オーバーライン

※本編後の話になります。

 名前を教えてもらったはずだがどんな名前だったのか忘れてしまった虫を炒める理鶯を見ながら、泰山はぼんやりとしていた。中王区との仕事を辞め、追われる身となり住所不定となってしまった自分を匿ってくれた理鶯に、泰山は恋愛感情のようなものが芽生え始めていた。
 しかし自分の抱いている感情が本物の恋なのか、三十歳を過ぎても交際経験すらない“魔法使い”の泰山にとっては全く自信がなかった。ストックホルム症候群ではないが、特殊な状況下に陥った自分を助けてくれたというだけで好意を抱いているのではないかと、そんなことを考えてしまう。
「泰山、どうした。体調がすぐれないのか?」
「あ、いや元気です。ちょっと考え事を」
「そうか、何か悩み事があれば解決できないかもしれないが、貴殿を預かる身としてできる限り相談に乗る」
「ありがとうございます」
 でもこの想いは相談するわけにはいかない。きっと困らせてしまうだろう。
 自分の想いを伝えなくても聞けることはある。理鶯が恋愛をするつもりがあるか、だ。
「理鶯くんは、その、恋をしたことはありますか?」
「コイ、というと恋愛のことだろうか」
 改めて話すとなると少し照れてしまう。
 泰山は頬をかきながらうなずく。
「今はしていないが……」
「過去にそう言った経験が?」
「改めて問われると何をもって貴殿の言う『恋』に当てはまる経験があったか、小官は測りかねる」
「つまり、誰か特定の人を愛したかってことなんですけど」
 理鶯はフライパンの中身をかき混ぜながら考え込む。
「……該当なし、だと思われるが、もしかすると無意識下でそういった感情を持ったことがあるかもしれない」
「ありがとうございます、無理に答えてもらってすみません」
 そういった泰山は苦笑した。
 どうやら理鶯にとって恋愛感情を持って人と接したことは、少なくとも意識的にはないようだった。意識したことが無い、ということはやはりこちらの想いを伝えても困らせるだけだろう。
「泰山は恋をしているのか」
「えっ」
「こういう聞き方をしてくるということは、貴殿がその悩みを抱えていると考えるのが定石だろう」
「あーいや、その、あはは、鋭いですねえ」
馬鹿、と泰山は内心自分が無計画に質問をしたことを呪う。
誤魔化そうと思ったが、理鶯が真剣な目でこちらを見つめてくるので誤魔化すのも、茶化すのも難しそうだ。澄んだ青色の瞳がこちらを見ている。そんなことに気付いた泰山の心臓はやかましくなってゆく。
「私、好きな人がいるんですけど、好きな人はどうやら恋愛は興味が無さそうなので、好きだと伝えるのは困らせてしまうかなと」
 ドキドキする心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思うほど、泰山の鼓動は高鳴り、顔が熱くなるのを感じた。
「そうか……相手は、小官も知る人物だろうか」
「は、はい」
 思わぬ事態にパニックになりつつある泰山は『嘘をつく』選択肢など全く思いつかないまま、馬鹿正直に答える。
 そしてそれを聞いた理鶯は意外なことに、目を細め
「そうか、それは少し興味深いな」
 と言った。泰山は声を上ずらせて尋ねる。
「そ、そうですか?」
「ああ、今や弱さも克服した貴殿ほどの人物に、好意を寄せられる人物は幸運だ」
 理鶯のその言葉に、あっという間にキャパシティーを超えた泰山は何を思ったか、腰かけていたコンクリートブロックの椅子から立ち上がり、真っ赤な顔で言う。
「あなたですよ、理鶯くん」
「……?」
「あなたです、私が、僕が好きな人は」
 理鶯は驚いたように泰山を見る。
「その幸運な人は君だ」
 嗚呼もう後には下がれないと、泰山は思ったが不思議と後悔はしていなかった。
 最初から諦めていては以前の自分と変わらない。もう自分は何もしないうちから諦めたりはしない。諦めるのは行動を起こしてからだ。
 何より理鶯に教えてもらったことだから。
 緊張でほとんど分泌されていなかったが唾を飲み込む。

「理鶯くん、君が好きです」

 答えはどうであれ前に進もうと、泰山は胸を張って理鶯に想いを告げた。

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付き合い始めたら「理鶯」って呼ぶようになります。



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