大丈夫ですか?」

 再び耳に飛び込んでくる彼の声。聞いたことはあるけれど、こんなに目の前で直接語りかけられることは初めての経験だ。しかも、"見たことはないのに知っている彼"が、私に向かって喋りかけてくる。

 でも、**嬢って誰のことだろう。
 全く聞き覚えがない名前だけど、もしかして、私のことだったりするのだろうか。

「あ…の」
「突然どうされました。その、少し取り乱されていたようですが」
「え………っあ!」

 取り乱されていたという言葉に我に返り、自分の置かれている状況を思い出した。握りしめていた彼の服から手を離し、勢いよく上半身を起こして身体を離す。
 初対面の男女にしては、あまりにも近すぎる姿勢で静止していたのだった。
 こちらは一方的に彼を知っているとはいえ、向こうからしたら見知らぬ女だろう。いや、名前を知っているような関係性からして、全くの初対面というわけでもないのだろうか。考えるべきことが多すぎて、頭の中が段々混乱してくる。

 身体を離して適切な距離を保ってから初めて気が付いたけど、私が彼にもたれかかっている間、彼は何もしていませんよとでもいうように両手を身体の横に上げていたようだった。容疑者に向かって警察官が「手を上げろ!」と言われた時にとる、あの仕草だ。

 初代面ではなさそうだけど、密着するような親しい間柄でもないみたいだ。ますます私と彼の関係性に疑問符が浮かぶ。

「ご、ごめんなさい! 私…っ」
「え」
「え? いや、その。失礼な態度をとってしまって、すみません」
「………いえ。どこか、お身体の具合でも?」

 思わず謝罪を口にした私を見て、彼の動きがちょっと止まった。なんだか返答もぎこちないように聞こえる。なにかおかしなことを言っただろうか。

「身体は、何ともないです。具合が悪いわけじゃなくて、だから…平気です」
「………そうですか」

 でも、彼の言動ひとつに構っている暇はない。自分の恥ずかしい行動を自覚した途端、かぁっと頬が熱くなった。見られているのが恥ずかしくて、思わず俯く。
 とは言っても、自我を自覚した瞬間にはその体勢だったから、正直私にはどうしようもなかったんだけど。

 余裕がないなか盗み見た部屋の中は、中世ヨーロッパの物語にでも出てくるような豪華な内装だ。中心に置かれたソファセットにテーブル。その上に二人分のティーセットが置かれている状況から、おそらく客間で彼と会っていたと考えるのが正しいだろう。なぜあんな至近距離で密着していたのかは、今はあまり深く考えたくない。

 とにかく、今はなにもかもがわからなさすぎる。
 彼が誰なのか、ここはどこなのか、今がどういう状況なのか。
 そして、私が一体誰なのかも。

 まずは冷静に状況を整理する時間が欲しい。

「えっと、あの…」
「やはりご気分が優れないのでは? 先程よりも顔色が悪い」
「あー…やっぱりそうかもしれません。ちょっと、頭痛もしてきたかも〜なんて…」
「それはいけません。気が付かなくて申し訳ない、すぐに侍女を呼びましょう」
「へっ! じ、侍女!? い、いいえ。そこまでしなくて大丈夫です! 申し訳ないですし」
「え」
「…え?」
「いえ…いや、しかし」
「本当に、大丈夫ですから! でも体調が良くないので、今日はこれで失礼します!」
「ちょ、**嬢!?」

 背後から呼び止める彼の声を振り切るように、私は部屋から駆け出した。一歩目を踏み出す時に自分が身に纏うドレスに躓いて転びそうになったけれど、意地で踏ん張って耐え足を進める。
 豪奢な模様が彫られた重そうな扉を開いて廊下に出た。見覚えのない場所だからどこに向かえばいいか迷ってしまうかと不安になったけれど、その心配は必要なかったみたい。なぜか身体が覚えているのか、自然と向かうべき方向がわかるのだ。そのまま脇目も振らず、目的地を目指すことにした。

 呼び止める声は聞こえてきたものの、足音は聞こえないから追いかけては来ないみたいだ。
 それはそれで好都合。あのまま彼と同じ室内にいても絶対に良いことにはならないので、このまま逃走させてもらうことにする。これはあくまで、状況を整理するための戦略的撤退だ。

