「アタシは付き合う前に確認したよ?”アタシでいいんですか”って。そしたらあの将来ハゲ野郎”君じゃなきゃダメなんだ”って言ったんだから!」


「なのに既に結婚しててその上奥さん妊娠して里帰り中で寂しいって理由でアタシと付き合ってたんだよ有り得ないだろーが!


 そう続ける友人広瀬史鈴ことみっちゃんがビールジョッキをテーブルに叩きつけるとドンッ!と大きな音が店内に鳴り響いた。
 いくら店内の客が若愛たちしかいないとは言えこの行為は迷惑極まりないに違いない。
 すでに何杯目なのかわからないそれをやんわり取り上げつつカウンターで聞かぬふりを決め込んでいる大将――寿司屋の店主に「すいません……」と頭を下げておく。
 酔っ払いなんて見慣れているのか「気にしなくていい」という意味をこめられた笑顔を返されるがそれでも申し訳なさは消えずもう一度頭を下げ出来上がりつつある友人に向き直る。


「ちょっと若愛。アタシの生返してよ」
返すわけないでしょ。……みっちゃんさ、気持ちわかるけど飲みすぎだって」
これが飲まずにやってられるか!
「あ、こら!」


 いい加減飲むのはやめてそろそろ帰ろう。でなければ少し落ち着けと言おうとしたところすかさずジョッキを奪われてしまった。
 グイッとジョッキの中身を一気に煽るみっちゃんは「大将生もう一つ!」と叫んでいて「何また飲もうとしてんの!?」と言うが聞いちゃいない。


「飲むなって言ってんでしょーが!」
「諦めなって。こうなったらとことん酔わせた方がみっちゃんも吹っ切れるかもしれないんだし」


 もう一人の友人小日向アリスが若愛の肩に手を置き「うちらにあれは止められない」と首を横に振る。

 ジョッキを持ったままテーブルに突っ伏し「うっうっ……」と涙を流し始めたみっちゃんを目に「こいつは重症だあ」と若愛とアリスの心が一つになる。


「だから言ったじゃん!十も年上はまずいんじゃないって!
「え……。みっちゃんの元カレって十歳も離れてたの!?
「若愛知らなかったの?」
「う、うん。年上ってことしか……」


 十歳も年が離れている。その言葉に既視感と罪悪感を覚えるも自分には何も関係ない話だと頭の中に浮かんだ中学生の姿を振り払う。


「そんな人とどこで知り合ったの?」
「相席居酒屋……」
「他人が用意した出会いに真の愛が見つかるかって言ったのみっちゃんじゃん……」


 若愛たちが二十歳を過ぎたあたりの頃の話だ。
 いい加減に彼氏を作らねば年齢的に不味いという危機感を覚えどうにかして出会いを見つけようと考えていた若愛たち。

 中学生の頃は勉強部活に明け暮れ高校生になればきっと甘酸っぱい青春が待っているに違いない。
 そんな淡い期待を抱いていた若愛たちだったが気づいたときには男友達さえできることなく卒業証書を手にしていた。

 若愛とアリスは就職しみっちゃんだけが大学へと進学。おそらく社会に出れば輝かしい出会いが、進学すればサークルなどで素敵な出会いが待っているはず。
 成人式を迎えるときは互いの彼氏を紹介し合おうじゃないか――!
 そう決意をしていたはずが、結局彼氏を作るという課題は成人式にも間に合わなかった三人。

 ここまで来れば出会いなんて最早ないに近いだろう。
 となれば奥の手として出会いの場を設けてくれる街が主催する合コンや見知らぬ異性と一対一で酒を楽しむ相席居酒屋に行くしかないという考えに至るわけで。

 若愛とアリスはノリ気だったのだが、意外にも拒否反応を見せたのはみっちゃんだった。
 それなのに何故?と首を傾げれば勢いよく顔を上げられ「だって!」と口を開いた。


「アリスはちゃっかり彼氏いたし若愛だってお客さんといい感じになってたんだもん!」


 「アタシ置いてけぼりじゃねーか!」と再びテーブルに突っ伏してしまったみっちゃん。
 こいつ面倒くさいな……と最早失恋話に付き合うのも嫌になってきておりアリスは無視を決め込み「そう言えばさ」と口を開いた。


「若愛なんで常連さん……、えっと、名前忘れたけど付き合わなかったの?」


 まったく手をつけていなかったせいですっかり温くなってしまったお茶を口に含んでいたところにアリスの問い。
 お茶の渋みと自分にそういった手の話が振られたことへの不快な気持ちで思い切り歪む。


「結構いい感じの人だったよね。顔も良くて背も高かったし」
「……お店に来るたび彼氏面されてみなよ。嫌悪しか抱かないから
「うわあ……」


 アリスから向けられる同情の目。
 正直に言えば若愛にとって思い出したくない過去であり実際に今思い出しただけで気分が悪くなってきた。


「連絡って……?」
「してるわけないよ!電話番号とか教えてないもん!」
「でもお客さんだったんだから直接文句言いに来たりはしなかったの?」
「付き合ってたわけじゃないからさすがにそこまではしないでしょ」


