暗殺者たちの休日2


霊園を後にした二人は、一度本部に立ち寄ってからジョルノへの報告を終えると、しばらく車を走らせて海にやってきた。そろそろ春も終わる頃だが、さすがにまだ泳いでいる人は見当たらない。車から降りた二人は、ゆっくりとした足取りで砂浜の上を歩いた。

「リゾット、去年のこれくらいに二人で出かけたの覚えてる?」
「去年?」
「ほら、映画に行ったでしょ」
「ああ…ソルベにチケットを貰ったときか」
「そうそう」

ちょうど去年の今頃、本部での仕事を終えてクタクタの状態で帰宅した名前は、タイミング悪く仕事が入って行けなくなったというソルベとジェラートから映画のペアチケットを譲り受けた。当日券と記されたそれを無駄にするわけにもいかず、名前は根を詰めて仕事をしていたリゾットを誘って――正確には強制的に連れ出して――映画を観に行ったのだ。

「でもお互い疲れてたから、結局二人とも席に着いた瞬間に寝ちゃって」
「そんなこともあったな」
「さすがにあの時のリゾットは本気で危ないと思ったんだよ」

事務処理を苦手とするメンバーが多い中、不眠不休で書類をさばくリゾットを止めるのは昔から名前の役目だった。しかし去年のこの頃はボスが交代した直後で組織の運営体制が大きく変化し、名前は本部に駆り出されていたため、彼にストップをかける人間が居なかったのだ。ホルマジオやプロシュートがそれとなく声をかけてはいたらしいが、効果はあまりなかったらしく、本部から帰宅した名前以上に濃い隈をつくっていたリゾットをほぼ強制的に仕事部屋から連れ出した、というわけである。
その頃のリゾットは普段名前がこなしていた事務処理だけでなく、チームが本部の直轄組織となったために必要な書類の作成やら改組手続きやらを一人でこなしていたため、その忙しさも納得である。現在も冷遇されていた頃に比べれば明らかに仕事量は増えているのだが、去年の目の回るような忙しさに比べればどうということはない。

「あれからもう一年経つのか。時間が過ぎるのは早いな」
「私なんて体感で二ヶ月くらいなのに」
「名前は余計にそう感じるんだろう」
「去年なんてほとんど本部の人間になってたもんね。泊まり込みで仕事してた時期もあったし」
「ああ。もう帰ってこないのかと思ったくらいだ」
「帰ろうと思った時に見計らったように問題が起こるんだよ」

内部で問題が起きたやら、数千枚もの書類をまとめてほしいやら、フーゴがキレたやら。最後のは自分たちで何とかしろと思わないでもないのだが、とにかく人手が足りないのを理由にあちこちに回されたのは記憶に新しい。
名前はブチャラティに両チームの協定を持ちかけた張本人であり、間接的にではあるがジョルノをボスに押し上げた責任もあって、組織の立て直しには大いに貢献していた。もっともそれは本部と暗殺チームの良好な関係を維持し、同時に恩を売るという意味も含んでいたのだが、今思えば人質の意味もあったのかもしれない。

「そう考えると昔はしょっちゅう出掛けてたよね」
「お互い気楽な立場だったからな」
「それは言えてる」

良くも悪くも、十年経てばお互いの立場も環境も変わる。
名前は穏やかな潮騒と海の上を旋回するカモメの音を聞いて立ち止まった。隣を歩いていたリゾットもつられて歩みを止めれば、一際強く吹きつけた風がワンピースの裾をはためかせ、太陽が反射する栗色の髪が潮風になびく。まるで絵画のような光景にリゾットが目を細めれば、水平線を見つめていた横顔が振り返った。

「でも、悪い変化ばかりじゃなかったよね。今のチームができたのはやっぱり良い変化だと思うし」
「名前のおかげで本部から直接依頼される仕事も増えたしな」
「…ここは素直に喜ぶべき?」
「ああ。感謝しているぞ」

小さく笑ったリゾットは、微妙な顔を浮かべる名前の手を取って歩き出した。

それからしばらく砂浜を散歩した二人は、海辺からほど近いカフェに入った。潮風が気持ち良いテラス席に案内されると向かい合って座り、立て掛けられていたランチメニューを広げる。二人とも朝から何も食べていないため、美味しそうな料理の写真が載ったメニューを見ただけで今にも腹の虫が鳴きそうだ。名前は"オススメ"という文字に目を止めると、一際大きく掲載された写真を指差した。

「私はタリアテッレ・アル・ラグーにしようかな。リゾットは?」
「俺も同じのでいい」
「Scusi.」

名前が店員を呼んで注文をしていると、下ろしていた栗色の髪がテラスを通り抜ける風になびいた。正面でその様子を眺めていたリゾットは、ちらりと見えた首筋に赤い跡がついていることに気付く。注文を終えて店員が遠ざかると、それは再び髪の下に隠された。