 不思議だ。
 どこをどう見ても見覚えがない建物なのに、やっぱり迷うことなく足が動く。今動いているのは私の身体のはずなのにとても変な感じだ。

 全く覚えられなさそうな道順を辿って、全自動の私の身体は目的の部屋に辿り着く。素早く部屋の中に身体を滑り込ませると、扉を閉めて背中を預ける。ようやくこれで、一息つける。
 ドレスのせいで大してスピードは出せなかったけれど、慌ただしく戻ってきたことで息は乱れていた。そのまま腰から崩れるように、分厚いカーペットが敷かれた床に腰を落とす。

 部屋に辿り着くまでに誰にも会わなかったのは幸いだった。
 この建物の造りと、侍女を呼ぶと言っていたことからおそらくどこかの屋敷なのだろう。しかも、使用人や侍女が当たり前にいるような、だ。
 建物の豪華さや使用人、それから身の丈に合わないような派手なドレスといい、あまりにも非現実的なことばかりで、考え出したら本当に頭が痛くなりそうだ。

 でも、今はそんなことより彼のことだ。

 私は知っている。
 彼のことを、容姿も、話し方も、性格も。
 仕事をしている時のキリッとした声や態度、剣を抜き戦う時の凛々しく勇ましい姿。
 笑う時はどんな表情をするのか。実は冗談を言う好きで、どんな様子でその話をするのか、とか。たくさん。

 でも、一度だって実際に見たことはなかった。
 彼を一個人の人として認識して、目の前にすることなんて叶うはずもなかったのだ。

 だって、彼は実在している人物じゃない。
 私が知っていたのは、物語の中で登場する彼のことなのだ。

 彼の名はウェラー卿コンラート。

 魔族が暮らす眞魔国という国の貴族の末席に位置し、前魔王陛下のご子息で、元プリ殿下。
 先の大戦ではルッテンベルク師団の団長として軍を率い、孤軍奮闘の活躍の末、国を救った英雄。

 そして、今日からマのつく自由業というライトノベルに出てくる登場人物の一人。

 そう、彼は創作物の中に出てくる空想の人物。
 そのはずだ。
 そのはずだった。
 でも、彼は目の前にいた。
 私の目の前で。普通の、生きている人みたいに。

「コッ、コンラッドだ…」

 部屋に誰もいないのをいいことに、ぽつりと声に出す。
 声に出さないと現実味が湧かない気がしたからだ。だって、自分でもまだ信じられない。
 あのコンラッドが、私の目の前で喋って、動いていたなんて。

「間違いない…正真正銘のウェラー卿コンラートだった。だって私が見間違うはずがない。絶対、本物よ…」

 実際に一度も見たことがなくたって、私が彼を間違えるはずはないのだ。
 だって彼は、私が大好きな作品に出てくる一番の"推し"だったんだから。
 自分の好きな人を見間違えるファンなんて、いるはずない。

 推しが目の前にいて喜ばない人はいない。
 でも、人は大好きすぎるものをいざ目の前にすると混乱する生き物でもあるらしい。

 まさか目が覚めたら、突然知らない場所で知らない人になっていて、あまつさえ自分が好きだった物語の好きなキャラクターが目の前に出てくるなんてこと、誰が想像できるだろう。

 それでも。
 目を瞑れば脳裏に焼き付いたように離れない彼の銀色の虹彩が、混乱する私にこれが現実なのだと言い聞かせ、この先の未来を照らす導の光のようだった。

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 彼の制止を振り切って自室に戻った私を襲ったのは、退室するためのウソでも仮病でもなんでもなく、本物の頭痛だった。しかも、起き上がるのも辛いレベルの痛みと高熱を伴うもの。

 突然の体調悪化のことを思えば、あの時無理矢理にでも彼の前から立ち去ったのは我ながら英断だったのかもしれない。けど、この原因不明の体調不良はかなり不可解だ。
 この身体(自分が動かしている身体を指して他人事のような感覚は変な感じがするけれど)、もしかして虚弱体質だったりするのかしら。

