ドレスアップ=戦闘準備


「あっホルマジオ、これ付けてくれる?」
「しょうがねーなァ」

偶然部屋の前を通りかかったホルマジオに声をかけると、彼はお馴染みのセリフを言いながらネックレスを受け取った。
名前の部屋に足を踏み入れると、何とも言えない表情を浮かべる。

「相変わらず生活感のない部屋だな」
「綺麗好きって言ってよ」
「そりゃ本気で言ってんのか?リゾットやプロシュートですらもう少し物置いてるってのによ」
「ぱっと見綺麗になってるだけだよ。クローゼットには色々押し込んであるし」
「どうせそれも必要最低限の服と靴とカバンだろ」

ホルマジオの言う通り、名前の部屋に置かれているのはベッドと一台のキャビネット、姿見だけである。一切の無駄が排除された――と言えば聞こえはいいが、全く物が置かれていない空間は、とても20代の女が住んでいる部屋とは思えない。殺風景な部屋にはどこか寂しさすら感じる。

肩を竦めたホルマジオは姿見の前に立つ名前の背後に周ると、大きく開いた首周りに手を回した。

「今日はまた一段と綺麗だが、このドレスはプロシュートの見立てか?」
「正解。よく気付いたね」
「いかにも奴が好みそうなデザインだと思ってな。相変わらず愛されてるな」
「別にそんなことは…」

苦笑を浮かべるも、途中で言葉を濁す名前を鏡越しに見たホルマジオが目を細める。

「よし。ほらできたぞ」
「Grazie.」
「奴もこんな極上の女に殺されるなら本望だろうな」
「上手くいってくれるといいんだけどね」
「これで落ちない男なんてのはまずいねぇから自信もって行ってこい」
「根拠は?」
「勘だ」

にやりと笑ったホルマジオにアンバーの瞳がおかしそうに細められる。

「ホルマジオの勘は当たるもんね。いけそうな気がしてきた」
「おう、その調子だ」

セットされた髪に気を遣ってか優しく頭を撫でる手に、綺麗に引かれたルージュが弧を描いた。

「そんじゃ、俺は先に行くからな」
「気を付けて」
「名前もな」

ひらひらと手を振って玄関に向かうホルマジオを見送ると、続いてキャビネットの上に準備してあったイヤリングを手に取る。イブニングドレス用の大ぶりなアクセサリーは重くて肩が凝るのが難点だが、盗聴器や発信機などの機械を仕込むには都合が良い。

「名前、準備終わった?」

ゴテゴテした装飾品を付け終えた名前がベッドの上に腰掛けてパンプスに履き替えたところで、開けっ放しにしていた扉の奥からメローネが姿を現した。

「うん、もうほとんど終わってるよ」

言いながら廊下のメローネを見上げた途端、彼は無表情のままつかつかと歩み寄ってきた。そのままベッドの前に跪くと膝に置かれていた名前の手を取り、まだグローブが嵌められていない手を持ち上げる。訝しげにメローネを見下ろす名前を他所に、彼は丁寧な仕草で手の甲に口付けを落とした。
まるで女王に服従を誓う騎士のような行動に驚いていると、メローネは重ねた手を持ち上げながら上目遣いで微笑む。

「どこの貴族令嬢かと思ったぜ」
「…メローネ、ちゃんとしてればかっこいいのにね」
「それは口説いてるって受け止めていいのか?」
「思ったことを言っただけ」
「余計にタチが悪いな」

やれやれといった様子で立ち上がったメローネにつられて腰を上げる。

「そのドレス選んだのプロシュートだろ?よく似合ってる」
「…」
「どうかしたのか?」
「いや、ホルマジオにも当てられたから…どうしてみんな気付くんだろうって」
「名前もセンスはいいけど、なんて言うか…アイツは本人以上に名前の魅せ方を分かってるんだよ」
「そんなこと言われたら私もう自分で服選べなくなりそうなんだけど…」
「どうせそれがあいつの狙いなんだろ?まんまとハマってるな」
「恐ろしいこと言わないでよ…」

そんなことになれば恋愛感情は抜きにしても文字通り彼なしでは生きていけなくなってしまう。

するとその時、リビングの方から荒々しい足音が近づいてきた。

「おいメローネ!どこ行った!」

ギアッチョの声だ。どうやらメローネを探しているらしい。

「ギアッチョ、メローネなら私の部屋にいるよ」
「あ?」

名前が廊下の奥に聞こえる声で呼びかけると、ギアッチョが開け放たれた扉から顔を覗かせた。一応女の部屋だからと気を遣って入室しない辺り、彼は常識を持ち合わせていると思う。

「もう行くのか?」
「ああ、準備が終わってんなら行くぞ」
「わかった」

名前の前に立っていたメローネが動けば、廊下に立つギアッチョと目が合った。

「ギアッチョ、くれぐれも気を付けてね。一応スタンド使いはいないことになってるけど、もしかすると増援が来てるかもしれないから」
「…」
「…ギアッチョ、聞いてる?」