「名前」
「ん?」
「プロシュートのこと、どう思っているんだ?」

予期せぬ質問に名前のメニューを片付けていた手が止まる。しかも相手があまりこの手の話題をしないリゾットということもあり、彼の言葉を理解するまでに時間がかかった。

「どうって…」
「昔のアイツからは考えられないくらい態度が変わっただろう」
「まあ…確かにそれには驚いたけど」

リゾットの言う通り、今でこそあのような感じで接してくれるプロシュートだが、名前と出会った時もその後の関係も良好とは言い難いものだった。それがある時を境に180度変化した。あの頃は名前だけでなくリゾットも随分困惑したものである。

「今は?」
「今?」
「アイツのこと、好きなのか?」
「それは…同じチームの仲間だからね。そういう意味ではもちろん好きだけど、それはチームのみんなにも言えることだよ」
「なら男としては?」

上手くはぐらかせたと思っていたのだが、これは彼が望む回答ではなかったらしい。
珍しく押しの強いリゾットに、名前は白いテーブルクロスが敷かれたテーブルに視線を落とした。

正直、そればかりは名前本人にもわからないのだ。
十二歳の頃にこの世界に入ったということもあり、名前はまともな恋愛というのをしたことがなかった。ハニートラップに近いものはそれなりにこなしてきたものの、当然そこに恋愛感情は存在しない。言ってしまえば、名前は完全な恋愛初心者だった。
対するプロシュートは経験豊富でルックスも良く、さらには女性に対して気遣いもできる。そんな彼がどうしてあんな一途に自分を想ってくれるのか、名前は未だに理解できないでいた。
それに経験が無さすぎる自分では、彼の気持ちに上手く応える自信が無いというのも正直な気持ちであった。
期待を裏切ってしまうのではないか、自分では釣り合わないのではないか、失望させてしまうのではないか。
プロシュートから想いを伝えられる度に、名前の頭にはそんな考えばかりが過った。
もちろん名前とて、いつまでも彼の好意をのらりくらりとかわすのは卑怯だというのはわかっている。しかしプロシュートは名前が抱える幼少期のトラウマを知っていたため、その点に関しては殊更慎重に接し、気長に待ってくれていた。それはまるでぬるま湯のような居心地の良さで、名前は長い間、そんな彼の優しさから抜け出せないでいた。

テーブルの上に投げ出していた手を握れば、その上に大きな手が包み込むように重なる。

「すまん、意地の悪い質問だったな」
「ううん…ちょっとびっくりしただけ」

言いながら名前は重ねられた手をぼんやりと見つめた。手の甲に伝わってくる熱は、冷え性な自分よりもずっと温かい。
人を殺すことを生業としていながら、リゾットは誰よりも情に厚く仲間想いだ。予想外の質問も名前を案じてのこと。それがわかっているから彼には感謝こそすれ、非難する気などはさらさらなかった。

名前は暗殺チームに入った頃から面倒を見てくれているリゾットという男が好きだった。きっとそれは家族や友人に対する愛情なのだろう。時間が生んだ程度の差こそあれ、他のチームメンバーに対しても全く同じ感情を持っている。だが今リゾットが尋ねたのは「愛」ではなく「恋」だ。そこまでは名前も理解できる。だが親しい相手に対して等しく持つ「好き」という気持ちを、何を基準に「愛」と「恋」に分類すればいいのかが名前にはわからなかった。

「自分でもいい年して何言ってるんだ、とは思うけど未だにわからないの」
「何がだ」
「どうして"好き"だけじゃダメなのか」

潮風に紛れてぽつりと呟かれた言葉は、どこか寂しさを含んだ音だった。リゾットが僅かに眉を顰めたことに気付くと名前は発言したことを後悔するように視線を逸らす。そこにちょうど頼んでいた料理が届くと、重なっていた手は自然に離れていった。


***


シャワーを浴びて自室で睡眠をとったプロシュートがリビングに行くと、いつの間に買ってきたのかホルマジオがソファに座ってスポーツ新聞を読んでいた。リビングでダウンしていたメンバーもほとんどが部屋に戻ったらしく、朝に名前が片付けてくれたおかげで昨夜の騒ぎが嘘のようにスッキリしている。

ダイニングテーブルの椅子を引いて腰掛けたプロシュートは、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターに口を付けた。飲みながら掛け時計にちらりと視線を向ければ短針はちょうど5時ぴったりを指している。その様子を新聞越しに見ていたホルマジオが顔を上げた。

「そういやリゾットと名前はまだ帰ってねぇのか?本部に行くにしては珍しく帰りが遅いな」
「あいつらならそのまま出掛けた。多分夜まで戻らねぇよ」
「へぇ…なるほどな」

やけに楽しそうな調子で返事をしながら視線を戻すホルマジオに、プロシュートはボトルのキャップを閉めながら不快そうに顔を歪めた。

「何だ」
「いいや、別に?ただ昨日のお前だったら全力で阻止してたんじゃあないかと思っただけだ」
「…昨日だと?」
「珍しいな。覚えてねぇのか?」

含みのある言い方にプロシュートが眉を顰めればホルマジオはにやりと笑った。その表情で全てを察すると、舌打ちを漏らして髪をかき上げる。

「名前のことか」
「お、記憶はなくても心当たりはあるみてーだな。聞いとくか?」
「いや…いい。何も言うな」

わざわざ聞いたところで後悔と羞恥が募るだけというのはホルマジオの顔を見れば明白だ。やってしまったとばかりに端正な顔を歪めるプロシュートをちらりと見ながらくつくつと喉で笑う。

