05

水が凍りだす温度を下回ったこの空間では言葉と共に吐き出される吐息さえも白くさせた。凍える温度である筈なのに、彼女は一切の震えを見せることはなかった。何かを切り裂きそうな鋭い視線が、冷たさを感じて身の危険があればそれを知らせるはずの彼女の感覚神経を機能させなかったのだろうか。ただ、彼女の声帯と、それによって発生せられた空気の波だけが震えた。

そして、その空気の震えは彼女以外の人物からも発生させられた。

「生き残りは神祇官だけと見えるが?」
「神祇官?違うんじゃない?それとも、貴方には私がそう見えるの?」

薄い笑みを浮かべ、両者ともに相手を見下すような表情をしていたが、彼女の瞳は凍てついていた。

「『−−−−−−』本来あるべき姿」
「ご名答」
「あの王は随分と余計な真似をしてくれたようだ」
「余計なことをしているのは貴方の方でしょう」
「・・・・・。何故止めなかった」
「愚問ね。止めたところで彼が行かないとでも?それとも、止めてほしかった?」
「良い余興になったかもしれんな」
「貴方の余興に参加するなんて反吐が出る」

鼻で笑った彼女のその笑みにはわずかではあるが、確かに自嘲の笑みもあった。そして彼女の言葉が続くにつれてそれはさらに自嘲の色を深めていった。

「あの子達が騙されたままこれからの未来を歩んでいくのは絶対に嫌。彼は何れ直面することから逃げてる。これから先、ずっとそれから逃げ続けることなんて絶対に無理。逃げ続ける限り、彼は自分を生きられない」

胸に落ちて溜まって、行き場のない重く澱んだ鉛に指添わせるように彼女は一言一言を吐き捨てては浅く笑った。そしてそれは同じような鉛を創って彼女の胸に落としてゆく。鉛を吐き出す術など知らないのに、何を言ってもその鉛が軽くなることなど無いのに、それでも彼女は言葉を吐き捨て続けた。

「たとえそれが貴方の願いに沿うことになっても、ね」
「良い心がけだ」
「ふざけないで。貴方の願いに沿う形になることと、貴方の願いの成就に協力することとは違うのよ」
「そんなことは取るに足らない違いだ。おまえも我が願いの為に“旅”へ同行して貰う」
「誰も貴方の駒じゃないのよ」
「拒否できる術がおまえにあるのか?大した魔力も持たず、まともに魔術を使えないおまえに」
「その通りよ。悔しいけど、何の反論も出来やしない。でも・・・・一つ忠告してあげる。あんまり人を馬鹿にして見下さない方が良いと思うけど?あとで痛い目に合うんじゃない?でも、そっちの方が私にとっては好都合だけど」
「無駄な忠告だ」
「彼は変わるっ!!」

急に彼女は叫び、相手の言葉を遮った。瞳は怒りに燃え上がり、先程までの冷たさは感じられず、口調は荒々しくなってゆく。けれど、相手は表情を変えることなど無く、怒り任せで言葉を吐き出す彼女を、相変わらずの笑みで見ていた。

「だが、現に今もおまえの意にそぐわないことを願っている事に何の違いもない」
「あれは貴方があんな選択を迫ったからしょう!!人の弱みにつけ込んで、人を狂わせて何が面白いの!?彼があの願いを持ったのは貴方がそう仕向けたからじゃないっ!!罪無き子にっ!」

自分の生命の維持のために必要な呼吸ひとつ、息継ぎひとつ許さない彼女の怒りという感情はそれらを行わせなかった、許さなかった。吐き出せる怒りがあるなら、それをすべて吐き出すまでそれらを行うことを許さなかった。けれど彼女の怒りが一句度吐き出されたところで、また再び新たな怒りが生まれるだけだった。そして彼女の生命維持のための時間を与えたのは相手の静かな声だった。彼女は息を荒くし、無意識のうちに大きく呼吸をしていた。

「奴らが選んだのだ。勝手に」
「勝手に?!よくもそんなことを!貴方は、自分がどんな事をしようとしてるのか分かってるの!?」
「この世は変わりゆくモノと、変わらぬモノがある。人の真の願いは変わらない」
「それはどうかしら。彼らは貴方ほど愚かではないのよ。貴方みたいに何時までも縛られない!」

彼女は相手の言葉を怒りの声で塗り潰し続けた。すると、無意識のうちに頬に筋が引かれたが、彼女は己の怒りによってそれに気付くことは無かった。相手は彼女の頬に流れるそれを見て満足げな笑みへと変えた。それを見た彼女は癪に障ったのか、口調がさらに攻撃的で荒々しくなっていった。ただ、溢れんばかりの怒りという感情に全てを任せる彼女に冷静という言葉は無い。

「馬鹿げた事の為に関係のない人達まで巻き込んで、どれだけの人の人生を狂わせれば気が済むの!?どれだけの人の命を奪えば気が済むの!?」
「あんな者を消したところで何も変わりはしない。おまえに比べればあれは不要物」
「なっ!?貴方って本当に最低ね。命に優劣つけるつもり?」
「おまえに何が言える。忘れた訳ではあるまい。おまえは思い出したはずだ。己の出自を、己の過去を、己の行いを」
「・・・っ!」
「おまえはこの世に無くてはならない存在をこの世から消した。すべての責はおまえにある。すべての不幸はおまえの責だ。おまえがあのような事をせねば良かったのだ」
「っ!」

先程まで怒りが制していた彼女から少しずつ怒りの熱が引き、静かな闇が襲ってきていた。それに伴うように彼女の瞳は再び凍てつきを取り戻した。




「全てはおまえの責だ」




その言葉に一瞬、息が止まる。
その言葉に一瞬、時が止まる。



自分のものの筈の『記憶』は哀しい悲しい『記憶』

無くした筈の『記憶』は哀しい悲しい『記憶』

取り戻した筈の『記憶』は哀しい悲しい『記憶』



「おまえは無力で無知で愚かで美しく、そして汚らわしい」
「煩い」


その言葉が、彼女がこの世界で発した最後の言葉だった。それは余韻を残すことなく、この世界から消えた彼女と共に消えて行った。





「忌々しい存在だ」





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