声を掛ければハッとしたように眼鏡の奥の目を見開いて視線を逸らした。
二人の間でその様子を見ていたメローネがにやにやしながらギアッチョをからかう。

「おいおい何だギアッチョ、まさか照れてるのか?」
「は、はあぁ〜〜ッ!?誰が照れてるってんだよクソがッ!舐めやがって!」
「図星だな」
「んだと!?」
「なあ名前?」

メローネが同意を求めてくるが、普段名前はギアッチョを怒らせることがないため、そう尋ねられてもいまいちわからないというのが正直なところだ。
これから一緒に仕事なのに怒らせて大丈夫なのかと不安になったが、何だかんだこの二人は仲が良いので大丈夫だろう。それに今日はリゾットとホルマジオもついている。

「メローネ、ギアッチョ」
「うわっ、びっくりした!リゾット、いつからいたんだよ」

突然姿を現したリゾットにメローネが驚いたように声を上げた。ギアッチョも若干驚いたような顔をしているが、当の本人はその質問には答える気が無いらしく、二人を視界に入れると顎で玄関をしゃくった。

「そろそろ行くぞ」
「はいはい。名前、頑張れよ」
「メローネもね」

ギアッチョもメローネに続いて玄関に向かおうとしたが、名前に向き直ると頭を掻きながらぶっきらぼうに呟いた。

「その、何だ…ヘマすんじゃねぇぞ」
「うん、任せて。ギアッチョもどうか無事で」
「ああ。…あとそれ、スゲーよく似合ってる」
「!」
「じゃあな」

そそくさと部屋を出ていったギアッチョの背中を見送りながらリゾットが小さく笑う。

「珍しく素直だな」
「ね」

乱れた髪を直すように、大きな手が名前の髪にそっと触れた。

「終わったら連絡する」
「私もすぐに終わらせるね」
「ああ、確実に始末しろ。だが無理だけはするな」
「仕事なんだから多少の無理は許容範囲だよ」
「名前」

リゾットの言葉に苦笑を浮かべれば、咎めるような声と共に両頬を掴まれて上を向かされた。髪色と同じ色をしたまつげの奥の、赤と黒の不思議な瞳と視線が交わる。
高いヒールを履いていることもあって距離がいつもより近い。
じっと見つめてくるリゾットに耐え切れず視線を逸らそうとすれば、それは許さないと言わんばかりに頬を持つ手に力が入った。

「名前、わかったな」
「…Si.」

解放されてほっと息をつく名前の頭を撫でるとリゾットは部屋を出ていった。

三人を見送った名前は気を取り直し、ホルマジオの言う通り必要最低限の物しか収納されていないクローゼットの中からカバンとグローブを取り出した。普段着も何着かかけられているが、一度中を見たメローネが「とても女のクローゼットとは思えない」と言っていたのでこれでも少ない方なのだろう。同年代の女の基準がわからないので何とも言えないのだが。

クローゼットを閉めた名前はキャビネットの中からバレッタと数発の弾丸を取り出すと、それを持ったままリビングに向かった。
コツコツとヒールの音を響かせてソファの後ろを通れば、座っていたソルベとジェラートが揃って顔を上げる。

「Femme Fataleのお出ましだな、ジェラート」
「そうだな、ソルベ」
「どっちの意味かわからないけど、誉め言葉として受け取っておくね」

二人に礼を述べながら備え付けられた鏡をノックすると、ゆらりと波紋が広がるように表面が揺れ、中からイルーゾォが姿を現した。

「お待たせイルーゾォ」
「これは驚いたな。なんと言うか…綺麗だ、名前」
「Grazie. これ全部頼める?」
「ああ、任せろ」

手に持っていた武器をイルーゾォに手渡しながら、思い出したようにソルベとジェラートに振り返る。

「ところでプロシュートとペッシは?もう行った?」
「ああ、ちょっと前に出ていった」
「ペッシも気合入ってたぜ」
「そっか」

今回はイルーゾォのサポートを受けながら名前がターゲットであるブロスキの暗殺を実行する傍ら、リゾットは別働隊としてメローネ、ギアッチョ、ホルマジオと共にブロスキが拠点にしているネアポリスでの潜伏先を叩く算段になっている。
プロシュートとペッシはブロスキの周りを固めている部下やSPを対処する手筈になっているのだが、既に出発したらしい。ちなみに、これまでの情報収集に大いに貢献してくれたソルベとジェラートは待機要員である。

「じゃあイルーゾォ、私たちも行こっか」
「ああ」
「名前」

グローブをつけ終えて車のキーを手に取ったところで二人が同時に名前を呼び止めた。

「Buon lavoro.」
「うん、行ってくるね」

今から人を殺すとは思えないほど穏やかな笑みをたたえて名前は笑った。

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