窒息する花


「そんな暗い顔してるとせっかくの美人が台無しだよ」
「社交辞令は初対面だけでいいの」
「社交辞令じゃなくって本当のことだよ?」

そう言って笑って近づいてくるのは比企という男。人間じゃない。龍王九子の一人であり、同時に四凶の饕餮でもある。
少したれ目で軽く笑みを浮かべるその外見からは想像つかない。

私は椅子から立ち上がり、比企の元へと歩み寄った。そして比企を支えるように背に手を添え、手すりへと導く。

「そんなにしてくれなくっても大丈夫なのに」
「自分が足があまり良くないこと自覚してないの?心配するに越したことないでしょ」

比企は歌士に捕獲されて力が半減し、前科者だと逃げ出さないよう足を切られ、また半分力が減った。今では元の力の四分の一以下になった。そのせいで人型を保ちながらもゆっくりと歩くので精一杯なのだ。
それを自覚していながら私に気にするなと言うのだから、比企にはもう少し他人の気持ちを考えて欲しい。いや、比企は察しが良いからもしかしたら他人の気持ちを見透かした上でそう言ってるのかもしれない。恐ろしい。

「そうだ、今お客さんが来てたんだー」
「そう」

夜も冷えるというのに比企は薄っぺらい服を一枚着ているだけだった。自分の膝に掛けていた布を肩にかけると比企は「ありがと」と微笑んだ。その瞳はこちらを向いているのに、今にもどこかに行ってしまいそうな瞳は、比企の性格を表してるみたいだ。

「分かってるでしょ、●●」
「・・・・・」

そう、比企の言う通り、分かっている。ここに先程彼が、一葉が来たことぐらい。大きな声でしゃべっていたし、分からない方が可笑しい。とはいえ、彼から私は見えていないだろう。このだだっ広い部屋は充分に明かりで満たされているわけではなかったから、自分より暗い所にいる私の姿は見えなかったはず。

「あんまりちょっかい出さない方がいいと思うけど。また怒るよ、藍様」
「はは、藍さん怒らせるとこわーいもんねー」

比企が私に背を向けた。その表情を追おうと私は視線を上げる。比企は一葉が立っていた場所を焦点の定まらない瞳でじっと見つめていた。

「そう、あの子が藍さんの禺彊かぁ」
「何笑ってんのよ」
「そう上手くいくかなぁ・・・・」

そう言って意味深な笑みを浮かべる比企にため息を吐いた。私は月明かりに照らされる外の庭に背を向け、静かな部屋の中へと視線を向けた。

広い割に人がいないこの空間は夜風以上に冷たくも感じる。暗い部屋の中でぽつんと灯る明りが儚く揺れて影が揺らぐ。そんなのを見ていると再び感傷的な自分が出てきそうになる。そんな自分が出てこないように口を開いて言葉を口にした。

「っていうか、いちいち触発するような言動しなくてもいいでしょ。西の、崑崙山にある遙池宮に出入りしてるとか」
「あー」

そんなこと言ったねー、みたいな間抜け面する比企を睨んでやった。わざとらしすぎる。

「遙池宮に居る西王母の側近である神獣、白豪に会ってるでしょ、とか、神獣に無断面会しようもんなら大問題になって藍様が困るとか、そんなこと言って。見てた?あの時の比企を見る表情ったら、すごかったわよ」
「よく覚えてるね」

比企が浮かべるのは、大抵、何を考えているのか分からない笑みだ。私はあんまりその笑みは好きじゃない。

「そういえば、さっき何考えてたの?」
「考えてた?どういうこと?」
「●●って隠し事下手なの自覚してないのー?」

比企は私と同じように月光に背を向けた。そしてこちらの表情を伺うかのように見てくる。あの笑みはご健在だけど、向けられる視線は何かを探るかのようだ。でも本当は探ってなんかない。他人からそう思われる視線を向けているだけ。比企はきちんと分かったうえでこうやっている。すべて演技に他ならない。

「昔のことでも思い返してたんでしょ?それとも、藍さんの禺彊のこと?」

見事に的をついてきた。分かってるんだったら最初からそう言えばいいのにと思うが、これは今に始まったことじゃない。昔からそうだった。とはいえ、慣れるものでもなかった。

「悩んでたのよ」
「何を?」

比企の瞳がうっすらと開いた。そこから私を見る瞳はしっかりとこちらを向いている。

「どうしよかなって。このままじゃ駄目だって分かってるんだけど・・・・」
「君はどうしたいと思ってるの?」
「それが分かれば苦労しないわよ。それで悩んでんでしょ」
「はは、ごめん。そうだね」
「・・・喧嘩ばかりで・・・・。大丈夫かな」
「喧嘩するほど仲が良いって事じゃないの?」
「そうね!そういうことよね!」
「・・・・・・?」

比企の言葉に納得したように大きく頷いてみせた。

「比企に相談して良かったー」

微笑む私に比企は首を傾げる。頭の上には疑問符が見える。まぁ、そうだろう。そのための演技だ。比企が気に食わないから仕方ない。一度くらいこんなふうにあたしが比企を出し抜くことがあってもいいじゃないか。どうせ滅多にないんだから。

「もしかして、柚希と蓮杜のこと・・・・?」

柚希と蓮杜とは双子の神獣で、この子たちは私が15の時に同時に潔斎した。何せまともに自分で潔斎をしたのが初めてで少しだけ傷つけてしまった。容姿が何年か幼くなってしまった。申し訳ないとは思ったけど、精神年齢がずいぶん低かったのでそれに近付いたと開き直った。落ち着きのない蓮杜に関してはもっと幼くしてやってもいいくらいだ。

