カノジョ

「不義の子」

柊家前当主の妾を母に持ち、幼いころからそう呼ばれては白い目で侮蔑されながら生きてきた。
忘却の彼方へと葬り去りたい柊家ではあったが、「不義の子」と呼ばれた彼女は誰に教わるでもなく静かにそして恐ろしくも呪術師としての頭角を現し、無視できない状況に陥っていた。
物心付く頃にはかつて天才と呼ばれ柊家次期当主候補であった柊真昼に勝るとも劣らぬ力をつけていた。

やむを得ないと考えた柊家は同じく柊家次期当主候補であった柊暮人の許嫁として彼女を柊家に正式に迎え入れた。



日本帝鬼軍中佐一瀬グレンはたった今、敵である吸血鬼の貴族との交戦を終えた。
静かに舞う粉塵とえぐられたように穴の開いた強固なはずのコンクリート壁らがその戦闘の壮絶さを物語っていた。
グレンは黒鬼シリーズの極めて強力な鬼呪装備の刀を有す実力のある人物だったが、吸血鬼貴族相手ではそう余裕はないようで肩で息をし、体は傷だらけだった。

「ふぅ・・・・」

深呼吸をし、刀を鞘へと納める。そして顔を上げて辺りを見回すように視線を横へ動かしながら大きな声を出した。

「おい!人が命がけで戦ってんのに悠々と見物してんじゃねぇよ」
「え、もしかしてさっきの戦闘で頭打っておかしくなった?」
「なってねぇよ」

グレンをからかうように笑うのは柊深夜。同じく日本帝鬼軍に所属する少将であり、柊家の養子でもある。

「おい!いるのは分かってんだ」

相変わらず何の返答もどこからも帰ってこない。花依や五士は互いの顔を見合わせ、首を傾げた。返事の返ってこない苛立ちにグレンはちっとわざとらしく舌打ちした。
そして大きくため息をつくと片方の手を額に当てた。

「柊暮人のよ」

無音とともにグレンの喉元にひんやりと冷たい刃があてがわれた。一瞬、グレンの息が止まる。

「あれ?貴方、吸血鬼じゃないわね」

グレンに刃を向けるのは先ほどまで影も姿もなかったはずの人物。
そして実にわざとらしい口調でそう言った。
絹のようなエメラルドグリーンの髪、彫刻のような完璧なボディライン、陶器のような白い肌、まるで深い海底を覗くかのような色を持つ深く青い瞳、一寸のズレもなくまるで誰かによって整えられたかのような顔、桃色の唇が三日月を描いている。

「久しぶりだな、柊●●」

グレンの後ろにいた全員がその姿に、その名に息が止まり、つばを飲み込んだ。

彼女こそ、不義の子と呼ばれるも柊暮人の許嫁として柊家に入れられた人物、柊●●だった。
天才柊真昼と並ぶほどの才能を持ち、お互いに唯一無二の親友として絶大なる信用と友情を共有していた。

「そうね、久しぶりね“真昼の想い人”。久しぶりに会えたのは良いけれど、残念ながら何度人が懇切丁寧に教えてあげても覚えられない程の馬鹿なら処分したほうが良いわね」

グレンの喉元に添えられていた刃がわずかに皮膚を押す。降参だとでも言う風にグレンは両手を肩の高さ程まで上げた。

「●●、なのか?」

恐る恐る言葉を口にし、深夜は一歩前へ出た。

「ほら見なさい、彼はきちんと私の名前の呼び方を覚えているわ。でも残念ながら私を私だと信じきれないようだけど、ね」
「いや、だって」

深夜は戸惑いを隠せなかった。めずらしくグレンが深夜のフォローに入る。

「当たり前だろ、何年姿くらませてたと思ってんだ。分かってんのか?」
「いやね、姿をくらませてたなんて。私は誰にも追われていないわ」
「何言ってんだ。お前の愛しの旦那様はお怒りだぜ」
「貴方、自ら私に殺してくださいって言うなんてとてつもない変態ね。男どもには嬉しいことに私はまだ未婚のレディなのよ」
「分かった、悪かったよ。だから武器をなおせ」
「いささか信じがたいわね」

と言いつつも●●は武器をなおし、一歩後ろへ下がりグレンたちとの距離をとった。

「今の今までどこにいた。何をしていた、どうしてここにいる」
「急に尋問めいた質問ね。レディには優しくしないといけないのよ?彼女いない歴が長すぎて忘れちゃったのね、可哀想に」
「何故姿を消した」

●●は唯一無二の親友である真昼が人としての姿を消した後、霧の中へと溶け込むようにして忽然と姿を消した。
そして長い月日が流れた今、ようやく日本帝鬼軍は彼女との邂逅を果たした。
多くの者たちがこの時を渇望していた。日本帝鬼軍も、一瀬グレンも。