 それに、部屋に来た侍女の様子も変だった。
 夕食の時間を告げにきた彼女に、わざわざ伝えに来てくれたことの御礼と、体調不良のため食事が不要であることを申し訳なさそうに伝えたら、大げさとも言えるくらい恐縮されてしまった。頭痛と高熱によるだるさや不快感を隠しもせず、ドアを開けたから驚かれたのかもしれない。何か変なものを見たかのような反応をした後、大慌てで医者の手配をと騒ぎ出してしまったので、休んでいれば治ると丁重にお断りして、水差しや薬などだけを用意してもらって部屋からは退室してもらった。
 この身体の持ち主にとっては慣れ親しんだ侍女かもしれないけれど、私にとっては初対面の人に変わりはないので。体調が悪い時に同じ室内でうろうろと行動されたのでは、休まる気も休まらないと思ったからだ。
 そうして自分だけの気兼ねない休息の時間を手に入れた私に待っていたのは、自分には全く身に覚えのないはずの記憶の奔流だった。

 身体そのものは眠っていたのだと思う。けれど私の精神は、夢の中で強制的に映画を見せられているかのような感覚だった。自分がいつ生まれ、何者であるのか。どのような家で育ち、どのような幼少期を経て、今現在どのような立場にあるのか。それらをダイジェスト形式で見せられ、すっかりと良くなった体調で目覚めた私は、このご令嬢が一体何者で、自分がどういう状況にいるのかを理解するに至った。

 ご令嬢の名前は、**・**。
 眞魔国の一貴族である**家の第一子として生まれ、現在●●歳。
 **家は眞魔国の貴族の中でもトップと言われる十貴族ではないものの、長きにわたり続いてきた由緒正しき家柄である…らしい。夢で見た記憶の情報によれば、国のこれからに大きな影響力を持っているほどではないが、地方ではそこそこに顔が利く権力は持っているといったレベルだ。

 私のこの意識は、身体の持ち主であるご令嬢にとっては“前世の記憶”というものに当たるようだ。

 前世と現在の世界観は、私にとってはリアルと創作物の中というかなりのギャップがあるが、今わかっている情報から推察するに、なぜか私は「この世界のことを物語として読んだことがある」という前世の知識を有しながら、今世に生まれ変わっているらしい。
 前世で死んでしまったという記憶がないため、これが夢なのか、輪廻転生と言われるものなのかは定かではない。けれど、とにかく今わかっていることは、私は私という人間の意識と記憶を持ちながら全く別の人間としての立場を手に入れているということだった。

 前世の私は、何の変哲もない一般市民だった。地球の日本という国に生まれ、ありふれた一般家庭で育ち、高校と大学を経て企業に就職し、社会人としての生活を送っていたはずだった。特に特筆すべきこともない。
 現在生きているこの世界、恐らく眞魔国があるこの世界のことは、10代の頃に読んだライトノベルの記憶として有している。しかし、当時読んだ時から結構な年数が経っていることから、これから起こる出来事や詳細については正直曖昧な部分も多い。このキャラの名前が何で、どういう性格であるのかくらいは覚えているけれど。

 ウェラー卿コンラートという人物は、10代の頃の私を虜にした男だ。その当時は適切な言葉がなかったが、現代でいうところの「推し」であったと言えるキャラである。
 美形揃いの魔族の中では若干霞みがちのような書かれ方をしていたが、ハリウッド俳優も顔負けの美青年で、気遣いもできる気立ての良い好青年。
 国随一の剣の腕を持つと言われるほどの剣豪で、前魔王陛下の次男坊であり元殿下という立ち位置だ。
 魔族の国において魔族と人間とのハーフという少々デリケートな出生であった彼だが、先の大戦での功績を認められて貴族の末席に加えられたと記憶している。

 今世の私は、そんな「推し」だった彼の、婚約者という立場にあるらしい。

 この事実を改めて認識した時は、思わず頭を抱えた。信じられないという気持ちの驚きからではなく、「なんてこった」という絶望である。

 前世の私は、日常的にライトノベルを愛読するレベルにはオタクと言われる人種だった。彼の登場する物語を読んで笑い、感動し、時には悲しみ、感情移入しすぎて大号泣しながらページをめくったことも記憶に残っている。この作品がアニメ化をされた際にはもちろん録画しながらリアルタイムで視聴していたし、グッズ化された時には少ないお小遣いをやりくりして購入していたこともある。
 つまり私は、作品を楽しむ「一読者」であり、彼の「ファン」だったわけだ。
 彼を好きという気持ちには、「彼の恋人になりたい」だとか、「彼と結婚したい」なんて非現実的なことを夢に見るわけではなく、ただの読者が作品の中の登場人物を好意を持って応援していたという感情に過ぎない。

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