私は“神を使役”することをひどく嫌っているから調教師には何も頼んでない。他の人の子と変わらないように学舎に通わせている。

「もしかして、じゃなくって、柚希と蓮杜のこと話してたんだけど。私は」

『私は』という部分を強調した。

「あれ?比企は違うの?」
「やられたね」

わざとらしく尋ねてやると比企は額に手を当てた。

「学舎から帰って来るなり、喧嘩するのよねー」

比企は自分の負けを認め、してやられたと大きく肩を落とした。そして顔を伏せながらも私の話に言葉を返してくれる。

「蒼香も変わってるよねー。自分の従神を学舎に通わせて、まるで人間の子供のように育てるなんて」
「前に言ったでしょ、嫌い、だって」
「・・・・・」
「私達は平等に共存できる可能性を突き詰めるべきよ」

視線を比企に向けて表情を伺うが、顔を俯かせていてわからない。この程度の俯きなら、昼間なら見えるけど、今は夜で闇は深い。比企がどこを見て何を考えているかいつも以上に分からない。私は比企の言葉を待った。けれど比企は何も言わず黙ったまま、顔を上げて私を見た。向けられた視線はいつも通り。顔を上げてもその真意は私には汲めない。月光に照らされているせいか、比企の笑みは影が深く見える。

「いつもいつもごめんねー。●●」

突然、何のことか分からないことを言い出した。けれどその意味はすぐに分かった。“務め”とはいえ定期的に比企に会いに行っていることを指しているんだろう。だから、冗談めかすように笑った。

「ごめんねって・・・何か悪いことでもしたの?私の本を破ったとか?」
「香茗も藍さんも大馬鹿者だ。悪者に、“お友達”などいらないと言ったのにねぇ」
「四凶は悪神凶神禍つ物?」

私の言葉に比企は肯定するように微笑んだ。それが痛く胸に刺さった。
比企は自分の存在をそう位置づけて、認めている。饕餮と言われるのは好きではないらしいけど、だからといってそこから、この国の人柱から足掻こうとはしない。それを優しさと呼ぶのか、ただの諦めと呼ぶのか、分からない。

「人の大切な友達を、悪神凶神禍つ物呼ばわりなんて、ひどいわねー。それとも、私は友達じゃなかった?」

この国の人柱にされている比企。人に使役されて売り買いまでされる神たち。私はそれらを好きではないと言った。もっと違う道があるはずだと言った。それは本心だ。でも、だからといって私には何もできない。比企を人柱から解放するだけの力も術も何もなくって、この国の人達をこの国と共に沈めてしまう覚悟も無い。潔斎されてこの国に連れてこられた神たちを解放するだけの力も権力もない。結局、私は口だけだ。

「私はいまもこれからも比企の友達でいたいと思ってるんだけど、迷惑?」
「そんな、迷惑なんて」

比企は肩を竦めた。そう思っていないと分かっていながらこんな言い回しをしてしまう自分を卑怯だと心の中で嘲笑った。
すぐに「冗談、冗談」と笑ってみせると、少し張り詰めていた空気が緩んだ。

「香茗様も藍様も比企のことを心配してんのよ。ありがたく受け取っておきなさいよ」
「ははっ、そうだね。●●がそう言うんなら」
「上司に散々振り回された後、ここに来て、比企とくだらない話したり、大好きな本の話をしたりするのが、どれだけストレス発散になってることか」
「それは良かった、良かった」

比企は優しい。私の趣味は本を読むこと。だから、話を合わせるため、趣味を同じにするために、私がここに来れないときは持ってきた本を読んでくれている。最近では比企の方が多く本を読んでいて、面白い本を見つけると教えてくれる。本について語ったり、これからを予想したり、時には愚痴を聞いてくれたり、他愛もない話をしたりする。
そんな比企だから、きっと、心のどこかでは、私に対しての罪悪感を抱いているんだろう。香茗様と藍様が言うから、わざわざ自分なんかと“友達”になって、仕事終わりに会いに来てくれてる、とか。本人はそうは言わないけど、きっとどこかでそう思ってるに違いない。
だって、比企は優しいから。

「●●の上司って面白そうな人たちだね」
「面白いよ。人間観察の対象としては、ね」

あの人たちには色々とお世話になってるし、上司としても人としても尊敬してる。歌士としても調教師としても、何に関しても足元にも及ばない。けれど、事務的なことに関してはあの人たちより上だと言える自信がある。色々と被害を受けている。書類の処理に関しては、速い時と遅い時の差が激しい。しかも、処理が速くてもそのせいで抜け落ちてるところがあったり、判子を押す位置が間違ってたりすることはざらだ。だからいつも二重チェックする。これが、本当に精神的にキツイ。

「帰らなくて大丈夫?」
「え?あ、もうそろそろ帰ろうかな。まぁ、私のところには主夫がいますけど」
「蓬玉のこと?」

私が初めて斎に名を刻んだ神。厳密に言えば、私が初めて潔斎した神。

本来なら、歌士は潔斎した神を従えて新たな神を探すけれど、私は仕事の性質上外に行くことはあまりなくて事務ばかりしてるから、蓬玉は書記みたいになってる。仕事が終わって家に帰れば、蓬玉は見事にあの柚希と蓮杜の世話=教育=親をやってくれる。その上、家庭的なことが一切できない私の代わりに家事までこなしてくれる。お給料は私が歌士として稼いでいるので、いわゆる主夫状態。

「それじゃ、また明日ねー」

着なれない官服を翻し、部屋を後にした。

その時の比企の表情を未だ一度も見たことはない。いや、正直に言えば見る勇気が無い。



「●●、君は優しすぎる―――」