「――……コーヒーベーグルとハムサンドセットご注文のお客様ー」


 カウンターから声をかけるとそれに気づいた女性が手を上げるのを確認し「お待たせいたしました」という一声とともに紙袋に入った品物を渡す。

 本日最後の客を見送り扉が閉まるかそうでないかくらいで若愛は大きなため息をつく。


「終わった――!今日こそ腰が死ぬかと思った……!
「お疲れ様でした先輩」
「おつかれさまー。お客さんいなくなったことだしぱぱっと跡片付けしちゃおっか」


 ズキズキと痛む腰をトントンと叩きながら「さーてそうじ掃除ー」と言っているとスタッフが憐みの視線を送ってきた。


「先輩……。腰叩いてるのすごく年寄りっぽいからやめた方いいですよ
うううう嘘!?やだ気をつけよ……。じゃなくて年寄りって言うなまだ二十代だから!
「でも四捨五入したら三十歳ですよね?」
しなくていいからていうかまだ二十五になってないから!


 そう必死になってまだギリギリ二十四歳であることを主張してみるも「私外掃除してきますねー」と見事スルーしていく店の外へ出ていく後輩スタッフ。
 人を年寄り扱いしているがお前だってあと三年で四捨五入したら三十になる歳だろうと叫んでやりたいがそこは大人としてグッとこらえておく。


「(ボーリングとバッティングセンター、居酒屋カラオケを梯子しようとか言い出した数日前の友人と迷うことなく承諾した自分が恨めしい……!)」


 ほんの二、三年前であればそれくらいの無茶なんて余裕で出来たはずだがここ最近は少し運動をした程度で息切れはするわ筋肉痛は時間差で来るわで年々歳を取っていることを痛感させられる。


「(なんで筋肉痛って歳とると時間差で数日後に来るんだろ……)」

 
 いやだいやだ歳は取りたくないものだと心の中で呟き若愛も店内の掃除をするべくキッチンに向かうのだった。




「――……そのお菓子の詰め合わせ、先輩のですよね?」
「あ、うん」
「誰かにお土産ですか?」
「まぁそんなとこかな」


 閉店後の跡片付けも無事に終わり事務所で着替えをしていたとき後輩スタッフが机の上に置かれた菓子の詰め合わせに気づく。
 後輩の問いに曖昧に返事をしつつ壁にかかった時計を見るとすでに20時を過ぎていた。


「(さすがにこの時間に電話するのはまずいよなぁ……)」


 性質の悪いナンパから助けてくれた好青年山本に対しお礼をしたいと思っていたのだがなんと相手は中学生。
 何か食事でも馳走できればと思い連絡先を聞いたのにも関わらずいまだ連絡はできていない。

 机の上の菓子の詰め合わせを見つめていると思わずため息をつきそうになる。

 若愛の勤めているカフェの商品の中でなるべく値段の高い焼き菓子を選び綺麗に包装したのがボーリング場で助けてもらった次の日。
 お礼は早い方がいい。そしてチャラ男にナンパされたことも中学生に助けてもらったこともこのことはさっさと忘れてしまおう。
 そう考えていたはずが気づいてみれば数日が過ぎていた。

 というのも、自宅の番号にかけて万一に山本の親が出たら非常に気まずくどういった経由で二十五歳を迎えそうなアラサーが中学生相手に電話をかけるに至ったのか。
 それを上手く説明できる気がしないからだ。

 今日こそ――!と意気込んでみるも、時間的に山本の親は仕事を終えて帰宅していることだろうと思うと「……今日はいいや」と断念してしまう。

 果たして若愛が好青年山本武にお礼をする日はやってくるのだろうか――?


「じゃぁ、私先帰りますね」
「うん。気を付けて帰ってね」
「それは先輩もでしょ。お疲れ様でしたー」


 早々と着替えを終わらせていたらしい後輩が事務所を出ていくまで手を振り、考えごとでいまだ制服のシャツを脱ぎ終えていない若愛も手早くボタンを外していく。


「……――――戸締り良し、と」


 店の玄関にしっかりカギをかけたことを確認し、帰路につく。
 トートバックをやたら膨らませている菓子の詰め合わせを恨めしく思いながら足を進めていく。

 住宅地に入ったあたりでそう言えば……とふと思い出し辺りをキョロキョロと見渡した。
 古ぼけたアパートを目印に、その前のゴミ捨て場のすぐ傍に無造作に置かれていた段ボールを見つける。
 段ボールを除いてみた瞬間思わずため息が零れる。


「まだここにいたかー……」


 しゃがんで段ボールの中に手を伸ばすとクンクンと匂いを嗅ぎ自分に危害を加えないと理解してくれたのか頭を摺り寄せてくるのは目も開いたばかりのような子猫。

 「ご飯食べた?」と通じるわけがないにも関わらず子猫に問いながら何か食べれるものはないかとトートバックの中身を漁ってみる。
 仕事に行く最中、アパートの近くを通った際に見つけたのだ。

 出勤前ということもあり家に戻る時間はなく、かと言って食品を扱う職場に連れていくわけにもいかず後ろ髪引かれる思いで子猫の傍から立ち去ったものの、やはり気になり再び足を運んでみたのだが。


「お、あったあった。これ食べれるかな?」


 パウチ状の袋に「子猫用」と書かれた餌を取り出し袋に切れ目を入れると匂いが届いたのか興味津々な様子の子猫。
 手のひらに取り出し顔に近づけてあげると少しだけ匂いを嗅いでからガツガツと勢いよく食べ始める。おかげで手が痛い。


「そっかそっかお腹減ってたのかー。食べれるなら全部食べていいからねー」


 「実家で猫飼ってるからお土産にちょっと高級な餌買ったんだけど間違って子猫用買っちゃってさー」と子猫に語り掛ける若愛。
 通じない上に無心で餌にがっついてるためぜんぜんこちらを向いてくれる気配はない。