 もしそうまでして付きまとうような奴ならば警察に相談すると笑い飛ばしそれよりもアリスは恋人と上手くいっているのかと話を変えようとしたときだった。


「ただいまー」
「おう。おかえり」


 ガラリと開かれた扉の音と、大将と客の会話でないことが気になり自然とそちらに視線が行ってしまい、となると必然的に目が合うわけで。


「お客さん来てたんだな。いらっしゃい!……っと泰橋さん?」


 テーブル席に座る若愛に気づいた山本が「なぜここに?」と目を丸くしているが、そうしたいのはむしろこっちの方である。

 アリスもいつの間にか顔を上げていたみっちゃんも大将さえも知り合いなのか?という表情を浮かべており若愛の顔から血の気が引いていく。


「お菓子サンキューな!すごい美味かった!」
「そ、それは良かった。じゃなくて、な、なんでここに……?」
「ここ親父の寿司屋なんだよ」
「あ……、なる、ほど」


 そう言えばそんなこと言ってたわ!と心の中でつっこみこの状況下で周りにいる人間になんて説明するべきかを考える。

 「息子さんには性質の悪いナンパから助けてもらっただけなんです!」と大将には説明すればいい。しかし、


「大将息子さんいたんだぁー。いくつ?名前は?」
「山本武。十四っス」
「あ、じゃぁ武君中学生!?」
「部活とかしてるの?」
「はい。野球部に」
「野球部かあ!それはきっとモテるんだろうねぇー」


「「ねぇ若愛?」」


 ニタリという効果音が着きそうなとても現実で人が浮かべるような笑みではないものを向けて来る友人二人に大将へしたものと同じ説明をしたところで話が終わるわけがない。
 何を隠そう若愛はボーリング場で高校生からナンパされ中学生山本武に助けてもらったことをみっちゃんとアリスに話していないのだ。


「息子君も帰ってきたし、そろそろお暇しようかみっちゃん?」
「そうだねぇアリス。若愛に聞きたいお話いっぱいあるしぃ?


 アリスはともかく酔っぱらっていたはずのみっちゃんの顔には口元だけの笑み。
 友人相手に恐怖を覚えながら財布を取り出していると「アタシたちの分払っておいてねー」と現金を置いて早々店を出ていく二人。もちろん大将と山本への挨拶も忘れずに。

 美味しい寿司を提供してくれていた大将が山本の父親だと知り急に居たたまれなくなった若愛。
 それをわかった上で会計を任せてきたのだろう友人たちに「あとで覚えてろ……!」と文句を呟きつつ会計に向かう。


「あの、」
「お客さん武の知り合いなんだろ?それならお代はいらねぇよ」
「へ!?いやそういうわけにはいかないですよ!」
「いいっていいって!これもなんかの縁だ!それに、」


 「働いてるお店のお菓子くれたんだってな」豪快な笑いのあとにそう続けられ「は、はい」と素直に頷く。

 どういう経由で菓子の詰め合わせを受け取ったのかをどう説明したのか気になり山本に視線を向けると。


「困ってるところ助けた礼にってくれたんだって?返って悪いねぇ」
「あ、いえ!あのとき本当に困っててすごく助かったんです!だからあのお菓子はどうしてももらってほしくて――」


「(むしろあんな詰め合わせだけでごめんなさい)」


 そんな若愛の心の謝罪など露とも知らない大将は「困ってる人を助けるのは当たり前のことなんだ」と言い
 それとこれとは話が別なのでお代はきちんと払うと言うがいらないの一点張り。
 とは言われてもみっちゃんが相当飲んでいたため若愛も譲れずにいると、ではビールの代金だけ払ってくれればいいと言われ
 粘ってはみたものの結局寿司だけご馳走してもらう形となった。


「――お代払ってもらっちゃって……。ありがとうございました。お寿司すごく美味しかったです」
「なあに、俺が好きで言ったことだ。気にすんな」


 寿司を馳走してくれたことに何度もお礼を言い、大将の隣に立つ山本にも会釈をして店――竹寿司の扉を開ける。

 てっきりみっちゃんたちは店のすぐ傍にいるのかと思ったが姿は見えず、でもまぁ連絡すればいいかとトートバックを漁いると。


「泰橋さん!」
「あ、山本君」


 なんで出てきたんだろうという意味を込めた視線を向ければ「あ、いや」と頬をかき言葉を探している様子の山本。
 店内に何か忘れ物でもしてしまったんだろうかと考えるもそうではないようで彼が口を開くのを待ってみる。


「あのさ、」
「うん?」
「……――あいつ、元気か?」
「あいつ…………?」
「猫、拾っただろ?」
「あ、あぁ!うん。すごく元気だよ」


 「ほら」と携帯のカメラで撮った気持ちよさそうに寝ている子猫の写真を見せる。
 わざわざ店を出てきて若愛を呼び止めた理由が子猫の様子を聞くためだったのか、健やかに成長していることに安堵した山本は呼び止めてしまったことを謝罪し店内へと帰っていく。


「じゃぁな泰橋さん。おやすみ」
「うん。おやすみなさい」


 入口から手を振り見送ってくれるらしい山本に小さく手を振り返し一歩を踏み出すと扉がゆっくり閉められる音が聞こえた。

 ちょうど握っていた携帯を開きみっちゃんたちに今どこにいるのか連絡をしようと電話帳の中から番号を探しながらつい先ほどまでいた竹寿司のことを思い出す。
 息子である山本武と知り合いというだけで寿司を馳走してくれた大将。
 山本の懐の広さ――というか人の好さは間違いなくあの父親譲りなのだろうと思うと「ふふっ」と笑みが零れた。


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