本領発揮


バルコニーの近くでワイングラスを傾けていた名前がちらりと視線を送れば、輪の中で談笑していた男と視線が交わった。
相手に断りを入れた男が革靴の音を響かせながら名前に近付いてくる。

「こんばんは、美しいSignorina」
「ええ、初めまして」

会場に流れるクラシックと同じような穏やかさで、名前は男――ブロスキに笑いかけた。

「お会いできて光栄です、Signorツェルト」
「私のことをご存じで?」
「勿論です。ここに貴方のことを知らない人はいませんよ」

その言葉に小さく笑ったブロスキは近くにいたウェイターに声をかけると、トレーの上に並べられたワインを手に取った。それを横目で見ていた名前の手を取って持ち上げると、その上にキスを落とす。

「Signorina, 名前を聞いても?」
「イルダ・アバティーノです。叔父がいつもお世話になっています」
「アバティーノ氏の姪御さんか。彼は今日欠席だと聞いていたが、開発は順調かい?」
「ええ、つい先日からプロジェクトが忙しくなってきたみたいで。叔父も残念そうでした」
「それで君が代わりに来てくれたというわけか」
「役不足なのは重々承知の上ですが」
「とんでもない。私はむしろ君と出会えたことに感謝している」
「まあ、ご冗談を」
「アバティーノ氏は君のことを痛く可愛がっていると聞いていたが、それも納得だ」

ゆっくりと腰を引き寄せられた名前はブロスキの胸にそっと手を当てながら困ったように視線を落とした。

「でも、本当の私はそんな淑女じゃありません」
「本当の君?」
「ええ。私がここに来た理由を知ったら…きっと貴方に軽蔑されてしまう」

潤んだアンバーの瞳がブロスキを見上げれば、ごくりと喉が鳴った。腰を抱く手にも力が入る。

「…イルダ、良ければ私にその理由を聞かせてくれないか?」

きた。
確信を得た名前は、腰を抱くブロスキの手にそっと自身の手を重ねて微笑んだ。

それを合意と受け取ったブロスキはテーブルに飲みかけのワインを置くと、名前の腰を抱いてエレベーターホールに向かった。名前はブロスキに身を預けながら素早く辺りを見渡す。周囲を固めているのは見る限り5人。これならプロシュートとペッシで十分対応できるだろう。

エレベーターから降りたブロスキは予約していたらしい部屋の前で立ち止まると、ジャケットからカードキーを取り出してオートロックを解除した。
部屋番号をちらりと横目で見た名前がブロスキに導かれるように部屋に足を踏み入れた瞬間、力強く肩を掴まれ壁に押し付けられた。
耳元でガチャンと扉が閉まる音を聞きながら、剥き出しになった首筋にかかる生暖かい吐息に息を詰める。

「ん…っ」

鼻から抜けるような声を上げながら、随分と性急な男だと冷静な頭で考える。もっとも業界でも有名な好色家らしいからそれは覚悟の上なのだが。
大人しくブロスキを受け入れていた名前だったが、吐息がかかる中で首筋にちくりとした痛みが走ると思わず眉を寄せた。しかしそんな名前の様子に気付くこともなく、男の手がドレスの上から全身を弄るように動く。
厭らしい手付きで太腿を撫でていた手がするすると上昇していくのをやんわりと押さえて恥じらうように顔を背ければ、ようやくブロスキは顔を離して名前の顎を持ち上げた。近づいてきた男の顔をそっとガードすると艶やかに微笑む。

「先にシャワーを」
「私を生殺しにする気か?」
「貴方には幻滅されたくないの」
「…仕方ないな」

降参だというように手を挙げたブロスキは、そのままベッドに腰掛けるとネクタイを緩めた。その背中を見てシャワールームに向かうと、扉を閉じて小さく息を吐く。しかしここで休憩している暇はない。

シャワーカーテンを開いた名前はシャワーを捻って水を出すと、編み込んだ髪の奥から小型の探知機を取り出した。電源を入れればすぐに反応を示すそれにうんざりしながら垂れ下がってきた髪を耳にかけて順番に盗聴器を回収していく。
換気扇の裏、排水管の側面、照明器具の奥。
ありとあらゆるところに設置された盗聴器に肩を竦める。
用心深いというか変態性が垣間見えるというか。

15分ほどしてから部屋に戻れば、あらかじめ仕込んでおいた睡眠薬が効いているようで、ブロスキはベッドに横たわってぐっすりと眠っていた。
用心深く部屋を見て、設置された盗聴器を回収していく。

ローテーブルの裏に設置されていた最後の一個を回収し終えたところで、後頭部に硬いものがぶつかった。

「イルダ、これは一体何のつもりだ?」
「…」

両手を上げてゆっくりと立ち上がれば、鏡越しにベッドの上で寝ていたはずのブロスキが銃を構えているのが見えた。

「確かに効いていたと思ったんだけど」
「ああ、君が仕込んだ睡眠導入剤なら今もちゃんと効いているよ」

ブロスキが掲げた左手に血が滴っているのが見える。ナイフで切りつけたような深い傷だ。どうやら痛みで眠気を紛らわせているらしい。それにしても随分と狸寝入りが上手な男だ。