 しかしここはアパート。見た目の古さからおそらくペットを住まわせることは禁止されているはず。
 どういった経由で子猫をここに捨てていったのかはわからないが、ペット禁止のアパートの前で餌をあげているのは多分というか確実に良いことではない。


「見つからないうちに早いとこ帰らないとねー」


 先ほど後輩から年寄りのようだと言われたことなどすっかり忘れ「よっこいしょ、」と声を出しながら子猫の入った段ボールを持ち上げ踵を返したときだった。


「――――あれ、泰橋さん?」
「え、あ、山本君……?」


 後輩から年寄りのようだと言われたことなどすっかり忘れ「よっこいしょ、」と声を出しながら子猫の入った段ボールを持ち上げ踵を返したとき。

 振り向いた先にいたのは若愛が会いたいと願っていた……というのは語弊があるがとにかく会いたいと思っていた山本武だった。
 若愛が抱える段ボールの中身に気づいたのか視線は子猫に向いている。


「……その子連れてくのか?」
「うん。今朝見つけたんだけど仕事前でそうもいかなくて」


 勤務帰りにもまだいたら連れて帰ろうと思っていたことを伝えると山本は「なら良かった」と安心したような表情で笑った。


「俺も学校行く前に見つけてさ。帰りまでいるかなーって見に来たんだ」
「あ、じゃぁもしかして山本君この子のこと――」


 山本がこの子猫を連れて帰るつもりでここに寄ったかと思い段ボールごと渡そうとすると、そういうつもりで来たわけではないのだと首を横に振る山本。


「うち寿司屋だから猫は飼えなくてさ」
「へぇー。お寿司屋さんなんだね」


 家に連れ帰ることはできないが捨て猫が心配で足を運ぶあたり、山本という人間は人の好い性格なのだと再確認できたわけで。
 きっと学校ではこの容姿も相まってそれはおモテになるのだろうと勝手な想像をしながら子猫の頭を撫でている山本をチラと見ると。


「……――――良かったなお前。泰橋さんに見つけてもらえて」


 ふいに山本の口から発せられた言葉にどきりと心臓が鳴ったのが自分でもわかった。

 子猫を愛おしそうに見つめているその表情にはどのような意味があるのか。

 一瞬だけ様子を窺ってはみたものの、笑顔で子猫を撫で続けているあたり言葉にとくに深い意味はないのだろう。
 むしろ何故中学生相手に淡い期待を抱いたのか。気恥ずかしさを覚えほんのり頬が熱くなった。

 それを誤魔化すために子猫に視線を向ければ、怖がることもなくされるがままにただ気持ちよさそうに撫でられていた。
 山本の撫で方が心地よいのかゴロゴロと喉をならしすっかりご機嫌の子猫。
 動物は人間の性格を瞬時に見抜くと聞いたことがあるが、まさにその通りなのだろう。


「(子猫にも山本武という人間の性格の良さがわかるのか……)」


 そりゃこれだけいい人なら当然だよな……などと心の中で呟きながら肝心なことを忘れていることに気づく。


「(……っじゃないよ)ちょっとこの子持ってて!」


 ダンボールを預け汚れた手のひらをウェットティッシュで綺麗に拭き菓子の詰め合わせをトートバックから取り出す。
 子猫に和みせっかく山本と会えたにも関わらず肝心なことを忘れていた。


「これ!このあいだのお礼!」


 渡した段ボールとトレードする形で菓子の詰め合わせを無理やり渡す。
 一瞬何のことか理解できていなかったようだが、若愛の気迫で思い出したのか「あぁ!」と零し礼を受け取ってもらうことに成功する。


「なんか逆に悪いことしたな」
「いいのいいの。絶対お礼させてって言ったの私なんだし」
「すぐに連絡来ないからてっきり忘れられてるのかと思った」
「そ、それは……!」


 「い、家電にかけるのにすごく勇気が必要でね!?」と必死に説明すれば「冗談だって」と悪戯が成功したかのような笑みを返される。

 その笑みにさえ、どきりとなる心臓。(いやいやいやいや)


「(相手中学生だから!)」


 アラサーに片足をつっこみつつあるオンナが男子中学生相手に胸を高鳴らせるなど最早犯罪に近い。
 おそらくこれはアイドル相手にキャーキャー騒ぐのと同じ感覚なのだと自分に言い聞かせる。

 菓子の詰め合わせをジッと見つめている山本にもしや甘いものが苦手だったのではと確認もせずに無理に渡したこと後悔する。


「山本君甘いお菓子平気?」
「平気だぜ。これ泰橋さんのお店のやつだよな?」
「うん。そう。賞味期限長いものから選んできたの」


 いつ会えるかもわからないため出来るだけ賞味期限の長いものをセレクトしてきたがこうも早く会えたのであればもっと他のものでも良かったのかもしれない。
 そうは思うものの、それは結果論であり今日会えたのは偶然でしかないのだが。


「――――……さてと。明日も学校だよね?時間遅いし気を付けて帰るんだよ?」


 そう言って踵を返すと「またなー」という爽やかなあいさつとともに手を振られた。
 段ボールを抱えているため手は振れないが「それじゃあねー」と口にしたときの表情は笑顔になっていた。


「(あれ?私山本君にお菓子売る仕事って言ったかな……)」


 職業がカフェの店員だと言った覚えがあるようなないような。記憶が曖昧だが、それよりも
 高校生に間違われているのかと思っていたのが社会人なのだとわかられていたことが驚きだった。


「まぁ、いいか」


 無事に礼を渡せたことで若愛と山本との縁はなくなったのだから。


prevnext


back/index