母の急なイタリア本社に転勤話から1週間弱。母は仕事に追われ若愛が世話になるという知人の家へは挨拶することなくイタリアへと飛んでしまった。
 若愛も若愛で学校が終わってから母の荷造りの手伝い、そして自分の荷造りをして――と日々が慌ただしく結局引っ越し当日に挨拶する形になってしまった。

 今まで住んでいたアパートは引き払うことなく借りたままにするということで最小限の荷物を抱えてメモ用紙に書かれた住所へ向かって足を進める。
 住所を見る限り住んでいたアパートから遠くはなく、母の知人というのは並盛町の人間だったようで安心をする。
 もし隣町やそのまた隣町――となれば学校に通うことが大変だからだ。

「えーと、この変に竹寿司っていう看板が…………」

 引っ越しの話が出た際に母が「お店」と言っていたがまさか寿司屋だったとは……。

 竹寿司目指して足を進める中何か引っ掛かりを覚える。
 幼い頃に祖父母と何度か竹寿司という寿司屋に行ったことがあると言われたことも気にかかるがそれ以前にどこかで竹寿司の存在を耳にしたことがある気がするのだ。
 確かごく最近に耳にしたような気もするのだがどこでだったのかも思い出せず唸りながら歩いていると目当ての看板が目に入る。

「あ、ここだ」

 木彫りに大きく「竹寿司」と書かれている看板を掲げている店の外見は古き良き雰囲気を醸し出しており思わず「わあ……」と感嘆のため息が零れた。
 確かに幼い頃の記憶としてこの外見を覚えているような気がしなくもない。

 おそるおそる引き戸を開け「すいませーん……」と声を出すとすかさず「いらっしゃい!」と活気の良い声が響く。

「もしかして若愛ちゃんかい?」
「は、はい!」
「そうかそうか!お母さんから話は聞いてるよ」

 他に客がいないことをいいことに店主――母の知人はカウンターの中から入口までやって来ては「良く来たね」と若愛を歓迎してくれた。

 「急な話で不安だろうが、何も心配いらねぇからな!」と歯を見せて笑う表情。若愛の保護者代わりになってくれる人はとてもいい人のようだ。
 ここだけの話、強引な性格の母のことだから無理やりこの話を押し付けたのかと思っていたが、どうやらそうでもなさそうで心の底から安心する。

「そういや、おじさんのこと覚えてるかい?」

 若愛の記憶に残っていることを期待していたらしい竹寿司の店主は自分を指さした。
 絶対に聞かれると思っていたその質問に「うっ……」と声を零し肩を竦ませる。

「ご、ごめんなさい……」
「若愛ちゃん小さかったし仕方ねぇか!」

 「はっはっは」と豪快に笑い飛ばしてくれる様子から若愛が何も覚えていないことは気に留めてないようだ。

「しかし若愛ちゃん美人さんになったなぁ」
へ!!?いやそっそんなことないです!」
「いやいや、小さい頃も可愛いと思ってたけど」

 竹寿司店主は思い出したかのように「そうだいけねぇ!」と口を開いた。
 店主曰く、急な居候話で客室を用意できていないということ。そのために香夏子と同い年らしい息子の部屋を暫くの間使って欲しいとのこと。
 心底申し訳ないという表情をしている店主だが、急に押し掛けたのはこちらでありむしろ部屋を提供してもらえるだけで有難いことこの上ない話である。

「というか、その、息子さんは私が一緒に部屋使うことを良く思わないんじゃ……」
「話したらあいつもいいって頷いてたから、若愛ちゃんが気にすることはねぇさ」
「(親子して人が好過ぎでは?)」

 「詐欺とかすぐ引っ掛かりそう」などと失礼なことを考えていると、息子の部屋に案内してくれると言われた。
 素直に着いていきながらそう言えば肝心の息子はどこにいるのだろうと聞いてみるとなんでも成績が宜しくないので補修を受けに行ってるのだとか。
 せっかくの日曜日だというのにわざわざ学校に行くなんて馬鹿らしいだろうと他人事のように話す店主。
 そう言えば若愛のクラスからも何人か補修受けてる人が出てたなと思い出しているうちに部屋に通される。
 野球が好きなのか部屋のいたるところにプロの選手のポスターであったりグッズなどが飾られている。

 何気なく部屋に入ってしまったわけだが、部屋の主がいないのに勝手にあがってしまって良かったのだろうかと心配しているとタイミング良く店の入り口が開く音と「ただいまー!」という威勢のいい声が聞こえてきた。

「お、ちょうど帰ってきたな」
「(あれこの声……)」

 「どこかで聞いたことあるうよな……」なんて悩む時間もなくこちらに向かって来る部屋の主こと息子殿。
 自分の部屋にすでに客が来ているとは思わなかったのか「ん?」と首を傾げている。

「俺の部屋で何してんだ?」
「何してんだじゃねぇ。この間話しただろうが」
「あぁ!うちで女の子世話するって話か!」

 「なんだもう来てたのな!」とどこか嬉しそうに話す息子殿を目の前に若愛の口があんぐりと開いた。
 そんな若愛を視界に入れた息子殿は「ん?」と再び首を傾げる。

「あれ、泰橋じゃん」
「や、山本君…………」
「なんだ武。若愛はちゃんのこと知ってたのか」
「知ってるっつーか、クラスメイト」

 「世話になる女の子って泰橋のことだったのなー。言ってくれりゃいいのに」と人の好さそうな笑みを浮かべている息子殿もとい山本武。

 山本武と言えば抜群の運動神経や優しい性格故にクラスからの人望は厚く女子からの人気も高いまさしくヒーローのような存在。
 と言っても若愛が山本と同じクラスになったのは2年生に上がってからであり、1年のときに彼と同じクラスだったという女子から聞いただけなのだが。
  (……そう言えば山本君の家が寿司屋ってクラスの女子から教えてもらったな)

 店主の山本剛という名前も完璧なヒントというか最早答えであったのに何故気づかなかったのか。


「(え?なに?私これから山本君と一緒に暮らすの?)」


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