「残念だよ、イルダ。まさか君がこんなことをするなんて」
「言ったでしょ?貴方が思うような淑女ではないって」

微笑みながら問いかければ、鏡越しに目が合ったブロスキは愉快そうに笑った。

「ああ、そうだな。だが…ますます気に入った」

そう言ったブロスキは拳銃を下ろすと背後から名前を抱きすくめた。

「君が情報を吐くというのなら、私の妻にしてやってもいい」

耳元で囁きながら名前の様子を窺うように目を細める。

「…本当に?」
「ああ、約束しよう。ただし君が持つ情報を全て話すことが条件だ。大企業幹部の妻なんて、君にとっても悪い話じゃあないだろう?」
「…そう。だったら教えてあげる」

腕を解いて振り返った名前にブロスキは笑みを深めた。
再び名前に腕を伸ばそうとするが、体が直立不動のまま固定されたように動かないことに気付き、顔を強張らせる。

「…なに?」
「ブロスキ・ツェルト。貴方は今ここで死ぬの」
「残念だったな、色男」

いつの間にか名前の隣にいたイルーゾォに気付くと目を見開いた。

「一体これは…」
「まだ気付かないの?」
「…、まさか」

言われて視線を動かしたブロスキは、壁に掛けられた時計の文字盤が逆転していることに気付いた。
ハッとした様子で鏡越しに部屋を見渡せば、ベッドもローテーブルもキャビネットも、全ての家具が部屋に入ってきた時に置かれていた場所とは反転している。
異変に気付きようやく状況を理解したブロスキが見たのは、真正面でバレッタを構える名前の姿だった。

「イルダ、」

銃弾の衝撃で仰け反った体は糸が切れたように崩れ落ち、じわじわと地面に血だまりが広がっていく。

「――ピンクスパイダー」

肉食の蜘蛛が一斉に死体に群がるのを、イルーゾォがやれやれといった様子で眺める。

「スタンド使いじゃないとこんなものか」
「能力者に慣れすぎると呆気なく感じるけどこれが普通なんだよね」
「それもあるが、一番は名前が優秀だからだろう」
「別に大したことはしてないと思うんだけど、役に立てているなら何より」

言いながら再びイルーゾォに武器を預け、解いた髪を簡単に肩の横で編み込んだところで携帯が振動し、メッセージの受信を知らせた。相手はリゾットだ。

――首尾は?

素早く打ち込んで任務の完了を告げる。

――完璧。そっちは?
――こちらも完了だ

「よし」

そう呟いて鏡の中から廊下の様子を見ればスーツを着た5人の男が全員床に転がり、その中でプロシュートとペッシが立っているのが見えた。全員見た目が変わっていないところを見るとペッシの能力だろう。
廊下に設置された防犯カメラが一つ残らず破壊されているのを確認してイルーゾォに振り返る。

「イルーゾォ、お願いできる?」
「ああ。名前が出ることを"許可する"」

スタンド能力を解除し、廊下の壁に掛けられた鏡から抜け出せば、それに気付いたプロシュートが名前を支えた。

「終わったか」
「うん」
「姉貴ィ!大丈夫でしたかい?」
「ペッシも無事で何より」

イルーゾォが鏡から出てきたところで携帯を持ち上げて任務の終了を知らせる。

「あっちも無事に終わったって」
「そうか。…イルーゾォ、ペッシ。お前らは先に戻ってろ」
「何だ、まだやり残したことでもあるのか?」
「ああ、そんなところだ」
「わかった。なら先に戻ってるぞ」

二人はそれ以上追求することなく、返事をすると先に帰路についた。

「どうかしたの?」

プロシュートを振り返った名前は、肩を掴まれるとゆっくり壁に押し付けられた。
肩で編み込んでいた髪を避けると、首筋のある一ヶ所を撫でながら、形の良い眉を不快そうに歪める。触られた場所に心当たりがある名前は思わず目を見開いた。

「(…まさか)」

名前が口を開いた瞬間、プロシュートは無言のまま首筋に顔を埋めると、ブロスキにつけられた鬱血痕を唇で食んだ。

「っあ…!」

薄い皮膚から伝わってくる唇の感覚とちくりとした痛みに、漏れかけた声を咄嗟に手で押さえた。
目の端に映るブロンドに思わずぎゅっと目を瞑る。

名前が息を飲む気配に気付いて顔を上げたプロシュートは、状況理解が追いかずに困惑した様子で浅い呼吸を繰り返す名前を見上げるとふっと笑った。

「帰るか」

ブロスキとは全く違う丁寧な手付きで髪を元の位置に戻すと、何事もなかったかのように呆然とする名前の手を引いて歩き出した。

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