Please,turn around.


私は平凡な人間である、と強く主張したい。
強いていえば私の職業は様々な競技やあとはサーカスとかの衣装製作である。
しかしそれもこれと言って述べるべきことは無い。まあ、そのような職業だからこそ今のような事態を招いているんじゃないか?と頭の中の私が囁く。

「久しぶりじゃないか、なまえ。良ければ一緒に飲まないかい?」

相変わらずの綺麗な顔をサングラスで隠しているが流石に気付かない人はいないし、そもそもここはグランプリシリーズ第6戦ロシア大会の会場の裏なのだから彼の存在に気付かない方がおかしい。
そう、彼の名はヴィクトル・ニキフォロフ。
現在は日本の勝生勇利のコーチをしているが昨年までは現役のフィギュアスケーターだった。彼の衣装は相当な回数作っているが毎回注文が多く、シーズン開始ぎりぎりまで睡眠不足と戦うハメになったのは良い思い出である。
こんな現実逃避をしてしまうのは彼の周りからやってくる鋭めの視線のせいだろう。どこのやつかわからんような貴様が何故ヴィクトルとご飯に行こうと誘われてるんだ、と言わんばかりの目である。
残念だ、これでもスケート界ではだいぶ有名な衣装作り何ですがね。しかし、変な所で恨みを買うのは御免である。仕事は円滑に進めたい。

「ちょっとなまえ、聞いているかい?」

「あぁ、済まない。考え事をしていた。久しぶりだね。コーチ頑張って。それじゃあ。」

「話聞いてた?せっかくだし一緒に飲まない?って誘ったんだけど。」

「これからユーリの衣装をチェックしに行くから無理かな。」

「じゃあそれが終わったらどうだい?」

こういう場面でこの男が引くことはないというのは痛いほど知っている。彼はプログラムへのこだわりが強い人だから衣装への注文は多かったし、そして例えそれ以外のことでもそう、例えばランチをどこで食べるかとかも譲ることがなく、1度決めたことは中々曲げてくれない。あぁ、つまり、私はこの誘いに乗るしかないのだ。

「…6時にまたここで。お店はそれまでに決めておいて。」

「楽しみにしているよ。」




演技中に衣装の装飾が取れたり、例えばこの様な羽だって一枚落ちるだけで一点の減点になる。まあ、本当に芸術性を極めたい競技なんだろう、という認識は持っている。
そういうわけでユーリ・プリセツキーの衣装を何があっても取れるなよ、と念じながらチェックしていく。

作業が終わったのは約束の10分前だった。そして久しぶりに会えたので5分ほど彼らと世間話をし、片付けをし、先ほどの場所に着いたのは待ち合わせピッタリの時間だった。

「時間ぴったりだ。じゃあ行こうか。」

「来ないんじゃないかって思わなかったの?」

「まさか。なまえに限ってそういうことはないだろう?」

得意気に笑いながらサングラスをかけ直したヴィクトルに年下の癖に相変わらず生意気だ、と返してやった。


ヴィクトルが連れてきたのは小さな地元のバーだった。時間が早いせいかあまり人は入っていないのは好都合である。

「早めに済ませてしまおう。それで、何の用。ヴィクトル?」

「何の用?って聞かれてもただなまえとお酒が飲みたかっただけだよ。とりあえず乾杯しようよ。」

思わず脱力する。
大体ヴィクトルが無理矢理食事に誘う時は何か用があり、(大方次の衣装はこうしてくれだとかこの動画を見て、案を考えてきて欲しいだとか、あれの表現が上手くいかないから衣装を少しいじりたいだとか、)食事に誘われると仕事が増えるというのがテンプレだったのだがよくよく考えるとそういう時はわざわざお酒を飲みに行こうとはしなかったし、そもそも彼自身が今衣装を必要としているわけがないのだ。

「じゃあ、1年ぶりの再開に乾杯。」

「1年か、そういえばこっちから長谷津に昔の衣装を送ってきてくれてありがとう。助かったよ。」

「いいえ、こっちとしては何故か私の仕事場に増えていくヴィクトル・ニキフォロフコレクションに困っていたので助かりましたがね。」

「だって衣装を作るなら今まで全く違うものにして欲しいだろう?それなら全部手元にある方が良いと思って。」

お酒をチビチビと飲みながら、本当にヴィクトルは私に対して配慮が足りない、と考えていた。確かに歳はそこまで変わらないが、それでも私の方が年上だし、そもそも衣装を作るのは私である。
いけない、お酒が不味くなってしまう。