「危機的状況であるにもかかわらずそんなにくだらないことを聞きたいほどにその質問が大事そうだから答えてあげるけれど、大前提を言っておくわ」

その瞬間、●●の青い瞳がとてつもなく底冷えした、光のないものに変わった。

「何人たりとも私を縛れはしない。私の心も、私の体も、私の意思も、私の行く末も、私の命も、私の死も、私の運命も全ては私のものよ。誰も侵せやしない」

美しい口元は笑っていた。けれど瞳は決して笑ってなどいない。それが●●の放つオーラの恐怖を倍増させていた。

「確かに私は柊家という屑の塊には辟易しているけれど、だからといって同じような感情を持つお前に下ることもない」
「・・・・・誰もお前みたいな奴を御せるなんて思ってねぇよ」
「素晴らしい。全くの正解だわ」
「ま、暮人の奴はそうは思っちゃいないだろうけどな」
「人類で一番の愚か者という称号を賞与したい気分ね」
「で、質問の答えは?」
「日本。旅行。たまたま」
「最後の質問の答えがない」
「生憎忘れてしまったわ」

これ以上言及したところで何の成果も得ることはできないのはずいぶん前の過去からたやすく推測できたのでこれ以上はもう何も言わなかった。●●はもういいだろうと踵を返した。

「おい、どこ行く」
「束縛の強い男は嫌われるわよ。折角旅行を楽しんでいたのに貴方たちのせいで白けてしまったから早くほかのところへ行くの」
「ふざけるな、お前ほどの力を持った奴をみすみす見逃すかよ」
「あら?私と戦って力でひれ伏させるつもり?」
「お前に勝てる力なんて持ってねぇ。お前に会ったことに上層部に伝えない代わりに俺たちに協力しろ」

グレンがその言葉を言い終えるか終えないかのうちに●●は突然お腹を抱えて笑い出した。

「グレン、貴方は昔から愚者を偽って演じてはいたけれど、私に対してはとても愚かだわ。柊を引き合いに出せはおとなしく従うとでも?柊ごときに、柊家ごときに私が恐れおののくとでも?残念ながらそんな感情は一切も持ち合わせてないの。柊が私を求めるのは優秀な後継ぎが欲しいから。ただの子供を産む機械として求められている。柊家存続のためには手段を択ばない、まさに極悪非道。ね?」

くるっと回り、●●の視線は深夜に向いていた。視線と言葉を向けられた深夜は困った顔をして「そうだねー」と適当に返事を返した。

「あら、同じ被害者だと思ったのだけれどそっけない返事ね。嫌いな男に抱かれて、嫌いな男の子を孕むなんて反吐が出るわ。それに、私のことを上層部に言うって無事に生きて帰れるとでも?」
「分かってたのか」
「わざわざ名古屋までお出ましになるのよ。そんなたやすい任務じゃないことぐらい分かるわ。でもどうせ囮部隊なんでしょう?吸血鬼の貴族に対して戦力が随分少ない。人類にとって生命線の戦場とはいえ囮は囮。それを知っていながら断れない貴方の性格を分かって暮人は貴方にその指揮官に任命した。そして心配した彼がついてきたってとこ?囮部隊にわざわざ任務で柊が来るわけないものね」
「そうだ。その通りだ。それでも今回はやる価値がある。たくさんのものを失いながらも俺たちは勝つ。だが、極力犠牲を少なくする」
「それは大変ね。勝つ以上に大変だわ」
「お前はそれだけの力を持っていながら、大勢の人を、人類を救える力を持っていながらそうやって何もしないでいるんだな。大勢の人が死ぬのを見てるのか。悪趣味だな」
「私の大切で唯一無二の親友の想い人にこんな風に言われるなんて心外だわ」

●●の言葉に対してグレンが再び返そうとしたとき、苦しそうにグレンの名を叫びながらこちらにやってくる者がいた。名古屋市役所襲撃チームの一人、楠木だった。
瀕死の重傷を負いながらもやってきた楠木にグレンは駆け寄り、倒れこんだその体を抱きとめた。

「●●」
「あら、貴方も私を止めるつもり?」
「そんな力、僕にはないから無理だよ〜」
「用もないのに名前を呼んで良いのは親密な関係にある人だけよ。男女で言うなら恋人、ね」
「そう、だね・・・・」

細い息の糸を繋ぎ止めながら楠木は名古屋市役所襲撃チーム30人のうち10人がやられ、他20人が人質としてとらわれたことを告げた。そして役目を終えたといわんばかりにすっと静かに息を引き取った。わずかにグレンの体が震えていた。

それを一瞥した後、深夜は再び●●に向き直った。

「戦争は始まった。もう君には、●●には二度と会えないかもね」
「それは残念ね。貴方のその綺麗な顔、結構気に入っていたのに」

言葉上では“残念”と言いながらも●●の表情からはそういった感情は一切見受けられない。
こんな状況下になっても平常の●●のその態度に深夜は安心を覚えた。
それもそうだろう、かつて天才と呼ばれた真昼と肩を並べた●●が危機迫るような表情をしなければならない状況が来た日は、それは“人類滅亡の日”となるだろう。


けれど、それ以上に深夜は思ったのだ。

彼女は、●●は誰にも穢されない、誰にも屈しない、空を自由に舞う鳥のような純潔な少女に変わりない、ということを。

その事実にひどく安堵し、自分の胸の内にある感情がひどく高揚した。





そして瞼を開けた瞬間、そこに●●の姿はなかった。



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