「まァ安心しろ、全員死んだように眠ってたから知ってんのは俺だけだ。別に誰にも言わねぇよ」

これがメローネ辺りであれば煩く騒ぎ立てていたに違いない。そう考えれば相手が口の堅さに定評のあるホルマジオであったことが唯一の救いだが、メンバーに本心を赤裸々に語ってしまったことに変わりはないわけで。プロシュートが深く溜息をついたところでリビングの扉が開き、何ともタイムリーなことにメローネが指で米神を押さえながら入ってきた。

「あ゛ーーーー頭痛い」

ちょうどシャワーを浴びた後らしく、首にタオルを掛けたまま半裸の姿でソファに沈んだ。向かい側に座るホルマジオが読み終わった新聞を畳みながら苦笑いを浮かべる。

「そりゃあの勢いで飲めばな」
「全く記憶が無いんだが」
「お前はギアッチョとイルーゾォと飲み比べして早々に潰れてただろーが」
「………駄目だ、何一つ思い出せない」

ほらな、と肩を竦めたホルマジオがダイニングテーブルを振り返った。それを見てしっしと手を振ったプロシュートだが最悪を回避できたことに内心密かに安堵する。

「おい水垂れてんぞ。早く髪乾かせ」
「はいはい」

男にしては長い髪から滴る水に目を止めたプロシュートがそう指摘すれば、メローネは渋々といった様子で体を起こした。首にかけていたタオルを頭に置くと、二日酔いの頭に響くのかしかめっ面で拭き始める。そこであることに気付くとホルマジオに問いかけた。

「ていうか名前は?いつもだったらこの時間はリビングにいるはずなんだけど」
「明日は本部に行くから早く寝るっつって、昨日の夜早々に部屋に戻ってただろ」
「…そうだったか?いや、だとしても一時間あれば帰ってこれるだろ」
「ついでにリゾットと一緒に出掛けてるとさ」
「えっマジで?俺は断られ続けてるのに?」
「それが嫌ならセクハラをやめてやれ」
「おいおい、それは聞き捨てならないな。愛情表現の間違いだろ?」
「…とにかく、あんまり名前を困らせてやるなよ」

言うだけ無駄だと悟ったのか、呆れ顔のホルマジオは新聞を手に持つと早々に部屋に戻っていった。残されたプロシュートも立ち上がろうとしたところで、突然メローネがくるりと振り向く。

「それで?」
「あ?」
「涼しい顔してるが、本心では焦ってるんじゃあないか?愛しの名前をリゾットにとられるんじゃないかってな」
「…オメーは相変わらずくだらねぇな」

溜息をついたプロシュートは立ち上がって空のボトルをゴミ箱に入れるとメローネに背を向けた。

「それとも、リゾット"だから"大丈夫?」

どこか核心をついた言葉に、ドアノブにかけていた手の動きが止まる。眉を顰めたプロシュートが振り返るとメローネはにこりと笑い、それきり興味が失せたというように背を向けた。

リビングを出たプロシュートは部屋の前で立ち止まったが、体の向きを変えるとそのまま玄関に向かった。無機質なドアノブに手を伸ばしたところで外側から扉が開かれる。帰宅した名前は目の前に立っていた人物に気付くと、一瞬驚いたような顔をしてから首を傾げた。

「プロシュート、どこか行くの?」

いつもと変わらない様子の名前に密かに安堵しながらバーチをかわすと、食料品が詰め込まれた荷物を受け取る。

「早かったな」
「元々これくらいには戻るつもりでいたからね。あ、出かけるんだったらご飯いらない?」
「いや…そのつもりだったがやめにした。これから作るんだろ?」
「でも大したものじゃないよ」

荷物に視線を落とせば、ずっしりと重い袋の中にミックスビーンズの袋が見えた。

「ズッパ・ディ・レグーミか?」
「正解。みんな二日酔いだからそんなに食べないだろうし、いつでも食べられるように日持ちのいい料理にしようと思って。本当に大したものじゃないでしょ?」
「わざわざ調理してんだから十分大したもんだろ。こいつは運んどくから着替えてこい」
「うん、すぐ行くから適当に置いておいて」

名前が部屋に入ると同時に再び玄関が開き、車のキーを持ったリゾットが戻ってきた。プロシュートが持つ荷物に一瞬視線を落とすと、そのまま隣を通り過ぎる。

「酒は抜けたみたいだな」
「そっちはデートにしちゃ随分と早い帰宅だな」
「名前に嫌われたくはないからな」
「…そーかよ」

相変わらず冗談なのか本気なのか読み取れない男だ。
肩を竦めたプロシュートは小さく笑ったリゾットが部屋に入るのを見届けると、再びリビングへ向かった。

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