「やっぱりジャパンのお酒も美味しいけどロシアのお酒は最高だね!」

「はいはい、というか日本からのお土産ないの?それこそ日本酒っていうんだけ、それとか。」

「すっかり忘れていたよ。そもそもなまえじゃあれは全部飲めないよ。結構度数あるし。」

「そうですか。全く、久しぶりに会ってもやっぱり生意気な辺り変わってないな。」

「俺そんな生意気な態度なつもりないんだけどなー、」

...ヴィクトル・ニキフォロフが酔い始めている。これはいけない。というかヴィクトルはそこまで酒強いわけでもないが、そして悔しいことだが私よりは強いはずだから酔うのは早いんじゃないか?

「で。コーチ業の方はどうなのよ。」

「新しいことをたくさん見つけているよ。勿論明日の試合も見に来てくれるだろう?」

「そもそも衣装に何かあったら怖いか殆どの試合は見に行ってるんだけどね。まあ、そりゃあ見に行きますとも。というか明日試合なら早く帰りなさいよ。」

「流石に真夜中まで飲んだりはしないさ。さて、次は何を頼もうかな。」

「私は酔いそうだからそろそろやめておかないと、何かおすすめのある?というかヴィクトルもそこら辺にしておきなよ。いくら選手じゃないからって、明日試合なら尚更。」

「仕方ない。今飲んでるので辞めにするよ。そうだな、あと、マスター、隣の彼女にアプリコットフィズを。」

「かしこまりました。」

「いや、おすすめのは?って聞いたけど勝手に頼まないでちょうだい。まあ初めて飲むやつだし良いんだけどさ。」

「...なまえに期待した俺が馬鹿だったのかな。」

「ちょっと、サラッと失礼なこと言ったのわかってる?というかいきなり何?」

「お待たせしましました。アプリコットフィズです。」

受け取ったものをじーっと眺める。これはカクテルか。いや、そもそもカクテルはあまり飲まないし、付き合いも長いヴィクトルはそのことを知っているはずだ。にも関わらず何故これを?まあ、せっかく選んでくれたわけだし飲もう。お酒に罪はない。

「美味しい、けどやっぱりカクテルって甘いわね。」

「ちょっとヴィクトル?まさか寝たんじゃないでしょうね。」

「起きてるよ。あー、なまえ、いや、なんでもない」

「いや、気になるんだけど。というかほら、まだ潰れないでちょうだい。ほら、明日に響くと行けないから本当に早く帰って寝なさいよ。」

何だか折角美味しいお酒も飲んで、何だかんだで楽しかったのにもしヴィクトルを引きずって帰ることにでもなったら最悪である。

「ねえ、なまえ。」

「何?コート着た?というかヴィクトルってそんなに飲んでたっけ?結構酔ってるわね。それとも疲れてたとか?」

「ちょっと黙って。」

気づけばヴィクトルの顔が目の前にあった。
いや、待てよ、このひと私に何をした?

いつの間にか抱きしめられて私の鼻がヴィクトルに当たっている。ヴィクトルが飲んだお酒、と言っても大して私が飲んだものと変わらないが、その匂いと恐らくヴィクトルの物と思われる匂いが伝わってくる。
同時にお酒のせいなのか少し高めの体温が伝わってくる。

「...ヴィクトル、酔っているなら本当にさっさと帰らないと。というか苦しい。」

「アプリコットフィズの意味、調べておいて。それじゃあまた明日。」

「いや、待ちなさいよ。人のこと誘っておいた上酔っ払った勢いで事故られたこっちの気持ちにもなってみなさいよ。というか本当にいないし!」

全く、と思いスマホを起動させ言われた通り意味を調べてみる。普段なら今のような行動は即謝罪をさせるところなのだが、お酒のせいなのか思考が鈍っている。

出てきた文字と、ついでに先程されたことを思い出して思わずスマホを手から落としそうになった。


振り向いてください。


唯でさえお酒でだいぶ暖かくなっていた身体が熱くなった。
今まで気付かなかった私も馬鹿だけど、それに期待したヴィクトルも馬鹿なんじゃない?と頭の中で私が囁いた。



アプリコットフィズの意味については諸説ありますが、今回は「振り向いてください」にしています。

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